星組『霧深きエルベのほとり』-オンデマンド配信で視聴
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4d1eb289745de3abc09d84f1a1d17f9f
星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f75956d9cc8686efaacdd15dd11be9ef
*************
第15場B ハンブルクの酒場プロースト
-祭りの終わり-
カール「あんた、なんて名だったけな」
ヴェロニカ「ヴェロニカ」
カール「ヴェロニカ、あんたを、マルギットって呼んでもいいか」
ヴェロニカ「・・・いいよ、読んでみな。悪い気はしないね」
カール「あんたを、マルギットだと思って、俺いいたいことを言うからな。マルギット、マルギット、俺あ、ほんとうはねえ、お前が好きで好きでたまらねえんだよぉ。お前のためなら死んでもいいと思ってるんだよ。だけどお前には、フロリアンが一番ふさわしい亭主なんだ。幸福(しあわせ)に幸福(しあわせ)に暮らせよ、なあ、幸福(しあわせ)になれよマルギット!幸福(しあわせ)になれマルギット、幸福(しあわせ)になれ、幸福(しあわせ)になれ、幸福(しあわせ)に・・・マルギット・・・マルギット・・・」
カールはヴェロニカの膝に突っ伏して、おいおいと、子どものように声をあげて泣く。
音楽優しく。
************
マルギットの怒りのピアノをシュラック家の窓の外で聴いた後、強がって仲間と「ブラボー「」と酒を飲んでいたカールがヴェロニカには本音をもらしてさめざめと泣く場面、紅カールの真骨頂だと思います。こっちも涙が出てきちゃうよ、ほんといい奴、優しい奴、不器用な生き方しかできなくって愛しい奴。
オンデマンド配信で視聴しているナウオンステージより、
カール・シュナイダーを演じた当時の星組トップスター紅ゆずるさん
菊田一夫先生が宝塚のために書き下ろした作品、
台本を読んだ時、言葉のもつ力が素晴らしいと思った。台本を読んでいるだけで泣ける台本はなかなかない。
菊田先生はどういう思いでこれをかかれたのか。
(作曲の)入江薫先生には音楽学校時代に指導をうけていた、「鴎の歌」を歌ったかもしれない、もっとちゃんときいておけばよかった、今は亡き方々を思うことも大切なこと。
(初演は1963年)、当時かかれたカール・シュナイダー像と今自分が演じるカールとは違うと思う。
カールはとてもしあわせに憧れているという設定でやっている。その時のしあわせとはどういうものなのか。
今わたしたちのしあわせはしあわせに満ちあふれすぎていて、モノがありすぎて、よくわからなかったりする。でも当時のカールは、水夫は何をしあせとするか、なぜ水夫をしているのかというバックボーンを考え続けている、今なお考えても考えても、まだあたっていない未知のお宝が眠っているのではないかと思う深い役。
演じていて毎日大変苦しい。
マルギットと出会い急に恋をしたわけではなく、最初はひっかけたぐらいで、そこから恋におちていく。フロリアンと出会ったりしながら、カールの人格がだんだん明らかになっていく。
結果はヴェロニカが言っているように、最後に悪党ぶって、楽しんでいるみたいだけど本当は繊細でピュアな人だということを芝居で表現するのはすごくむずかしい。その場その場の空気、間を感じながら演じている、お芝居とは?をあらためて考える。
毎回毎回あたかも初めて出会ったかのように演じることを心がけている。
昔を重んじながら今もあらたに進化するということを心にとめてがんばっていきたい。
宝塚歌劇が105周年を迎えた2019年1月の元旦から宝塚大劇場で上演され、3月24日の東京宝塚劇場で千穐楽となった舞台。わずか一年前のことですが、この時から社会は大きくかわりました。コロナとしゃくねつじごくがもたらした心身への影響、生活の変化は計れ知れないほど大きいのかもしれません。個人的に団塊の世代が後期高齢者になった社会は、下の世代が支え切れない、さらにいびつな逆三角形となり希望がみえにくい社会になっていくと思っていますが前倒しになったのかもしれません。納めなくていいよと認めたものを納めた方が将来得ですよとおどすみたいなこと、すでに十分いびつだと思いますが、若い世代にとってさらに生きづらい社会、希望のみえにくい社会になってしまったのかもしれません。
今日またつらいニュース。社会の何を映し出している鏡なのか。いちばん大変なのは自分で選びとったわけではない、下ろすことのできない重すぎるものを背負った生きていかなければならなくなった、血のつながった小さい命、支援の手が今すぐ届きますようにと祈るばかりです。
生き延びていくために、帝国劇場の『ローマの休日』のチケット東宝ナビで当選したし、その前に東京宝塚劇場でのぞコンも当選したし、今日は月組宝塚大劇場千穐楽のライブビューイングの先行抽選にエントリーしました。劇場には希望の明りが灯っています。
こんな日、痛々しいまでに「他人の幸福(しあわせ)を思う」紅カールのやさしさが心に沁みわたります。『FLYING SAPA』で社会への挑戦を試みた上田久美子先生が潤色・演出した作品。これも今の全人類に届けたい。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4d1eb289745de3abc09d84f1a1d17f9f
