九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

世界史的な今   文科系

2018年09月16日 10時37分58秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日米政治を筆頭として世界的にトランプ的ポピュリズム政治が出現して、世紀末狂気が演じられ始めています。世界の今を数十年単位で見た時、第1、2次世界大戦前と同じような要素が揃い過ぎているから、とても怖い。

①有効需要がない恐慌的世界。「99%と1%という格差」がその証拠であって、国家資金などで支えられた株式はバブルと言えます。
②「99%と1%」というのは、世界的な失業者、不安定労働者の大群。および、富の偏在による、凄まじい格差社会。
③個人も国も、死にものぐるいの競争。そこから、「法律違反すれすれ当たり前人間」たちが増えてきて、「むしろこちらが普通の人間だ」というような世界的な退廃現象。それがまた、政治を汚していくという悪循環。それでも日本は、先進国では珍しく犯罪が少なく、まだ安心できる国なのですが。

 こういう時に世界政治・経済に現れるのが保護主義的ブロック経済。たとえば7月7日の中日新聞経済欄で、寺島実郎がこんなことを述べています。
 見出しは「(米中貿易戦争は)長期的には中国利する」と。ただし、この記事内容がまた、日本にとっては恐怖です。
「米中が手打ちをして、日欧が取り残される事態もありうるから、要注意だ。つまり、アメリカについていくだけでは地獄もあり得る」と。

 売れるものがなかなか無いという実質的恐慌の下の「自由主義」経済世界では必ずブロック経済が現れるというのは、これまた世界史の常識。GDP1位と2位とが手を組み、輸出入を独占しあったら、他の特に先進国は一体どう立ち行くことができるのか? 過去には、こんな世界の中からこそ、日独全体主義国家が世界に押しつけた「八紘一宇」も「アーリア人による人類浄化」も生まれてきたのでした。人間は時に悪魔にもなれるし、事実なるということ。21世紀初めの新しい狂気世界政治はどんな形を取るのでしょう?
 寺島実郎はトランプではなくて、習近平がこの鍵を握ると述べています。
 ということをやっと思い知ったのか、安倍首相もとうとう中国に秋波を送り始めました。秋に首脳会談をしたいと必死の求愛行動に励んでいます。無理もありません。安倍が喧嘩ばかりしてきた中国に対して、日本の頭越しにトランプが手を差し伸べてみせたからです。はて、こんな安倍に遠慮して対中資本輸出をすっかり途絶えさせていたやの日本ですが、少しはこれを増やしてきたのでしょうか。

 ともあれさて、トランプ・アメリカの狂気をいくつかあげてみましょう。

 まずエルサレム首都化が、イスラム世界を敢えて逆なで強行するという意味で、最初の狂気。次いで、メキシコとの壁が、二番目。三つ目、この異常気象をさらに増やすように地球温暖化対策から降りて、四つ目、イランをもう一度「ならず者国家」に祭り上げ直したことも。五つには、貿易の保護主義から「WTO脱退表明?」にプラスして、六つ、「国連人権委員会からも脱退表明?」などは、国際経済史の苦い体験や、国連の歴史やへの冒涜というもの。

 こんなことが続けば、株価など世界的に実質どんどん下がっていくばかりです。ただし、昨今は株価なんてあってないようなもの。国や金持ちが、必死になって株価をつり上げ続けるのですが、こんな不景気はこう現れます。さらに世界の失業者が増え、正規労働者が減っていくという悪循環。その代わりに、国々がいがみ合って、軍事費だけが増えていくでしょう。

 ちなみに今のアメリカは、軍事費を増やせ増やせと世界各国に触れ回っています。これは、アメリカ国家がそのGDPの4倍という累積赤字を作ってしまい、すでにもう国内の武器をすら国庫では買えなくなったからです。この4倍という数字は隠されたものですが、アメリカ会計検査院・元院長のデイブ・ウオーカーが国の未払い支出などのすべてを含めた赤字として、2015年に公表したもの。自国で作りすぎてきた兵器を海外に売るべく、国自体が死の商人になったということです。そして何よりも、「こういう闘争世界が当たり前の、自然な人間、その社会なのだという思想」を振りまいていく狂気! ヒトラーと同じです。狂気の「アメリカ銃社会勢力」が、国内外にまでますます力を伸ばしているということでしょう。
 イラク戦争が嘘の理由をでっちあげて始まったことを僕らは忘れてはなりません。そして、我が日本政府も、この嘘の理由に従って安保条約をどんどん変えてきたことも忘れてはならないと思います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍妙な討論   文科系

2018年09月15日 18時58分26秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ここの500名近い読者の皆さんに、最近あった珍妙な討論をそのままご紹介したい。何の解説も、省略もやらずにそのまま掲載します。お読み願えれば太平洋戦争開戦経過、内実、真の原因などが手に取るようにお分かり頂けるかと愚考します。 

『 Unknown (Unknown) 2018-09-10 17:45:32
 前にも似たような事書いたけど、「そう(開戦ということに)なるかも知れない」と言って、準備するのと、「そうなる」のとは、かなり差がある。
敢えて、ごっちゃにしようとしている、サヨの嘘。
・・或いは、誤解。』

『 11月5日の御前会議決定文章 (文科系) 2018-09-10 21:12:12
 いつものことだが、上の文章読んだの? その文中肝心な所に答えないで、出所不明な怪しげなことを君は語っているだけだ。 

 上にこう書いてあるでしょ? 君の怪しげな「11月26日の・・・・かも知れない」資料と違ってね。僕の11月5日は、れっきとして御前会議決定の『帝国国策遂行要領』なのだが、その決定を書いた以下のこの下りには、どう答えるの?
【 東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこんな当該文書を紹介している。
 「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。】
 これに答えなきゃ、何答えても今は無意味でしょ。もう、石油輸入は禁じられていたのだから、戦争が遅れるほど「開戦しても、足腰立たなくなる」と、天皇も認めた発言があるのだしね。そのことも上に書いてあるでしょ。
 君のは、トランプと同じ誤魔化し。どこをどうつついてもそうなる。
 いつものことだが、まともな答えは出来ないだろうから、そしたら、又無視ね。今回は間もなく親切に答えてあげたが、今度は当分ね・・・』

『 Unknown (Unknown) 2018-09-12 17:22:16
 何度でも言うけど、戦争に対して準備するのと、戦争をするのは、大きな差があるよ。
文ちゃんは、11月5日以降の外交努力は無意味だと?
せっかくだし、「ハルノート」で、検索かけて見ることオススメ。』

『 Unknown (Unknown) 2018-09-12 17:30:13
 ちなみに、「11月26日の・・・・かも知れない」は、山本五十六が、大西瀧治郎に送った、手紙の一部。どうしたもんだか?と、相談する内容。』

『 反論 (文科系) 2018-09-12 21:22:31
 これは答えてあげる。ごく少価値だが、一応価値はあるものなので。
 問題はこういうことだった。「ハルノート」など、日本の以下のような開戦決意の前には、何の意味もなかったということだよね。
① 今後のために、まずこのこと。君はこれをどこの何で読んだの。そういう「出典」を書かなきゃ、論争における価値は無いのね。つまり、ヨタ話本かも知れないということもあるから信用されないわけだ。最も厳密な意味で討論を行う学問の世界では、どんな証言でも、「出典」がないと答えにはならないということ。
② 次に、これが信用出来る資料だったとして話を進めても、こうね。僕の言い分への答えとしては全く価値がないということ。
 僕のは、11月5日に天皇が決めた「帝国国策要領」での「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整」。8日真珠湾ちょっと後にはその宣戦布告も出しているわけだが、11月5日決定を止められるのは、再びの天皇決定だけだ。君のは、山本五十六のつぶやき。どう? 比較にならんでしょう?
③ という経過から、こんなことも言えるのね。もしも交渉重視なら、大統領回答を求めるという手もある。それもしないで②に至ったというのは、日本の一方的な開戦ということでしょ? つまり「ハルノート」など何の意味もなかった。』

『 Unknown (Unknown) 2018-09-14 17:08:13
「戦争の準備を始めてしまったら、もう、お仕舞いニダー!
その後のどんな交渉も、発言も、関係ない!」
て、文ちゃん論は、よく分かった。
思えば、何かと言うと「開戦前夜ニダー!」とか、最近聞かないけど、「徴兵制がー」と、同じレベルの短絡ぶり。
・・通常営業なんだね。』

『 これ、「回答」? (文科系)2018-09-14 19:39:41
「戦争の準備を始めてしまったら、もう、お仕舞いニダー! その後のどんな交渉も、発言も、関係ない!」
 これは僕の反論をねじ曲げて応えているだけ。
 僕が言ったのはこういうことだ。
① 11月5日に御前会議で「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整」と決めて、ハルノートは無視、大統領回答も求めず、事実として12月8日一方的に開戦したと、僕は述べた。
② 以上から、すでにもう帝国は「どんな交渉も」やる気はなかったのだし、御前会議決定に山本五十六のつぶやき「発言」などを対置してみても何の価値もないと述べただけだ。
③ つまり、日本軍の一方的な固い開戦決意の下では、ハルノートは何の意味もなかった。

