九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

太平洋戦争を巡る嘘の数々  文科系

2018年11月15日 09時43分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 戦争を始める国は、常に「その正当な理由」を内外に大音声する。本当の利己的な理由を隠すためにそうするのだろう。「大量破壊兵器から周囲の国を救うために」とマスコミも国民も熱狂して始まったのが、イラク戦争。結局、大量破壊兵器はなかった、つまりこれは嘘であった。
 太平洋戦争では「大東亜共栄圏」が、直前に捻り出されたその大義名分であった。なのに今更、この嘘の理由を復活させるような議論がまたぞろ数々蒸し返されている。

「大東亜共栄圏は日本の本心だった。現に、アジアの戦後に、植民地解放がどんどん進んだではないか」
「ぼろぼろの日本がなぜ降伏しなかったか」
「大戦で得したのはどこか」
「太平洋戦争についてハルノートは重要。なぜ国民がこれを知らないのか」
「太平洋戦争開戦で、英米はなぜ狂喜したか」

 これら全て、第二次世界大戦の本質的性格に関わっては、くだらない問題設定ばかりである。戦争の歴史的・人間的本質と結果の評価とは無関係なものばかり。その証拠は・・・

①なによりも、国際法を無視して戦争を始めたのは日本とドイツだ。国連に断罪されてここを脱退した事件・満州事変や、その後の中国南下侵略と、ポーランド侵入、侵略などのことである。

②33年には両国とも国連を脱退している。国連法無視を宣言した無法者国家になったということだ。その上で、①をやっているのである。①と②が重なった無法国家が、今更何を言うのかという問題だ。

③アメリカが参戦するまで、ドイツはロシア以外の大陸西欧諸国を征服して、イギリスへの空爆も始まっていた。つまり、アメリカ参戦がなければ民主主義国が征服されて、全体主義世界になっていたはずだ。こうなれば、その後アメリカも征服されていたというのは、間違いない。こうして、アメリカが参戦したのは、自らを守るためでもあった。

④③が実現していたら、ユダヤ人、身障者などは(密かに)皆殺し、アジア人は皆「日本国天皇の臣民」である。こんな世の中を、世界の普通の人の誰が望んだか?


 以上があの大戦の本質的なことであって、こういう歴史の諸事実に比べれば一番上に書いたような右の方々の大戦への問題設定がどれだけくだらないものかと分かるのである。争点そらしというか、誤魔化しというか、とにかく、何とかひねり出した自己正当化、屁理屈。いや、それにさえ届いていない論議である。

 戦前から人も替わり、記憶も薄れた今になって、こんな恥ずかしい嘘の羅列をよくできるものだ。もっとましな、例えば世界全体を遡った、政経全てをもっと広く見た正当化論ならあり得るかもしれないが、そういった論議は聞いたことがない。小手先の思いつき的思考、弁護論ばかりである。
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対韓外交、またも無理筋対応   文科系

2018年11月14日 08時33分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 日本政府がまたまた筋の通らぬ対韓国行動を取り始めた。韓国最高裁の日本徴用工賠償判決について、日本政府が「国際法違反」と居丈高かつ大々的に拳を振り上げた問題である。以下の理由からこれだけ筋の通らぬ無理筋行動に打って出て、これからどう決着を付けるつもりなのだろう。

①先ず、このことに関する国際法自身などは存在しない。過去に決めた日韓協定に「違反している」から、国どうしが過去に結んだ協定というものに関わる国際法を踏みにじったと勝手に怒っているだけなのだ。

②問題のその国どうしの協定においても、それによって国家賠償は終わったのだろうが、個人賠償はこれとは全く別の問題になっているはずだ。

③あまつさえ、相手は韓国最高裁判決。三権分立の原則から言って、日本政府はいったい誰に文句を言っていることになるのか? 韓国政府に、最高裁決定を覆せと怒っていることになるのなら、大変な筋違いである? 嘲笑いながら言うが、韓国最高裁と国際法律論争でもするおつもりか? 

