たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「理屈で考えれば、道理が見えてくる」

2022年01月19日 14時24分40秒 | 気になるニュースあれこれ
2020年6月9日付THE21ONLINEより

「過剰なほど周囲に気をつかってしまう…「STAY HOME」が招く“恐怖中毒症” 名越康文(精神科医)」

https://shuchi.php.co.jp/the21/detail/7660?p=1

「『STAY HOME』の目的は、人との接触を避けて感染拡大のリスクを減らすことであって、家にいることはあくまで手段でしかない。ところがいつしか手段が目的化し、『絶対に家にいなければならない』と皆が考えるようになった。そして、買い物などの必要な外出であっても、家から出ることに罪悪感を覚えるようになりました。

「日本人には、無意識レベルでつい周囲に合わせてしまう過剰適応な人が多いと思います。『人に迷惑をかけてはいけない』と教育されてきたので、他人の要求に応えることを優先する。ここまでは世界に誇る美徳だと思うのですが、要求に応えられないことをなんでも自分が悪いと感じ取るようになると、これはまさに過剰適応です」

新型コロナウイルスに対する恐怖心も、心理的負担を増大させている。

「人々は今、『恐怖依存症』とでも呼ぶべき心理状態です。ネガティブな情報が次々に入ってきて、怯えた状態が定常になっている。そして、『まだまだ恐いことが起こっているかもしれないから、もっと新型コロナのことを知らなければ』と思い、ひたすらネガティブな情報を脳に入れ続ける。まさに中毒状態です。

「新型コロナウイルスに関する情報の中には、実はポジティブなものもたくさんあります。

ところが恐怖依存症になった人は、同じ情報を見ても頭に入らない。『いや、そんなはずはない。もっと恐いことが起こるはずだ』と否定し、恐怖を与える情報ばかりを追いかけます。そして新たなネガティブ情報が入ってくると、ちょっと安心する。『やっぱりまだまだ恐いことはあるんだ』と確認できたことで、むしろ心が安定するわけです。

「理屈で考えれば、道理が見えてくる。僕はそう思います。例えば、新型コロナウイルスによる死者の割合について考えてみましょう。

欧州で特に被害が大きいイタリアの死者数は約3万人です(取材は5月中旬に行なった)。イタリアの人口は約6000万人。よって、人口当たりの死亡率は0.05%です。

もし日本での死亡率がイタリアと同じだったら、どうなるか。日本の人口を1億2000万人とすると、死亡率が0.05%なら6万人は亡くなっている計算になります。ところが、この時点での日本の死者数は約700人。つまり、イタリアのほぼ100分の1の水準です。

感染が始まった時期が異なるにせよ、これだけ死者数を抑えられているのは奇跡的ですよ。理屈で考えれば道理が見えると言ったのは、こういう意味です。

恐怖依存症になるかならないかは、学歴や知識の量とはどうやら関係ありません。インテリや知識人と言われる人でも、恐怖の情報しか信頼できず、自分も恐怖の情報しか発信しない人がたくさんいる。勉強ができれば物事を理屈で考えられるわけではないということです」

自分が恐怖に依存していることに気づかなければ、そこから抜け出すこともできない。まずは自分の今の心の状態に気づくことが、変わるための第一歩となる。

「人間なんてもともと無力ですよ。人間は歳を取り、老化して衰え、やがて死ぬ。その運命には誰も逆らえない。今回のような危機のときだけ無力なのではなく、我々はずっと諸行無常の世界で生きているのです。

これからも僕たちの人生には、難局が次々と訪れるでしょう。だからこそ皆さんには『自分の人生の主人になる』という意識を持ち、毎日を大切にして、力強く豊かに過ごしていただきたい。心からそう願っています」」




花組『金色の砂漠』-オンデマンドで視聴

2022年01月19日 01時22分23秒 | 宝塚
いやしのキキベー
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/866ad1182aaef80cacbe08dcae5acc3a

花組『金色の砂漠』_ライブビューイング
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0ab5704e4ba26162c9532c1299724f44


 しばらく前のことですが、オンデマンド配信の花組特集で『金色の砂漠』を視聴しました。2017年2月、宝塚に戻ってきたばかりでジェンヌさんたちの名前を認識できないまま、ライブビューイングをみたときの衝撃は忘れられません。冒頭の、砂漠で行き倒れる人の影、演じていたのはちなつさんと仙名さんでした。ウエクミ先生の演出の凄まじさよ。

 みりおちゃんと花乃まりあちゃん、ギィとタルハーミネのことは当時の観劇録に書いたので、愛憎劇とは対照的に互いを思いやる姿が沁みたキキちゃんとべーちゃん、ジャーとビルマーヤのことを、それぞれの愛称でおさらい。なんどみても涙、心が浄められます。

