たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

政府は国民の命を守ろうとしているのでしょうか?

2022年11月14日 16時31分36秒 | 気になるニュースあれこれ
https://twitter.com/molbio08/status/1591916938820976640より、

日本でも医療従事者に深刻な被害が出ていることが早くからわかっていました。医療従事者がまさに身をもって結果を出していたのです。この段階(昨年6月)では接種後の死亡者は196名です。既に報告されている死亡者累計が1900名を超えました。未報告分を含めるとさらに数は増えるでしょう。



接種したカナダの医師の死亡例が増加していくmRNA型生物製剤。認定接種死亡者が10名になっても廃棄mRNA型生物製剤は研究者に供与されず。副反応発生と接種後遺症のメカニズムを解明することが治療につながることは明らかです。政府は国民の命を守ろうとしているのでしょうか?

mRNA型生物製剤は異物であるスパイクタンパク質を脂質ナノ粒子によって体内に届け正常な細胞で発現するのが基本的な仕組み。スパイクそのものが毒性を持つ上にスパイク発現細胞が免疫システムに殺傷される。初めから懸念だらけの方法でした。死亡者認定が増えつつある今、接種を中止すべきなのです。

mRNA型生物製剤と私がよぶ理由。これがワクチンではないことを明らかにするため。異物で毒物であるスパイクタンパク質を細胞内で産生したらどうなるかわかっていたはず。実際にこのことは医療従事者対象の接種初期にデータで示されていた。それが無視されて大薬害に。まだ接種を継続しているのはなぜ?



https://twitter.com/takavet1/status/1591629129929347073
より、

国民の税金なのに、明らかに余分な数買って、お金をかけて捨てる。その代金も廃棄数も全部秘密で許される。国内ならまだしも海外に金が流れる。そのお金があれば、新規産業興したり、教育や福祉にお金をかけたり、年金資金にしたり、色々できるのに。無念ですよ。みんな良く平気で居られるなあと思う。




https://twitter.com/partyhike/status/1590955163287982080
より、


『日本のコロナ感染、再び世界最多』

自殺者が8千人増え、出生数が24万人減り、総額300兆円を浪費するぐらい、日本人が感染対策を頑張って、ワクチンを打ちまくって、いつでもどこでもマスクを着用した結果、またまた感染者数が世界一になりましたとさ。


『マルテの手記』より(3)

2022年11月14日 11時14分31秒 | 本あれこれ
『マルテの手記』より(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/598134fce8ffec419af81880b5c48988


