九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

戦争の「信仰」   文科系   

2018年01月10日 12時23分39秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。


 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。

 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。


(2016年1月発行の同人誌に初出)
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NHKも、換わらなければ信用を無くす    文科系

2018年01月09日 12時04分26秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 NHKもこれから、安倍の言うことに従うだけではなくなっていくはずだ。例えば「イラク戦争参戦への総括」を人も金も時間もかけてちゃんとやったイギリス。この国のこの振る舞いに限っては、日米に比べてどれだけ立派だったことか。日米とは民主主義の伝統が違うのであろう。

 嘘の理由でイラク戦争を開戦して5000人の自国若者を無駄に殺し、軍旗にも軍隊にも国家にも真っ黒な泥を塗りつけたアメリカ。従来の憲法解釈をねじ曲げてまでこれに参戦した日本小泉政権。そんなイラク戦争では、ある国際調査によれば関連死含めて50万の人が亡くなったと伝えられたし、ここからこそあのイスラム国も全欧州を悩ませている難民問題も生まれたのだ。なのにこの日米両国は、これまでこの戦争に何の反省もして来なかった。こんな反省さえできなくて、何の愛国か、何の平和国家か。というような国々は、マスコミも十二分にねじ曲がっているということだろう。

 日米が世界からもっと孤立していくのだから、NHKももっともっと換わらざるを得ぬはずだ。
 今正しくも南北対話が始まった朝鮮情勢。シリアやイランやエルサレム情勢、から始まった新たなイスラム一致情勢。米による国連安保理を舞台にした新たなイラン画策も、一旦は退けられたようだし。中国の一帯一路にBRICSも欧州も参加していくユーラシア大陸情勢。これらからすれば、日米がこのままなら、今後さらに、世界からどんどん置き去りになっていくものと、僕は確信する。

 日本安倍政権が、アメリカの変わり身速さよりもはるかに遅れて「自己修正」を図っているように見えて、これが極めて興味深い。その歴史修正主義がまた、世界の笑いものになっていくだろうし。
「世界史200年の民主主義の発展に棹さす国!」
「朝鮮問題にかこつけて、今時軍拡を図り直している国」
「立憲主義にさえ無理解で、どんな国にしようというのか!」

 「一帯一路」への参加表明は、アメリカに遅れること数ヶ月。
 南北朝鮮対話再開を黙認、合同大演習は取りやめとなった米に対して、「慰安婦合意は一片たりとも譲れない」と改めて言い直した安倍政権。自らは撃つことなど出来ない「北の核」が「少子化と並ぶ国難」だそうだから、そりゃそうでしょう。この振り上げた拳、一体どこへ持って行くのやら?? 
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日韓不幸の源   文科系

2018年01月09日 11時17分54秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて思うところを書いてみたい。

 六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。朝鮮植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が朝鮮に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。
 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。日本に置き換えて言えばこれは、「ペリー来航・即東京湾周囲を砲撃しつつ東京まで侵出」と言えるようなものであって、朝鮮にとっては大事件であった。大日本帝国軍隊初の平時外国常時駐留も、八二年に朝鮮で認めさせている。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた反日行動への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕には思われる。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、四〇年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺した場合でも、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。


 一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末であった。朝鮮をめぐってここまで、初めは清国と争い、次いでロシアと戦った。今ふり返れば、ここから満州事変・十五年戦争までは既に指呼の間ということになる。朝鮮併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。


(2016年1月発行の同人誌に、初出)
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経済論文  慢性的恐慌世界    文科系 