 王女たちの結婚相手をみつけるため異国の王子たちを招いたパーティーでビルマーヤのべーちゃんとコラーズのたそがお見合いをする場面、弓で鳥を射止めそこなった汗っかきのたそが、ビルマーヤの奴隷であるジャーのキキちゃんに弓を渡すと、わざと鳥を射止めそこなうキキちゃんをみつめるべーちゃんの瞳、アップで映し出された瞳の表情が物語る戸惑いと優しさと切なさ。たそが飲み物をとりにいくと、

キキちゃん「優しい人ですね」

べーちゃん「あなたも」「さっきわざと矢をそらした」

キキちゃん「本当に失敗したんです」

べーちゃん「弓は得意だったじゃない、子どもの頃から。あの方の顔をたててあげたのね」

キキちゃん「あの、汗っかきさんと結婚するんですか」

べーちゃん「本当に好きな人と結ばれないならだれでも同じこと」

キキちゃん「あなたが好きです」

べーちゃん「コラーズさんはきっとあなたにも優しくしてくれる、わたしはあなたを危ない目にあわせたくない」

 キキちゃんを守るためにたそと結婚するべーちゃん。

 ちなつさんに殺された先代の王の忘れ形見とわかったみりおちゃん(兄)とキキちゃん(弟)、花乃まりあちゃんに復讐を誓い、盗賊の首領となっていくみりおちゃんに対して、べーちゃんのいるお城を離れることができなかったキキちゃん、

べーちゃん、跪くキキちゃんをそっと抱き寄せて、
「どこかにいってしまったと思った、婚礼の日から」

キキちゃん、べーちゃんをそっと離して「誇りにかけてあなたの元から去ろうと思った、あなたが他の人のものなるのはみまいと、もう奴隷などではいないと一度は思った、なのにあなたをおいていく覚悟ができなかった、誇りもないみじめな男だ」

べーちゃん「帰ってこなければ死んでしまうと思っていた」、キキちゃんの手をとって「わたしはあなたがいるから生きているのよ」

キキちゃん「これからはこの話をするのはやめましょう」「最後に言います、あなたを愛しています、いつまでも」

 たそはべーちゃんがキキちゃんを守るために、自分と結婚したことに気づいていたのだろうか。たそのいい人なおじさんも沁みます。

 ちなつさんを倒すため、王族の城へと攻めてきたみりおちゃん、たそとべーちゃんを守るためにみりおちゃんと戦うキキちゃん、キキちゃんがみりおちゃんに斬られそうになると、たそがキキちゃんをかばい命を落とします。王族が奴隷の身代わりとなるという壮絶な場面。たその究極の愛情表現だったのか。

みりおちゃん
「久しぶりだな弟よ」
「お前を殺したくはない」
「何故だ、何故奴らを守る、何故一族の仇を討たない?」

キキちゃん「憎しみより、いまは大切なものがあるのだ」

 ちなつさんがみりおちゃんに倒され、みりおちゃんが王となったことで奴隷ではなくなったキキちゃん、

べーちゃん「あなたはもう自由の身よ」

キキちゃん「僕はあなたと行きます」

べーちゃん「イスファハンデアールがあなたは王族として残ってよいと言ったのを知っていますよ」

キキちゃん
「ゴラーズさんが亡くなって、危険な砂漠の旅で誰があなたを助けるのですか」「ゴラーズさんを愛しているんでしょ。僕の心も昔と同じじゃない。僕たちの恋は時間をかけて家族のようないたわりに変わってしまった。僕はビルマーヤという妹を守る。兄のような恋がうらやましい」

 王位に就いた祝の宴が行なわれる日に姿を消したとみりおちゃんとまりあちゃんを思うキキちゃん、

「兄さん、タルハーミネさま、あなたたちはどこへ行ってしまった」

「僕はいつか他の誰かを愛して幸せになるだろう」

「金色の砂漠はみつかったか、母さんの歌っていた場所は?」

「タルハーミネさま、兄さん」

 キキちゃんが袖に入ると、音くり寿ちゃんの美しいカゲソロと共に物語はエンディング(となったかにみえました)。フィナーレではキキちゃんとべーちゃんが組んで踊っていて涙、べーちゃんの少女時代をひっとんが、仙名さんの若き日を華ちゃんが演じているなど、今だから気づくことも。みりおちゃんに倒されるちなつさんの役柄の幅の広さにもあらためて脱帽です。月組のロマンス劇場、友の会で当たるといいな。ちなつさんが二番手の大羽根背負う美しい姿をみなければ・・・。



 宙組OG花音舞さんのインスタライブでの話、日本物と洋物の二本立てのとき、幕間の30分でお化粧を落として、着物をたたんで、お風呂に入って、またお化粧をして衣装を着て、舞台に立つ。大変といえば大変だけど、命がけでやっていると。