「僕は図書館にすわって詩人の作品を読んでいる。広間には多くの人がすわっているが、ほとんどそれを感じさせないほど静かである。だれも本に読みふけっている。ときどきここかしかでページを捲る人が、夢から夢へ移るときに寝がえりをするように身動きをするのみである。ああ、読書をしている人々にかこまれているのは、なんと快いことだろう。なぜみんなはいつもこのように静かにしていないのだろう。だれかに近づいて、そっと彼にふれても、彼はすこしもそれに気づかない。立ち上がるときに隣の者に軽くふれ、それをわびると、彼はすこしもそれに気づかない。立ち上がるときに隣の者に軽くふれ、それをわびると、彼はこちらの声が聞こえたほうへうなづき、振り返るが、こちらの姿は目にはいらないし、その髪は眠っている者の髪の感じである。これはなんと快いことだろう。僕はそういう人々のあいだにすわって、詩人の作品を読んでいる。なんというまわり合わせだろう。この広間にはたぶん三百人ほどの人々がいっしょに本を読んでいるが、そのだれもが詩人の本を読んでいるとはとうてい考えられない。詩人は三百人はいないからである。それだのにどうだろう、この人々のなかでおそらく最も貧しく、この国の者でもない僕が、詩人の作品を読んでいるのである。僕は貧しいのに。そして、毎日着ている服は生地があちこち傷み始め、靴も完全とはいえなのに。しかし、僕のカラーは清潔で、肌着もよごれてはいないし、僕はこのままでどんな喫茶店、目ぬきの遊歩道の一流喫茶店へもはいって、この手をだれにも気がねをせずに菓子皿へのばし、菓子をとりだすことができるだろう。だれもそれを怪しまないだろうし、どなって追い出そうともしないだろう。僕の手はすくなくとも良家の子弟らしい手であって、毎日四回か五回は洗っている手である。爪のあいだに垢がたまってはいないし、右の人差し指にインキもついてはいない。ことにふしぶしが清潔である。貧しい人々はそんなすみずみまでを注意して洗わない。ほんとうにそういう人々もいる。商人がその一例である。しかし、たとえばサン・ミッシェル通りやラシーヌ街には僕の手にだまされなくて、清潔なふしぶしを笑う人種がいる。彼らは僕を一目見て、すべてを感づいてしまう。僕がほんとうはかれらの同類であって、すこし芝居をしているのだろうということを。謝肉祭なんだから。そして、かれらは僕の芝居をこわすまいとする。すこしにやにやして、僕に目くばせをするだけである。だれもそれを見た者はいない。それに、かれらは僕を紳士のように扱ってくれる。ことにだれかが近づくと、僕にぺこべこさえしてくれる。僕が毛皮の外套を着て、うしろから僕の自家用馬車が従って来るかのようにうやうやしくする。僕はときどき小銭を施してやるが、それをつき返されはしないかと内心びくびくする。しかし、かれはそれを黙って受け取ってくれる。これですこしにやにやとしたり目くばせをしたりしなかったら申し分がないだろう。かれらは何者であろう。僕になんの用事があるのだろう。僕を待っているのだろうか。僕のどういうところで感づくのだろうか。僕はひげの手入れをすこし怠っていることは確かである。あの敗残者たちの老衰したあせたひげは、見るたびに印象を与えるが、僕のひげも、まだほんのすこしではあるが、そういうひげを連想させるようになった。しかし、ひげの手入れを怠ってならないことはないだろう。仕事に忙殺されていてひげの手入れを怠っている人々があるが、だれもそのためにその人々をさっそく敗残者に数えたりはしない。あの人々がただの乞食ではなく、敗残者に数えたりはしない。あの人々がただの乞食ではなくて、敗残者であることは、僕にもよくわかっている。いや、かれらはほんとうは乞食ではない。これははっきりと区別しなくてはならない。あれは人生が吐き出した滓(かす)、人生のくずである。人生が吐き出したときの唾(つば)がまだ付着していて、その唾で壁に、街灯に、広告塔にへばりつき、または裏路を下水のようにのろのろと徘徊して、黒いきたない条痕(じょうこん)を残して行く。たとえばあの老婆がぼくになんの用事があったのだろう。すこしばかりのボタンと針とを入れたサイドテーブルの引き出しを一つかかえて、どこかの塒(ねぐら)から出て来たらしいあの老婆は、なぜ僕に付きまとい、僕の顔をまじまじと見つめたのだろう。ただれた目で僕を見破ろうとするかのようであった。病人の体内から流れ出た膿汁(うみじる)を吐きかけたようにただれた目であった。そして、いつかの胡麻塩の髪をした小さな女は、なぜあの飾り窓で僕の横に十五分間も立って、長い古びた鉛筆を僕の前へつき出していたのだろう。その鉛筆は、女の握りしめたきたない指のあいだからひどくゆるゆると押し出された。僕は飾り窓の陳列品に見入っていてなにも気づかないふりをしていた。しかしその女は、僕が彼女に気づいていることも知っていたし、僕が彼女がいったいなにをしているのかを立ちながら考えていたことも知っていた。鉛筆が問題でないことは僕にもわかっていた。それがなにかの合図であること、仲間のあいだの合図であること、敗残者だけにわかっている合図であることが感じられた。僕はその女が僕にどこどこへ行けとか、なになにをせよとかを合図しているのだということが漠然とわかった。そして、なによりも不思議なことは、僕がその合図の意味するある秘密の申し合わせにおぼえがあって、その場面は僕が予期しなければならなかった場面であるような気持ちをたえず禁じられなかったことである。

 これは二週間前のことであった。しかし、このごろではそういう人間にあわない日がほとんど一日もない。日暮れどきばかりではなく、白昼の雑踏した街上でも、小さな男か老婆が不意に現れて、僕にうなづいて見せ、なにかを示し、それで役目が終わったかのように姿を消してしまうのである。今に僕の部屋まで押しかけて来ることを思いつくだろう。僕がどこに住んでいるかももう知っているにちがいない。門番にとがめられずに通ることぐらいは朝飯前だろう。しかし、君たち、僕がこの図書館にいるかぎり僕は君たちにつかまる心配はない。ここへはいるには特定の入場券が必要なのだ。君たちが持っていないその入場券を、僕は持っているのだ。僕は街路をお察しのとおりいくぶんびくびくしながら歩いて、ついにあるガラス戸の前へ来て、家へ帰ったように扉をあけて、つぎのドアの前で入場券を示し、そして僕はこの本にとりまかれ、あの世の人間のように君たちの手のとどかなくなり、安心してすわって詩人の作品を読んでいる。」


(リルケ著・望月市恵訳『マルテの手記』1946年1月20日第1刷発行、岩波文庫、41-43頁より)




アナフィラキシーショックではない→訂正されました

2022年11月14日 00時05分33秒 | 気になるニュースあれこれ
アナフィラキシーショックではない
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c2bf4884011545d354e624935eab7825


https://twitter.com/fseiichizb4/status/1591805343583305728より、

「訂正いたします
 アナフィラキシーショックではない、と書いたことは訂正します

 アナフィラキシーショックを契機にして致死性不整脈きたして泡吹くこと(肺水腫)があるよう
 です。」