星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f75956d9cc8686efaacdd15dd11be9ef
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第15場B ハンブルクの酒場プロースト
-祭りの終わり-
カール「あんた、なんて名だったけな」
ヴェロニカ「ヴェロニカ」
カール「ヴェロニカ、あんたを、マルギットって呼んでもいいか」
ヴェロニカ「・・・いいよ、読んでみな。悪い気はしないね」
カール「あんたを、マルギットだと思って、俺いいたいことを言うからな。マルギット、マルギット、俺あ、ほんとうはねえ、お前が好きで好きでたまらねえんだよぉ。お前のためなら死んでもいいと思ってるんだよ。だけどお前には、フロリアンが一番ふさわしい亭主なんだ。幸福(しあわせ)に幸福(しあわせ)に暮らせよ、なあ、幸福(しあわせ)になれよマルギット!幸福(しあわせ)になれマルギット、幸福(しあわせ)になれ、幸福(しあわせ)になれ、幸福(しあわせ)に・・・マルギット・・・マルギット・・・」
カールはヴェロニカの膝に突っ伏して、おいおいと、子どものように声をあげて泣く。
音楽優しく。
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マルギットの怒りのピアノをシュラック家の窓の外で聴いた後、強がって仲間と「ブラボー「」と酒を飲んでいたカールがヴェロニカには本音をもらしてさめざめと泣く場面、紅カールの真骨頂だと思います。こっちも涙が出てきちゃうよ、ほんといい奴、優しい奴、不器用な生き方しかできなくって愛しい奴。
オンデマンド配信で視聴しているナウオンステージより、
カール・シュナイダーを演じた当時の星組トップスター紅ゆずるさん
菊田一夫先生が宝塚のために書き下ろした作品、
台本を読んだ時、言葉のもつ力が素晴らしいと思った。台本を読んでいるだけで泣ける台本はなかなかない。
菊田先生はどういう思いでこれをかかれたのか。
(作曲の)入江薫先生には音楽学校時代に指導をうけていた、「鴎の歌」を歌ったかもしれない、もっとちゃんときいておけばよかった、今は亡き方々を思うことも大切なこと。
(初演は1963年)、当時かかれたカール・シュナイダー像と今自分が演じるカールとは違うと思う。
カールはとてもしあわせに憧れているという設定でやっている。その時のしあわせとはどういうものなのか。
今わたしたちのしあわせはしあわせに満ちあふれすぎていて、モノがありすぎて、よくわからなかったりする。でも当時のカールは、水夫は何をしあせとするか、なぜ水夫をしているのかというバックボーンを考え続けている、今なお考えても考えても、まだあたっていない未知のお宝が眠っているのではないかと思う深い役。
演じていて毎日大変苦しい。
マルギットと出会い急に恋をしたわけではなく、最初はひっかけたぐらいで、そこから恋におちていく。フロリアンと出会ったりしながら、カールの人格がだんだん明らかになっていく。
結果はヴェロニカが言っているように、最後に悪党ぶって、楽しんでいるみたいだけど本当は繊細でピュアな人だということを芝居で表現するのはすごくむずかしい。その場その場の空気、間を感じながら演じている、お芝居とは?をあらためて考える。
毎回毎回あたかも初めて出会ったかのように演じることを心がけている。
昔を重んじながら今もあらたに進化するということを心にとめてがんばっていきたい。
宝塚歌劇が105周年を迎えた2019年1月の元旦から宝塚大劇場で上演され、3月24日の東京宝塚劇場で千穐楽となった舞台。わずか一年前のことですが、この時から社会は大きくかわりました。コロナとしゃくねつじごくがもたらした心身への影響、生活の変化は計れ知れないほど大きいのかもしれません。個人的に団塊の世代が後期高齢者になった社会は、下の世代が支え切れない、さらにいびつな逆三角形となり希望がみえにくい社会になっていくと思っていますが前倒しになったのかもしれません。納めなくていいよと認めたものを納めた方が将来得ですよとおどすみたいなこと、すでに十分いびつだと思いますが、若い世代にとってさらに生きづらい社会、希望のみえにくい社会になってしまったのかもしれません。
今日またつらいニュース。社会の何を映し出している鏡なのか。いちばん大変なのは自分で選びとったわけではない、下ろすことのできない重すぎるものを背負った生きていかなければならなくなった、血のつながった小さい命、支援の手が今すぐ届きますようにと祈るばかりです。
生き延びていくために、帝国劇場の『ローマの休日』のチケット東宝ナビで当選したし、その前に東京宝塚劇場でのぞコンも当選したし、今日は月組宝塚大劇場千穐楽のライブビューイングの先行抽選にエントリーしました。劇場には希望の明りが灯っています。
こんな日、痛々しいまでに「他人の幸福(しあわせ)を思う」紅カールのやさしさが心に沁みわたります。『FLYING SAPA』で社会への挑戦を試みた上田久美子先生が潤色・演出した作品。これも今の全人類に届けたい。