 振り上げたこの愚かすぎる怒りの拳をば、日本政府は今後いったい、どう決着させるつもりなのか? この政権になってから、こういう無法な無理筋の判断、発言、行動が多すぎるように思う。アメリカのトランプとどこか似ていると述べても、言い過ぎにはならないだろう。まるで自分らの感情だけで行為するお子様、そんな政治を行っている。
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日本外交、急転換の予感!    文科系

2018年11月12日 13時43分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 どうも、日本外交が大転換する予感がする。初めは、経済だけ・・・・と見ていたのだが、どうも違ってくるようだ。でなければ、尖閣問題以降7年のブランクを押して、安倍が習参りなど始めるわけがない。それも1000人の財界人を同行のみならず、天皇訪中・侵略謝罪を明仁さん最後の仕事にするようだし。という記事が、日本マスコミには全く見られないのが気になっている。昨日のエントリーで紹介した記事、『アメリカ・オンライン誌「ニュー・イースタン・アウトルック」にウイリアム・エンダールが5日書いた』記事による。

 この度はまた、中国だけではなくロシアやインドにまで、新たに大々的に手を差し伸べ直している。なんせ通貨スワップ等も含めて、こんな大々的外交変化を伝えている。
『李克強首相が、会談中に、180億ドルの商談がまとまったとを発表した。両国は将来の通貨危機に備え、290億ドルの通貨スワップ再会にも合意した。両指導者は、将来、緊張状態になった場合に、通信するためのホットライン設置にも合意した。安倍首相が習主席を2019年の日本訪問に招待したのも大きな一歩だ。
 中国通貨の信頼性への極めて大きな後押しとなる、日本の外貨準備への中国人民元組み込みに日本が同意したことは、マスコミではさほど報じられていない。中国は、日本銀行による中国政府国債への直接を認めるだろう。』(この記事紹介があったサイト「マスコミに載らない海外記事」の原文のママ)

 こういう報道の真偽(の正しい判定予測)については、アメリカを中心とする現世界情勢を総合的に見る総合判断力が決め手になるはずだ。安倍は、トランプ数々の外交暴力をどう見るかで、この2年近く迷っていたのだろう。政治経験ゼロのという未熟なトランプの個性によるものか、それとも体制全体もこういう決意をしたのかどうか、と。そして少し前に後者だとの結論に達したのだ。今後何をお願いしても保護主義や国連無視の数々は撤回しない、とも。
 願っていてもダメなら、起死回生の活路は自分で開かねば、次期選挙には負ける、と。


 さー、日本外交の大転換が始まる。昨日紹介の文章内容が日本マスコミにはまだ見られないだけに、一種の不気味な作為も感じられたりして、僕はそう確信する。ロナルド・ドーアらの正しい長期予測、予言もあることだし。
 アメリカの窮状が日本以上に激しいとも観たのだろう。当たり前だ、ラストベルト地帯などはもうインフラも老朽化を通り越しているのだし、デトロイトなどでは警察が治安を投げ出した地域も広いのである。あの国はもう、国家・公共機能をすら喪失し始めている。日本マスコミがこれを報道しないだけで・・・。なんせ、あの国の国家財政累積赤字対GDP比率は、日本の2倍。それも、日本と違って個人貯蓄はないどころか、家計などはサブプライムバブル弾け以来、大赤字なのである。その付けが回って身動き取れなくなったからこそ、日本と違って財政引き締めもかなりまえにやったわけだし。アメリカがこうなってはもう日本の活路は自分でひらくしかないと、安倍がやっと決意した地点では、恥も外聞もなくなった。

 ただし、天皇訪中・戦前行為の謝罪は、昨日のエントリーに書いたように不安この上ない。象徴を踏み外したような天皇の政治利用強要(に持って行くこと)にならねば良いのだが、と。戦前を見ればあきらかなように、「急な大転換は天の声で」ということだと、僕は怖い!



