たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

明日はまた電話当番

2019年10月27日 23時04分20秒 | 日記
 休み明け、また電話当番。脳みそしびれさせながら、また怒られるかもしれないと思うと緊張します。10月は31日まであるので長いです、木曜日まで10月。ようやく折り返し、通勤不安も含めてどこまでもつのかわかりません。終われば二度とやりたくない業務内容です。今週が終わればまた三連休ですが久しぶりの5日間フル、長い。火曜日休めそうだったら休もうかな。有給休暇使い切ってしまえばそれまで。脳みそふりしぼって吐きそうになりながら5日間フルはつらい。

 実は昨晩4時間睡眠。お昼寝できると思い込んで3時頃帰ってきたらメインイベントは夜とのことで自転車をお供に放浪の旅へ、7時半ごろ帰ってきてもまだイベント中で本日三度目の放浪の旅に出て夜ご飯をすませました。足腰が痛みます。

 一日一日、今は明日のことしか考えない、今週長いなんて考えない、考えない。いつ交通事故にあってもおかしくないので考えない。まずは明日無事に過ぎていきますように・・・。

 無事生き延びていけたとしても旅に出かけられるだけの体力と気力があるのであと10年ぐらいなんだなあとふと気づきました。あと30年生きたって旅には出られません。観劇は20年ぐらいできるかな。やれるときにやれることを、なのだとあらためて思います。旅も観劇も一期一会、一回一回命がけ。人生の時間にはかぎりがあるので命がけ・・・。

宙組『オーシャンズ11』-キキちゃんの笑いは人を幸せにする

2019年10月27日 17時02分31秒 | 宝塚
 キキちゃん(芹香斗亜さん)、男役として今充実の時。『オーシャンズ11』で毎公演、ジョンソン先生のアドリブを工夫し客席も宙組生たちも楽しませていたのは、それができたのは男役としての自信と貫禄があってこそだと思います。直後に舞台上でジョンソン先生の鬘をとり白衣を脱いでスーツ姿になるところが客席からみえました。その切り替えのかっこいいこと、かっこいいこと。今すぐどこかでトップに・・・と思いますが、これからどうなっていくのか心配だし複雑な気持ちがありますが、宙組に異動してのびのびと楽しそうにやっている姿をみているとそんなことは別にいいのかなとも思います。次回の宙組公演、15日で申し込んでいた日帰りバスツアーは人が集まらず中止となってしまいました。他も郷里近郊、あまり集客がよくないみたいですが集まったところはキャンセル待ちもできずでなんだかバランスが悪いです。12月で申し込み直しましたがまだ催行決定までもう少し、またキャンセルの可能性もあり。公演が始まってからの評判で決るかな、締日を考えるときつい日程ですが催行決定となりますように・・・。

 紅ゆずるさんのメモリアルブックを読んでいたら、2016年のキキちゃんとの対談が載っていて、キキちゃんが客席に楽しんでほしいと一生懸命だったのは、紅イズムの継承なのかなと勝手に納得しました。お二人は、星組の『オーシャンズ11』でベネディクトとボディーガードの関係だったんですね。紅さんの大劇場卒業が近付いた時には白い花束を手に観劇したようだから、キキちゃんも慕ってきたのかな。

 キキちゃんはおもしろ王国の住人?! 記事から一部抜粋。


「紅:自分の役や理想だけでなく、キキも組の中の役割とか存在とか居方ってものも考えなきゃいけない立場になったと思うけど、まずは捉われれすぎずというか、解き放ってさ。

芹香:はい。もっと自分自身が楽しんだ方がいいんだろうとお話していて思いました。

紅:だいたい、花組に行ってからちょっとスッとしすぎちゃう? 分かってる? 君はおもしろ王国の住人やねんで?!」

「紅:私がツッコとどんどんボケてくれるやん。そんな人なかなか居ないから。

芹香:さゆみさんには何かしなきゃって思うんです。確かに、組替えしてから何でも拾ってボケようという精神は薄くなっているかも・・・。花組は関西の方も少ないので、ボケてスベったらどうしようと、そこでもビビッてしまうんですよ。

紅:ボケてツッコむまで自分でやればいいやん。

芹香:噛んだ責任もボケた責任も自分で取れと。

紅:そうそう。いや、キキの笑いは、ただ面白いだけじゃなくて、人を幸せにする力を持っているから、それは絶対封印して欲しくないのよ。もっともって出していって花組さんを元気づけてほしい!」