2018年01月08日 10時34分02秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 ケインズやマルクスが恐慌を資本主義の最大問題と見て格闘したのは、株価や「景気」などよりも、定期的なように起こる失業者激増問題があったからである。失業者激増ほど、犯罪とか人心の荒廃などいろいろに社会を荒らす問題はないからだ。ヒトラーや東條の台頭も、一九二九年の世界大恐慌以来の失業問題が無ければあり得なかったこと。日本の「満蒙開拓」などの社会的機運も同じことだろう。ところが今は、銀行倒産は国が救うが、失業や不安定雇用問題はほぼ放置と言える。スペイン、ギリシャ、ポルトガル、イタリア、アイスランドや、アジア・アフリカ諸国。若者を中心に膨大な失業者を何とも出来ない国があるのだから、リーマンショック以降はもう世界恐慌である。それらの国々に世界の諸問題が特にしわ寄せされてきたわけだ。
 銀行倒産は国家が即座に救うのに、若者の失業者放置って、どういう理屈で続けられるのだろうか。失業者が多い国家が無力だから仕方ない? 否、現代の失業者は、マネーゲームによって生み出される。九七年のアジア通貨危機から、タイ、韓国、インドネシアに大失業者群が生まれ、ギリシャがゴールドマンなどの世界的金融資本に食い物にされたとかも、知る人ぞ知る有名な話だ。
これらの問題は、どうしようもないことなのだろうか。近年の世界経済について、その転換点以降現代までの推移を振り返ることを通じて、その淵源を探ってみよう。
 
 七一年にいわゆるニクソンショック。金本位体制を崩して、世界的に変動相場制に移って行くことになる措置だ。直後には、対円などでドルが世界的に値下がりし、他方、七三年原油価格暴騰が起こる。さらには、戦後世界経済理論を最も騒がせたスタグフレーション現象が強調され始めた。「景気の停滞下で物価上昇が続く」「物価上昇と失業率の上昇とは併存しない」という当時までの世界的経済理論ケインズ経済学では説明できない現象と言われたものだ。新自由主義として有名なサッチャリズムが七九年に、レーガノミックスは、八一年に始まっている。八十年代は「アジアの時代」とかジャパンマネーの時代というのが定説だ。七九年には経済協力開発機構でアジアが注目され始め、以下十国が「NIES」ともてはやされた。韓国、台湾、香港、シンガポール、ブラジル、メキシコ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ユーゴスラビア。八十年代に入るとこのうち南欧や南米が落ちて、アジアNIESが急成長を遂げていく。以上の八十年代動向は同時に、アジア唯一の先進国・日本が、「アメリカ」をも買いあさった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代とも重なっている。
 九十年前後に起こった社会主義国崩壊から以降、民間資金が各国に流入して、様々な猛威をふるい始める。それにともなって各国に通貨危機が連続して発生していくことになる。九四年メキシコ、九七年東アジア、九八年ロシア、九九年ブラジル、〇一年にはトルコとアルゼンチンなどだ。いずれの国も、短期資金の突然の流出で資本収支の赤字から困窮しつくすという特徴を示した。ちなみに九八年世界決済銀行の四三カ国調査にこんな数字があった。市場為替取引高は一日平均一・五兆ドルで、年間五百兆ドルと。九五~六年の世界貿易高が五兆ドルであったのを考えると、もの凄い数字ではないか。「カネがモノから離れた」マネーゲームに対して識者たちから警鐘乱打が発されることになる。もちろん、こういうゲームの主人公たち自身からも破綻者が現れた。九八年にロシア通貨危機でロングタームキャピタルマネージメント、〇二年にエンロンの倒産である。いずれもデリバティブ、金融派生商品の失敗によるものだった。
 そして〇六年十二月に兆し始めたサブプライム住宅ローン・バブルの破裂。百年に一度の世界経済危機と言われたものである。

 さて、初めに提起した世界の失業・不安定雇用問題に、この簡単な世界経済史のどこが、どう繋がったか。一言で言えば、先進国のマネーゲームが世界の現物経済を支配し、人件費比率大幅カットによって、これが始まった。さらには世界の余剰資金をかき集めるべくバブルを世界に形成しては破裂させたことによって。現物経済と言っても株式だけではなく、土地、金融派生商品、さらには国債売買や為替から起こる通貨戦争までを含んだものである。この戦争の結末をば、ある学者は国際通貨基金〇八年の調査結果を使ってこう描いている。
『一九七〇年から二〇〇七年までの三八年間に、二〇八カ国で通貨危機が、一二四カ国で銀行危機が、六三カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後一九七〇年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』(岩波ブックレット一二年刊 伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」)
 こうして、日米など人件費が高い先進国は、貿易収支の赤字をばマネーゲームで穴埋めする状況さえ現れた。その陰には、民生に使う社会資本さえ奪われた国々。これでは、世界経済の良い需給循環など起こりようがない。よって、日米の公的累積債務もそれぞれ一千数百兆円、八千兆円。この世界、一体どうなっていくのか。
 ケインズが生きていたら驚嘆して、こう叫ぶだろう。
「こんな豊かな世界に失業者、不安定雇用者がこんなに居るとは! 私には予想も出来なかった未来である」
 新自由主義経済学では、ケインズを社会主義的と言う向きもあるが、どちらが狂っているのだか。


