【訃報】:中曽根元首相、晩年まで期待した憲法改正論議の進展
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:中曽根元首相、晩年まで期待した憲法改正論議の進展
中曽根康弘は首相として戦後第5位の在職日数(1806日)を務め、昭和の政治史に大きな足跡を残した。
くしくも今月20日、安倍晋三首相が憲政史上1位の在職日数を達成した直後の訃報。中曽根氏は、長期政権でなければ実現がなかなか難しい持論の憲法改正の実現に向けて、首相にたびたびエールを送っていた。首相は、哀悼の談話を発表した。
中曽根康弘元首相
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戦後を代表する保守政治家だった中曽根氏は、昭和の政治史にひとつの時代を築いた。在職日数は1806日。戦後第5位ではあるが、実績の中身は濃い。そんな中曽根氏が晩年まで気にかけていたのが、安倍首相が持論とする憲法改正への道のりだった。
中曽根氏は、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」の会長を長年つとめ、毎年5月に都内で開かれる大会であいさつを重ねた。16年の大会では「改憲の実現に挑戦しており、大いに評価し、期待する」と激励。「世論の動向をみれば、改憲の必要性を受け入れつつもちゅうちょがある」と、国民への丁寧な説明の必要性も求めた。今年4月の集会にはメッセージを寄せ「真に国民の手による憲法を制定すべきだ」と。改憲論議の進展に期待を示していた。
中曽根氏が小泉政権で「73歳定年制」による国会議員の引退勧告を受けた際、最後通告を持参した「使者」が、当時自民党幹部だった安倍首相だった。その後、首相は中曽根氏を超える在職日数を更新。2人の間で、憲法改正への思いは共通しているが、同時に憲法改正の議論が国民の間でも賛否が分かれるもの。政策に腰を据えられる長期政権でなければ難しいが、在職日数1位となった安倍首相のもとでも、与野党議論のめどすら立っていない。
首相はこの日、「戦後史の大きな転換点でかじ取り役を果たした。深い悲しみを禁じ得ません。国民とともに心から哀悼の意を表します」と談話を発表した。エルサルバドル大統領との共同記者発表の場では、「憲法改正の必要性を訴えてきた強い思いは、時代を超えて受け継がれる」と述べ、中曽根氏の思いを継ぐ意欲をあらためて示した。
◆中曽根康弘(なかそね・やすひろ)
1918年(大7)5月27日、群馬県高崎市生まれ。東大卒。45年海軍主計少佐で退役。47年4月、当時の民主党から衆院初当選。国民民主党、改進党の結成に参加し55年の保守合同で自民党へ。59年6月、第2次岸内閣で初入閣。82年11月、首相に就任。86年9月に特例として総裁任期が1年延期され、87年11月まで務めた。89年5月にリクルート事件の責任をとり離党したが、91年4月に復党。97年4月に大勲位菊花大綬章を受章した。03年10月政界引退。当選20回。
○…東京・豊島区の中曽根元首相の自宅には供花を届ける車が数台訪れた。関係者が、自宅1階で対応に追われていた。著名人などがこの日、訪れた様子はなく、周辺は静まりかえった。
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・政局・中曽根康弘元首相の死去】 2019年11月29日 22:12:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。