 これで回答したと考える君の思考力は、ただ強情な、アホを晒したというだけのこと。』
 
『 Unknown (Unknown)2018-09-15 16:48:08
 つつけば、つついただけ、エキセントリックになっていく、文ちゃん論。11月5日段階で、開戦が確定とか、よっぽどのサヨ世界じゃないと、通用しないと思うよ。ガンバレ 』

『 Unknown (Unknown)2018-09-15 16:55:16
 結局最後は、いつもの幼稚園(今回は小学生かな)レベルの悪口?』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今一度、イラク戦争   文科系

2018年09月15日 11時38分29秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 アナン元国連事務総長が亡くなった。国連事務畑から育ち上がった生粋の国連人であった。
 このアナン事務総長が、政治生命をかけるようにして下に記すように反対したのが、イラク戦争。それでも開かれたイラク戦争は世界史にすさまじい傷跡を残した。その前後経過を改めて振り返ると、アメリカがいかに当時の国連を無視したかなど、その狂気が浮かび上がってくる。「大量破壊兵器」という嘘の理由で米マスコミ・国民熱狂のうちに始められたこの戦争こそ、まるで狂気のようなトランプ政権誕生への一つの温床ともなった。
 旧稿の再掲だが、是非お読み願いたい。今のアメリカを観る一つの視点として、是非覚えておかなければならないことだと自分に言い聞かせてきたものだ。


【 イラク戦争の世界史的意味  文科系 2017年05月09日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 イラク戦争は、国連破壊の確信犯行だったのだと、今確信している。その次第を書いてみよう。

9・11のアルカイダは、元々はアメリカがアフガニスタンにおいて創り育てたもの。そして、イラク戦争開戦時アメリカ国民のあの熱狂ぶりを思い出すと、ぞっとする。嘘の理由をでっちあげて強引に持ち込んだ開戦であった。

後遺症も含めた大罪が凄い。難民や、そのキャンプ以降の生活・運命やによる関連死含めて50万という国際調査団結果もある死者数。イタリア、スペイン、イギリスなど、当時の有志参戦国政権がほとんどつぶれたこと。IS国などのテロを世界中に喚起したこと。膨大な難民を生みだして、EU混乱やイギリスのEU離脱にも繋がったこと。などなど、この戦争は21世紀世界をどれだけ大きく換えてしまったことだろう。

③そして、世界の未来への影響という点では、なによりも国連無視。という以上に、「米軍主導の『国際警察』」で国連に換わる「指導者」にアメリカがなろうとした国連破壊行動だったのだと愚考したものだ。1990年の冷戦終結以降一強になってすぐに起こった湾岸戦争から、アメリカの国連無視が酷くなるという姿勢がずっと一貫しているのである。ちなみに、「史上かってない大連合」と、ラムズフェルトがイラク戦争有志国連合について獅子吼したのも有名な話だ。中ロを除いたG7運営も、これと同じ発想なのだろう。なお、米軍事費はいつの間にか冷戦時代の2倍になって年間60兆円、日本の国家予算の実に3分の2になった。

④以上の世界政治史的意味は、開戦時の国連総会アナン演説に何よりも雄弁に示されている。以下の言葉の歴史的意味は限りなく重いと振り返ることが出来る。読者には是非、以下を熟読玩味されたい。

『「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された1945年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
 2003年9月23日、第58回国連総会開会日の冒頭演説で、アナン事務総長はそう述べた。その年の3月にイラクで戦争を始めたアメリカを、名指しではなかったものの厳しく批判した直後である』

『「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」。にもかかわらず、先制攻撃の権利といった根拠で武力を行使する国が現れた──。
 それは「いかに不完全であれ、過去58年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦するものなのです」と彼は言う。つまり、「単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうもの」なのだと言うのである。アメリカにとっては厳しい批判だが、総会議場は長い拍手に包まれた』
(以上、「国連とアメリカ」(最上敏樹・国際基督教大学教授 2005年刊))


⑤対するに、アメリカ政府の正式なイラク戦争総括は今日現在までなにも無い。イギリス・ブレアの反省に比べて、犯罪的だと思う。国連、世界平和を重視するアメリカ国民、他国民の責任は、今限りなく重くなっている。ちなみに、アメリカ国民は今こそ、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだ。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

 こうして今考えると、アメリカはイラク戦争によって国連に換わるような世界の盟主になろうとして失敗したのだと思う。そういう起死回生の無謀な大ばくちが失敗した。65兆ドルの国家累積赤字、冷戦時代の2倍になった年間軍事費、経済の衰退、そして何よりも世界に決定的な不信感を与えたということ。トランプ・アメリカが示しているのは、もはや衰退しつつある帝国における種々の末期的症状ということでもあろうか。世界の彼への不信の目が、これを何よりも雄弁に物語っている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋戦争は「自衛戦争」に非ず   文科系

2018年09月13日 14時04分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 太平洋戦争では、 右の人々はずっと「(日本の)自衛戦争論」とか、「日米同罪論」とかを唱えてきた。この戦争を裁いた東京裁判をも戦勝国の一方的裁きと語って、連合国史観、東京裁判史観などと批判してきたのも、こういう太平洋戦争観が原因になっている。今回は、開戦直前の出来事などを振り返りつつ、「自衛戦争論」の誤りを明らかにしてみたい。

1 開戦直前の出来事年表

7月26日 米、在米日本資産の凍結公表
7月28日 日本軍、南部仏印(仏領インドシ ナ)進駐を開始
8月1日 米、日本への石油輸出全面的禁止
9月5日 天皇、翌6日の御前会議に向けて、 戦争を外交に優先せよと命ずる
9月6日 御前会議 「帝国国策遂行要領」
 「概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整」
10月18日 東条内閣(16日近衛内閣退陣 を受けて)
11月5日 御前会議 「帝国国策遂行要領」
 「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整」
11月26日 ハルノート
11月28日 ハルノート、政府内に翻訳配布
12月1日 御前会議
12月8日 真珠湾奇襲攻撃 開始8日午前3 時19分、対米覚書手交4時20分


2 自衛戦争ではないということ

 在米資産凍結、石油輸出禁止とかは、今の北朝鮮に対するのと同様に、日本の中国侵略を批判してなされた「強制制裁」なのである。ただし当時の日本はここまでの制裁に対して既に、北でさえやっていないような反撃を強行してきた。
 1931年満州事変に非難決議を出した当時の国連から、「この非難は不当」として33年には脱退している。
 次には、37年盧溝橋事件、上海戦争から首都・南京占領と、その延長のように年を追う毎に重ねられていった中国南下侵攻への非難も聞き流しにして、41年7月28日にはインドシナ進駐にまで至った。このことに対してアメリカが4日後に課したのが、有名な「日本への石油禁輸措置」である。真珠湾攻撃の約4ヶ月前、1941年8月1日のことだ。


 以降の日本は、南洋の石油を目指して、しゃにむに進むしか道はなくなった。開戦が遅れるほどに、石油の不足から戦争を断念せざるを得なくなり、連合国側の要求を飲まなければならなくなるのが目に見えていたからである。こういう背景からこそ、9月6日の御前会議で「外交よりも開戦優先」と決定されたと言える。外交するふりをして、秘密裏に開戦を急いだわけだった。10月には東條英機軍人内閣成立、11月6日御前会議の「帝国国策遂行要領」で「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整」決定へと続いていく。ハルノートは、そういう日本が自ら選んだ開戦に対して、真珠湾の10日前に届いた国家代表権のない一国務長官の文書に過ぎない。「傲岸不遜の米国!」と、開戦直前に「自衛戦争」の口実として国内戦意高揚に活用されただけのものである。
 


 なお、開戦直前のこの頃、御前会議はこれだけ開かれている。7月2日、9月6日、11月5日、12月1日と。


 最後になるが、当時としても違法な征服戦争をこのように確信犯的に急いだことについて、以下の情勢、事項の論議も必要だろう。アジアに最も多く利権を持っていたイギリスが「アジア植民地どころではない」ドイツに征服されるかというヨーロッパ戦線の影響。および、日本の開戦に見られた数々の違法行為、国際法違反のことである。既に国連を脱退しているとしても、これによって裁かれて当然と言う問題点であるが、今回はこれらには言及しない。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇、開戦決意の史実   文科系

2018年09月11日 01時18分18秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 表記のことについて、右翼の方々はこのブログでもこのように語られてきた。天皇の統治権は形式的なものであって、戦争政策においても実際に何かを決めたというわけではない、と。そのことについてこの本(岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」、著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)はどう書いているか。それをまとめてみたい