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習訪日と、天皇訪中・侵略謝罪へ  文科系

2018年11月11日 13時36分03秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 アメリカのオンライン誌「ニュー・イースタン・アウトルック」にウイリアム・エンダールが5日書いた記事に、こんな下りがあった。日本マスコミがまだ伝えていないニュースとして。これも安倍のマスコミ工作なのだろうが、情けないことである。題名のこの部分をそのまま載せておこう。

『 中国でも日本でも、マスコミ報道で触れられていなかったのは、安倍総理から習主席に伝えられた天皇の歴史的な申し出だ。日本の情報筋によれば、1930年代の日本による中国侵略を、中国人に正式謝罪するため、明仁天皇が来年4月の退位前に中国訪問を希望していることを安倍首相は伝えた。同時に、天皇は習主席を日本訪問招待した。報道によれば、習主席は天皇の中国訪問決定とは関係無く招待を受けた。天皇のこうした動きを、北京と中国は、象徴にとどまらないものとして受け止めている。』


 なおまた、同記事中の上の記事の前にはこんな内容もあったと報告したい。アメリカに「失恋」した安倍の大慌ての心のうちが見えるようではないか。
『トランプ政権による中国と日本両国に対する貿易戦争の最も重要な結果の一つは、最近の北京における日本の安倍晋三首相と、中国の習近平主席との外交・経済会談だ。東シナ海の係争中の島嶼を巡り、関係が冷却して7年で初めての、日本首相によるそのような会談だっただけではない。アジア最大の経済圏で、新たな政治・経済戦略が始まるかもしれないことを示してもいる。北京を発った数時間後、東京で、安倍首相はインドのナレンドラ・モディ首相をもてなした。これは、新たな多極世界での新たな側面の前兆なのだろうか、それとも単に安倍首相の抜け目のない政治なのだろうか?

 北京での会談を、単なるシャッター・チャンスと見なしているわけではないことを示して、安倍首相は日本企業幹部約1,000人の財界代表団を帯同した。李克強首相が、会談中に、180億ドルの商談がまとまったとを発表した。両国は将来の通貨危機に備え、290億ドルの通貨スワップ再会にも合意した。両指導者は、将来、緊張状態になった場合に、通信するためのホットライン設置にも合意した。安倍首相が習主席を2019年の日本訪問に招待したのも大きな一歩だ。

 中国通貨の信頼性への極めて大きな後押しとなる、日本の外貨準備への中国人民元組み込みに日本が同意したことは、マスコミではさほど報じられていない。中国は、日本銀行による中国政府国債への直接を認めるだろう。』
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「よたよたランナーの手記」(234)「フォームが悪くなっていた!」  文科系

2018年11月11日 13時13分20秒 | スポーツ
 5月以来初めて外を7キロちょっと走った。ランニングマシンだけで5ヶ月走って蹴り脚が落ちているせいだろうが、抑えて走ったにせよキロ7分30秒、つまり時速8キロ平均だった。走り方が、悪いようだ。

 マシンでは気づかなかったことだが、足を前に蹴り出す時にちょっと力が抜けるときがあって、その瞬間に一瞬スピードが落ちると感じられた。左脚の蹴りに多く出るようで、「脚を蹴らずただ前に置きに行く」という感じになっている。それを良く意識して直したらキロ7分ちょっとになる事も多くなったから、そう感じた。こういう走りではもっとピッチを上げるべきなのだろう、とも。

 以上が、11月7日。そのせいか9日にはマシンの調子が上がって、11キロ時でも5分は走れた。そして、連日の10日も9・2キロほどマシンをやってきた。4日のうちに3日も走るなんて近年無かったこと。それでこの疲れの少なさというのだから、気づいた改善で走りが良くなった証拠だろう。最近の老いと感じたものはやはりマシン走りでの、「脚を蹴らず、前に置きに行く」というフォームの乱れに原因があったようだ。その証拠に、今まででも僕は外走りをする度にストライドが伸びて、それにつれてスピードがどんどん上がっていった。
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ポイチジャパン(13)今夜、アジアチャンピオン・クラブ決まる  文科系

2018年11月10日 10時13分36秒 | スポーツ
 今夜、鹿島とイラン・ペルセポリスとの、ACL決勝戦第2レグが敵地イランである。つまり、本年度アジアチャンピオン・クラブが決まる。3日に日本で行われた初戦を鹿島が2対〇で勝っているから、チャンピオンになる可能性が極めて高い。ということは、鹿島悲願の初チャンピオンだ。浦和もガンバも達成したのに、鹿島だけは到達できなかった峰! テレビ中継も、日テレ24で深夜12時から行われるから、僕はまたかぶり付きになる。
 明らかに野球報道に偏った日本マスコミが無視してきたこの大会だが、アジアだけのサッカークラブ数をとっても、間違いなく世界の野球チームよりも多いはずである。その頂点クラブ! 

