たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル・コメディ『キス・ミー・ケイト』より_古い話でごめんなさい

2020年03月22日 16時57分54秒 | ミュージカル・舞台・映画
(公演プログラムより)

「本日はボルチモアのフォード劇場へお越しくださり、ありがとうございます。
少々うんちく話にお付き合いください。

ミュージカル・コメディ『キス・ミー・ケイト』、その劇中劇であり、作品のアイディアの源となった『じゃじゃ馬ならし』はウィリアム・シェイクスピアの若き日の作品です。1594年ごろに書かれたとされています。今でもシェイクスピアのお芝居は大人気なのですが、実はこの『じゃじゃ馬ならし』に関しては上演の機会が減っているのです。

じゃじゃ馬娘カタリーナの財産目当てで結婚し、「じゃじゃ馬ならし」を賭けの対象にする主役ペトルーチオは、とにかく強引。夫への服従を教え込もうと、ロボの背から泥道に突き落とし、食べ物にケチをつけて食事の機会を奪い、わめき倒して安眠をも妨害します。膨大なセリフの掛け合い、エネルギッシュな演技はシェイクスピアの醍醐味であり、とても魅力的です。しかし、今日の視点で見ると、DV(ドメスティック・ヴァイオレンス)夫の物語、女性蔑視ではないかと非難の矢が飛んできます。

原典『じゃじゃ馬ならし』の結末のシーンでカタリーナは貞淑な妻に変身を遂げるのですが、その亭主関白礼賛ぶりが唐突に思えるのです。カタリーナの勝気な性格は結婚によって消えてしまったのでしょうか。
劇作家バーナード・ショウもこの結末に不満だったようで、そのあめに1912年に戯曲『ピグマリオン』(ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作)を書いたという説もあります。『マイ・フェア・レディ』のイライザは自分から言葉のなまりを直すためにヒギンズ教授を訪ねます。教育されて美しいレディに成長するだけではなく、治世も磨かれてゆきます。

さて、1948年、夫婦合作の脚本作家スピワック夫妻により、『じゃじゃ馬ならし』はミュージカル・コメディ『キス・ミー・ケイト』として新たな生命を吹き込まれます。離婚して1年のもと夫婦の俳優が演じる『劇中劇じゃじゃ馬ならし』という設定です。主役兼演出家兼プロデューサーのフレッドが小さな楽屋で我慢しているのに、リリーは劇場で一番快適な楽屋を提供されている。ケンカ、後悔、和解、いい雰囲気、ちょっとのことでまたケンカ・・・男と女は、本音と建て前の繰り返し。一筋縄ではいかぬ力関係のねじれと、シェイクスピア劇にはよくある「早とちり・単なる人違い」から引き起こる事件が舞台上と舞台裏、小気味よく同時進行で進んでいきます。もちろん、結末のシーンもシェイクスピアの原典を少しアレンジしてあります。
随所にショウ・ビジネス賛歌を盛り込んだコール・ポーターの作詞・作曲も素晴らしく、大ヒット。1949年のトニー賞「最優秀ミュージカル作品賞」が新たに設けられ、『キス・ミー・ケイト』は栄えある第1回目の栄誉を受け、ブロードウェイ・ミュージカル史に残る名作となりました。1966年東京宝塚劇場にて日本初演。フレッド(ペトルーチオ)役は宝田明、リリー(カタリーナ)役は江利チエミという配役でした。

元をたどればシェイクスピアにさかのぼる、ミュージカルの超古典ともいえる『キス・ミー・ケイト』。古さを感じさせないのは、ショウ・ビジネスの世界を描いているからではないでしょうか。芝居つくりは昔も今も究極のハンドメイド。そしてこれから先も「ショウ・マスト・ゴウ・オン」の精神は永遠に引き継がれていくことでしょう。」

2018年7月7日(日)、池袋芸術劇場プレイハウスにて観劇しました。
いっちゃんのファンクラブ先行予約でかなりの前方席でした。





小林一三翁、全ての舞台をお守りください。


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