1 軍事法制上の天皇の位置 「統帥権の独立」

『統帥権とは軍隊に対する指揮・命令の権限のことをいうが、戦前の日本社会では、大日本帝国憲法(明治憲法)第11条の「天皇は陸海軍を統帥す」という規定を根拠に、この統帥権は天皇が直接掌握する独自の大権であり、内閣や議会の関与を許さないものと理解されていた。
 明治憲法上は、立法権、行政権、外交権などの天皇大権は、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっており、統帥権だけが国務大臣の輔弼責任外にあるという明文上の規定は存在しない。それにもかかわらず、天皇親率の軍隊という思想の確立にともない、制度面でも統帥権の独立が実現されてゆく。1878(明治11)年の参謀本部の陸軍省からの独立、1893(明治26)年の軍令部の海軍省からの独立、1900(明治33)年の陸海軍省官制の改正などがそれである』
『一方、参謀本部と軍令部(統帥部と総称)は、国防計画・作戦計画や実際の兵力使用に関する事項などを掌握し、そのトップである参謀総長と軍令部総長は、陸海軍の最高司令官である「大元帥」としての天皇をそれぞれ補佐する幕僚長である。この場合の補佐は、国務大臣の輔弼と区別して輔翼とよばれる。国務大臣は、憲法に規定のある輔弼責任者だが、参謀総長・軍令部総長は、憲法に明文の規定がない存在だからである。
 軍事行政と統帥の二つにまたがる「統帥・軍政混成事項」については陸海軍大臣が管掌したが、国務大臣としての陸海軍大臣も統帥事項には関与できないのが原則であり、参謀本部・軍令部は、陸軍省・海軍省から完全に分立していた。以上が統帥権の独立の実態である』

2 「能動的君主」としての天皇

9月6日決定の「帝国国策遂行要領」
『統帥に関しては、「能動的君主」としての性格は、いっそう明確である。天皇は、参謀総長・軍令部総長が上奏する統帥命令を裁可し、天皇自身の判断で作戦計画の変更を求めることも少なくなかった。また、両総長の行う作戦上奏、戦況上奏などを通じて、重要な軍事情報を入手し、全体の戦局を常に把握していた(山田朗『大元帥 昭和天皇』)。通常、統帥権の独立を盾にして、統帥部は首相や国務大臣に対して、重要な軍事情報を開示しない。陸海軍もまたお互いに対して情報を秘匿する傾向があった。こうしたなかにあって、天皇の下には最高度の軍事情報が集中されていたのである』
 そういう天皇であるから、重大な局面ではきちんと決断、命令をしているのである。本書に上げられたその実例は、9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

前日9月5日、両総長とのやりとりなど
『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。

 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。


 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである(この11月5日御前会議決定については、一昨日9月9日のエントリー参照)。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説  道連れたち(その3)   文科系

2018年09月11日 00時24分32秒 | 文芸作品
 小学枚五年の春の夕方、団地の花畑のあちこちで毎日のように見かける初老の男に、長い逡巡の未に声をかけた。その場の花のことが挨拶代わりに誰もの口にのぼり、その度に中背痩身のこの男が、多めの白髪を揺らしてなにか頼りなげに返すほほ笑み。遠くまた近くからさりげなくそれを見、聴いていて、心が開いていったような気がした。満開のレンギョウとかの木々が後ろにぎっしりと並び、薄紫のスミレがその前の地面全体をおおって、その間から白が混じったピンクのチューリップが立ちのぞく、六畳一間ほどの横に長い花壇の前が舞台であった。
「すごくきれいだねえ。おじさんが作ったの?」
「ありがとう。おじさんの奥さんがほとんどやったんですよ、おじさんも少しは手伝いましたけどね」
「チューリップの色がすきだしぃ、スミレも変わった色だねえ」
「うん。── 植えた奥さんの方は、もう死んじゃいましたけどね」
 こんなやり取りをきっかけに、ぼつぼつと思い付きつつ問う恒秋、丁寧に応える幸田。その日それがいつの間にか、幸田の家に彼が招かれるという成り行きになったのだそうだ。
 幸田の家は惨状だった。畳や床には、かなり前の葬式の名残らしい物が散らばり、コップ、茶碗、コーヒーやジュースの缶そしてインスタント食品のスチロール容器、割り箸なども転がっている。これは一か所に集めてあるが、薄黒く汚れた下着を中心とした衣類の類い。郵便物はほとんど封も切られずに机の一角からこぼれ落ちている。恒秋は、幸田が彼にしてはきびきびと開けてくれた机の脇の空間にやっと腰を下ろし、あからさまにただ眺めた。
「汚くて悪いですね。何にもする気がおこらないものですから」
 ここまで幸田の語り口に何か引き込まれてきた恒秋に、こんな連想が浮かぶ。
〈母さんのように、外で待っててもらってばたばた片付けるんじゃなく、僕を入れた。こんな凄い所なのに〉
「おじさん、一緒に片付けようか?」
 ふっとそんな声が出て、隣室の流しに立っている幸田の横へ走り、食器洗いを手伝い始める。
「君、上手なんですねぇ?」
「上手ってことないよ。いつも父さんとやってるだけ」
「父さんが教えるんですか?」
「教えるってことないよ、こんなこと。母さんが看護婦だしぃ、このごろまた、試験勉強で忙しいみたいだしぃ」
「看護婦さんって、試験があるんですか?」
「病院で検査やってる父さんだってあるよ。おじさんは、仕事なにやってるの?」
「今は定年退職。前は新幹線作ってたんですけどね」
「すごい! 大きな工場だねぇ?」
「工場も行くけどね、そこでどんなふうに作ってもらうかという、設計の研究する所」
「じゃあ試験あるでしょう?」
「試験、………はないよ。おじさんが良くできるからかなぁ?」
「ふーん、よく勉強したんだ」
「うん、学生の時からね。おじさん、ほんとうによく勉強したよ」
「じゃ、いい大学入ったんだ」
「うん。トウダイって知ってる?」
「すっごい! それで、新幹線の設計なんて、ほんとにすごいねぇ」
「すごくないよ。今はこんなぐちゃぐちゃな所で寝て、起きてる。何にもできない人だと奥さんに言われてたけど、奥さんがいなくなってそれがほんとによく分かったという、だめな人ですよ」
「花畑作りは上手だよ」
「あれはね、定年退職の頃から奥さんがほんとに一生懸命教えてくれて、僕も一生懸命習ったんです。毎日、あれだけやってました。今はもっと、花畑だになっちゃいましたけどね。『箸は?』と訊きそうになって、『自分で持ってきてよ』とも言われないんだと、はっと気付く。それで、そこら辺のを何回も使っちゃう」

 この日から二人の花畑作りを中心に置いた付き合いが始まり、幸田はいつも、恒秋をただならぬ態度で歓待したらしい。対する恒秋の態度はと言えば、こんな言葉で語られたのだった。
「幸田さん所に通うのが、なんかすごく好きだなーみたいな気持にどんどんなってきたんだよ」
 そしてその夏、作業途中のにわか雨を、団地集会所の幅広い軒先に避けたある夕方。しゃがみ込んだ恒秋の目の前に、一つの光景があった。アリが緑色のコガネムシに群がり、断続的に動かしている。それも気付かないほどにほんの僅かずつ。鈍く光る羽根覆いがひしゃげて傾いたその甲虫は、じわっじわっと黙って引かれていく。この光景をあれこれと暫く観察していた恒秋の耳元近くに、不意に幸田のつぶやきが響いた。
「うちの奥さんも、私たちも、結局このムシとおんなじようなもんですかねぇ」
〈人間とムシはちがうでしょう〉、一瞬、そう返しかけて、詰まってしまった恒秋。〈コガネムシでも、一人ぼっちは寂しいだろうし、嫌なことは嫌なんだろう〉と考え付いたのである。幸田を振り返って素直にたずねてみた。
「どっか違う所もあるんでしょう?」
 幸田は柔らかい顔を恒秋に向け、ゆっくりと虫に戻しながら、応えた。
「自分が死ぬことを思い出しながら日々生きているのは、人間だけじゃないですかねぇ。だから人間は虫より寂しがりやなんだ。この寂しさが強い人は、虫よりは多少頑張って生きてみる。奥さんが僕と一緒に花畑をやろうとしたのは、多分そういうことですよ。でも、気付いてみたら、日々こんなにもやりたいことがないもんですかねぇ?」
 この辺以降のその日の会話は、恒秋の記憶から消え去っているらしい。ほとんど幸田の独白だったようだが。ただこの日の独白は、この人と花畑をやり続けていきたいという強い印象だけを、恒秋の記憶の中に残したのだそうだ。

 話がさらに続き一つの段落を迎えたとき、恒秋の声の調子が変わって、こんな解説が加えられた。
 幸田とのこれらの会話などは、当時の自分にどれだけ分かっていただろうか。しかし人は、成長期の自分にとって全く新しい世界と親しく接触したものを、十分には分からないからこそ覚えているということもあるものだ。また、そういう記憶が以降に、意外なほど己の世界を押し広げていくということもある。