 初戦は4日のここに僕なりに報告したが、冒頭からペルセポリスがしゃにむに飛ばしてきた。高い位置からの激しく組織だった集団プレスの掛け通しで、これがあまりに激しかったので、鹿島が戸惑っているようにさえ見えたもの。この初戦始まりの三分の一ほどを鹿島がしのぎ切ったのがあのゲームの鍵としてとても大きいと見たが、今やチームのエースにして今回の日本代表にも選ばれた鈴木優馬はこう語っていた
「変なチームだ。放り込みカウンターしかない」
 23歳のこの若者の自信はたいしたものだが、僕は甘くは見られないと考えている。あのカウンターは世界水準のものと、僕には見えたから。ホームのフィールドで図に乗って攻めて来て、これが填る可能性もあり怖い、と思っている。それとも、鈴木のこの自信は、昌子などDFも含めた全員守備の自信から来ているものなのか。そうであれば、「鹿島恐るべし」である。さて、この「自信」の真贋はいかにと、そんな楽しみも持てる、今夜のゲームである。

 それにしても、アジアは広いなー。日本の深夜0時がペルセポリスの何時か知らないけれど。
 なおまた、ペルセポリスとは、世界史で名高い地名を聞くもの。確か、アケメネス朝ペルシャのダリウス1世の首都・・・。今で言えば、ワシントン、東京、ベルリンという世界最先端大都市のゲームというところなのだが・・・。ポリスというのは、これまたギリシャ語のポリス、都市国家を現す地名だろう。アクロポリスなどにも因む、古い古い都の地だ。
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随筆  「戦争信仰」    文科系

2018年11月09日 20時32分02秒 | 国内政治・経済・社会問題
 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十三年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。


 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。

 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論があるその現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。


 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。
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随筆  南京大虐殺    文科系

2018年11月09日 19時45分13秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある。
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

『南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍、奴らである。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。』
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「僕の九条堅持論」    文科系

2018年11月07日 07時40分54秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下は、11年3月9日にここに載せた拙稿である。ざくろさんという右の人物と論争した直後に書いたものだ。ここの過去で最も勉強し、自分でもあれこれとよく考えて来られたと僕には思われた右の人物だったから、こんなことを改めてまとめてみて、応える気になったのだろう。以降、以下のこの文章はここに何度も載せている。というよりも、僕の立場をはっきりさせるべく、定期的に載せてきたものだ。


【 僕の九条堅持論 2011年03月09日

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。 これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、米中等距離路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれている理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。】
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再度「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(2)  文科系

2018年11月07日 07時14分20秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下のこのエントリーがずっとベスト10の1位にあることとて(まーこれは誰かの作為なのだろうが)、その2、3をも転載させていただく。

【 再度「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(2)  文科系  2018年04月02日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 拙稿の「太平洋戦争史」が気になる人々が多いようだ。藤井厳喜さんとやらの「日本人が知らない、太平洋戦争の大嘘」という本の広告がこのブログに再三掲載されてくる。調べてみたら、安倍首相のブレーンの1人のようで、国会議員選挙に2度も出て2度とも落ちているお人。政治学者とあるが、政治学よりもどうも保守政治家になりたいお方らしい。それも、安倍周辺の政治家。加えてこの御本、無料で配布しているとあった。どこかから金が出ているのだろう。
 
 さて、この本の概要が宣伝文句に書いてあって、その事を一つ一つ批判してきたその2回目である。『 』内は、その本の宣伝文句。

『日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?』
 日本がアメリカに和平打診をしたかどうかなどは、ここでは大した問題ではない。現に、敗勢著しくなってもポツダム宣言を受けなかったという世界史的事実があるのだから。この全面降伏勧告を受けなかったことが、原爆投下という惨劇に繋がったという事の方こそ、日本国民も世界も周知の事実である。

