たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

石破政権の悪政により薬が供給されなくなる?!

2024年12月29日 16時41分43秒 | 気になるニュースあれこれ

2025年度(令和7年度)薬価中間年改定、費用対効果評価 及び義務的な創薬支援基金に関する共同声明 / Joint Statement on FY2025 Off-Year Drug Price Revision Outcome, Cost-Effectiveness Evaluations and Mandatory Drug Discovery Support Fund | PhRMA – 米国研究製薬工業協会

「本年4月に施行された2024年度(令和6年度)薬価制度改革、7月に創薬エコシステムサミットで提唱された政策目標、来年予定されている官民協議会の計画など、当時の岸田政権は、日本のエコシステムを回復し、ドラッグ・ロスを防止するための重要な第一歩を踏み出しました。私たちは、この前向きな方向転換を歓迎し、政策提案、バイオベンチャー・ファンドその他の投資イニシアチブに着手しました。私たちの会員企業においては、日本での医薬品開発計画を再検討したばかりか、実際に開発を加速させた企業も多くあります。

しかしながら、それからわずか数か月後、石破政権が方針を転換し、2025年度(令和7年度)中間年改定において、革新的医薬品の薬価引下げのルールを拡大したことに、私たちは驚き、深く失望しています。今回の決定により、政府は、特許期間中の新薬のうち43%の製品の薬価を引き下げるとともに、これまでの中間年改定において一度も適用されていない新薬創出等加算の累積額控除といった実勢価格改定と連動しないルールを適用することになります。この予期せぬ決定により、企業の中には、10年以上前から長らく策定してきた綿密な投資回収計画の見直しを迫られ、数百億円もの損失を被る可能性があります。

私たちは、このような事態を招いた透明性の欠如には、非常に落胆しております。私たち医薬品産業界は、2024年度(令和6年度)薬価制度改革がもたらすポジティブな影響について、誠意をもって伝えてまいりましたが、政府は、ステークホルダーとの議論を経ることなく、日本の患者さん、医療制度、経済に悪影響を及ぼすイノベーション阻害の政策を推進してきたとしか思われません。

加えて、厚生労働省は、2026年度(令和8年度)制度改革に向けて、費用対効果評価の拡大の検討を進めることを表明しています。これにより、革新的医薬品の対象品目や価格調整範囲の引下げ幅が拡大する可能性があります。他国での実績が示しているとおり、日本において費用対効果評価を拡大することは、ドラッグ・ロスを悪化させ、研究開発投資を減少させることに繋がります。

さらに、私たちは、最近になって、政府が「創薬支援基金(仮称)」を創設し、新薬創出等加算品目(日本において臨床的に革新的な医薬品として厚生労働省が加算を付与したもの)を有する企業の収益に応じ、課税のような形で強制的に拠出義務を課すことで、開発初期段階のパイプラインを有するスタートアップ企業を支援する意向であることを知りました。私たちは、日本の創薬イノベーション・エコシステムを回復させるために必要な政策改革と組み合わせるのであれば、有望なサイエンスを臨床的に成功する製品に実用化するための任意で自主的な資金調達イニシアチブを常に歓迎してきました。私たちは、市場の魅力を更に低下させることになる当該「創薬支援基金(仮称)」への投資を企業に義務付けることに反対します。活力のある投資環境の創出は、義務・命令によって達成できるものではありません。

今回の決定は、日本が創薬力の低下とドラッグ・ロスを生じさせた道に再び後退させるものです。今年に入り、私たちは、日米欧製薬団体合同調査において、30社中28社が新薬開発や投資意欲を低下させた最も大きな影響を与えた政策として中間年改定を挙げたということをお示ししました。最先端の治療法に対する予見性があり支援的な保険償還の環境がなければ、創薬エコシステムサミットで提案された目標を達成できなくなり、官民協議会の努力も無駄になるでしょう。このため、私たちは、厚生労働省がこの度決定した誤った政策を撤回するまでの間、これらの取組みへの参加を留保することと致しました。」

 

 


【来年も不景気確定】2025年度予算も【ド緊縮】

2024年12月29日 12時10分38秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年12月28日安藤裕チャンネル、