 朝子の方はと言えばその前後から、恒秋と幸田のつながり以上に、幸田夫婦に照らし合わせて様々な夫婦の形をあれこれと思い描いていた。職業の中で出会ったいろんな「配偶者の死」を思い起こしながら。
 たしか病院の統計にあったけれど、妻が亡くなった後の夫のストレスは日本の場合、凄く大きいものらしい。他のどんな国の夫たちのストレスと比較しても。逆に、夫が亡くなった時の日本の妻の方は、平均すればそれほどでもないという。そして幸田の花畑作りは、そのストレスの発散場所になったようだし、この唯一の発散場所を彼に与えたのがまた彼の亡妻である。それも多年月の努力を重ねた末のことだった。別の新聞統計で「女七十代以上で、夫と暮らしていたいと応える人は僅か三人に一人」で、「妻と暮らしていたいという夫は三人に二人」に比べて異常に少ないとあったのも思い出す。幸田の妻ももちろんこちらに入るのだろう。その妻の側が努力して二人で楽しむものをやっと作り上げたまさにその頃に、その妻が亡くなった。幸田はその唯一の楽しみを今度は一人で追い求め続けるしか、やることがなかったようだ。そこに、恒秋が加わつてきた。「すごく好きだなーみたいな気持にどんどんなってきた」と恒秋が述懐したのは、こういったこと全てが関わった成り行きだったのではないか。恒秋と幸田がこの様相をどれだけ意識していたかは分からない。しかし、短くはあったがただならぬ感じを抱かせる二人の歴史は、こんな背景をお互いに少しずつ認めあうことによってどんどん深められていったものだったのではないのか?
「ツネ君、ちょっとないようなことができたんだねぇ」
 二人それぞれの暫くの沈黙の後、朝子が溜め息のように声を漏らした。
「うん、ほんとにそう思う。最後の頃、幸田さん、こんなことも言ってた。
『歳を取ったら全てを失っていく。仕事も、体力も、ものを感じる感性も、さらには視覚や聴覚等の五感でさえも。このように何かを亡くしたと思い知る度に、人は己の死を思う寂しい時を持つ。そんな時、若い頃から所有しまたは関わった全てのものを阿吽の呼吸で語り合える相手は配偶者しかいない。この語り合いに、愛憎両様の形や、あたかも空気に対するように意識されない形があるにしても。こういう真実の大切さを相手の死後にしか気付かないということは、またなんと愚かなことであろうか。この事実に僕が打ちのめされていた頃、僕は君に出会った。これから大人に育っていくという君を与えられた。………本当に幸せなことだった。ありがとう』。」
「それって、遺言の文章でしょう、私にも見せてよ?」
「いや、幸田さんのいたずらかも知れないんだけど、誰か一人にしか見せちゃいけないんだって」
 朝子はすぐに、咲枚の人懐っこいほほ笑みを思い浮かべた。すると、恒秋の少し慌てた言葉が続く。「まだ、誰にも見せてないんだ。母さんにだってもちろん見せたいんだよ。男みたいな人だとは思うけど、幸田さん流の言い方をすれば、僕の人生にとって母さんと僕だけのものは山ほどある」
〈咲枚に見せるのが良い〉、已にそう言い聞かせている自分を、朝子は認めた。自分には恒男がいると、改めて感じていたからかもしれない。ただ、俊司ともまだやめられはしないだろうとふっと考え込んでいる自分にも、気付いたのだが。

 大きい南窓にも、秋の陽が暮れ姶めている。朝子にとっても、あっという間の一日であった。


(終わり)  2000年1月、所属同人誌から
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説  道連れたち(その2)   文科系

2018年09月10日 04時52分08秒 | 文芸作品
 前からも後ろからも速歩やジョギングの人が通り過ぎていく。
〈こういう人、昔はこんなにいたかなぁ、思い出せないのはきっと意識もしなかったんだろうけど、みんななんか品が良さそうな人ばっかりに見えるし、それに夫婦も多そうだし、けっこう若い夫婦もいて、みんなギンギンのウェアで、スリムな人が多いからフィットネス目的ばっかりじゃなさそうだし、私はフィットネスの必要はないけれども、ほんとにそんなに楽しいならやってみてもいいかなぁ。恒男ならきっとやるって言うんだろうけど、俊司さんならなんて応えるだろう〉
〈恒男だってかなり良いとは思うんだけど、俊司さんのが細やかみたいだし、恒男よりはちょっとなにか尊敬してる感じかも知れない、知らない間についてっちゃってた。離婚するとか俊司さんに結婚させるとか、そんなエネルギーを出してみようと思ったこともないけど、つきあいは別に止めなくても良いよね、私の方も別れようと考えたことはないし、あのことはちょっと俊司さんの方が良いのかも知れない〉

 近付いてくる激しい羽音に、後ろを振り向いた。嘴がオレンジ色で、鳩を一回り細く小さくしたような鳥の一群が、目の前の桜の木すれすれに飛び過ぎて行く。それを認めた瞬間、内省から覚めたばかりの耳に急に人のざわめきが飛び込んできた。川畔道路沿いすぐ前方、生け垣に囲われた建物の庭かららしい。高齢者社会教育施設と聞いているその建物に足早に近づいてみると、スポーツウェアの一群が騒いでいる。何台もの自転車も見える。それも極彩色色とりどりをわざと集めたように。〈若い子たちが入って、何か一緒に準備してるんだ〉、とその時、朝子の眼がある一点に釘付けにされた。数人の老人の輪の中で自転車の横に座り込み、例によって大きな声と身振りで熱弁をふるっている最中の、恒秋の相手のギャル・咲枝がいる。その咲枝の方も一瞬、体と視線を固まらせたようだ。周囲の視線もすぐに朝子に振り向けられた。止まるもならず、もちろん去って行くこともできはしない。こわ張った顔を作り直すようにして、近付いて行く。
「みなさん賑やかに、楽しそうですね」
 一斉に向こうも挨拶を返し、老人の一人がこちらへ歩みだして来る。そして、何か親しげな口調で話しかけた。
「恒秋君のお母さんだそうで、本当にお世話になってます」
 えっという感じをごまかすようにして迎え入れられるように人の輪に加わった。


「恒秋はいつからこういうことを始めたのかしら」
 いつしか二人並んで座っていた咲枝に、朝子は独り言のように問いかけた。風はなく、からっとひき締まった大気の中で、柔らかい日差しが二人を包んでいる。
「恒秋さんだけはなんか中学の頃からずーっとここに関係してたみたいなんです」
「恥ずかしいけど全く知らなかったわ。恒秋がボランティアなんて」
「最初からボランティアじゃないんです。恒秋さんが団地であるおじいさんの花畑作りをずーっと手伝ってきてて、それが縁でここの花畑に関わって、二年くらい前に彼を中心に仲間ができたんです」
「ここのことは全く言わなかったのよ」
 取り乱した脳裏に、ある情景が割り込んできた。夏の夕暮れ、住んでいた団地の庭で、専用に買ってもらったのだろう小さな鋤を振るっている六年生のころの恒秋と一人の初老の人、幸田さんとを初めて見た時の光景であった。〈たしか彼、一年くらい前に亡くなったんだ〉
「言いにくいんですけど、『母さんは余分なことやるのを嫌う人だから』と、言ってました」
〈私らにはずーっと秘密だったということを、この子は知ってる〉、悔しいような涙が滲んだ。
「恒秋さん、お年寄りとなんか仲良しなんです。それに花とかのこともよく知ってて、……」
〈この子は私らを心配して、言いにくいことを敢えて告げたんだろう。同じおしゃべり屋さんでも、人が良くて賢い子なのかも知れない〉
「道を歩いててもrあっ、キンモクセイ」なんて、きょろきょろするんですよ、若い男の子なのに。花や鳥とかの、ちょっとオタクみたいなんです」
 あわてて付け加えたような咲枝の言葉。〈二人は随分話し合っているんだ〉。
「まさかボランティアをねぇ、あんなこと!って言ったら悪いけど……どんなつもりでやってるのかしら」
「やってて面白いしぃ、それが好きな子ばっかり集まった、かなり大きいグループですよ。恒秋さんたち、人を集めてくるのも上手いんです」
〈恒秋が人集め?〉黙っているしかない朝子に、咲枝が続ける。
「とにかく恒秋さん、変わった才能ありますよ。詳しく聞いてみると面白いと思うんですけど」
 これも朝子には意味の見当もつかない、ちょっと前ならごく軽く払いのけたような言葉である。
「恥ずかしいけど、私いま恒秋に無視されてて、しばらく話してないの」
 自分の恥を自然に口に出したような朝子に、やや間を置いて咲枝が応えた。
「無視してるんじゃないと思います。言い合うのが嫌だというか、もっと言えば恐いというか、恒秋さん、お母さんを尊敬してますし」
 唖然としたような、そして、やはり自分とは異質な人々の言葉だと感じた。するとこんなふうに表現されている恒秋の世界を同じ土俵に上がってただ聞き取ってみようかと、そんなことを朝子は思いついた。〈目分がいろんなふうに変わり目なんだ、回りを観なおしてみよう〉という声が内部に開こえるような気がしていたからだろう。咲枝と別れ、家へと向かう目に、川面も葉桜も自分も、今までとはどこか違って見えるようだった。彼女はその時、〈今までの自分を保留してみた〉と後に表現した初めての心境の中へと、開き直るようにして飛び込んで行ったようだ。