『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?』
 ハルノートが『日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった』というのが、大嘘である。大嘘というよりも、「ハルノートに怒り心頭! 開戦やむなし」とは、当時の日本側が戦意高揚のための宣伝に使っただけのこと。
 この文書は、開戦原因として『そんな重要な内容』なのではない。ハルノートは、12月8日の開戦直前の11月末に日本に送られてきたもの。日本は既に、開戦準備を密かに、すっかり終えてしまって真珠湾へ向けて出撃も始まった段階で届いたものである。戦争原因については、それ以前にこういう経過があった。満州事変・国連脱退から、中国南下を続けた日本に、国連、アメリカが再三の警告と、「制裁措置」を与えてきた。「国際不法行為」と「強制・制裁措置」とのエスカレートと言えば、今の北朝鮮と国連との関係のようなもの。「石油禁輸も含めて」日本がほぼ全面的に悪かったから起こったことなのだ。いきなりポーランドに進撃して非難されたドイツとの、兄弟国だけのことはある。
以上の太平洋戦争の原因論争と、これについての右流ねじ曲げ論批判とは、このブログには無数にあるが、最も最近のものでは以下のエントリーを参照されたい。本年1月29日「太平洋戦争、右流ねじ曲げ理論に」。】


【 「太平洋戦争の大嘘」という大嘘(3) 文科系 2018年04月06日 | Weblog

 さっき、こういうコメントを付けた。これをやや詳論したい。

『 戦前日本を庇う人が、その国連脱退を何も見ず、ハルノートのような太平洋戦争直前の「不当性」を問題にしているのが、笑える。要は、こういう話なのだから。
「国連をさえ脱退した国際的無法者が、それらの記憶も薄れた今になって何を言うか! その無法者ぶりには頬被りして・・・」

 大東亜共栄圏が出来たら、アジア人は日本天皇の臣民にされたろう。天皇制を批判したら、死刑である。これは、もしもドイツが勝っていたら世界がこうなっていたのと同じ事だ。ユダヤ人、身障者、黒人などの皆殺し。
 こんな世界を誰が望んだろうか。だからこそ、日独が負けたことが、世界にとってどれだけ良かったことか! 今の世界のみんながそう考えるはずである。


 このコメント前半部分は、右論者の常道の一つ。1931~3年の満州事変、国連脱退を何も語らないのである。現代世界では、北朝鮮でさえ脱退していないのに。国連を脱退すれば、国連法に縛られなくなる代わりに、独立国として認められる国連の庇護が無くなるわけである。戦前日本はこれ以降の事実として、どんどん無法者になっていった。

 コメント後半の「もし日独が大戦に勝ったら」という問いも、大戦をどう見るかにとって極めて重要なものだろう。
 日本には国民はいなくて臣民(天皇の家来である民)だけが存在したのだから、大東亜共栄圏とはこういうものになったはずだ。日本の天皇が支配するアジアに。日本天皇制度を批判したら、先ず死刑という「共栄圏」である。まー今批判されている戦前の朝鮮や、中国の一部やのような有り様を考えてみればよい。安重根のようなその国の愛国人士が殺されたとか、南京大虐殺のように反日勢力は皆殺しにあったとか。
 また、ヒトラーの世界支配など今の誰が望むのだろうか。鬼畜と言われた米英は、日独にも自由を与えた。原理としては黒人も有色人種も安心して住める社会であったし、戦後社会は事実としてもどんどんそう進んでいった。
 こういう事実を前にしたら、右論者がよく語るこんな理屈も全く噴飯ものとなろう。
「日本、太平洋戦争は、植民地解放に貢献した」
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アーセナル・リバプール戦を観た  文科系

2018年11月06日 11時57分55秒 | スポーツ
 昨夜12時、標記のゲームを観た。NHKのBS第一がこんな事をやっていると初めて知って。ちなみに、来週13日火曜日には、同じように今度はマンチェスターダービーを放映するとのことで、とても楽しみにしている。


 さて、この闘いである。結果は、リバプールが先取点、アーセナルが追いついて、1対1の同点。マンCが勝ったから、リバプールは勝ち点2差で2位に落ちた。
 
 このゲームで僕が観たかった観点は、新生エメリ・アーセナルが何故得点力があるのかとともに、トランプ・リバプールがなぜこれほど失点が少なくなったのかの二点。ここに絞って観たわけだが、まー何と面白い、興味深い闘いだったことか。その印象を、羅列してみよう。

