【卓上四季・03.08】:数寄屋橋の物語
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季・03.08】:数寄屋橋の物語
「忘却とは忘れ去ることなり」の名調子で始まるラジオドラマ「君の名は」の舞台となった東京・数寄屋橋交差点。その一角に石碑が建ったのは高度経済成長期の1959年の春だった
▼表にはただ「数寄屋橋 此処(ここ)に ありき 菊田一夫」とある。元は江戸城外郭見附だった橋は五輪開催に向けた高速道路建設であっけなく壊された。移ろう世相への感慨がしのばれよう
▼「君の名は」を書いた劇作家菊田は幼くして身売り同然で引き取られ、奉公を経て上京した。奉公も珍しくない大正時代とはいえ、文学者の神山彰さんは「歯を食いしばる人生」と表現した
▼菊田作品には辛苦に耐え、望みをかなえるという自己投影がある。現実は報われないからこそ「身に沁(し)み込むような強度の思いを庶民の客層に与えた」と「昭和史講義戦後文化篇(へん)」(ちくま新書)に書いた
▼その数寄屋橋に今年変わった建物が誕生した。「Ginza Sony Park」。1階敷地などが外部と隔てのない広場のような空間になっている。収入はアート展示の利用料などだけだ。高層ビルに流行のテナントなどを詰め込む再開発とは異なる
▼菊田の物語は定石の芸道物だが、そうした泣かせる作品の蔑視が演劇のマイナー化を招いたと神山さんはみる。値踏みのできぬ情緒が芝居も経済も回すのかもしれない。
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2025年03月08日 04:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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