「あそこの門を入って左手に大きな黒っばいクロガネモチという木があるんだけど、あれの移植が始まりかなぁ」
「聞かせてくれない」と頼んだ朝子のその目を一瞬見つめ、すぐに視線を逸らせると、戸惑っているのか満足なのかよく分からないようにほほ笑んでいたが、やがてとにかく恒秋は話し始めた。
 団地にあったこの木は、幸田にとって何か亡くなった妻の思い出があるものらしい。しかし、移植の話が起こったとき、幸田は既に癌の治療で病床にあった。根回し、運搬はとても恒秋一人ではできないからアルバイトを雇えと病床の幸田が助言したそうだ。金は彼が出すとの提案もあって、友人たちに恒秋が頼み、そのうちの幾人かが以降もボランティアとして残ったという。恒秋が高校二年、幸田が七十代半ばの数か月を費やした出来事である。もっとも、多くの協力者が必要な大行事の時などには、今でもアルバイトを雇うことはあるのだそうだ。
「施設の方でお金がでるのね?」、何気なくたずねた朝子の言葉に、恒秋が戸惑いの表情を見せている。口を出したい思いを一瞬で制して、朝子は南窓越しに外を見る。一羽の山鳩が枝垂桜の頂上から、驚いたような素振りでこちらを眺めていた。
「違うよ、行事の経費はそんなに多くない。僕が出してるお金だよ。──実は、幸田さんが、かなりのお金せ僕にくれたんだ」
 驚くような金額であった。この遺産分与を、生前にも彼に告知し、執行者まで定めた遺言にも明記してあったという。朝子は二人のただならぬ繋がりを、過去の断片的知識も寄せ集め、推し量った。そして今は、驚いたという以上に、この繋がりを理解してみたいと素直に願った。


(その3で終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋戦争開戦経過  文科系

2018年09月09日 01時07分07秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 右馬鹿が色々五月蠅いから、真珠湾開戦前夜の状況を詳論した旧拙稿をご紹介しておきたい。

【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  文科系 2010年11月20日

 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この11月5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこんな当該文書を紹介している。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史」の第6巻「アジア・太平洋戦争」、この巻の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)

 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた。

 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。

1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」

「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
 この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 アメリカに対しては交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった

 その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』】
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モウリーニョとグァルディオラ(2)  文科系

2018年09月09日 00時50分10秒 | スポーツ
 昨日のこのエントリーが好評だったので、その2を載せることにした。この名監督2人が初めてチャンピオンズリーグで出会った時の観戦記である。モウリーニョ・インテルが奇跡の優勝を遂げた時の準決勝2戦のそれを、旧稿の再掲として載せる。


【 バルサが負けた、1対3で!  文科系  2010年04月21日 | スポーツ

 本未明、ヨーロッパ・クラブ・チャンピオンズリーグ準決勝戦の第1戦で、スペインのFCバルセロナが1対3で破れた。相手はイタリアはミラノのインテル・ミラノ。

 前半早く20分ほどでペドロの得点があって、「やはりバルサの勝利かな」と思ったもの。インテルが多くチャンスを作っていたのに、バルサが数少ないチャンスを生かしてあっさりと得点してしまったからだ。バルサ左サイドバックのマクセルが敵陣右側深くに回り込み侵入をした折り返しから生まれた得点だった。インテル側右ゴール近くまで入り込んだそのスピードの鮮やかなこと! ところがところが、その後のインテルの反撃が凄かった! 10分後にスナイデルの得点。後半には、マイコンとミリートだ。インテルの勝因、その印象を語ってみよう。

 ボールポゼッションはバルサが6割を越えていたはず。しかし、インテルの守備が固い。ラインがガッチリしていて、球際に強いのである。まず、なかなかゴール前へ行けない。たまに、フリーでシュートか!と思っても必ず足が出てくるので、バルサがなかなかシュートに持ち込めない。なお、準々決勝でアーセナルを負かした立役者・メッシが徹底的に押さえられていたのも印象に残った。彼の特徴である速いドリブルに入る前に止められていた感じだ。こうして、シュート数はインテルのほうがかなり多かったと思う。
 この、インテルの得点力は、こんな感じ。バルサ陣営近くへの走り込みが速く、そこへのスルーパスが非常に鋭かった。これが、何本も何本も通る。スピードに乗って上手く抜け出すのだが、それへの縦パスの速く、上手いこと。もっとも結果として、オフサイドも圧倒的にインテルの方が多いのだが。

 第2戦はバルセロナ・カンプノウ競技場での闘いだが、僕は2戦合計でインテル勝利と見た。このチームを0点に抑えることは無理であると思うからだ。ちなみに、本年度グアルディオラ・バルサが3点も取られたゲームはないそうだ。去年全体でも1ゲームだけとか
 インテルは強い。そして、監督のモウリーニョはやはり凄い。この監督のチャンピオンズリーグ実績を見れば余計にそう思う。ポルトガルのチームで1度ここで優勝し、イングランドのチェルシーでは2度もこの決勝戦まで進んでいる。】


【 バルサのCL敗退を観た  文科系 2010年04月29日 | 小説・随筆・詩歌など

 昨夜、否、今朝未明、バルサ・インテル戦を観た。3対1でインテルが勝った第1戦とほぼ同様のゲームだった(4月21日の拙稿参照)。が、あれ以上にバルサ「攻勢」、インテルの守りと、一種地味だが、まー凄まじいゲームだ。ゲームの数字を観ると、保持率は73対27、シュート数は11対1(だったかな?)。まーほとんどインテル陣内で競り合っているのだが、危ない場面が意外に少ない(こういうのを、日本の守備陣に学んでほしいものだなー)。それも前半30分ほどからのインテル、10人で戦ったのである。レッドカードでモッタが退けられたからだ。
 結果はバルサの1対0で、2ゲーム合計2対3。バルサ敗退! ただ、今回のバルサ1得点は、明らかに得点者ピケのオフサイドだったと思う。一度オフサイドラインを破っていて、ちょっと戻って出直したときにもなお割っていたのだが、それを審判が見誤ったのだと僕は確信している。

 90分間のほとんどが、こんな実況放送になろう。
①バルサがインテル陣営に3分の1ほど入って横にボールを回している。インテルはゴール前に1列、その前に1列と、計8~9名でおおむね2本のライン・ディフェンスだ。バルサのボール保持者には、インテルの誰かが必ず前に出て来て、プレッシャー。バルサ保持者が替わるたびに、インテルの違う選手が後ろから急いで走り出てくるといったやり方である。

②バルサの縦パスが、ほとんど入らない。縦前方の味方が常にきっちりマークされているらしい。メッシがたまにドリブル縦突破を試みるが、これはインテル前ラインを中心とした2~3人に囲まれて後ろラインにすら届かずに、まず沈没、アウトだ。ただメッシの動き出しの早いこと、緩急の差の大きいこと。これを抑えるインテル選手は全員足も速いのだろうが、多分、メッシを抑えるべく動いていく位置、コースがよいのだと思う。
 以上の結果として、バルサはこうなる。結局ボールをサイドに流すしかない、と。

③そのサイドもなかなか中へは入れない。基本のマンツーマンが厳しくて、最終ラインに届かない。下手に大きな、あるいはトリッキーなドリブルなどに出ると、ちょこんと足が出てボールを掠め取られる。また、②、③どちらの場面でも、バルサが裏を狙うことはまずない。これはバルサのポリシーなのか、インテルのオフサイド・トラップが上手いのか。第1戦と並べて考えると多分、バルサのポリシーなのだ。「美しいサッカー」の感じ方? 
 こうして、横から破った際どいシュートというものさえもが、ほとんどない。前半のシュート数が7対0だったが、枠に飛んだのは確か1本だったはず。

 結論である。グアルディオラ・バルサの完敗だと思う。インテルのカウンターが冴えた第1戦。1、2戦ともに鉄壁のインテル守備陣。全員守備なのだが、特にボランチを中心とした中盤守備陣をば、あのバルサが怖がっているようにさえ見えた。これは僕の気のせいではないと思う。

 誰がこんな結果を予想したろう。世界の識者たちもほとんどバルサ勝利を信じていたはずだ。ポルトガル人、ジョゼ・モウリーニョ監督。勝利の瞬間には端正な容姿を直立させ、スタジアムの一角に上向きの眼光を投げて、長くフリーズ。頭上に突き出した両手はVの字を作り、2本の人差し指がまた「1」になって天を突いている。事実上の決勝戦に勝利した歓喜を、体全体で静かに表しているようにも見えた。が、その目、眼光が違った。あれは「イッテイル」者の目。一種狂気になっていたのだと見た。物凄い野心家なのであろう。

