たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

患者の会メッセージ-【全国有志医師の会】STOP!乳幼児・子どものコロナワクチン 緊急記者会見より

2022年11月24日 20時26分39秒 | 気になるニュースあれこれ
「新型コロナワクチン後遺症」患者の会HP

https://vaccinesosjapan.wixsite.com/website/post/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E8%A8%98%E8%80%85%E4%BC%9A%E8%A6%8B%E3%80%8C%E7%94%9F%E5%BE%8C6%E3%83%B5%E6%9C%88-4%E6%AD%B3%E4%BB%A5%E4%B8%8B%E3%81%AE%E4%B9%B3%E5%B9%BC%E5%85%90%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E6%8E%A5%E7%A8%AE%E3%80%8Dより、

昨年の令和3年の暮れ、12月24日に、
ワクチンの健康被害における治療法・社会的処遇のなどの改善を求めて
私たちは発足しました。
あれから約1年が経とうとしています。
ご存知の通り、政府はこの健康被害に目を瞑り続けています。

その結果、治療法の研究は未だ開始される予兆もなく、
根本的な治療というものは、今も尚、存在していません。

政府や自治体によって安易に勧められているこのワクチンですが、
自分の体に健康被害が起きても、体内に入れてしまった薬剤は取り出せません。
身体がどんなに苦しくなってしまっても、治療法がありません。
助けてほしくて、接種券に同封されているコールセンターに電話しても、
病院にさえ繋いで貰えません。
そして、用意されている「救済制度」というものは、決して、治療法を紹介してくれる制度ではありません。

薬害がそういうものであったことを、私たちは自分自身の経験をもって知りました。
取返しの付かないことになる。
政府はそのようなものであることを伏せて、このワクチンは、今なお、軽々しく推し進められています。



接種が進むごとに、新たな被害の声が報告されています。
1回目2回目が大丈夫であったのに、追加接種で被害に遭われた方、
1回目2回目で大変な目に遭っているのに、それでも追加接種を行って、取返しの付かないことになってしまわれた方。
少なくとも後者においては、このリスクについての情報があれば「追加接種を行わない」という選択も出来たのではないでしょうか。

また、病院は、病気を治してくれる場所だと思っていました。
ワクチン後の体調不良は、検査の結果に出ない奇異な症状が多くて、
結果に出なければ何の薬も処方して貰えない、治療もして貰えないまま帰されてしまう、ということを、多くの患者が経験しています。私自身もその一人でした。

また、病院で「ワクチン後である」と伝えただけで、診療を断られたり、嫌味を言われたり、つらい思いをした患者の報告も非常に多く上がっています。

政府も世の中も、この健康被害に対する「治療」という救済から目を背けている現状で、
私たちのように健康被害が起きてしまったら、どうなるのか。
今一度立ち止まって考えてみてほしいです。

国にも助けて貰えない、病院にも助けて貰えない。

この症状がどうしたら治るのかも分からない。
今後その体とどう付き合っていくか、その現実を突きつけられます。

このようなことが、今現実に、この日本で起きています。

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ここで、今回、患者の会会員の方々から、被害の現状のメッセージを頂いておりますので
読み上げさせていただきます。


(Tさん)
ワクチン後遺症になり1年8ヶ月が経ちました。左顔面麻痺と歩行障害、筋肉の痙攣、慢性疲労が今もなお残っています。


(Hさん)
もともと病気の治療をしておりましたが2年かけての減薬の末で治療も終了でき、
その1ヶ月後というタイミングでワクチン接種しました。その結果、リウマチ性多発筋痛症が再発してしまい、血圧上昇、足の浮腫み、などが起こりました。最悪の選択をしたと思っています。


(Sさん)
接種後にアナフィラキシーが発生し、翌日から胸痛、胃痛、息切れ動悸、頻脈、高血圧、全身倦怠感、筋肉や関節の痛みが発生し、しばらくこの症状に苦しみました。

現在も、ふらつき、疲労感、関節や筋肉の痛み、目・耳・皮膚などの異常やリンパの腫れ、不明熱といった多くの症状に、1年以上も苦しんでいます。


(Tさん)
接種数秒後に血の気がサーッと引いて倒れた後、血圧が190まで急上昇しました。1年5ヶ月が経過するのに、倦怠感と心臓の違和感、不正脈、動悸などの症状で、今もなお、社会復帰できていません。


(Mさん)
接種当日から動悸や心臓痛が発生し、以降、脱毛・手足の痺れ・脱力・重度の倦怠感を発症し、1か月半程寝たきりが続きました。

ワクチン接種直後から明らかな体調不良があったため、このワクチンについては安全性に疑問を感じています。


(Yさん)
ワクチン接種を境に、頭痛、呼吸困難、手足の痺れ、胸痛などが続きました。

私は未就学児の親ですが、子どもには絶対に打たせません。


(ご遺族のTさん)
母はファイザー2回目の接種後、急速に体調が悪化し、悪性リンパ腫から卵巣癌に転移しました。半年で骨と皮だけに変わり果て、亡くなってしまいました。


