「人の思い出の選択を支配するのは何なのか? 人生は映画館の中に座っているようなものだ。パッ。ここに誕生日にエクレアを食べている子供のわたしがいる。パッ。二年がたち、今度はおばあちゃんの膝の上に座っている。ホイットリーさんの店から到着したばかりのチキンのようにまじめくさってくし刺しにされ、おどけてもうヒステリー状態になりそう。
ちょっと待ってーこの間の長い空白の年月。それはどこに行ったのか? ペール・ギュントの疑問が親しみをもって思い出される。”わたしはどこにいるのか、わたし自身、ありのままのわたし、真実のわたしは?”
わたしたちはありのままの人間を知ることは決してないが、けれどもときには、一瞬のうちに人の真実の姿を知る。わたしは自分自身思うのだが、人の思い出というものは、それ自身取るに足らないと思えるような瞬間瞬間であり、そこにこそその人の内面や最も生き生きとしたその人自身が表れると考える。」
「わたしは生きているのが好き。ときにはひどく絶望し、激しく打ちのめされ、悲しみに引き裂かれることもあったけれど、すべてを通り抜けて、わたしはやはり生きているというのはすばらしいことだったとはっきり心得ている。」
まえがき 1950年4月2日 イラク共和国ニルムッドにて より抜粋。
(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)