 決勝戦は、久しぶり同士。ドイツはバイエルンとである。ロッベン、ファンボンメル、オリッチでも、この鉄壁は破れないと見たがどうだろう。深夜3時半からシングルモルト・ボウモアを注文したのに、1000円だけでこれだけ楽しませてくれたスポーツバー、グランスラムにも感謝。決勝戦もここに来ることになる。】
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さよならテレビ」  らくせき

2018年09月08日 16時25分55秒 | Weblog
先日、「さよならテレビ」というドキュメンタリーを見ました。
名古屋のテレビ局の報道部の一年を追った番組です。

突然の取材に驚き、戸惑い、怒るデスクや部員たち。
そんなシーンから始まり、やがて3人を軸に番組は進んでいきました。

残業の多いことが社会問題となり、新しく入社した契約社員のWさん。
視聴率4位の汚名をそそぐために活躍が期待されるキャスター。
そして地元経済紙から転職してきたベテラン記者。

Wさんは経験も浅いことから取材もうまくいきません。
インタビューをした取材相手とのトラブルからOA直前の放送中止も。

キャスターのFさん。個性を押し出すことが求められていますが、
なかなか決められたセリフを出ることが出来ません。

ジャーナリストを志すベテラン記者は、共謀罪で起訴された人を取材。
権力の暴走をチェックする内容のレポートをOAします。
見出しには「テロ等準備罪」とあり「共謀罪」の文字はありませんでした。

そして一年後、視聴率は低迷したまま、キャスターは交代。
Wさんも契約を打ち切られて退社していきます。
ベテラン記者は番組のディレクターに問いかけます。
「テレビの描く現実って何ですか?」

これまでテレビカメラが紹介したことのない自分たちの職場。
飾ることなく淡々と描かれており、興味深く見ました。
番組のタイトルは「さよならテレビ」です。どういう意味でしょう?

「会社員なんだ」番組の中での報道部長の言葉。
番組を支配しているのはこの言葉でした。
「テレビ」という言葉には夢のあった時代があります。
今は誰も夢を託すこともありません。
そこで働く人たちのこころはテレビを離れてしまっている。
それが「さよならテレビ」というタイトルの意味でしょうか?

キャスターが交代を告げられたあと、ふっと肩の力が抜けて
個性を表現できるようになるシーンはとても印象的でした。
いったい何が彼を縛っていたのでしょう。

会社員であり、放送人であるという矛盾をまるごと抱えて生きる。
そんなキャスターに育って欲しいと思います。
                   

ちょっと演劇のPRを。
あの「十二人の怒れる男たち」が名古屋・栄のアートピアホールで。
日時は、9月20日午後7時・21日午後1時半・22日午後2時から。
問い合わせは名古屋演劇鑑賞会(名演)まで。
☎052-932-3739です。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モウリーニョとグァルディオラ  文科系

2018年09月08日 14時32分29秒 | スポーツ
 題名のサッカー・2監督は、世界のサッカー好きなら今や誰でも知っているだろう。ただし以下の文章は、これを10年近く前にここに書いたものという所に大きな意味があると自負している。グアルディオラにとっては、監督2年目のことである。以来僕はこの二人を追ってきた。例えば、この翌年の2010年の当ブログには、モウリーニョ・インテルがグアルディオラ・バルサをCL準決勝で破って奇跡のような優勝を遂げたゲーム観戦記が4つある。2010年の4月21日、29日がそれで、4月30日、5月2日もこの関連の記事だ。
 ともあれ、この10年の世界希代の名監督二人、当ブログ最初のころの紹介文章、お読み願えれば嬉しい。


【 モウリーニョとグァルディオラ  文科系 2009年07月22日 | スポーツ

 ストイコビッチの監督初体験が失敗に終わりそうな光景を見ながら、サッカー監督というものをいろいろ考えていた。「集団球技はある程度お金があれば、あとは監督次第」と何回かここにも書いてきた。もう少し若い頃までの野村克也や今の落合を見ても、アメリカや日本のバスケットチームなどを見ても。まして、世界でずば抜けて最も人気のあるサッカーの世界なら、なおさらである。なにしろ、老舗チームや国家代表を有名な外国人監督に委ねることなどは日常茶飯事になっているのだから。金のあるグランパスも、ちょっとはサッカー監督の大事さというものを学ぶと良いなどと思う。

 サッカーでは特に誇り高いイギリス人が今、国家代表をイタリア人に任せているし、世界10強クラブにも入るであろうイングランド4強クラブの監督3人までが外国人であって、残りの1人も確かイングランドならぬスコットランド人なのである。外国人3人とはそれぞれ、スペイン、フランス、オランダ人だ。日本野球界でも外国人監督が増えているようだが、読売巨人軍がアメリカから監督を呼ぶなどということが、近く起こりうるだろうかと考えてみていただきたい。

 さて、現在の世界で最も優れたサッカー監督は、5人いると思う。まず、イングランドはマンチェスターユナイテッドのファーガソンと、イングランド代表監督を務めるイタリア人のカペッロ。あまりにも功成り名遂げた感のあるファーガソンと、日本の中田英寿とも縁が深いカペッロのことは省く。
 次いで、同じくイングランドのチェルシーに臨時で雇われて見事に持ち直してみせたオランダ人・ヒディング。韓国をワールドカップ4強にまで上らせたこの名監督は、ロシア代表の現役監督だったかとの二股を見事にやりおおせてしまい、世界を驚かせた。

 さて、この3人に比べれば非常に若いが、既に彼らの名声に近い監督が2人いる。
 1人は、イタリアはインテルミラノのモウリーニョだ。ポルトガル人の彼の名が初めて世界に知られたのは、04年にポルトガルのとあるクラブをヨーロッパチャンピオンクラブにしてしまったときのことだった。それからの実績が凄い。直後にイギリスはチェルシーの監督に転出するとすぐに何回かリーグ優勝をして見せた。これには前述のファーガソンも、アーセナルのベンゲルも本当に驚いたはずであって、彼に一目も二目も置いていることは間違いない。そのモウリーニョの現在の野心はこんなところだろう。去年の夏に就任したイタリアはインテルミラノにおいて、ヨーロッパチャンピオンクラブ杯を握ること。今年1年目にして即座にイタリアリーグ優勝を成し遂げながら、ヨーロッパチャンピオンクラブ杯は惜しくもスペインはバルセロナに取られてしまったからである。

 さて、本年度彗星のように世界に出現したのがもう1人の名監督、スペインはFCバルセロナのグァルディオラである。1部リーグでは監督初年度の08~09年シーズンでスペイン杯を得て、先頃ヨーロッパチャンピオン杯をも握って見せたのである。ヨーロッパチャンオン杯決勝の相手は、誰もが連覇を予測した先述のファーガソン・マンチェスターユナイテッドであった。若干38歳、これら全てが監督初年度のことなのだから驚きのほかはない。
 ちなみに、スペインの”読売巨人軍”、レアルマドリードが最近300億円を遙かに超える大型補強に打って出たのは全て、このガァルディオラ対策と言えなくもない。よほどのことをしない限りは、彼のチームを崩せないと見たはずなのだから。前にもここに書いたが「阪神タイガース子飼いの新人監督に日本1、いや世界1を取られたら、そのオフの期間には読売巨人軍が黙っているわけがない」と、そういうことなのである。しかしながら、この超大補強は実を結ぶまい。多分400億円近い金(ドイツはバイエルンミュンヘンのリベリーのマドリード移籍がまだ流動的である)を予定しながら、マドリードの大補強は失敗に終わるであろう。サッカーは組織で戦うものであって、だからこそ監督が最も大切なのだから。
 さてまた、このガルディオラから、グランパスのストイコビッチが学ぶべき点があるので、ここに特記しておこう。ガルディオラは就任早々、花形幹部選手二人を切って捨ててみせた。有名なロナウジーニョと、現在チェルシーで大活躍中のデコである。さらに今年の今も、チーム内得点王(確かリーグ2位)エトーを切ることも発表してしまった。ガルディオラが既に「俺が決めた」と広言している。規律を乱すダビにいつまでも恋々としていたピクシーに見習わせたいものである。
 このガルディオラ、サッカー選手としては野球のキャッチャーに似ていると思う。ボランチという、攻守双方が見える立場の名選手だった。

 ジョゼ・モウリーニョとジョゼップ・グァルディオラ、世界のサッカー界はこれから間もなく、この二人を中心に回り始めるのではないだろうか。】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説  道連れたち   文科系

2018年09月08日 14時24分37秒 | 文芸作品
〈ピンクと赤と白、チェックの模様、たしか先週日曜日に彼が買ってきたテーブルクロスね、ヨメナの花もそれにグラスのワインレッドも、よく映ってる〉、朝子は、見るともなく見ていた眼の前の対象に焦点を合わせ直し、グラスの脚に指を伸ばす。寝起き姿のままに椅子に投げ出した体の中で、グラスに触れた指先だけがやっと目覚め始めたようだ。