(2016年1月発行の同人誌に初出)
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ハリルジャパン(151) 引く手あまた中島翔哉と,柴﨑岳  文科系

2018年01月07日 13時12分44秒 | スポーツ
 ここで昔から話題にしてきて、ポルトガル移籍から1年も経たぬうちに得点ランク6位に入ってきたのが、この中島。西欧行き即著しい実績という点では柴﨑岳と双璧で、この二人現在欧州で最も評判が高い日本選手である。

 中島については、ドイツのボルフスブルグが獲りたいと名乗り出たら、同じくフランクフルトが14億円近い違約金を払っても獲得したいと・・・・。そこへさらに、ポルトガルの名門FCポルトまでが、獲得に参戦。

 この二人、似ているようでかなり違う。完全なオールマイティーが25歳の柴﨑。対する23歳の中島は、得点に直結していく数少ない選手と言えようか。

 中島の位置には原口と乾が居るから無理かも知れないが、柴﨑はハリル・ジャパンでも即使えるはずだ。まー僕が言わなくとも、ロシアではエースになっているだろうが。賢こくって、強い身体に鍛えることも怠りないはずの柴﨑である。ハリルが不可欠と観るデュエルにも怠りなどあるはずもない。なんせ当たりの厳しいスペインで、昨日のアトレティコ戦や、バルサ相手にも得点というように、余裕さえ見せるように悠々とやれているのだから、本田や香川を入れるよりも遙かに安定した闘いを演じるはずだ。

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41年12月8日開戦直前の真実  文科系

2018年01月07日 11時50分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日米の戦争責任論議における最重要点として、以下の会議が存在すると、このことは「アジア・太平洋戦争」(岩波新書「シリーズ日本近現代史」の第6巻、吉田裕一橋大学大学院社会学研究所教授著。2010年第6刷発行)による。以下はこの本の紹介といっても良い。
11月5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかった。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったということだ。

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』


2010年11月15日から、24日まで7回続けた「太平洋戦争開戦、右翼のデマに」の20日第5回目を改編したものです。これらのエントリーは全部読めます。こんな出し方で。2010年11月15日のエントリーならば、右欄外の今月分カレンダーの下に「バックナンバー」と書いた欄がありますから、そこの2010年11月をクリックする。すると、すぐ上の今月分カレンダーがこの付きのカレンダーに換わりますから、その15日をクリックして下さい。それで、このエントリー本欄が、2010年11月15日のエントリーだけに換わりますから、そこからお求めの文章をスクロールしてお読み頂けます。)

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米国の根本的窮状とイラン、ベネズエラ外交  文科系

2018年01月07日 11時35分59秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 米の根本的窮状と、イラン、ベネズエラへの外交政策との関係について、愚考を開陳してみようと思い立ちました。

 根本的窮状はこういうもの。毎年の貿易収支はずっと大赤字。それでも、物の貿易収支の大赤字分を、マネーゲームの黒字分でかなり取り返しているんです。
 国家累積赤字は更に酷く、GDPの4倍を優に超えているはず。ちなみに、日本でも大騒ぎされている同じ数字は、2倍をちょっと超えた程度。加えて、個人貯蓄が国のGDPの3倍ある日本と違って、アメリカのそれは間違いなくマイナス。つまり、一般的家庭などの借金を帳消しに出来る貯蓄などはどこにもないのである。
 こんなアメリカの「国も家計も大赤字」は、一体どこで埋め合わせが付いているのか。日本や中国などの貸し金なのである。その貸し金でアメリカの国も家計も物を買うから、日中の対米物輸出も進むという仕組みになっている。こうして、日中とアメリカは、持ちつ持たれつというのが現状と、一見すると見える。

