たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

自分を病気にすることはできませんでした

2019年10月25日 19時36分15秒 | 日記
 昨夜脳ミソがぐるぐるまわってしまい眠剤半錠では寝つけずさらに半錠のんで2時半ごろには寝つくことができたようです。5時間半ほどの睡眠。通院のため時間給をとりますと連絡して主治医のところへいきました。40分あまり話をしたでしょうか。結果、どうしても無理ならうつ病との診断書をいつでも書くのでもう少しやってみることになりました。これから先のことを考えると苦しくても自分を病気にすることはできませんでした。前職でほんものたちの診断書を何通もみました。自分の母も手帳を取得しなかっただけでほんものだったわけですが2級、3級、なかには1級のほんものたち。ほんものというのは部屋からものがなくなるのでテレビのリモコンを大荷物のなかに入れてもって歩いているレベルということ。人からみればおかしいですが本気でそう訴えてくるレベルのこと。診断書には、○○○により一般的な就労は困難との主治医の見解がかかれています。自分もいつそうなってもおかしくない紙一重、いや誰でも紙一重なのかもしれませんが、診断書によってやむを得ない理由をつくるということは、うつ病により就労継続は困難であると書いてもらうということ。がんばることがすべてじゃないけどできませんでした。これから先、本当に実現できるかどうかわかりませんがもう帰ってくることはないつもりで荷物を整理したらまた郷里を離れて子どものたに援助職をやれないだろうかという気持ちがある。そのためには今自分を病気にすることはできませんでした。

 前職で出会った人たちの多くは、ことば悪いですがどうしようもなかった、ほんの一握りなんとか力になりたい、自分になにができるだろう、一日でも長く生きてほしいと心から願う出会いがあった。だから一年間ふんばった。きつくてきつくて苦しくて苦しくてなんども涙を流したし自分の力不足を責めたこともなんどもありましたが、アルバイトという就労形態ってどうなのよはおいといて、たくさんのことを教えられました。学んだことの数は苦しかったことの数を自分の中で上回っています。今振り返ってみると後悔はありません。また同じことをやりたいかときかれると微妙ですが、自分には必要なことだったと思います。今の業務もそう思える時はくるのでしょうか。全く別ものなのでわかりません。

 今日は3時間勤務。来週は電話当番が二回もあるフル勤務。休むとしたら火曜日しかないです。締め日がすぎて一段落のとき。また月末から月初にかけてどかどかと書類がくるまえのチャンスはここしかありません。3月までで10日あるから使いたい。これをまだ5ヶ月かと思うとげっそり、吐きそうになるので息抜きしながらやれるところまでやるしかないです、今は。

 病院を出たあとお昼は近隣で唯一のカフェではじめてランチ。野菜カレーのセットで1300円ぐらいしたのは高いなあと思いましたがボリュームありおいしかったです。他に選択肢はありません。こんな田舎にしてはコジャレたカフェという感じでしょうか。雨がひどいので出勤するのをやめたい気持ちに駆られましたが締め日のやり残しがあったので行かないわけにはいかずがんばりました。自分に丶(・ω・`) ヨシヨシ、頭なでなで、よくがんばってるよ、えらいよ、自分。

 昨夜妹が遺したディズニーのアルバム三冊の写真を所定の大きなごみ入れにいれました。今朝弟が燃えるごみに出したようです。心の傷みが伴いましたが、妹の思い出は天国の妹のもとへ。それでいいのだと言い聞かせています。写真も結局モノなのでいらないですね、デジタルで十分です。

 日曜日は地域の行事の当番になっているのでわたしはなにもしませんが寝ている部屋を空にして朝早くに出ていかなければなりません。休日にいやですね。その昔母が年中○○があると口にしていた年中行事。ネットで検索してみると自然災害によって亡くなった人たちを弔い神仏に祈りを捧げるための行事らしいですがなんのためにやるのかわかっている人たちはどれぐれいいるんでしょうね。昔は全部家でやっていた行事ですが今はどうせ店にお昼を食べにいくなら最初から全部店でやればいいのに、って思いますがそんなわけにはいかないんでしょうね。世代はかわってきています。下の世代には本来の意味よりもただただ大きなプレッシャーになっているだけ。土着の行事を残していくことが本当に必要なのか、淘汰されれるべきものは淘汰されていけばいいのではないのかと、自分勝手に思う次第。明日はまた断捨離です。

 長くてつらい一週間がまたなんとか過ぎました。お疲れ様でしたね、自分。