〈昨夜、あの部屋、あの時の、飲み残しビールとテーブルクロスからの連想なのか〉、口にワインを含み、薄暗い灯につつまれたその場面のそこここを、霧の中のような脳裏から順に引っ張りだしてみる。
〈あの後すぐに彼がコップを取りに行って、飲ませてくれたんだ〉、ことが終わって間もないのに素っ裸のままに素早く立ち上がって、息を弾ませるといった様子もなく俊司はよくそんなふうにする。その終始に朝子はいつも身を委ねているのだけれど。
 と、ここで覚め始めた朝子の眼に、この新築の家の東窓を通り抜けた陽光がつきささってきた。太陽が隣家の屋根の上に顔を覗かせたらしい。眼をしばたたきながら、何度か言ってみた言葉を朝子はまた繰り返す。
〈俊司さんとはもう二年目か。まだまだ続きそうだ。ほんとに私がこういうことをやってるんだなぁ〉
 するとやはり、思い浮かんだことだが、
〈恒男のことも最近なにか、いろいろ見えるようになってきたみたいだ〉
 現に今、このテーブルクロスの端に小さくこんもりと生けられたヨメナの花。これなどにもこの頃では、〈恒男が一昨日くらいに庭から取ってきたんだ、彼の口癖だけど確かに素朴で可愛い紫、それが濃いから咲いたばかりなんだろう〉、この程度のイメージは浮かぶようになっていた。
〈ほんとに花なんかでも、何にも知らない。勉強して勉強して、たまに人とおしゃべりするくらいで、それから看護婦やって、結婚して、すぐに恒秋が生まれて、その面倒みてきて、小学校の頃恒秋に言われたことだけど、ほんと、いつも走ってた〉

 十月末の土曜日。恒男はまだベッドの中だし、一人っ子で大学三年生の恒秋は昨夜も帰ってこなかったらしい。朝子は、ほんの一、二口の朝のアルコールに頬を熱くしている。この頃度々あるのだが、眠ったという感じがほとんどないままに迎えた早い朝だった。

 右手を伸ばして、ヨメナの花びらを指でつまんでみたその時、玄関の扉が鳴った。そのまま二階へ行こうとする足音が聞こえる。
「恒秋、どこ行ってたの!」
 刺すような口調にも、何の返答もない。足音が調子も乱さずに上がって行く。
〈まだ完全無視が続くのね。長いこと!〉、と強がってみた。が、どうしようもなく沈んだ気持は拭いようもない。それでも癖になっている調子で、「恒秋、ちょっといらっしゃい」抑えにかかってみた。二階で扉を閉める音が返ってきただけだ。
〈昨夜も、あの子の家にいたんじゃないかしら〉
 何日か前の詰問に恒秋がさりげなくそう応えたので、言い争ったことを思い出している。ぴんと伸ばした激しい胸のうちを、前に組んだ両腕と、前傾させた顔で抑えながら。
 この街の児童館の厚生員を職とする子とのことだ。家に二、三度あがって来たが、朝子には明るいだけが取り柄の、調子の良いギャルに見えた。そんな感じが恒秋にも伝わったのだろう、後味の悪い言い争いになった。もっとも、ほとんど朝子だけが問い、言い放っていたのだった。それでも朝子には、吐き出したいことを全く出していないという、そんな気持だけが残っている。しょぼしょぼと何日も秋雨が続いて、うっとうしい日の夜のことである。
〈恒秋にはもう、何にも開いてもらえないのかも知れない〉
 ふと、車を転がしてこようと思い立った。

 朝子の軽セダンは今、川岸の児童公園の脇にあった。〈彼をお腹に乗せたあお向け逆さ滑り、「ジェットコースター」とか、あの山でもいろいろ二人でやったねぇ〉、すべすべでピカピカ光ったコンクリート地肌の小さな富士山が、昔のままだ。自然にほほ笑んでいたのだが、目がじーんとしていた。

 軽セダンは次に、薄黒い木造の保育園にさしかかる。朝子には、一階の靴箱の横に立っている若い自分が見えてくる。二歳になったばかりの恒秋がすっと部屋に入っていくか否か、それがその頃、日々の難関だった。部屋が騒々しく、入り口から保母の「志村おばさん」が見えない時には、「一大事の形相」で取って返し、泣き叫んで朝子の体にしがみついていたものだ。大学病院の始業時間との板挟みで泣きたいような自分がよみがえる。手前の砂場には一人っきりで遊ぶ三歳の痩せた恒秋が見え、また切なくなる。他の子どもが近付くのを極端に嫌い、例のように一人ぼっちで砂をいじっている。それで、迎えの朝子を認めてもにんまりと手をあげて、また一人砂遊びを続けるという、そんな感じの子どもだった。
〈友達と遊びをどんどん創造し、それをすっかり遊び尽くしていくこと、それが学力の土台、”見えない学力”である〉、少し後に読んだ本のことを思い出している。まさにこの点で、いつまでも幼い恒秋だった。だからだろうか、学業は並の下。高校まで学年有数という優等生の経験しかない夫婦が二人してあれこれあがいてみた頃の、ほとんど鬱病のような当時の心のもやもやが思い出される。その恒秋もやがて、いろんな大学の入試を二年受け続けた未に、唯一入学を許された名前を聞いたこともないような大学へ入って、今は三年生である。
〈看護婦って大学病院と言っても消耗品だったし、そのうえ共稼ぎなんてみんな毎日戦争やってきたようなものよね。そんな所で私、係長試験も真っ先に通ったし、来年はきっと総婦長になるんだろうし、いつも先頭にいようとしてたし、こういう私だからあの子にも同じようにやっちゃってたのかなぁ、それほどのつもりもなかったんだけど。高校人った頃には、私の言葉なんかもう聞き流されてた感じじゃなかったかなぁ〉
 いつの間にか、近くの川岸の舗装道路を歩いている。ここは、保育園帰りなどの恒秋とのおしゃべり通りで、今歩いていてもなにか「鬱が和む」ようだ。
〈それでも当時のこの場所と時には、恒秋とのおしゃべりという目的があって、何もしない時、場所じゃなかったんだけれども、今の私はほんとにそんなときを過ごしてるわ〉


(続く、あと2回です)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初のトランプ本、内容紹介   文科系

2018年09月07日 11時39分32秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 本日もう一つの別記事もそうだが、アメリカ大統領ドナルド・トランプの勝手気まま、理不尽が、世界を大騒ぎさせている。唯一肯定的関心を示している朝鮮対策でさえ、「ノーベル賞狙い」と、僕は観てきたほどだ。そういう彼流のポピュリズム選挙対策ということなのだが、とにかくこれだけは言える。彼の動向が見えていなければ、日本の政治経済の目の前の先行きさえ分からないと。
 アメリカでベストセラーになった最初のトランプ本「炎と怒り」をこの4月にここで内容紹介した。4月8~16日の間に6回連載で。その最終回分を、ここに改めて再掲したい。興味のあられる方は、右欄外の「バックナンバー、年月」クリックから入って、4月の連載記事をお読み願えれば嬉しい。



【 トランプという人間(12)「炎と怒り」の総集編⑥  文科系  2018年04月18日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 今回を、この本の内容紹介最終回とする。以下は、この書評第4回目「この本の輪郭」とも重複する部分もあるが、要するに粗筋、概要、結論ということだ。

①大統領としてのトランプは、こんな事をやった。
・地球温暖化対策の枠組みから抜けた。
・エルサレムを首都と認定し、シリアを爆撃し(この4月で2回目である)、サウジの皇太子交代(宮廷革命?)にも関わってきたようだ。
・メキシコとの国境に壁を築き、移民に対して厳しい施策を採るようになった。
・ロシア疑惑によって、コミーFBI長官を解任し、モラー特別検察官とも厳しい関係になっている。
・続々と閣僚、政権幹部が辞めていった。

②これらを推し進めたトランプは、こういう人物である。
・知識、思考力がないことについて、いろんな発言が漏れ出ている。「能なしだ」(ティラーソン国務長官)。「間抜けである」(財務長官と首席補佐官)。「はっきりいって馬鹿」(経済担当補佐官)。「うすのろ」(国家安全保障担当補佐官)。
・その代わりに目立ちたがりで、「他人から愛されたい」ということ第1の人柄である。マスコミの威力を信じ、これが大好き人間でもある。
・対人手法は、お世辞か恫喝。格上とか商売相手には前者で、言うことを聞かない者には後者で対する。大金持ちの父親の事業を継いだ後、そういう手法だけで世を渡って来られたということだろう。
・反エスタブリッシュメントという看板は嘘で、マスコミと高位の軍人、有名会社CEOが大好きである。よって、閣僚にもそういう人々がどんどん入ってきた。

