たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

あっという間には終わりません

2016年12月05日 22時32分25秒 | 日記
 今日はわたしの土曜日で、先週の土曜日から三連休でした。また曜日の感覚がおかしくなっています。明日がわたしの月曜日で、明日からぞっとするような、長い5日間連続勤務。先のことは考えるまいぞ。たしか週の後半、自分勝手に吠えまくっている方は連休で不在なのでせめてもの救い。残り22日間。ゴールはみえていますが残念ながらあっという間には終わりません。ほんとにいやな仕事、いやな雰囲気なので心の底からもういいです。ここまできても一日一日でしか考えることができません。午後になってくると顔がひきつっていました、わたし。夕方、1月からのことで確認しておきたいことがあり平日しかできないので、一応現在同業者がいる窓口へ行ったのもよくなかったです。行きたくなくても他に選択肢はない、選ぶことはできないので仕方ありませんが、なんだかやっぱりビミョー。日中ストレスのはけ口にされたようなことがあったんでしょうかね、それとも忙しすぎてお疲れだったんでしょうかね、番号札で呼ばれたので窓口に行ったらすっごい表情がキリキリとなっている女性が出てきていやだなーって思いました。確認事項のためには現在同業者であることを伝えざるを得なかったのですがいやでした。説明がよくわからないので繰り返し質問したらいっそうキリキリとなってきました。こちとらに接遇だの要求してくるわりにはこんなもん。どういう口のきき方をしているんだっていう人、現在の就労場所でも散見されますが、なんというか営利追及の場所にいた自分との隔たりをすっごい感じます。まあこんなもんといえばこんなもんですが、他を知らなさすぎるなーという違和感はあります。人によりけりだし、部門によっても違うようですが、やっぱりなんだかビミョー。一月から大丈夫かなあ。まだ内定だし、今は考えても仕方ないなあ。月半ばまでたどり着いたら考えましょう。タブレット型のパソコンほしいけど、それも月半ばになったらあらためて考えるとしましょう。今は無理。

 今日も階下からはものすごい工事の音。休みの日にストレス。二年前わたしが借りる以前から水漏れは起きていたというのに、そんなことを知らされないまま借りてしまったばっかりにとんだとばっちりの連続。わたしには何の落ち度もなく、全部大家の責任なのに、なんで苦労して家賃払っているわたしがわりくう羽目になっているのか。人からお金をとって貸しているというのにすっごい上から目線で吐き気がします。たくさんもっている人ってこんなもんなのかね。ほんとうは出たいです。でも今は身動き取れず。がんばって、荷物を減らしていくしかありません。昨日はほつれがみえはじめた薄手のタートルネックセーターと黒のカーディガンにお別れ。やはり前職のカイシャの苦労がしみついているもので、これ以上着るのはやめようと決めて思いきりました。ここ3日間で計4枚の断捨離。古い殻がはがれおちていくようなすっきり感ですが、まだまだ終わりません。少しずつ、少しずつ・・・。

 昨日の、清史郎君演じる忠犬パブロの無償の愛を想い出すと涙。自分のことよりも愛すべき人が幸せになってほしいと願う、自分の気持ちに忠実な心優しい生き様にぐっと胸をつかまれました。お写真は先行予約の特典プロマイド。幸せな気持ちになれる笑顔。これで明日からの五日間をなんとかやり過ごすことができるのかな。まずは明日・・・。

 誤字脱字が多すぎる記事の修正をしたいですがまた後日。明日からまた連続グチ日記になると思います。こんなブログへの訪問、ありがとうございました。

 

『就職・就社の構造』より_OLからみた会社_清水ちなみ(3)

2016年12月05日 14時51分20秒 | 本あれこれ
 ●マッハ・ ハヤシ

  隣の会議室から「ハヤシく―ん」と呼ぶ部長の声。ふと見るとハヤシ課長はすでに飛んでいった後だった。 玩具 22 歳)
 
  これを「可笑しい」と思えるのは、出世という階段がOLの前にはないからだろう。おじさんの前にはあるかもしれない。少なくとも本人は「あるかもしれない」と思っている。これが「まったくない」だと、ハヤシ課長は飛んでは行かなかっただろうし、仕事でも無理をしなくなるかもしれない。
  
  会社の中にはガンとした、まるでカースト制度のような身分制度があって、きちんとピラミッド状になっている。上はますます狭くなっているのだけれども「オレにも昇れるかもしれない」という期待を捨てさせないように、システムができている。 もし、上が狭くなっていなかったら、これは「誰でもが社長になれる」なんてことと同じで 、 魅力がなくなってしまう。あくまでも「人より上」 、これが大事だ。
  