①アーセナルの攻撃力とは、パスを受けに走る組織技術、特に敵ゴール前の戦略的なボール受け走りの上手さ。同時に、そういうチームでは、エジルのパス力が凄く生きてくるということ。ベンゲルからエメリに監督が替わって、ここで明らかに攻撃力が増えているのだ。
②リバプールの失点の少なさは、そのゴール前ゾーン守備の堅さ。そして、このチームの選手は皆、デュエル、競り合いに特に強いということ。
③ゲームの印象としては、攻防がぎりぎりの闘いが反則が少ないなかで、どんどん続いていったというもの。だからこそ、違いが生み出せる選手が大事で、それがエジルとサラーだと僕には見えた。
④この二人とも「ボールを奪われた!」と思っても奪われないという場面をどんどん続けられる。ゴール前では特に、こんなに怖い選手はいないだろう。

 という具合に、まー激しい闘いであった。Jのチームではこんな闘いは、ACL等でしか観られないものと思っていた。
 来週13日のマンチェスター・ダービーも絶対観るぞ-!
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中国、米を抜く「輸入大国」へ 文科系

2018年11月06日 11時40分49秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今日の新聞に「第一回中国国際輸入博覧会」の記事が載っている。その見出しも『輸入博で保護主義批判』と、アメリカの関税障壁設置を意識した、世界相手の新たな大々的な取り組みであるのは明白だ。この博覧会に参加したのは『170ケ国、地域と国際機関から3600社、団体が出店』とあった。すでに対米輸出を対中輸出が圧倒していて、かつ長いデフレ状況から有効需要に悩んで来た日本企業などは、さぞ大々的に参加しているだろうし、こういう方向の将来的意味を考えてみたい。

 今の物貿易は、国際的に有効需要が無く、どこも困っている状況である。世界的に失業者が多かったりして需要が減ってきた上に、日本国内などは不安定労働者ばかりでデフレ状況を長く抜け出せないできた。これは言い換えればこういうこと。有効需要を作り出す国が強いのである。今まではこの役割をアメリカがやってきたが、これを自ら閉ざし始めたのがトランプ。トランプのこの狙いは、米金融がその短期金転がし狙いですっかり荒らしてしまった国内製造業、職場を新たに作り出すこと。このために国連、WTOの規則、慣行などを一切無視して、外国製品を強制的に閉め出すという関税政策をとったということだ。

 さて、そういうアメリカが閉め出した輸出を中国が輸入で大々的に引き受けようというのがこの博覧会の狙いだろう。中国が世界最大にしてダントツの消費地に躍り出ようという意図が明白過ぎるほどだ。

 アメリカがじり貧になって行く方向と思う。ただでさえ家計赤字、国家累積赤字が膨大だからこそ、取らざるを得なかったトランプ保護主義とも言えるのだから。
 これでアメリカの輸出は、兵器と金融だけにますますなっていく。また、この金融輸出があるからこそ、トランプもこんなに強引な物貿易の関税政策が取れたわけだ。が、大々的な兵器輸出と国際的・多国間主義的金融規制への違反とを重ね始めたアメリカは、世界覇権国の地位を自ら投げ捨てたも同じになっていくだろう。世界の小金持ちも大会社なども、アメリカのデリバティブや株主参加にはいーかげん懲りているだろうし。
 ただ、南米の会社などはアメリカ金融にすっかりやられてしまったようだが、これもやがては反発が起こってくるはずだ。こういう南米の窮状については、日本のマスコミは何も書かない。アメリカへの忖度なのであろう。
 EU離脱問題も、アメリカ金融の各国別撃破狙いという伏線があり続けている。それが分からない各国の「愛国主義者」が、アメリカに踊らされているとも言える。そんな工作もまた、アメリカは画策をて来たはずだ。
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随筆  俺の「自転車」   文科系