 さて皆さん、こんな異常なアメリカ輸出入が、一体いつまで続くと思われます? 日本でさえ国家の累積借金返済が大問題になっているのに?
 そして、こんな経済実態のアメリカで「空前絶後の株価!」って、どのような意味があると思われます? こうしておかないと、基本、日中など世界からの資金流入が止まってしまうからですよ。これもマネーゲームであって、何とかここで日中の流入資金をちょっとでも掠め取りたいから。中国はともかく、日本などは、0金利や、日銀、GPIFの資金投入によって、大変な通貨過剰状態ですしね。こういう金で米経済界が必死に全体としての粉飾株価政策を採っていると、これこそがアメリカの真の経済実態。

 さて、こんな実態が続くわけがないという所で、イラン、ベネズエラ原油問題が出てくるわけです。
 オバマが仲直りした「ならず者国家」イランに、トランプが喧嘩をふっかけ直したら即、原油先物値段もガソリンの値段も上がり始めたことを思い出して下さい。
 また、オバマの時代を含んでここ数年、ベネズエラと米国が「反政府デモ支援」問題で随分険悪になっていることも思いだして頂きたい。
 ベネズエラは、石油埋蔵量1位の国、イランは4位ですが、いずれもロシアと並んで、埋蔵量10位までの国でアメリカの意に従わない3国と言えます。因みに5位のイラクと、9位のリビアがイラク戦争と「アラブの春」でアメリカの軍門に下ってからそうなったわけです。つまりこういうこと。


 ロシアはともかく、ベネズエラとイランを意のままに出来るようになれば、アメリカによる世界の原油独占価格が自由になると。こうした、世界の原油独占価格化は、高値になっても原油が欲しくて仕方ない日中からの借金を棒引きにするべく、長い目でも見た最絶妙手というわけです。

 なお、アメリカの世界独占価格狙いは、原油だけには留まりません。穀物、食肉、医薬・医療、小売りなどでも、長期計画が常に練られ、その都度遂行されていると、愚考しています。因みに、低価格穀物の独占が出来れば、食肉独占も進むはずだと愚考します。また、小売り独占が進めば、諸物価の独占価格かは自由になるでしょう。グローバル経済の今は価格など。あってないようなものです。コカコーラの値段が、日本とアフリカでは全く違うようなものと言ったら言い過ぎでしょうか。
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沖縄でまた米軍ヘリが着陸   らくせき

2018年01月07日 09時44分18秒 | Weblog
こう書いたら、何当たり前のことを、と言われます。
これがNHKのニュースの見出し。
中日は「不時着」。これならニュース。

戦中に撤退を転進といっていた。
NHKは誰に忖度しているのか?
国民に向けて「嘘」ではない「ウソ」を。
受信料を払う気がしない。

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「よたよたランナーの手記」(213)今のキロラップ   文科系

2018年01月06日 10時31分25秒 | スポーツ
 長い間、ジムマシン中心で走っていて、17年年始までの前立腺癌治療後に外走りをしてみたら、ある特定の筋肉が酷く弱っていると判明。そのころから、2日走れば1日は外走りという形に変えた。断然こちらの方が効果が高いと分かって、去年秋からは外を中心に走ってきた。すると、どんどん記録が伸びていく。その伸びが、去年秋以降はさらにスピードアップした。

 病気治療後の体力不足もあって1キロ当たり8分近かったものが、9月には7分30秒ほど、11月には7分15秒、12月初めには7分、そして今日5日には6分44秒まで来た。それも、無理をせず、心臓・血管などの心肺機能が向上するのを待つような自然な練習でこうなってきたのである。