   それから、おじさんは、たいがい役職名で呼ばれる。「 マッハ・ ハヤシ 」などのようにあだ名でもつけばまだ救われるが、「課長!」とか「部長!」としか呼ばれないのが通常だ。もし、スズキ課長が異動になって後任にタナベ課長が来たとしても、同じ「課長!」としか呼ばれない 。個人差を認めない。やはり、タナベさんが動くのではなく、課長が動くという意識で ある。課長にさえなれば、課長の権限が与えられる。「スズキさんならではの」とか「スズキさんだからできた」という個人の能力があまり頻繁に登場すると、おじさんがめげちゃうのではないだろうか。
  
  全員が、めげないように、死力を尽くしてがんばるように、「上のポストに来なさい―。そうすれば給料も上がるし、権限もあげるし、いばってもいいのよ―。あなたにもできるのよ―」という、さそい水のようなものだ。 おじさんの全員が、上のポストに上がりたいという希望をもっていてくれないと会社は困るに ちがいない。
  
  希望をなくしてしまった人たちのことをさして、かつて「 窓際族」という言葉があったけれども、最近では、なんと窓際に異変が起こっているのだ。
  
   まず、窓際はいっぱいなのである。が、いわゆるヒマな窓際族でいっぱいなのではなく、最近の会社の机の配置では、たいてい窓を背にしてエラい人が反転し、部下を見張るような位置に机を置いているのが一般的だ。が、会社側がより多くのおじさんに期待を持たせようとするためか、「副部長」だの「部長代理」だの「担当部長」だの、何をするんだかさえもわからない中間管理職の役職を乱発したために、窓際のスペースがなくなってしまったのだ。
  
   それでもなお、どうにかして窓を背に反転したいおじさん達の心を満たすために総務は苦心する。キャビネットをどかしたり、机を横にして押し込んでみたり、壁にそってコの字型に反転をさせたり、部下のいない島をつぐってみたり。入り口の方はスカスカなのだから面積としては入るのだが、それではダメなのである。ピラミッド型のカーストは、おじさんの「 希望」を尊重するあまりビア樽型になってしまった。
  
   おじさんのメンツを満たすために、会社はここまで気を配っている。営業活動における最強の布陣さえ無視し、それよりもおじさん全員に対しての「期待されている(という錯覚)を大事にしていくのである。
  
   くどいようだけれども、営利目的の会社でありながら、日先の「最強の布陣」を無視するなん て、な―んてスゴイのだろうと思う。そうやって育てたおじさんのメンツは、「 実力」ではなく、「男」であって「年とってる」人であれば誰にでも与えられる。どんなボンクラにも希望を持たす。
  
   またここで余談なのだが、ハワイを占領するにあたってアメリカは、「 アメリカはこ―んなに豊かで楽しいぞ」政策をとったそうだ。「いいなァ、アメリカは」ということになる。そうしてハワイではそれまで食べなかったさとうきびなどを栽培するようになり、ハンバーガーを食べるようになり、スリムだったハワイ人は肥満に悩むようになった。
  
   希望を以て人を動かす。なんて巧妙な……と、会社から希望をもらってない我々としてはそう思うのである。 さて、そういうわけで会社はボンクラ、非ボンクラの区別なく、中年男性にまんべんなく希望を与え、運営されている。その影響が現われている例を紹介しようと思う。
  
  『あと十年若かったら何をしてますか』というアンケートを取った時のことだった。OLは、 上司であるおじさんに突撃インタビューをこころみた。
  
   フリーアンサーのアンケートなので、「船頭さんになる」「六本木でジゴロになっている」など、おじさん達はなかなか味のある答えをくれたのだが、ひとつだけ、はからずもかなりの票を集めてしまった、ある答えがあった。つまり、同じようにこう答えた人が信じられないほどたくさんいたのである。
  
 「あと十年若かったら、キミと結婚しているよ」。
  
  こうなってしまったのは、どう考えてもおじさんならではである。若い男性に「十年若かったら」というのも変な話だが、若い人だったらば自分に対して、こうまで晴れやかな自信を持っているハズがない。
  
   だいたい異性に好かれるか嫌われるか、我々の年代では、相手の顔色からしぐさからちょっとしたタイミングから何まで、もう何千分の一秒にさえ気を配り、読み取ろうとしているはずだ。 それが、おじさんの場合、言われた相手が気持ち悪がる可能性をまったく考えていない。どうしてそこまで揺るぎない自信があるのか。おじさんは、「男」であって「年とってる」人であれば誰であってもモテると思っているかのようなのである。
 