2018年11月05日 11時29分30秒 | スポーツ
 今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近くランニングしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする時、連れ合いがよく口に出す言葉がある。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミアドスキンとやらの特上物である。なんせ、俺の人生初めてにして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に愛着を感じる質としてはこの上ない幸せの一つである。よほど生地が良いらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じること。とこんなことさえも、「生涯自転車」の一因になっているのだ。

 初めて乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だった。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。やはり五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 上の息子が小学生になって、子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川をほぼ最上流まで極めたこともあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時には、文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、あの光景! 
 この頃を含む四十代は、片道九キロの自転車通勤があった。これをロードレーサーで全速力したのだから、五十になっても体力は普通の二十代だ。自転車を正しく全速力させれば、腕っ節も強くなるのである。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのもころ。知多半島から伊良湖岬先端までのフェリーを遣った三河湾一周の最後は豊橋から名古屋まで国道一号線の苦労も加えて、実走行距離は百七十キロ。
 その頃PTAバレーにスカウトされて娘の中学卒業までこれが続けられたのも、その後四十八歳でテニスクラブに入門できたのも、この自転車通勤のおかげと振り返ったものだ。

さて、五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物になった。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな品だ。前三角のフレーム・チューブなどは非常に薄くて軽くしてあるのに、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色の車体。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社のもの。このロードレーサーが、先日初めての体験をした。大の仲良しの孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのツーリングに出かけたのである。その日に彼女が乗り換えたばかりの大きめの自転車がよほど身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十三キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいじはゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」、「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか! 「私もいつかそういう自転車買ってもらう!」と、そんなこんなからこの月内にもう二度ほどハーちゃんとのサイクリングをやることになった。二人で片道二十キロ弱の「芋掘り行」が一回、ハーちゃんの学童保育の友人父子と四人のがもう一度。前者は、農業をやっている僕の友人のご厚意で宿泊までお世話になるのだが、彼にも六歳の女のお孫さんが同居していて、今から楽しみにしているとか。

 ランニングとサイクリングの楽しさは、俺の場合兄弟みたいなものだ。その日のフォーム、リズム、気候諸条件などが身体各部の体力にぴったりと合った時には、各部協調しあった最小限の力で気持ちよくどこまでも進んで行けるというような。そして、そんな時には身体各部自身が喜び合っているとでもいうような。自分の視覚や聴覚の芸術ならぬ、自分の身体感覚が感じ導く自作自演プラス鑑賞付きの、誰にでも出来る身体芸術である。
残り少なくなった人生だが、まだまだこんな場面を作り続けたい。そして、ランナーで居られる間は、続けられると目論んできた。自転車が五九歳にしてランを生み、退職後はランが自転車を支えて、まだまだ続いていく俺の活動年齢。
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ポイチジャパン(12)ACL決勝で、大人の鹿島  文科系

2018年11月04日 09時34分25秒 | スポーツ
 これも凄まじいゲーム! クラブチャンピオン杯争奪戦はいつもこうなるという典型。国代表などと違って、日頃やっているクラブでのアジア・チャンピオン決定決勝戦だから、鍛えている連携、組織戦が特に最高度に発揮されて凄いのだ。

 本日の決勝第1レグでは、2対0で鹿島の勝ち。
 アウェイのペルセポリスが先ず攻めた攻めた。最初から全力疾走で高い位置からの速いプレスに来っぱなしだった。危ないシュートも何本か打たれたが、こんな全力疾走が続けられるわけはないと観ていたもの。案の定、20分ほどから鹿島がCKもFKも取れるようになって、30分ごろには均衡状態になっていった。鹿島がサイドチェンジを多用し始め、ボール際の小技も効き始めたのである。
 サイドチェンジの連発などは後半にさらに効いてくるにちがいない。

 後半13分先ず1点。敵ゴールに向かって右側から、レオ・シルバが誰かとワンツーで横方向に侵入してゴール正面やや右寄り左脚で打ったシュートだった。直後にも鈴木の右抜け出しシュート得点があったが、これはかろうじてオフサイド。
 2得点目は、31分。相手ゴールに向かって右ポストから縦30メートルほどにいた三竿の浮かせ気味縦パスを密集の中のセルジーニョが左脚アウトでダイレクトボレー。それもフワリと上げるような奴で、逆サイドの左ポスト近くに落とした技ありシュート。