「低速で長く走っていれば、同じスピードでの心拍数がどんどん下がってくる」というLSDトレーニング理論のやり方を半分ほどは取り入れてきたことになる。現に、これらの最初から最後まで、走行時平均心拍数は少ない日で140、多い日でも148とあり、急に記録が伸び始めた最近のなかで、キロ6分44秒だった5日の平均心拍数も146。ただし、この日の歩幅は93センチと僕としては最も長いストライド走法ということになっている。おかげで、1分のピッチ数140でも右足首を痛めないようになった。
「こういう向上した筋力でもって、ストライドを90センチ程度に狭めて、ピッチ150程にして走る」
 こんなやり方を実践してきたわけである。これが、記録が伸びてきた最大の理由だと、今は理解している。
 12月6日のここに「10キロ65分も行けそうか?」と書いたが、そんな目標が明日の現実と見えてきた感がある。今振り返れば、「失敗した。無謀すぎた」とここにも書いたストライド広げ、右足首痛もほぼ治っているし、これ自身も今日のための産みの苦しみだったとも言える。77歳になろうとしている今、こんなことも可能なのだと、ちょっと感慨が深い。

 が、無理は禁物。年寄りには特に、「好事魔多し」である。去年夏以降今日までのように、心肺機能が自然に高まってくるのをゆっくりと待つトレーニングこそ肝腎。
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「戦線」拡大、トランプ政権  文科系

2018年01月05日 05時04分55秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 トランプ政権発足1年、標記のことが極めて鮮明である。これを彼の強さと観るか、弱さの顕れと観るべきか。

① 日本でも戦争直前という「世相」が生じた「ならず者国家」北朝鮮問題。因みにトランプは改めてこう述べたもの。
「北は完全に破壊する」
② エルサレム首都「認定」は、イスラム世界全てを改めて敵に回す情勢を生じさせた。国連総会で「認定反対決議」が通ったのである。
③ もう一つの「ならず者国家」イランにおける反政府デモ「激化」。「欧州出身の1人拘束」で、米とイランの政府要人が激しい遣り取り。

 まず①に関しては、米韓の不一致が急拡大している。2年ぶりの南北直通電話回線再開と、それに対する米発言。
「うわべだけの解決策」
「米韓仲違い狙いなのだろうが、そうはならない。北との対話などありえない」

 ②にかんしてはこれ。  
 「認定反対の国々には米支援を止める」と、トランプ。その上で、トランプの「パレスチナ支援停止を示唆」発言も出てきた。

 さて③は、反政府デモを巡って21名死亡と、深刻なイラン。
「パリを拠点とする在外イラン人組織がデモを扇動している」
「欧州出身の一人を逮捕。欧州の情報機関で訓練を受け、暴徒を扇動した人物」
 対して米国政府は、
「全く馬鹿げている。デモは完全に自発的なものだ」
 因みに、イランは石油埋蔵量世界4位の国。これに関わっていつも連想してきたのが、ベネズエラである。石油埋蔵量世界1位のこのベネズエラでも同じように、反政府デモが極めて深刻に展開中だ。これについてアメリカが糸を引いていることは、中南米では公然の事実になっている。

 トランプはその就任前にこう述べた。「世界の警察はやめる」と。がこの発言が、とんでもない夢想と、その後の事実によって退けられてきたわけだ。どうして世界の警察がやめられないのだろうか。そして、安倍政権は、こんな世界の憎まれっ子トランプ・アメリカに、どこまで付いて行くつもりなんだろう。
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NHK・BSが、こんな番組!  文科系

2018年01月04日 01時06分30秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 3日の21~23時、こういう題名の放送があった。
『闇の力が目覚める時・・・成長無き時代を生きる世界の知性のシナリオ』
 この放送の結論は題名の通りで、資本主義自身が内部にこれを破壊する闇の力を育て、やがて自壊するだろうというもの。このことを、マルクスの思想でもあり、その後の経済学者シュンペーター、ケインズの言葉にもこうある通りにと再三にわたり紹介するという形で、解説していくというもの。
 もちろんこの結論を主として、現代世界の経済学者、哲学者らに、金融グローバリゼーションが現代の闇の力をここまで育ててきて、「この今の闇の力の行く末は、(新たな)創造か死か」という形でも語らせていく。
 最もよく出てきたのがフランスのダニエル・コーエン、そしてイギリスのスキディルスキー、ドイツのウルリケ・ヘルマン、さらにはアメリカのジョセフ・スティグリッツやチェコの二人に、加えてニューヨークのあるトレーダーまでが、それぞれ何度も何度も出てきたものだ。

