たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宝塚はたのしい!

2016年12月23日 22時01分46秒 | 宝塚
 連休二日目。十数年ぶりに宝塚を観劇。梅田芸術劇場で上演された年に一度の宝塚スペシャルを近くの映画館の大画面でみることができるというライブビューイング。大阪に行くのは無理なのでありがたや。日本全国のみならず、台湾と香港にも中継されたそうな。台湾の中国語と広東語でトップスターさんが挨拶されていました。男役のトップスターさんは少しわかるようになりましたが、ほとんどお名前を知らないままの観劇でしたが、楽しめました。浮き世を忘れて非日常的な世界にひたれる宝塚はやっぱり楽しい! 

 20年ぐらい前雪組を中心に、東京宝塚劇場によく通いました。新しくなってからは数回行ったかなあ。朝海ひかるさんがトップで上演された『凱旋門』『デパートメントストア』が最後かな。チケットやら本やらCDやらいろいろと処分してしまいましたが、舞台の想い出は心の引き出しにのこっているので大丈夫、大丈夫。今なら動画でみることができそうですね、そのうちに・・・。

 一番うれしかったのはエリザベートコーナーで轟悠さんの「キッチュ」を聴けたことかな。日本初演から20年目。団員の中にはまだ生まれていなかった人もいるそうな。そりゃそうだよなあ。日本ではじめてルキーニを演じた轟さん。今でもわたしが観劇した中で轟さんのルキーニがいちばんだと思っています。初演の時のインパクトはすごかった。一路さんに高嶺さんに香寿たつきさん、なつかしい雪組時代の轟さんは濃いキャラクターな印象でしたが、年月をへてなんというか研ぎ澄まされましたね。理事になられても変わらない男役の衣装の着こなし。さらにスマートにすっきりときれいに着こなされているようにお見受けしました。轟さんが真ん中に立っている舞台。なんだか嬉しかった。

 エリザベートコーナーは、「キッチュ」に続いて、トップ娘役4人のメドレーで「わたしだけに」、トートとルドルフを男役二人が組んでメドレー(お名前はわからずです)、「最後のダンス」はトートを演じた経験のある明日海りおさんと朝夏まなとさん(最近名前をおぼえました)のメドレー。わたしの中で一路さんと姿月さんのトートがよみがえってきますが、誰がいいとか比べることができないのがエリザベートという作品の楽曲。こんなふうに歌いこなされているんだと思いながら拝聴しました。

 新しい作品の歌は全くわかりませんでしたが、再演されている作品もあるみたいで、耳になじみのある歌だなあと思ったら、「仮面のロマネスク」「激情-ホセとカルメン」のナンバー。懐かしかったし今も歌い継がれているのが嬉しかったです。後半はエリザベートコナーに続いて、寺田瀧雄先生のコーナー。没後17年だそうです。セマニフィーク、タカラヅカオーレ・・・、なつかしの耳になじんだナンバーがいくつもあって嬉しかったなあ。

 懐かしいばっかりじゃなくて、終盤で男役が赤い燕尾服を着こなして歌っているのがわたしには斬新で爽快でした。轟さんとトップスターさんはシルクハット。娘役のトップさんは大きなリボンがついたドレスが素敵で夢の世界。こういうところが幸せ感を運んでくれます。OGコンサートでも歌われる「すみれの花咲くころ」「フォーエバータカラヅカ」。夢の世界につれていってくれる宝塚はこれからも続いていくんでしょうね。時代の流れの中で、新しいものを模索しながら、宝塚にしかできない夢の世界を紡ぎ続けていってほしいなとお思います。男役(女性)が娘役(女性)をリフトできるなんて、たぶん宝塚だけ。女装した男役を男役がリフトしている場面をみてすごいなあと思いました。男役はかっこいいし、娘役は素敵だし、これが宝塚なんだなあ。男役のトップスターさんたち、左の耳に大きなイアリング、左手に指輪もしていておしゃれ。ショーの時はずっとそうだったのかな。大画面でみてはじめて気づきました。しばし日常を忘れた時間。明日のことがよぎってしまうとちょっと緊張しましたけどね、普段能面で過ごしているので、能面でいないとやっていくことができないので笑顔あふれる舞台を大画面で観劇したのは貴重な時間でした。心まで能面になってしまわないためにこういう時間は必要・・・。

 残り4回というところまできましたがまずは明日。最後の土曜出勤。三連休中ですが、わたしも含めて接客業のみなさんは出勤ですね。デパートがクリスマスケーキやらチキンのから揚げやらであふれかえっていてびっくり。なんかこういう正しいクリスマスの過ごし方は、シングルのおばさんには縁がありません。肉が食べられないのでチキンの匂いに吐きそうになりました。売れ残ったケーキは店員が自腹で買い取ったりしないといけないのかな。働く方は大変でしょうね。わたしの明日もたぶん大変。お昼が11時30分からですが、午前中はたぶん声を張り上げ続けることになります。小さな体がすり減っていくような業務内容。事務のはずだったのにふたをあけてみたら完全な接客業。わたしには合いません。お腹でっぱった自分勝手な方とイライラと当たり散らすキイキイ声に我慢するのもあと4回。それで終わります。まずは明日。今日は20度。明日は12度。地下は冷え込んで、あったかいものをのむことはできないのでまた体が冷える辛い一日になることでしょう。これで土曜出勤は終わりです。