 これ以降はもう、ペルセポリスに走力が残って居なかったと観た。走れないからパスばかりで、それも良く奪われていた。敵5番のサイド選手ネマティがイエロー2枚でレッド、次戦に出られないことになったのが90分頃。良い選手なのでもったいない事甚だしい。鹿島は次戦が一つ楽になったということだ。

 さて、鹿島の玄人受けするようなゲームだったと思う。先ず敵に攻めさせ、走らせてがっちり受ける。予想外に速くて強い敵の寄せ・潰しと、攻撃とだったが、かろうじて失点なしに凌いだ。前半の途中からはサイドチェンジなども大いに使って、さらに敵を走らせていた。そして、後半が進んで走力が落ちて来た頃に2得点した後は、相手ももう疲れて反撃力なしと、そんなゲームと言える。

 日本でも「修羅場の場数が違うし、そういう先輩相手に20前後の若手でさえ修羅場に強く育って来る」と、そんな鹿島のゲームだった。23歳の鈴木が育ったから金崎を出したわけだが、この鈴木優馬がとても良い。自分の得点力はもちろん、パスも出すところではきちんと出すし、防御の潰しもしっかりやると言った、何でもできる選手だ。その点では、相棒のセルジーニョは、パスが下手だと思う。鈴木のゲーム後談話を聞くと、ペルセポリスをどうも見切ったようだ。「セットプレー以外では、放り込みを注意すれば良いだけ。おかしなチームだ」というように。でも、ペルセポリスの潰しは怖いよ! 高い潰しからの得点という、ドルトムント型のチームなのだろうし。
 同じく23歳の三竿も凄く良い。流石に、小笠原、永木を押しのけて出て来た上に、代表の顔にも育ちつつあるお人だけのことはある。なにしろ、鈴木と同じで何があっても動じないようにふるまえるところがよい。DF安西と言い、FWには阿部も出てきたし、このチームの育成手腕はちょっと頭抜けていると感じる。

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ポイチジャパン(11)今日15時、鹿島のACL決勝戦   文科系

2018年11月03日 12時35分25秒 | スポーツ
 ACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)大会というこの闘いは、毎年年末の世界各大陸チャンピオンクラブ大会に向けたアジア代表クラブ決定戦である。同国籍選手たちの代表が戦ういわゆるW杯とは違って、外国人も含めた国代表クラブが日常やっているベストメンバーで戦うから、サッカー特有の攻防連携などチームとしての完成度が最高度に発揮される大会である。個人能力よりもスピードと連携で戦う日本代表クラブは、いわゆるW杯よりも遙かに強くなる理屈だ。15年末の広島、16年末の鹿島は既に南米代表クラブと互角以上に戦っていたし、16年の鹿島が南米代表を負かして、ヨーロッパ代表レアル・マドリッド(スペイン)との決勝戦で90分間は2対2、延長戦になったというのも、サッカー雀の間では、今や有名な話。もはや「ヨーロッパ・サッカーは・・」とか、「南米では・・・」とか、日本人が仰ぎ見るような時代ではなくなっているという、そんな証明になっている闘いと言える。このことについては、16年12月の15日、22日の当ブログ拙稿において、鹿島のレアル戦などを報じた通りである。15年の広島の闘いもここで報告させて頂いている。これらのエントリーは全て、バックナンバーとしてお読み願えるから、よろしければ右欄外の今月分カレンダー下「バックナンバー」欄で、例えば「16年12月」クリックからお入り頂ける。

 本日の決勝戦の一つ前、アジア準決勝戦、鹿島・水原戦は、10月3日に第1レグを、27日に第2レグをやはりここで紹介させていただいた。Jリーグ戦などでは観られない、まー凄まじい闘いであって、終始身体と心とを張り合っていた。これぞ「格闘技・サッカー」の醍醐味。その点ではW杯と同じであり、チーム同士が互いに連携し合ったスピード・ゲームとしては、W杯よりはるかに高度なもの。今夜はいよいよこのアジア決勝戦、鹿島のイラン・ペルセポリス戦に、僕はかぶりつく。

 ニチテレニュース24で2時45分からテレビ放映もある。

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