 毎公演違うジョンソン先生の場面を一覧表にした方もいるほど。次はどんなアドリブが繰り出されてくるのか、『オーシャンズ11』観劇の楽しみのひとつでした。キキちゃんのアドリブで幸せになった方はたくさんいると思います。スーツ姿になったとき、とてつもなくカッコイイ、男役としての色気と貫禄と自信にあふれていた、そのギャップがよかったです。

 「人生はギャップよ、ギャップで出来ているのよ、ギャップの法則・・・」(By紅子さん)

 星風まどかちゃんにせまっていく悪いキキちゃん、かっこいいんですよね、真風さん、まどかちゃん、キキちゃんのトライアングル、安定していて充実の時。次回作の役所は謎だらけの人物なのかな、長い手足をのびのびと伸ばして楽しそうに舞台に立つキキちゃんの姿にまた出会えるといいな。


茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_想像力が羽ばたくところ

2019年10月27日 13時38分12秒 | 本あれこれ
「プリンス・エドワード島は、アンにとってまさに「想像の余地」のある場所でした。

 グリーン・ゲイブルズに来て初めて迎えた朝、アンは部屋の窓から外の景色を見渡します。男の子が欲しかったマシューとマリラの家に手違いで引き取られてしまった彼女は、まだこのとき、この家にこのままいられるかどうかわかっていません。これから自分の運命がどうなるかについて不安を抑えきれないものの、窓の外に広がる自然の美しさに次第に喜びが沸き起こってきます。

 アンはひざまずいて、目を喜びに輝かせながら、六月の朝を眺めわたした。
 うわあ、なんてきれい!なんてすてきなところなの!ここにいられないのはわかっているわ。でも、いられるんだって想像すればいいじゃない。ここには、想像力の広がる余地があるもの。

 窓のすぐ外にある大きなサクラの木は、葉が見えないほど花でいっぱい。家の両側にある大きな果樹園では、リンゴの花がやはり満開になっています。足もとには、黄色い星をちりばめたように、タンポポが咲き乱れ、庭には、ライラックが紫色の花をつけて、甘い香りをアンのいる窓まで運んできています。アンは、うっとりとした気持ちで庭を眺め、想像の世界へと旅立っていきます。

 彼女にとってこの島は、まさに「想像力の広がる余地」のある場所。彼女が今まで想像の世界だけで夢見てきたような、美しさに満ち溢れた新しい世界なのです。では、反対に「想像力の広がる余地」のない場所とはどういうところを指すのでしょう。

 それは、彼女がここに来るまで過ごしてきた孤児院での生活です。先ほどのマシューとの出会いのシーンで、彼女はそこでの生活のことも説明しています。

 「一番いやだったのは、孤児院だわ。たったの四ヶ月しかいなかったけど、もうたくさん。孤児院に入ったことがないおじさんには、孤児院で暮らすのがどんなものだか、わからないでしょうね。想像もできないくらいひどいとこよ。
 そんな言い方をするのは悪い子だって、スペンサーのおばさんにいわれたけど、わたしはべつに、悪いことをいうつもりじゃなかったの。気がつかないで悪いことをいっていまうってこと、あるでしょ?孤児院の人たちって、みんないい人なのよ。でも、あそこじゃ、想像力を広げる余地がないのーほかの孤児たちの身の上を考えるほかは」

 たとえば、隣にいる子は本当は身分の高い伯爵令嬢なんだけど、赤ちゃんの頃、鬼のような乳母に連れ去られて、しかもその乳母はそのことを白状しないままに死んでしまったんじゃないかとか、アンは孤児たちの身の上を想像していくつもの物語を作り上げていました。

 けれども、こういった類の「想像力」は、美しいグリーン・ゲイブルズに来て、本心から「ここには、想像力の広がる余地がある」と、喜びに満ちた表情で言うところの「想像力」とは、おそらく種類が違うのです。

 「想像力を広げる余地」のない場所での想像は、アンにとっては心の慰みであって、悲しい現実を直視しないための逃避の手段です。それに比べて、「想像力の広がる余地」のある場所ーそれがアンにとってはプリンス・エドワード島であるわけなのですがーそこでの想像は、未来への希望に満ちた、人生を明るく彩るためのものです。

 この二つの「想像力」を、アンはきちんと使い分けています。そして、その両方が人生において必要であることを理解している。「想像力」というものは、人が生きていく上で、それがつらい現実だろうと美しい現実だろうと、どちらにしろ必要なものであるということを自覚しているのです。

 この小説は、人が想像することの大切さを、アンの口を借りて高らかに宣言した小説でもあるのです。」