 聞き終わって僕はこんなことを感じていた。僕がここに12年間展開してきた金融グローバリゼーション世界支配の現状批判論やその行く末論と、ほとんど同内容であると。この同内容は、言ってみれば必然なのだ。この番組の骨子となる歴史的経済理論が、マルクス、シュンペーター、ケインズらのそれであってみれば。なによりも、闇の力とその目覚めに関わる社会現象として、これらのことが上げられていたこと。

 金融によって雇用が奪われて給料、購買力がどんどん下がっていること。ポピュリズムというのは政治的(危機)用語であって、危機はむしろグローバリゼーションが作った格差、不平等にあること。1980年のちょっと前のレーガニズムとサッチャリズム政治以降、金融資本主義が「悪徳の栄え」のように育って来たこと。これを擁護すべくレーガンが唱えた「トリクルダウン」も、嘘だったこと。銀行と政府とが結託して全てを動かす「富が固定した」社会になったということ。
 ちなみに、最後の方でケインズのこういう予言をスキディルスキーに語らせていた所までが、ここで僕が述べてきたことと同じだった。いやそれ以上にキツイ表現とも言える。
「長期的に見れば、1930年代にケインズが予言したとおりに、週20~25時間労働にならざるをえないだろう」

 感想の最後である。金融資本主義の株売買を通じた世界企業支配の問題点について今のような隠蔽状態が続けられるわけが無く、やがては世界のマスコミが実態調査報道、報告などを次々と始めるに違いない。この支配の結果が、世界に溢れる失業者や不安定労働者の大群、大変な格差の問題などであってみれば、そうならないはずがないのである。NHK・BSのこの特集番組のような報道が、近く世界にどんどん増えていくはずだ。この点で同番組では、アメリカのお膝元、米大陸の大国ブラジルにおける世界有数の酷い格差が、大きく強調されていた。凄まじい格差とは、大金持ちも居るということであって、それと対照をなす超大規模なブラジルのあの貧民地域の酷さを思い浮かべられたい。
 その上で残る最後の問題、決戦の場は、その時にアメリカの国連「実質支配」もしくは「国連無視」が今のように持続できるかどうかだと、愚考していた。金融グローバリゼーションは各国では規制できないからである。むしろ、各国でこれを規制できないからこそ、世界金融による世界企業支配がここまで進んできたのではなかったか。国連でこの本格的規制論議が始まって、米英などがその金融専横を諦めてこれに従うしか、世界諸国民が普通に職業を確保していく道はないのだと思う。
 ちなみに、僕には、現在のアメリカ・トランプ体制は、こんな専横を世界に通してきた米国政治勢力による最後の抵抗のようにも見えたものである。


 このBS2時間番組は、普通なら再放送があるはずだ。ここの常連読者200名ほどの方々には、是非ご覧になることをお勧めしたい。ただし、どこかから待ったが掛かって、再放送が無くなるかも知れないなどとも、愚考していたものだ。
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僕が政治論以外も書くわけ   文科系

2018年01月03日 11時06分47秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
このブログは、去年末で発足12年になる。発足時に、学生時代からの友人である管理人さんに「参加してくれ」と頼まれて、僕が提案して飲んでもらった条件があった。それが、このブログの表題をこう謳った理由である。『九条バトル !!(憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)』。これが、ここがこれだけ続き、成功してきたやの原因になったと、僕は観て来た。
 昨年末12月最初の2日を含んだ週から4週のアクセスと閲覧数は、それぞれこうなっている。1,391、1,247、1,827、1,349と、8,614、9,508、9,759、9,333。こんな長い文章を1人10面近くも読んでいただけるというのが、ここの最大の特長だろう。単なる政治ブログは普通の人には面白いはずもないのだし、そんなものだけを毎日書けるというのも僕にはちょっと変人とも思える。
 さて、僕は「自分の投稿方針」を説明すべく、時々以下のような文章をここに載せてきた。改めて「こういう哲学」を再掲させていただくので、お読み願えれば幸いである。