 昨日眼科に行ったらわたしの乱視は60度でみている状態だそうな。免許証の字よりもさらに細かい字を見なければならない毎日。見づらいのは当たり前。精神的な緊張感も眼にきているので苦しいのは当たり前。技術が進んでこんな乱視矯正用の使い捨てソフトコンタクトレンズが今はあるんだそう。お取り寄せになるので28日までこのままでいきます。あと少しじゃ、あと少しじゃ。

 25日は『クロスハート』のチケットを当日引き換えで予約しました。六本木の、駅から距離のある行ったことのない劇場にたどり着くだけの気力があるかな。蘭ちゃんシシィを見逃したことを後悔しているので後悔したくないと思って予約しましたがどうでしょう。クリスマスは、苦しい境遇の中で一日一日を必死に生き延びている人たちのために祈りたいと思います。世界中の子供たちが笑顔でいられるようにと祈りたいと思います。特別はことはなにもありません。今わたしにできることに尽力するのみです。

 

『説き語り「源氏物語」』より_あとがき

2016年12月23日 08時57分32秒 | 本あれこれ
 「紫式部は女性の復権を叫んでいる

 平安時代以前、飛鳥、奈良の女性像といえば、私どもは高松塚古墳の壁画や樹下美人図しか知りませんが、その絵の中の女性は、背すじをすっきり伸ばして、髪を上げ、フレアースカートではがらかに立っています。立っているということは動いていることですわね。それは室内ではなく、戸外の明るい太陽を受け、人々の息吹きを感じるということ、つまり″ 社会の中にいる女″という姿で描いてあるわけです。

 それなのに平安時代の絵巻物などでしる女性たちは、動きも自由にならない十二単(ひとえ)に長い髪。そして坐った姿ばかり。ひき目かぎ鼻にしても、不自由なわが身をうつむいて考えている姿ですよ。″ 眺める姿勢″というわけですけど、眺めるというのは高い床の家に坐って庭をみつめて考えているということ。「女ってどうして不幸せなんだろう」、こう考えている姿に変ってくるんです。

 これを花にたとえれば、もっとはっきりするでしょう。飛鳥、奈良の乙女は、花でいえば椿、やぶ椿です。椿は花も葉もつややかに輝いていて、ふっくら、生き生きとしています。素朴な力強さに満ちています。それでいて、”しべ”はつつましやかです。あるいは、桃の花といってもよいでしょう 野性的で力強く、それでいて女らしい桃の花です。

 ところが、平安時代になると、力強さが消えて、河原撫子(かわらなでしこ)になってしまうのです。洗練されてきたかわりに、強さを失い、はかなさ、たよりなさ、かれんさが求められる花になってしまうのです。

 頭のするどい紫式部という作家は、この変化をみつめないではいなかった。といっても絵をみたわけではなく、『万葉集』の中にあらわれる飛鳥、奈良の乙女の生きざまを観察しているわけです。

たとえばあの額田王(ぬかたのおおきみ)の歌、

 あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 
 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る


また、巻一の最初の歌、
 
 籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みぶくし持ち 
 この岡に 菜摘(なつ)ます児(こ)……


など、狩りの場にいる官女であったり、岡で若菜を摘んでいる娘であったり、乙女たちは皆、実に明るい自然の中で、生き生きとした姿で描かれています。

 さて紫式部の周囲をみると、女はうつむいて坐って、家の中に閉じこめられてしまってい
る。

  強さを失い、はかなく、たよりなくなってしまった女たちは、ひとりでは立っていられなくなります。当然のことながら、男に依存しなければ、生きていかれなくなります。そこからどうして自己が生まれ、確立されていきますか。女だって人間なのに、という思いは、ここから発せられたものでしょう。

 わずかの間に遂げたこのような変化を、紫式部の知性は敏感に感じとったのでしょう。何かそこには大きな社会の変化があったのではないかと考えたのですね。

 忘れてならないことの一つに、経済の問題もあります。大地に足をつけて立っていた飛
烏、奈良の乙女たちは、野に出て働いていました 生産に従事していたのです。けれども、
国家の体制が整うにつれ、社会が変わっていくにつれ、上層階級の女たちは、御簾(みす)の 奥深くへ追いやられ、生産とは無縁の生活をすることこなります。

 生産手段をもたないことは、経済的な裏づけを失うことにほかなりません。それはとりもなおさず、男に依存することになります。

 男に依存しなければならない女が、ものをいえなのは、当然すぎることでした 男にとって都合のよい女にしかなれないのです。

 つまり男と女の立っている地平線の高さに違いができてしまった。平等の社会が、男が上位に、女が下位の社会に変ってきたために、男の都合のよい女がつくられることになったというわけです。