  「私が十年若かったらほっとかない」
  「ボクが結婚さえしてなかったら君としただろう」
 
  おじさんはサービスのつもりなのかもしれないが、この根は、セクハラとなって花が咲く。おじさんにこの得体の知れない自信を植え付けたのは会社なんじゃないだろうか。そう思うと、ちょっと会社を恨みたくもなる。
  
              *
  
  さて、これまで私は、 〇Lのことについて「 会社から期待されていない 」とし、おじさんにつ いて「 期待されている」ということにして話をすすめてきた。 私が自覚的に初めてこう考えたのは、実は七年前のことだった。おじさんとOLの関係は、どこを見渡しても「 上司と部下」であり、逆であることはなかった。「上司と部下」というよりもどちらかというと「舅の面倒をみる嫁」に近いような感じだった。

  会牡内において、性差と年齢差がこれだけはっきりしているからこそ、OLは″会社の思想を持ったエラい(つもりの)おじさん″を笑うことができた。OLが会社内で同じ責任を持って、同じ土俵で仕事をするようになれば、両者の間は縮まり、少しはお互いにコミュニケーションをとることができるようになるはずで、でもそれには十年かかるだろうと考えていた。

  実際、ここ1、2年、OLの述べる意見が実にしっかりしていて「 ほう」と唸ることがたびたびあり、世の中の線引は「性差、年齢差」から「社会人とそれ以外」にちょっとズレてたのか、 などと思っていた。
 
  そこへ不景気がやつてきた。
 
  女子大生の就職がきびしくなったことに関しては、企業側の余裕がなくなれば、こうなるのはわかっていたゾという気持ちだ。だいたい初めから、五年も六年も昔から、会社は(一般的に)女性になど期待していない。
  
   が、会社からの使者のように私たちに接していたおじさんまでもが会社から邪険にされ、あれほどおじさんに浸透していた会社の思想は少し崩れたのではないかという気がしている。こうなると、ちょっと笑えない状況になってくる。
  
  会社とおじさんの間、つまり法人と人間の境界に線ができてきたのではないだろうか。このごろのゼネコン汚職の騒動をみているとそう感じるのである。OLには、法人を代表して動いたおじさんの気持ちがわかるらしい。お互い、会社から給料をもらっている身だからだろうか。法人 を代表するということは社名を述べる幸せに通じる。が、その幸せと引き替えに、逮捕されるのは法人ではなくおじさん個人だ。
  
  前に述べたとおり建設業はとても古い体質を持つ 業界で、おじさんとOLの関係は他に比べ、「舅と嫁」度が高い。OLは、上司というよりも、いわば生物としてのおじさんの面倒をみているのである。概して、建設だの銀行だのといった「舅と嫁」度が高い職場の方が、おじさんとOLの関係は和やかな傾向にある。「オレは期待されている」というマジックを解かれ、しゅんとなっている生物としてのおじさんにOLは同情するのである。
  
  たしかに汚職は悪いことで、それをやったおじさんも、それを作った社会も悪い。しかし、頭で考えた正義は往々にして間違うものだと私は思っている。正義は時代によっても変わる。犯罪を犯した上司に対し「悪いことしたから悪い人」だけではなく、そういう現代の正義を通り越した″生物としての味″が残っていてよかったなーと、そっちの方に救いを感じるのである。
  
  会社は、大きくなればなるほど、社員は慇懃無礼になり、いろいろな軋みまでも大量生産する。
  
  実際みていると、小さな会社、一人何役もこなし何でも自分でやらなければいけないような会社の方が職場環境としては格段に楽しそうに見える。法人がどんどん小型化していって、極端な話、ひとりにひとつ会社があるような形であれば、何も問題はないのではないか。そうすれば、朝は八時に始業で昼休みは十二時からでお昼休みは一 時間などという、そういうボンクラを大量に管理するやり方はしなくていいはずだ。
  
  もともと人がつくりあげた「 法人」というものは、我々シモジモの者にとっては、各々が自分の人生に保険を掛けているような性質のものだ。法人を育てることによって安心を得る。が、その法人はちょっと大きくなりすぎて、手におえないほど巨大で不気味でおそろしいものになってしまった。
  
  飼猫に手を噛まれるっていうんだか、まったくどっちに飼われてるんだかわかったもんじゃな いですね。


(『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、125-133頁より引用しています
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就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店