アガサ・クリスティー『愛の重さ』-第二部シャーリー-第三章より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/97093cd119163d1243459d581e311782
「ルウェリン・ノックスはホテルの窓の鎧戸を開けはなって、かぐわしい夜気を部屋に迎えいれていた。眼下には町の明りがきらめき、さらにその向こうに波止場の灯がまたたいている。
ルウェリンは、ここ数週間感じたことのない寛ぎと平和が心を満たすのを覚えていた。もしかしたらこの島で、自分はしばしば歩みを止め、自己を再吟味し、将来について考えることができるかもしれない。今後の生活のパターンは、輪郭だけははっきりしていたが、細部は依然としてぼやけていた。苦悩とむなしさ、そして疲労-その一時期は今や彼の背後にあった。もう少ししたらーおそらく日ならずして、彼は人生の新しいスタートを切ることができるかもしれない。市井の人の単純な地味な生活、それをルウェリンはこれから始めようとしているのだった。不利な点といえばただ一つ、40歳という年齢で、それをはじめることだったが。
彼は振り返って、部屋の中を見回した。無駄のまったくない簡素なしつらえだが、いかにも清潔なのが快かった。顔と手を洗い、わずかな持ちものを鞄から出すと、部屋を出て階段を二つくだった。ロビーの片隅の机の後ろにクラークが一人いて、何かかきものをしている。ちょっと目をあげて、遠慮がちにルウェリンを見やったが、とくに関心も好奇心も示さず、すぐまた仕事に注意をもどした。
回転ドアを押して、ルウェリンは街路におり立った。空気は暖かく湿り気をおび、よい香りがした。
熱帯地方特有のどこか異国的なけだるさは、ここには感じられなかった。それは心身の緊張を解きほぐすのにもってこいの暖かさだった。文明世界の気ぜわしいテンポは、遠く置きざりにされていた。この島では、人はあたかも、ひと昔前の日々を歩んでいるかのようだった。その時代には、人間はすべてにもっと余裕をもっていた。よく考え、急がず慌てず、しかし、つねにさだかな目標を見つめて歩んでいた。この島にも貧困は存在するだろう。苦痛も、肉体のさまざまな疾病もないとはいえない。しかし、より高度の文明につきまとう神経障害、熱っぽい性急さ、あすについての思い煩いは見られなかった。職業婦人の余裕のない表情、子どもの将来にすべてを賭ける母親の思いつめた目つき、自分と自分の家族が人生の戦いの敗残者にならないように、たえず苦闘している実業家の灰色の顔、より安楽なあすの生活、あるいは単に現在の暮らしを維持するためにあくせくしている、大衆の疲れた不安げな顔ーそうしたすべては、今ルウェリンの傍らを通りすぎて行く人々の中には見出されなかった。彼らはたいてい、彼の顔をちらりと眺めるだけで通りすぎて行った。礼儀正しい目ざしで彼を外国人と見てとり、すぐまた目をそむけ、おのおのの歩みを続けて行く。ゆったりと、落ち着いた足どりであった。夕方の散策であろうか、たとえ行く先をきめて歩いているにしても、心せく様子は見られなかった。今日果たせない用事には、あすという日がある。待ち人がこなければ、もう少し待つだけのことだ。腹を立てる者とていないのだから。」
(アガサ・クリスティー、中村妙子訳『愛の重さ』早川書房、昭和62年4月30日第七刷、195-196頁より)
→続く
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「ルウェリン・ノックスはホテルの窓の鎧戸を開けはなって、かぐわしい夜気を部屋に迎えいれていた。眼下には町の明りがきらめき、さらにその向こうに波止場の灯がまたたいている。
ルウェリンは、ここ数週間感じたことのない寛ぎと平和が心を満たすのを覚えていた。もしかしたらこの島で、自分はしばしば歩みを止め、自己を再吟味し、将来について考えることができるかもしれない。今後の生活のパターンは、輪郭だけははっきりしていたが、細部は依然としてぼやけていた。苦悩とむなしさ、そして疲労-その一時期は今や彼の背後にあった。もう少ししたらーおそらく日ならずして、彼は人生の新しいスタートを切ることができるかもしれない。市井の人の単純な地味な生活、それをルウェリンはこれから始めようとしているのだった。不利な点といえばただ一つ、40歳という年齢で、それをはじめることだったが。
彼は振り返って、部屋の中を見回した。無駄のまったくない簡素なしつらえだが、いかにも清潔なのが快かった。顔と手を洗い、わずかな持ちものを鞄から出すと、部屋を出て階段を二つくだった。ロビーの片隅の机の後ろにクラークが一人いて、何かかきものをしている。ちょっと目をあげて、遠慮がちにルウェリンを見やったが、とくに関心も好奇心も示さず、すぐまた仕事に注意をもどした。
回転ドアを押して、ルウェリンは街路におり立った。空気は暖かく湿り気をおび、よい香りがした。
熱帯地方特有のどこか異国的なけだるさは、ここには感じられなかった。それは心身の緊張を解きほぐすのにもってこいの暖かさだった。文明世界の気ぜわしいテンポは、遠く置きざりにされていた。この島では、人はあたかも、ひと昔前の日々を歩んでいるかのようだった。その時代には、人間はすべてにもっと余裕をもっていた。よく考え、急がず慌てず、しかし、つねにさだかな目標を見つめて歩んでいた。この島にも貧困は存在するだろう。苦痛も、肉体のさまざまな疾病もないとはいえない。しかし、より高度の文明につきまとう神経障害、熱っぽい性急さ、あすについての思い煩いは見られなかった。職業婦人の余裕のない表情、子どもの将来にすべてを賭ける母親の思いつめた目つき、自分と自分の家族が人生の戦いの敗残者にならないように、たえず苦闘している実業家の灰色の顔、より安楽なあすの生活、あるいは単に現在の暮らしを維持するためにあくせくしている、大衆の疲れた不安げな顔ーそうしたすべては、今ルウェリンの傍らを通りすぎて行く人々の中には見出されなかった。彼らはたいてい、彼の顔をちらりと眺めるだけで通りすぎて行った。礼儀正しい目ざしで彼を外国人と見てとり、すぐまた目をそむけ、おのおのの歩みを続けて行く。ゆったりと、落ち着いた足どりであった。夕方の散策であろうか、たとえ行く先をきめて歩いているにしても、心せく様子は見られなかった。今日果たせない用事には、あすという日がある。待ち人がこなければ、もう少し待つだけのことだ。腹を立てる者とていないのだから。」
(アガサ・クリスティー、中村妙子訳『愛の重さ』早川書房、昭和62年4月30日第七刷、195-196頁より)
→続く