【来年も不景気確定】2025年度予算も【ド緊縮】

次から次へとくりだされる日本政府による日本人への迫害、絶望的すぎて震えがきます。食料品の値段がどんどんあがっていてもガソリン代があがっていても減税にしぶり、自分たちの懐をこやすことしかない悪政に対して、倒幕運動が必要なところまできていると思います。


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-運命のたわむれ

2024年12月29日 00時53分39秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容生活-灰色の朝のモノローグ

「収容所では、個々人の命の価値はとことん貶められた。これは、その状況をみずから体験した人にしかわからないだろう。しかし、そんなことには慣れっこになった者でも、個人の存在が蔑(ないがし)ろにされていることをしたたかに思い知らされるのは、収容所から病気の被収容者が移送される時だった。

 移送と決まった病気の被収容者の瘦せ細った体が、二輪の荷車に無造作に積みあげられた。荷車はほかの被収容者たちによって、何キロも離れたほかの収容所まで、吹雪をついて押していかれた。死んでいてもいっしょに運ばれた。リスト通りでなければならないからだ。リストが至上であって、人間は被収容者番号をもっているかぎりにおいて意味があり、文字通りただの番号なのだった。死んでいるか生きているかは問題ではない。「番号」の「命」はどうでもよかった。番号の背後にあるものなど、これっぽっちも重要ではなかった。ひとりの人間運命も、来歴も、そして名前すら。

 たとえば、わたしが医師としてバイエルン地方のとある収容所から別の収容所につきそった病気の被収容者の移送団には、ひとりの若い仲間がいた。仲間は、兄弟をもといた収容所に置いていかねばならなかった。リストに入っていなかったからだ。仲間は収容所の上官にくどくど嘆願し、上官もついに折れて、土壇場でリストからひとりを外し、代わりにこの仲間の兄弟を入れた。しかし、リストは首尾一貫していなければならない。だが、たやすいことだ。仲間の兄弟が、身代わりに収容所に残ることになった仲間と、被収容者番号も氏名も取り替えればすむ。なぜなら、すでに述べたように、収容所のわたしたちは全員、身元を証明するものをとっくに失っており、とにかく息をしている有機体のほかには、これが自分だと言えるものはなにひとつないこの状況を、だれもがありがたいと思っていたからだ。

 土気(つちげ)色の皮膚をした骸骨同然の人間の身にそなわっているものと言えば、垂れ下がるボロのたぐいでしかなかったが、それすらが収容所に残る者たちの関心の的だった。靴が、あるいはコートが自分のよりまだましかどうか、移送を待つ「ムスリム」たちは、ぎらぎらとしたまなざしの吟味にさらされた。「ムスリム」たちの運命は定まったのだ。けれども、収容所に残る、まだなんとか労働に耐える者たちにとっては、生き延びるチャンスをすこしでも増やすのに役立つものはなんでも歓迎なのだ。感傷的になっている場合ではなかった・・・。

 主体性をもった人間であるという感覚の喪失は、強制収容所の人間は徹頭徹尾、監視兵の気まぐれの対象だと身をもって知るためだけでなく、自分は運命のたわむれの対象なのだと思い知ることによって引き起こされた。ふつう5年、あるいは10年たってはじめて、人生なにが幸いするか禍いするかがわかるものだ-わたしはつねにそう考え、また口にしてもきた。ところが、強制収容所で学んだことは、それに訂正を迫った。禍福が10分、あるいは5分もたたないうちに判明する経験を、わたしたちはいやと言うほどしたのだ。

 アウシュヴィッツにいたころ、わたしはすでにひとつの原則をたてていた。その「妥当性」はすぐに明らかになり、ほとんどの仲間がそれを採用した。つまり、なにかをたずねられたら、おおむねほんとうのことを言う。訊かれないことは黙っている。いくつだ、と訊かれたら、年齢を答える。職業を問われたら、「医師です」と言う。ただし、はっきりと専門を訊いてこなければ、専門医であることは言わないのだ。

アウシュヴィッツで迎えた最初の朝、親衛隊の将校が点呼にやってきた。仲間は、40歳以下はこっちへ、以上は向うへ、と分けられた。さらに、金属加工工と自動車整備工が別にされた。それから、わたしたちはズボンを下ろさせられてヘルニアの有無を検査され、そこでまた数人の仲間がはねられた。

一グループは別の収容棟につれていかれ、そこでまたしても点呼のために整列させられた。」

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、87-88頁より)