 だから紫式部は、”女がつくられたものになっていくことの不幸”を書いたのです。

 ボーヴォワールは『第二の性』の中で、”女はつくられた″といいました。皆びっくりしましたが、私は驚きませんでした。紫式部はそれよりも九百五十年も前に、言葉こそ違え、「女はつくられた。それゆえに不幸なんだ」といっています。


 女だって人間なのだから、あれがいい、これが悪いという意見だってもっています。意
見をもっていれば発言したいのに、女はすべて控え目にして黙って暮らせといわれる。これがいったい人間らしい生活なんだろうか。女も自分で考え、自分で価値判断をして、自分の意見を自由にもち、はっきり自分の口で表明し、態度で表現する自由があってこそ、 人間として生きがいがあるのではないか、と。

 これは女であるがゆえに気がついたことかもしれません。私はこの紫式部の考え方を追求していく意味で、源氏物語を読み、語り続けたいと思っています。


 生産に直接たずさわらないまでも、一条天皇の中宮彰子につかえて、経済的にも自立していた紫式部には、男に依存する女の不幸が、よく見えたのでしょう。


 同時代に生きて、今日に残る作品を残している清少納言、和泉式部もともに中流の自分の基盤をもった”職業婦人”でした。この人たちのように経済的裏づけがあってはじめて、ものが見え、ものがいえたんです。


 時代の空気を敏感に感じとり、これでいいのか、と考えた紫式部が、五十四帖の長い物語の底に流れる意志、つまリテーマにしたことは、ほかならぬ人間復権だったのです。飛鳥、
奈良の乙女のもっていた人間性を、生気を、ほがらかさを、力強さを、女たちにとりもどすことだったと思います。

 けれども、残念ながらやがて時代は武家社会になり、中流女性たちの生活にも男性支配が広がり、女は完全に家庭の内に閉じこめられ、長く自主性を奪われてしまうのです。

  戦後、女性をとりまく社会的条件が変わり、原則として女は男と同じ地平に立つことが出来るようになりました。そして今、紫式部の時代から千年がすぎて、あなた、本当の意味で人間復権してますか。自分自身に問いながら読んでほしいと思いますよ。」


 「人間とは何か-女が女を描く恋愛物語-

 作者の紫式部は、なかなか類型にわけるのが好きな女性です。”うつくし”という言葉で表現される藤壺と紫の上、”はかなし”の夕顔と女三の宮、浮舟、”あはれ”の明石の上 、あさがおの君、玉鬘など、タイブに分けることができます。

 たよりなげで、性的にもろい女というと、夕顔、女三の宮、浮舟と一本の線の上に並びますし、逆に知性と理性を持ち合わせ、自分というものをもっていた女は、空蝉、あさがお、大君と続きます。この女たちを追って気がつくのは、それぞれ時代が進むにつれて、確実に女たちが成長していることです。

 同じように知性をもった女でも、空蝉とあさがおの君をくらべると、あさがおの君は最初から結婚に懐疑的で、だれとも結婚していません。さらにあさがおの君を大君とくらべると、あさがおの君が源氏と主に時候見舞いのやりとりしかしなかったのに対して、大君はもう一歩進んで薫と宗教や人生論をかわし、価値観を共有するところまでいっています。

 たよりなげな女たちにも、同じことがいえます。女三の宮の出家は、現実からの逃避ですが、浮舟の出家は、自分自身をつきつめていった結果でした。出家することによって浮舟は強い女に生まれ変わります。このこともやはり、紫式部の女への期待なんです。

 あらためて、紫式部が女であったということを、かみしめてほしいものです。いうまでもなく、主人公の光源氏は男ですが、登場人物約三百七十人のほとんどが、女です。女が女を描いた文学が、源氏物語なんです。

だからこそ、私もひとりで楽しんだり、考えたりするのではなく、多くの女の人と楽し み、考える方法はないのかしらと考え、読んで語ってきたのです。

 物語が書かれた時代から今日まで、生活環境は大きく変わりました。言葉も変わり、源氏物語がどんどんむずかしくなっているのも事実でしょう。しかし人間の心は、千年の昔も今も少しも変わってはいません。紫式部に見つめられ、分析された源氏物語の登場人物たちの心理は、そのまま今の私たちの心理に通します。千年の昔に人の心が、これほどまで鋭い感性でつかみとられていたのかと思うと、恐しいばかりです。私たち日本の女は、西洋の文芸や哲学にも先がけてすばらしい遺産を持っているわけです。

 これほどにすばらしい遺産が、一部の研究者だけのものであっていいわけがありません。紫式部と同じ女にこそ、日々の暮らしの中で喜び、悩んでいる女性にこそ、親しんでほしい物語です。」

(村山リウ『説き語り「源氏物語」昭和61年5月15日第一刷発行、講談社文庫より。)


 高校生の頃、文学少女だったわたしは、図書館で借りた田辺聖子『新源氏物語』、谷崎純一郎『源氏物語』を読みました。手元にあるのは、村山リウ『源氏物語』三巻。高校生以来読んでいません。今のわたしでゆっくりは無理ですが、読み返してみたいと思います。

説き語り「源氏物語」
村山リウ
講談社