 改めて「僕が政治論以外も書くわけ」  文科系 

 随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ学生の頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えて聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史は、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだと解してきた。

 さて、だとしたら政治論だけやっている人が何か広く本質的に実のあることを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けるからナンセンスということもあるし、「非現実的話」、「(無自覚なそれも含めて)私利を公利と語る詭弁」もはなはだしいことさえあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。
 もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が現れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいことがあると子孫、周囲に実際に示して見せてよ、と。人生が生きるに値すると自ら示せなくって、どんな政治が語れるというのか、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある誠実な論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学学生自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。かと言って、一見文化を重視しているかに見えたいわゆる新左翼には、僕は近づいた事はない。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくし、おかしなムラ社会、化け物みたいな政治家などを生んできたのではなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような、そして、私的なことはどうでも良いとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに超高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
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詩織さん事件と南京事件   らくせき

2018年01月02日 09時54分12秒 | Weblog
山口敬之準強姦事件が国家権力中枢の介入で握り潰された事に
海外メディは一様に驚くとともに、
勇気を振り絞って告発した伊藤氏の勇気ある言動を称賛して、
今この事件は世界中で取り上げられるようになった。
これ以上、日本のTVや新聞が沈黙するなら、
日本のメディアなど国際社会で誰も信用しなくなる。

これと同じものが南京事件。日本のメデイアは報道なし。
アメリカなど海外メデイアは報道していた。あの時代と同じ。

安倍さんはそんなにコワイ?

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「よたよたランナーの手記」(212) 心拍数管理トレーニング   文科系

2018年01月01日 21時22分56秒 | スポーツ
 標記の題名は僕の造語です。59歳でランナー入門をした1年後にはもう期外収縮・不整脈が起こっていた。そこで走るのを止めずに、心拍計を身に付けて走ってきたのが、今日まで走れている最大の原因です。その後二度のランナー危機があったのに。一度は、慢性心房細動・カテーテル手術から前後3年の完全ブランク。二度目が、前立腺癌のホルモン治療と陽子線照射治療の1年間。前者が2010年で、後者が2016年です。

 それでも今、2009年頃の走力に戻っている。これら全て、この心拍計のお陰とも言えます。心臓(病)という得体の知れない、しかも怖い異常の状況を、心拍数と言う形で目に見せてくれる。それで日々、危険を察知したり、効果的トレーニングを考えられたりと、医者にはできないことを出来てきた。

 現に、僕はこんなに、普通なら「危険な」ことさえしてきたんです。

① 07年の「北名古屋10キロマラソン」では、走行中3度ほど突発性心房細動が起こっている。ただしこれは走行ストップ・歩きを始めると、30秒で納まるとそれまでにはっきりと分かっている。事実そうして、タイム54分18秒でこのマラソンを走りきっている。ちなみに、僕の10キロ最高タイムは49分18秒。

② ただし、①の間中常に、こういう覚悟を持って走っていた。
「もし、医者の言うように慢性心房細動になったら、即心臓カテーテル手術を受ける。これは手術が早ければ早いほど完治確率が高いから」

③ 2011年には、医者に走るのを禁止された。が、心拍計とにらめっこで軽い運動から順に心臓の安全を確かめながら運動能力を高めて行って、1年半かかったが医者に走るのを認めさせて現在に至っている。

 これら全て、心拍計、いまではランニングウオッチのお陰です。

 以下は医者の言葉。何度も言います。
「ランナーには心房細動が多い。気づかずに走っていると死ぬこともあります」
「かかったら、早く手術を。手術後には、みんなけろっと走っていますよ」

 付け加えて僕。
「心拍状態さえ分かっていれば、医者よりも自分の方が自分の身体、心臓の状態をよく分かるもの」
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