(Mさん)
ファイザー1回目の接種翌日から、1年以上現在も寝たきりで家から外に出られません。

子育ても仕事も生活も何もかも、人生がめちゃくちゃになってしまいました。

高校教師で1年以上休職中です。もうすぐ職を失います。病院も14件たらい回しに遭いました。

市役所も認めてくれません。


(Iさん)
私は41歳の主婦です。接種から1年3ヶ月するのに、今も色々な症状で苦しんでいます。

狭心症になり何度も死にかけました。ワクチン中止を求めます。


(Hさん)
接種会場からの帰宅時に、喉リンパに違和感を覚えてから、3か月以上咳が続き、内科と耳鼻科だけで5件も病院を周りました。ロットは、死者の報告が3名もあり、金属混入で回収され、今なお恐怖を感じています。


(Tさん)
ファイザー2回目接種後から、腰、右肩、左ひざ、肩の痛みが発生し、整形外科でのリハビリを通じて良くなってきたため3回目を接種した結果、激痛が戻ってしまいました。

7か月も改善せず別の病院にて検査を受けた結果、炎症が長引いた為に断裂が大きくなったとの事で手術することになってしまいました。


(Kさん)
ワクチン接種をしたその日から、指一本動かすことさえしんどい程のだるさと、相手の言ったことが解らないブレインフォグと呼ばれている症状で、普通の生活を完全に失ってしまいました。


以上が、患者の会に寄せられた、患者自身の生の声です。


https://twitter.com/molbio08/status/1595509328773251072より、

「この記者会見を反ワクチンの記者会見と見るか反mRNA型生物製剤の会見と見るかが今後の人生の重大な分岐点。反ワクチンと一蹴する方は覚醒のきっかけを失うでしょう。この医師の方たちは自分に利益がないのになぜ活動しているのでしょうか?被害者の方たちが訴えているのはなぜ。よく考えてみましょう。」

2014年『キトラ古墳壁画展』-その2

2022年11月24日 13時57分43秒 | 美術館めぐり
2014年『キトラ古墳壁画展』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e11ba29da448539c72ab2ec36b6ef31b

 宙組『HIGH&LOW』、宝塚のオリジナルキャラクターである苦邪(クジャク)組は中国マフィアのイメージ、役名は中国の神話からきていると『歌劇』9月号にあります。ボスのリンは麒麟から、そして苦邪組四天王はGEN(玄武)、SUZAKU(朱雀)、バイフー(白虎)、ロン(青龍)、とのこと。

 読んだ時すぐに上野の『キトラ古墳壁画展』を思い出しました。展示場を入ると正面に「キトラ古墳壁画複製陶板」が展示されていました。中に立って3面が鑑賞できるようになっていて、見づらかったですが獣が描かれていることを確認しました。どういう死生観が込められているのかと不思議な心持ちになったことを思い出します。

 
 朱雀;キトラ古墳壁画 南壁 四紳

 白虎;キトラ古墳壁画 西壁 四紳

 玄武;キトラ古墳壁画 北壁 四紳


会場におかれていた朝日新聞の別刷りより。

 「キトラ古墳とは、7世紀末~8世紀初めに築かれた直径14m、高さ約3.3mの円噴。石室の四方の壁に中国の神獣・四神(青竜・白虎・玄武・朱雀)、動物の顔と人間の身体を持つ十二支像、天井に天文図が描かれていたが、保存のために取り外された。被葬者については天武天皇の皇子や大臣クラスの豪族、朝鮮半島から亡命してきた百済王家の人物などの説がある。」

「込められた 陰陽五行説-

 四紳や十二支にはどんな思想が込められているのか。来村多加史(きたむらたかし)・阪南大教授(考古学)は「墓室の棺を納める部分は四角い大地、天井部分は天を表現する。天の目盛りが二十八宿の星座、地の目盛りが四紳(ししん)に代表される二十四方位で、それをサポートするのが十二支。こうした中国思想『陰陽五行説』が表されている」と説明。玄武が起点を定め、朱雀が先導し、青竜と白虎に挟まれて被葬者の魂が昇天する、というイメージを語った。

 青柳(青柳正規文化庁長官)さんは「描かれているのは当時の東アジアで最新の宇宙観。恐らく被葬者が生前に『自分の墓に描いて欲しい』と言い残したのでは」と推測した。



 被葬者について来村さんは、同じく四紳が描かれた高松塚古墳の壁画からこう推測した。高松塚の男子像が持つ四角い傘は緑色。718年に制定された養老律令では皇太子らの傘は紫、その下の「一位」の臣下が緑とされている。高松塚古墳に一位以下の臣下が葬られたなら、よく似たキトラ古墳も同様ではないかー。

 壁画が描かれた7世紀後半~8世紀初め、東アジアは激動していた。松村(松村恵司奈良文化財研究所長)さんは「唐に敗れて660年に百済、668円に高句麗が滅亡。日本も663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた。百済や高句麗から日本に亡命した人々が石室に壁画を描く風習を伝えたのでは」と推測。来村さんは「高松塚、キトラ両古墳の壁画は唐の壁画を実際に見ていないと描けない」として、669年の遣唐使とともに帰国した画師(えし)の黄文連本実(きぶみのむらじほんじつ)を作者の最有力候補に挙げた。」