③本人に思考らしい思考も、判断力もないわけだから、政権を支えていたのは次の3者である。スティーブ・バノン他ボストンティーパーティーなど超右翼のネット人間。共和党中央のごく一部。そして娘イヴァンカ夫妻(夫の名前と併せて、ジャーバンカと作者は呼んでいる)である。トランプへの影響力という意味でのこの3者の力関係は、30代と若いジャーバンカにどんどん傾いて行き、前2者の顔、バノンもプリーバス首席補佐官も1年も経たないうちに辞めていった。つまり、トランプ政権とは、「アットホーム」政権、家族第一政権と言える。なお、二人の息子もロシア疑惑に関わる場面があり、アメリカではこれも話題になっている。

④よって、期せずして棚から落ちてきて、何の準備もないままに発足した政権の今までは、言わば支離滅裂。選挙中から「アメリカファースト、外には手を広げない」という右翼ナショナリズムが戦略枠組みだったのだが、エルサレム首都宣言によってアラブの蜂の巣をつつくし、発足3か月でシリア爆撃も敢行した。ロシア疑惑でコミーFBI長官を解任して、大変な顰蹙も買っている。閣僚幹部はどんどん辞めていく。「馬鹿をさせないために側にいる」位置が嫌になるいう書き方である。

⑤こうして、この政権の今後は4年持つまいというもの。ロシア疑惑が大統領弾劾につながるか、「職務能力喪失大統領」として憲法修正25条によって排除されるか、やっとこさ4年任期満了かの3分の1ずつの可能性ありと、バノンは観ている。

 なお、何度も言うようにこの本の執筆視点は、バノンの視点と言える。全22章の内4つの題名に彼の名がある上に、プロローグとエピローグとがそれぞれ「エイルズとバノン」、「バノンとトランプ」となっているし、そもそも内容的に「バノンの視点」である。ちなみにこのバノンは今、次期の大統領選挙に共和党から出馬しようという意向とも書いてあった。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大手マスコミ、そろそろ日米政権離れを!  文科系

2018年09月07日 01時03分03秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 アメリカが酷いことになっている。トランプが、この国をめちゃくちゃにしている。そういう大統領を選ぶまでに落ちぶれたアメリカ、アメリカ国民は今や断末魔への境に立っていると言うべきではないか。
 
 いったんテルアビブからエルサレムにイスラエル大使館を移した数少ない国・パラグァイがテルアビブに大使館を戻すことに決めたと言う。すると、これに怒ったイスラエルがパラグァイ大使館閉鎖と大使召還という報復措置を執ったのだそうだ。この件について新聞もこう書いている。
『国際社会は、パレスチナ自治政府が将来の独立国家の首都と位置付ける東エルサレムをイスラエルが占領しているとみなし、日本を含む各国はテルアビブに大使館を置く。だが、イスラエル寄りの姿勢が顕著なトランプ米政権は五月に大使館をエルサレムに移転。中米グアテマラとパラグアイが米国の後に続いた』(6日中日新聞)
 つまり、こういうことだ。トランプの国際取り決めを無視した無理押しに従った数少ない国の一つが、改めて対米反旗を掲げ直したというのである。

 かと思えば、同じ6日にこんなニュースもワシントンから流れ出ている。見出しが『政権高官 匿名記事 NYタイムズ掲載』『「トランプ氏は道徳観念ない」』。
 記事内容の焦点は、匿名の政府高官が『「トランプ氏の振る舞いに「道徳観念がないことが問題の根本にある」と批判した』というもの。これをこの高官の名前も把握しているとして、ニューヨーク・タイムズが論説記事を載せたのだから、大問題に発展しているわけだ。
 トランプ曰く「対処しなければならない。前代未聞だ」。サンダース報道官曰く「このひきょう者に辞任を要求する」。が、さて、この匿名高官の名前、いつ頃分かるのだろうか? 

 かと思えば、またまたトランプ政権内幕の告発本が出た。それも著者は、著名な大物記者ボブ・ウッドワード氏。ウオーターゲート事件の内幕報道でニクソン大統領を辞任にまで追い込んだお人である。よって、もはや、米政局を既にこう見るべきではないか。アメリカのエスタブリッシュメント態勢も既にトランプを見限っていると。ちなみに、この書にある政府高官発言にしてからがこんな調子なのだから。
『まるで五、六年生程度の理解力しかない』(マティス国防長官)
『何を説得しようとしても無駄。私たちは狂った街にいる』(ケリー首席補佐官)

 
 さて、国家累積赤字がGDPの4倍で、それでも年60兆円もの軍事費を使っているアメリカである(2016年度で、6,110億ドル。国民一人当たり1,886ドルなのだ)。不安定労働者、相対的貧困者の群れがやり場のない声をトランプ当選に集めたとも言われている。これを世界を無視した自分勝手な保護主義ごり押しで「解決」しようというのが、トランプのやりかた。相手国の保護主義仕返しにあうのが必至で、そうなったらアメリカがどうなるのかという計算、理性も働かないと見える。中長期的に見れば世界的に有効需要がどんどん減っていき、リーマン・ショックがもたらした恐慌状態がますます深刻になると、こう見るのが1929年世界大恐慌などの歴史の教訓ではないか。

 日本マスコミもそろそろ、日米政権をありのままに描く時代が来たと見るべきではないか。トランプをば、プーチン、習近平よりも遙かにアホな人間として。ついでに、こんな人間と「ドナルド・シンゾウ」と呼び合って喜んできた嘘つきかつ強権的な首相をも厳しく弾劾すべき時代が来たのだとも。つまり、従来に比べて困難が増えすぎている国の選挙では、馬鹿馬鹿しいような政権も生まれることがあるのだと。こんな嘘つき首相と定期会食を重ねて喜んでいるような社長を頂いているマスコミには信が置けないと、当たり前の常識をも併せて、改めて進呈したい。政府報道などはもう記者クラブよろしく、アクセス記事で高官発言を垂れ流すだけ。政権について時間をかけた調査報道が一体どこに見られるというのか。記者クラブ報道ばかりというのはもう、大本営発表も同じではないか。2%目標など分かりきった失政への批判がどこにも見られないのだし。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再度「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(2)  文科系

2018年09月06日 11時45分22秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
以下のシリーズ①がここのアクセス・ベストテンの1位にずっと上がっているところから、その②も再掲しておきたい。ハルノートなどと言う、真珠湾出撃開始の後に届いた文章自身を、太平洋戦争の原因のように扱う愚かな論やコメントもあることだし。


【 再度「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(2)  文科系 2018年04月02日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 拙稿の「太平洋戦争史」が気になる人々が多いようだ。藤井厳喜さんとやらの「日本人が知らない、太平洋戦争の大嘘」という本の広告がこのブログに再三掲載されてくる。調べてみたら、安倍首相のブレーンの1人のようで、国会議員選挙に2度も出て2度とも落ちているお人。政治学者とあるが、政治学よりもどうも保守政治家になりたいお方らしい。それも、安倍周辺の政治家。加えてこの御本、無料で配布しているとあった。どこかから金が出ているのだろう。
 
 さて、この本の概要が宣伝文句に書いてあって、その事を一つ一つ批判してきたその2回目である。『 』内は、その本の宣伝文句。

・『日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?』
 日本がアメリカに和平打診をしたかどうかなどは、ここでは大した問題ではない。現に、敗勢著しくなってもポツダム宣言を受けなかったという世界史的事実があるのだから。天皇が宣言受諾を認めなかったという経過もある。この全面降伏勧告を受けなかったことが、原爆投下という惨劇に繋がったという事の方こそ、日本国民も世界も周知の事実である。

・『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?』
 ハルノートが『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった』というのが、大嘘である。大嘘というよりも、「ハルノートに怒り心頭! 開戦やむなし」とは、当時の日本側が戦意高揚のための宣伝に使っただけのこと。
 この文書は、開戦原因として『そんな重要な内容』なのではない。ハルノートが駐米日本大使に渡されたのが、12月8日の開戦直前の11月26日。外務省がこれを全文翻訳して日本政府各方面に配布したのは、28日である。日本は既に、開戦準備を密かにすっかり終えてしまって、真珠湾目指して機動部隊が出撃した後の出来事である。戦争原因については、それ以前にこういう経過があった。満州事変・国連脱退から、中国南下侵略を続けた日本に、国連、アメリカが再三の警告と、鉄鋼、石油禁輸などの「制裁措置」を与えてきた。「国際不法行為」と「強制・制裁措置」とのエスカレートと言えば、今の北朝鮮とアメリカ、国連との関係のようなもの。「石油禁輸も含めて」、ここまでの日本がほぼ全面的に悪かったから起こったことなのだ。いきなりポーランドに進撃して非難されたドイツとの、兄弟国だけのことはある。

以上の太平洋戦争の原因論争と、これについての右流ねじ曲げ論批判とは、このブログには無数にあるが、最も最近のものでは以下のエントリーを是非参照されたい。本年1月29日「太平洋戦争、右流ねじ曲げ理論に」。】
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする