たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

春のプリンス・エドワード島への旅_2日目

2017年10月12日 17時52分41秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月7日(月)

くもり、あまり眠れないまま9時にアン・ツアー、スタート。
キャベンディッシュに向かう。

ケンジントン駅舎跡、フレンチ・リバー、モンゴメリさんの生家、
銀の森屋敷、再びPamキャンベルさんにお会いした。
嬉しいことを伝えたいのに英語がおぼつかなくて悔しい。
でも抱きしめてくれた。PEIの人なつっこい笑顔に触れてとがっていた心がやわらかく溶け始めていくような・・・。
PEIにまた来たのだという喜びが湧き上がってくる。
輝く湖水もフレンチ・リバーも昨年の7月とはまた違う表情をみせてくれる。

プリンス・エドワード島プリザーブカンパニーでお昼のロブスターをいただいた後、ニュー・ロンドン地区を抜けてキャベンディッシュへ。
キャベンディッシュ・ビーチ、教会、郵便局、そしてモンゴメリさんのお墓、グリーン・ゲイブルズを再び訪れる。

ツアー解散後、(キンドレット・スピリットで)少し休んで荷物の整理をした後、グリーン・ゲイブルズを再び見学。陽射しは柔らかく、日本の12月頃の気候で寒い。モンゴメリさんのお墓の花壇の花もこれから整えられようとしているところだった。去年見ているせいか、一つ一つがより心に残り、ああこうだったなと思い出し始める。

グリーン・ゲイブルズから恋人たちの小径、バルサム・ホロウ・トレイルを散策、ゆっくり歩いて40分ほど。なんだか緑が輝くように美しく、瑞々しい。眠いが変なストレスでキュッキュッとよじれていた脳味噌がやすらいでいく心地。体の底から気持ちいい感じ。
去年は恋人たちの小径を歩いていなかったんだな。トレイルにはアンの好きな小川が流れていた。

再びグリーン・ゲイブルズへ戻ってから、今度は去年と同様、ホンテッド・トレイルを歩いてモンゴメリさんの住居跡へ。前日の雨のせいで足元がかなり濡れてくる。
リンゴの木が少しばかり花が残っており、モンゴメリさんの息づかいが今も宿っているようで立ち去りがたい。
何度も何度もモンゴメリさんも眺めていたであろう木々たちの間を行ったり来たりする。
雲の流れが早い。晴れ間が顔を出すので、木々が輝くように美しく、枝と枝の間から青空に色んな形の雲が浮かんでいるのをいくつも写真におさめる。
立ち去りがたい。

モンゴメリさんが歩いたのと同じ赤土の小道をたどる。
足元からエネルギーが湧き上がってくるようだ。
家の跡がだんだんみえてくる道すがらも去年の7月とは景色が違っていて、春タンポポの綿毛が一面に広がっていた。
なんとも穏やかで輝くような時間。心が静かに溶けているような心地だった。

キャベンディッシュ・ビーチに夜も来る気になっていた。
だが、7時を過ぎたあたりだろうか、雨。靴はどんどん濡れてきてぐちゃぐちゃ。
それでもあきらめ切れず、部屋で食事をした後、海辺まで足を延ばしたが海は荒れていた。
赤土に打ちつける波は荒々しく、こわいぐらいだった。
誰もいないと本当に寂しい。赤い土の断崖も不気味に感じられる。
長い冬の寒い夜、電灯もない時代、暗い中でこんな海鳴りをきいたモンゴメリさんは、さぞ恐ろしかったであろうと想像する。
橙色の夢のようなサンセットを見ることができなかったのは本当に残念。次の課題だ。
これで満足して二度と来なくなってしまってはいけない、とモンゴメリさんが呼んでくれたと思うことにしよう。

雨にけむるグリーン・ゲイブルズもまた風情がある。写真におさめて、ぐちゃぐちゃの足で宿に戻る。可愛い部屋を汚くしてしまった。
夜はティー・パーティ。眠れていないし、頭が回っておらず英語が聞きとれない。
全く出てこない。情けない。

やはり眠れず、目がさめたりしてなかなかきつくなってくる。
直前まで必死で仕事をして、疲れたまま来ている身には応える。更年期障害の始まった身に過酷なことをしたのかなと思う。乳房が痛むが生理はこない。
それでも私の表情は穏やかになり、幸せな顔に変わっていたようだ。
PEIは私の心を幸せにしてくれる。足元からエネルギーをくれる。

今これを書いているのは(帰りの)トロントの空港、現実が戻ってくる。
なんとなく気持ちがキュッとなってくる。束の間の夢をみていたような気がする。

キンドレット・スピリット・カントリーイン泊。
寒いので、ガンガン暖房を入れて、眠れないが横になった。
換気扇がないせいか、湿気を感じる。もう一泊ぐらい・・・と思えるのがちょうどよかったかな。」


長文なので2回に分けるつもりが一気に書いてしまいました。
どこまでも穏やかで幸せだった時間が体のなかによみがってきました。
試練の連続、心の中にあるたくさんの幸せの引き出し、明日海りおさんのことばを借りれば
「心の点滴」がたくさんあるから、妹の分まで生きるのが私の役割なんだという想いがあるから、どうにかこうにかこうして生き延びている日々。明日は気温がぐんと下がり、しかも雨の予報。いちばん寒い時間帯に面接、きついね。大丈夫、大丈夫・・・。


チェンネルの写真の整理がようやく進んできました。
日付順に整理していないので見づらくて申し訳ないですがお時間と興味がありましたら
ご覧ください。コメントもつけれるといいですが今はそこまで手が回らず。少しずつ、少しずつ・・・。

http://blog.goo.ne.jp/photo/288907?fm=entry


フレンチ・リバーから一枚。




お昼にいただいたロブスター。
たぶん日本人の観光客向けに小さく食べやすくなっていました。
地元に人が入る普通のお店でロブスターを注文したら、大きくって大変、大変。




ニュー・ロンドンにあるモンゴメリさんの生家。



モンゴメリさんが生れた部屋。



キャベンディッシュの海岸。お昼に訪れたときはまだ穏やかでした。


『続々・地雷ではなく花をください』

2017年10月11日 20時05分41秒 | 本あれこれ
 秋なのに急に真夏に戻った10月、昨夜は舞台の余韻の絵の具がいろいろに自分の中で混ざり合あい、かつて自分を責め続けたわたしがいたことを想い出したりしたこともあってか、久しぶりに寝つけませんでした。結局2時間ほどの睡眠のまま、部屋にはいると窒息しそう、部屋でしかやれないことがたくさんあるなれど、午後はまた放浪の旅にでました。歩いたので今日はよく眠れるかな・・・。

 昨夜いきおいにまかせて長々と書いた観劇日記にいくつも間違いがあったので今朝修正しました。わたしの中でヨハンという名前が勝手に出てきたのは、最近『アンデルセンの生涯』を読んだからかな。読んだ下さった方、失礼しました。あれやこれやと想い出されることがまだまだあるのでまた書きたいと思います。物語の中で、明日海さん演じるクリスと仙名さん演じるミアとの関係性の中に、うまく盛り込まれていた『続々・地雷ではなく花をください』という葉祥明さんが絵を描かれた絵本。ミアがロンドンの図書館でこの絵本を借りようとしたものの不法就労しようとした移民で、日本でいえば住民票にあたるような住民登録を証明するものがないために借りられず、たまたま居合わせたクリスが自分のカードで代わりに借りるというかたちで登場。明日海さんが朗読する場面もありました。さらにはクリスがミアに贈りたいと用意したクリスマス・プレゼントが、サニーちゃんのぬいぐるみというさりげなさ。幕間にグッズと絵本が販売されていたし、募金箱もあったので終演後に募金だけでもしたいと思ったら、お手洗いをすませた時はすでにクローズでした。そりゃそうか。別のかたちで自分にできることをやれればと思います。アルファ波をもっている明日海さんの声で聴いた朗読、沁みました。

 5月19日に葉祥明美術館を訪れた記事も、よろしかったらお読みください。「赤毛のアン」の原画展最終日ということで訪れたのですが、心に留まったのは2階の常設展示の『地雷ではなく花をください』他、葉祥明さんがこんな絵本を描かれるようになっていたのかと驚いた作品たちでした。


http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/preview?   eid=b28beb40d0bba0211b07aa08159226fe&&t=44447589959ddebac79065?0.837378408307561



 ひとり、連絡と面接の日時を待つ辛抱の時間、かなりきつくなってきています。昨日舞台からやさしくもらった心のエネルギーでなんとか乗り切っていきたいです。ほんとやさしく、心がきれいになるような想いの舞台でした。


追記)ファ〇マのイートインでパソコンを立ち上げていますが、俺仕事してます的なサラリーマンの電話がいやでもきこえてきていて吐き気しそう。わたしが会社で働く人になることはもう二度とありえないのだとあらためて感じているしだい。

続々・地雷ではなく花をください―サニー ボスニア・ヘルツェゴビナへ
柳瀬 房子
自由国民社

花組『ハンナのお花屋さん』_やさしい物語でした

2017年10月10日 22時51分49秒 | 宝塚


 10月10日(火)、15時30分開演の花組公演『ハンナのお花屋さん』を観劇してきました。赤坂ACTシアターには矢車草の花束を手にしたやさしい表情の明日海りおさんがいっぱい。演じるのはデンマーク出身のフラワーアーティスト、クリス・ヨハンソン。矢車草、「アンデルセンの人魚姫の瞳と同じ色」(クリスと仙名彩世さん演じる少女ミアのことば)。最近たまたま山室静著『アンデルセンの生涯』という本を読んだし、5月に葉祥明美術館を訪れて『地雷ではなく花をください』という本があるのを知ったし、自死遺族だし、13年間働いた会社で売り上げの数字数字数字に振り回されリスクを背負わされ続けて疲弊した挙句使い捨てにされ、さらには金と権力にモノいわせた会社側の弁護士という猛獣にずたずたにされたところからここまで立ち直ってきて、これからどう生きていけばいいんだろうって模索しているわたしにとってタイムリーな物語でした。

 舞台は開演前の幕も心と目にやさしい色合いで、鳥のさえずりと水のせせらぎの音が流れていました。お姿はみえませんでしたが小劇場なのに生オケという贅沢さ。運よくチケットをとれたことに心から感謝。大変な仕事をしてきてからこそのささやかな有給休暇みたいなお休み時間、また大変な仕事をしようとしているんだし、こういう時間は必要。いいんだよ、わたし。物語はリリカルで、押しつけがましくなくメッセージ性がもりこまれていて秀逸でした。日本人にはわかりにくい多民族が暮らすヨーロッパ大陸の民族間の対立、戦争の傷跡、移民、難民、そこに経営者と労働者の対立を上手く絡ませて、『地雷ではなく花をください』のメッセージもさりげなくとりいれた物語が、ホームページ・ブログ・チャットという現代のツールをうまく使い、映像も利用して展開していきました。相変わらず細すぎて心配ですが黒いパンツに青いジャケットのスーツ姿、パソコンをみるときのメガネ姿、大手デパートに出店すれば一戸建も夢じゃないで登場する高級車の前のサングラス姿、お花屋さんのエプロン姿、ジーパン姿、黒いネクタイに黒いスーツ姿(喪服かな?)、セーター姿、色々な表情とお衣装の可愛くイケメンな明日海さんに会えるし、登場人物ひとりひとりの人生の物語があるしっかりとした脚本。お花屋さんと明日海さん、デンマークからここまでイメージがひろがる植田景子先生の感性・創造力と花組のみなさんの体現ぶりがすばらしいです。

 フィナーレにダンスがあるのでほっとできるのは宝塚ならでは。お衣装の模様がなんていうのかわかりませんが、すごくかわいかったです。大劇場ではやれない、こんな作品を観劇したのは久しぶり。10数年前は時々、日本青年館に行ってました。一路さん、高嶺さん、姿月さん、和央さん、香寿さん主演の舞台、みてましたがすっかりごぶさたでした。ライブビューイングのチケットもゲットして大正解。この世にいる間の楽しみ。

 あんまり書くとネタばれになりますが、芹香斗亜さん演じるクリスの父アベルが、倒産しようとしている会社を立て直すために、この仕事はおれにしかできないんだと自負し誇りをもって仕事をしてきた一人の工場労働者が労働条件をのめないと真っ向から意見すると「会社を立て直すためなら手段を選ばない」と解雇し、解雇された労働者が恨みからアベルが経営する造船所に放火したために、クリスの母であり愛するハンナを死なせてしまったことを悔やみ、「取り返しのつかないことをしてしまった、この罪はずっと背負っていかなければならない」とうずくまって泣き崩れる姿に、弟を地雷によって失くしたというミアの「失われたいのちは二度と戻らない」ということばに、妹が突然逝ってしまったあと己を責め続けた自分の姿が重なりました。クロアチアから居場所を求めてロンドンまでやってきたミアに対する、「都会は居場所のない人間の集まり」というクリスのことばにも、「やさしくされるとこわれてしまいそうだから」というミアことばにも自分の姿がかさなりました。一幕で涙でした。

 クリスが繰り上げで賞をとると第二の人気フラワーアーティストを育ててがっぽがっぽと儲けようとするMr.エディントンの、大手デパートへの出店の誘いを断り、故郷のデンマークの母ハンナと暮らした森の、父アベルの別荘だった家を買い戻して自然の中で暮らしながら、インターネットを利用しつつ、人の役に立ちたいとフェアトレードというあらたな仕事を展開していくことを決意するクリスと、後押しするお花屋さんのマネジメント担当で親友のジェフ(瀬戸かずやさん)も店員もご近所さんもクリスのおじさん(高翔みず希さん)もやさしい。瀬戸かずやさんのビジネスマンスーツのきこなしのかっこいいこと、かっこいいこと。

 そしていちばん素敵なカップルは父アベルと母ハンナ(舞空瞳さん)かな。物語のキーパーソン。クリスの店の名前は母ハンナの名前。店先の少女の人形はハンナかな。アベルがひとめでハンナに恋してしまったことにものすごく説得力がありました。二人が心を通わせる場面の可愛いこと、可愛いこと。ハンナは現実には存在しないであろう可愛らしさと清らかさをもった永遠の少女(少年時代のクリスは母をハンナと名前で呼んでいました。親子というよりは友だちみたい)、都会で暮らす貴族のアベルとの結婚を拒みクリスを産んだ後もお花を売りながら森で暮らしたという設定。ビジネスのために母ではない女性と結婚した父アベルに反発し、母亡き後引き取られるも大学へ行くため家を出ると疎遠になったクリスが、少年時代の自分、父と母、三人で森の中で過ごした時間と再会しながら自分には何が大切なのかを見つめなおしていくという展開も、先に逝った人と対話しながら生きながらえている自分の姿と重なるところがありました。もう少し納得できるところまで仕事をしたら、読むと書くことをやれたらいいな、絵本屋さんやれたらいいなとか、全く絵空事にしかすぎないけどやっぱり思います。読むことと書くことが好きだから・・・。

 自分に正直に生きる、いちばんむずかして大切なこと。なんでもない日常が、普通の生活が、いちばんむずかしくてとうとくて大切なこと。わたしが闘うこととなった猛獣とか、目先の利権にしか目がいかない人たちにこそみてほしい舞台ですがそういう人たちは別の種類の生き物だから、こういう感性をゆさぶられるようなものとの出会いなんて求めないんでしょうね。チケ〇トキャ〇プとかには定価よりも高いチケットがあふれかえっているみたいだし、ネットの時代になってかつてのダフ屋が転売のために買い占めてこういうことしているかなあ。現実は残念なことが多すぎます。

 まだ公演は始まったばかりだし、ライブビューイングもあるし、きりがないのでこの辺でやめておきます。次の居場所に出会うために金曜日の午後は面接。やさしくエネルギーをもらいました。明日海さんと花組と植田先生に感謝。この公演が終わると宙組へ異動する芹香斗亜さん、足長いし、お顔がますますシャープになってかっこよすぎ、出番が多くないですが明日海さんと親子という役所でよかったんじゃないかな。フィナーレの最後にお二人が手をぎゅっという感じで組む場面、むねあつ。明日海さん涙ぐんでたかな。3年間も支え合ってきた二番手さんの異動はさみしいですよね。明日海さん、なんどか台詞をかみそうになっていたのでお疲れなのかなと心配になったら11時公演もやっていたんですね。千穐楽まで無事につとめられますように・・・。


プログラムの表紙もこんなに素敵。






春のプリンス・エドワード島への旅_出発

2017年10月09日 19時40分23秒 | プリンスエドワード島への旅
 春のプリンス・エドワード島への旅日記をまだ載せていないことにようやく気がついた次第。すっかり載せた気になっていましたが写真の整理が追いついていませんでした。断捨離を進めていますがいろいろとあふれかえっていて整理しきれず、こんなノートがあったねえと振り返っているそばから、そのノートがどこにいったのかまたわからなくなっている状態。すっきりと暮らせるまでにはまだまだ時間がかかるんだなあと再認識しました。少しずつやっていくしかありませんね。

 春のプリンス・エドワード島への旅は2010年6月6日(日)から13日(日)までとちょっと長めのゆっくり旅。前年夏のプリンス・エドワード島へ旅して、幸せ感に満たされた、夢のように美しい島にもう一度行きたいと思いました。今度はアンがはじめて島に降り立った春に行きたいと強く思い、年明けには旅行会社の窓口に申し込みに行ったと思います。まだプランが出ていないのでもう少しお待ちくださいと言われた記憶があります。父親の具合が悪くなることなど全く想定していませんでした。蒸し暑くなりはじめた頃、父親の具合がよくないと弟から連絡がはいっていました。それでも、妹とお別れしているのに自分の親がこの世からいなくなることなど思い描くことができなかったわたしは、7年ほど続いていた会社の二人分労働もとうに限界をこえていたのでつらくってつらくってつらくって仕方なかったわたしは、弟へのうしろめたさを抱えながらも実家には帰省せず予定どおり旅に出ました。今行かなかったらもう行けなくなるという気持ちがありました。2010年、真夏は連日40度近くまであがり酷暑と言われた夏でした。旅から3か月後の9月、父親とのお別れがおとずれました。そして2011年3月に東日本大震災、そして2012年2月に母親とのお別れ。試練の連続でした。心の引き出しの中にプリンス・エドワード島への旅の思い出がなかったら乗り切れなかったと思います。2012年9月、妹と両親の三人を一緒にお墓にいれてあげて三度目の、秋の島への旅をしました。そのあとに働いて働いて働いた会社から使い捨てにされるというかたちで日中の居場所をなくし突然社会から孤立するというまたまた大きな試練を経てようやくこの旅を少しずつ振り返ってみようと思います。


「2010年6月6日(日)

17時、AC0002便にて成田空港からトロントへ出発

 -日付変更線-

15時50分着、トロントピアソン国際空港に到着(時差13時間)

20時30分、AC8858便にてシャーロットタウンへ出発

23時34分、シャーロットタウンに到着(時差12時間)


成田→トロント→シャーロットタウン、
飛行中殆ど眠れないまま、夜半12時頃PEIに降り立つ。
雨and寒い。また来ちゃったPEI。信じられないような・・・、でも現実。

ベスト・ウエスタンホテル泊。

なんとか2時頃ベッドに入るが、何度も目がさめたりしてあまり眠れなかった。
金・土も眠れていないので、すでに体はへばっていた筈だ。

トロントの乗り換えはやっぱり大変。荷物がでてくる所を見間違えてたし、入国審査のあと違う方向に行きそうになった。危ない。」

 トロントで一人乗り換えなければならないのに緊張していました。日本人CAの「まもなく当機はトロントピアソン国際空港に到着します」のアナウンスにぼっとうしていたのが一気に緊張感高まり。降りるとき、「乗り継ぎの案内はありますか」ってCAにたずねたら「特にありません」っていう答えが返ってきたのはこの時だったかな。成田空港で預けたトランクをいったん受け取ってから入国審査を受けるのですが、しばらく違うターンテーブルで待っていました。6日の午前中自分の部屋を出発してから20時間近くが経過、日本は真夜中、疲労と時差でほとんど頭が回っていない上に、老眼が始まっていたので電光掲示板の赤い文字がちかちかしました。気づいてからあわてて正しいターンテーブルに行くと自分のトランクだけがまだ回っていたっけかなあ。それから入国審査を受けると今度は違う方向へ行きそうになり、係員の、えっ!あっ!っていう表情で気づいた次第。それから国内線への乗り換え口でまたトランクを預けると、搭乗口のゲート番号をたよりに広い広い空港の中をひたすらシャーロットタウン行きの搭乗口を目ざして歩きました。同じフリーツアーを利用されていた女性の二人連れに声をかけていただいたのは無事シャーロットタウン行きの搭乗口近くにたどり着いた時だったかな。すごく不安で一人で来ている女性がいるときいていたのでさがしましたって声をかけていただきました。声をかけていただいた時は、わたし日頃のストレスと疲労の蓄積で顔がひきつっていました。申し訳ないですとあやまりました。お二人とは帰国してからも何度かお会いしており、気にかけてくださっていてほんとにありがたいことです。旅の縁とは不思議なもの。たまたま同じ日程を選んでいなかったらお会いすることなかったですからね。





シャーロットタウンまではエアカナダのこんな小さい飛行機に乗ります。
風で大きく煽られるとちょっと緊張。
上空で安定しているときはおやつと飲み物がでます。





陽が落ちようとしているカナダの空を飛び、夜のシャーロットタウンを目指しました。
こうして振り返っていると、なんだか涙がでてきます。














2009年2月‐6月『ルーヴル美術館展』_17世紀ヨーロッパ絵画(4)

2017年10月09日 17時53分14秒 | 美術館めぐり
 2009年のルーブル美術館展より、公式ガイドブックをようやく振り返っていて気になった作区品をまた紹介しようと思います。画像はウィキペディアに載っていないようなので文章だけ。(ガイドブックの写真を載せるわけにはいかないので・・・。)


(公式ガイドブックより)

「ピーテル・スナイエルス(1592‐1667頃)

《プラハ近郊白山での戦い》
 
 17世紀半ば 油彩、鋼板

 32×46㎝

 戦争画を得意とする画家ピーテル・スナイエルスは、その作品にしばしば遠くまで広がる
鳥瞰(ちょうかん)的な光景を採用する。しかし、この《プラハ近郊白山での戦い》では、戦闘の真最中の人々を近くから表わすことができるように、画家はあまり上から見下ろすような視点を採ってはいない。さらにスナイエルスは大画面でよく描くが(彼の戦争画は時に長さ2メートルを超える)、ここでは、銅板という必然的に小型となる画面で彼の総合力の高さが示されている。画面上に砲兵隊、騎兵隊、歩兵隊がそろって見られるこの作品は、17世紀を通じてヨーロッパの大地の上で偏く繰り広げられていた戦争の状況を描き出している。

 スナイエルスがここで表現しているのは1620年11月8日に起こった、いわゆる「白山の戦い」であるように思える。それはプファルツ選帝侯フリードリヒ5世に率いられたボヘミアのプロテスタント軍勢に対する鎮圧であった。ウィーン皇帝の権力に反発したボヘミアの宗教改革勢力に対して、カトリックのハプスブルク家が勝利したこの「白山の戦い」は、引き続き血なまぐさい鎮圧をもたらした。プロテスタントの反乱の首謀者たちは公の広場で処刑され、彼らの財産は、査察者(ヴァレンシュタイン)や外国貴族(ピッコロ—二、コッロレド、シュヴァルツェンベルク)らに売却された。そしてボヘミアにはドイツ語が強いられた。

 スナイエルスがフェルナンド2世の皇帝軍に対するチェコの人々の敗北を描いたのは必然的である。フランドルの画家としてカトリック信者であり、1628年までアントウェルペンで活動し、以後ブリュッセルに居を定め、教皇クレメンス8世から1599年に黄金の薔薇を授与されていたスペイン王女イサベラ・クララ・エウへニアのため、さまざまな聖像復興に従事していたからである。端的に言えば、プロテスタントの敗北は、ハプスブルク家の支配的エリート層の近くにいたこの画家におって自然な主題であった。宗教戦争、正しくは「30年戦争(1618‐1648)は、ルネサンスに発し、「黄金の世紀」に拡がった戦いであった。そして、それらの戦禍はヨーロッパんの悲嘆と破壊の根本原因のひとつでもあったのである。」


 うまく言えませんが、ハプスブルク家という名前が出てくるといろいろと考えさせられてしまいこれを書きました。



花組『Sante!!』(3)

2017年10月08日 19時17分57秒 | 宝塚
 8月は、宝塚花組『邪馬台国の風』『Sante!!』、8月5日(土)15時30分~、8月20日(日)11時~、8月27日(日)千穐楽ライブビューイングと3回観劇。明日海さんと花組に救われて乗り切ることができた8月でした。千穐楽から早いもので一カ月半が過ぎ、明日から『ハンナなのお花屋さん」が始まります。10日のチケットをゲットできているので楽しみ、楽しみ。だからね今日の月組千穐楽ライブビューイングを我慢しました。イケメン神父を大画面でも観たかったですがお金安くないので、迷っているうちにチケット売り切れていしまいました。生で一度観劇できたのを大切に心の引き出しへ。





 藤井大介先生作・演出の『Sante!!』、華やかさ、きらびやかさに、やさしさとあったかさが隠し味の本当に楽しいショーでした。


男役さんが扮する五大美女の登場で幕開け。
銀橋でお一人ずつスポットライトがあたるたびに客席は大きな拍手。
このお決まり事みたいな盛り上がり方がいいですね。




酒の神バッカスで登場した明日海さんが花飾りをとってきらびやかな衣装で再登場し、「Sante!!」って叫ぶと舞台はシャンパンゴールドのように一気に華やかな世界へ。ほんとにきらびやか。これぞ宝塚っていう醍醐味感。舞台の組子さんたちもほんとに楽しそうで、客席も手拍子して一緒に盛り上がりました。こうして参加できる感じが嬉しかったです。この時客席降り。2階席からではわかりませんでしたが、ライブビューイングをみていたら客席のかなり後ろの方まで行っていたんですね。これは1階席のお客さんたち、嬉しかったですね。このあと、明日海さんが「今宵は僕とおいしいワインを飲み明かしましょう」っていうところ、千穐楽では台詞はなくて、いいとものタモリさん拍手の煽りでした。キラキラ衣装の明日海さんがKIZZAとなってバーを訪れて次々とワインを飲み干して酔っ払う場面、8月20日のアドリブはくしゃみしてひゅっくっていう感じてしゃっくりして倒れ込んでいたの、すごく可愛かったです。オジサンがやったら許せないですけどね、タカラジェンヌさんがやれば可愛いかぎり。千穐楽で、KIZZAが店の客ではなく経営者?だとわかる衝撃。アドリブが「今日でこのお店しめようと思うの、なんでってきいて」「なんで?」「10月にね、お花屋さんをやろうと思うの。みんな来てくれるかな、宣伝しちゃった」。こんな感じでした。それから酔っ払って倒れちゃうの、可愛くて癒されました。




ジゴロの場面。振り付けが安寿ミラさん。
男役としては小柄な明日海さんのダンスが伝統を背負っている感、ダンスの花組のDNAを感じてむねあつ。男役さんたちが最後に並んだあと帽子を少しあげる仕草があるの、さらにかっこよさ増し。


このあと、千穐楽ライブビューイングで、この公演を最後に退団された夕霧らいさん、梅咲衣舞さん、長く花組を支えてきたお二人のために銀橋をわたりながら歌う場面が用意されていたことを理解。(アーカイブの映像配信でみた2014年『エリザベート』の初日インタビュー、司会をされていたのはこのお二人だったとようやく気づいた次第)。

芹香斗亜さんがワインボトルを肩にかつぎながら銀橋を歌い歩く場面、千穐楽ライブビューイングではさらにかっこよさが増していました。宙組への組み替えが発表されて少しやせられたかな。よりシャープに、かっこよく、男役としていちばんノリのいいタイミングかなという印象でした。

このあとシェフの柚香光さんを中心とした華やかなカンカンのロケット。持ち上げられた柚香さんの千穐楽の一言は「高い!」でした。舞台上がほんとに楽しそうで、こちらも心の中はめっちゃ笑顔になれた場面でした。楽しかったあ。

このあとエディット・ピアフを歌う美穂圭子さんに星条海斗さんが花束をもってくる場面。専科のお二人の凄味と説得力を感じさせてくれました。




いちばん好きなのがこの場面。

「第17場 マルケス・デル・ラメラル(枯れ葉)

 吟遊詩人ムッシュ・ポエット(芹香斗亜さん)が現れ、世界の戦いを嘆いて歌うと、祈りの神デュー・ド・ラ・プリエール(明日海りおさん)が現れ、平和のために自分が何が出来るのかとひたすら歌い続ける。一方、大地では多くのエラフルールたちが敵と戦い、傷つけあっている。そんな中、少女フィル・ダムール(仙名彩世さん)と、吟遊詩人ムッシュ・ポエットだけが、歌に耳を傾け、戦いを止めようとするが―。」


 戦いの場面を表現するのに舞台の後方では群舞のダンスで男役さんたちが娘役さんたちリフトしていたハードな場面。群舞のダンスが長かったのでかなりの運動量だったと思います。その間を戦いを止めよとする白い衣装の吟遊詩人が歌い、少女がぴょんぴょんと飛び跳ねるように踊る演出が素敵でした。仙名さんの少女感とダンス力はお見事。





フィナーレのデュエットダンスの前がまたまた安寿ミラさん振り付けによる燕尾服の男役さたんたちのダンス。胸に赤いバラを刺した男役さんたちが躍るダンスの音楽は、「乾杯」だと気づいたのは千穐楽ライブビューイング。静かに微笑みをたたえるような宝塚らしいアレンジがすごく素敵でした。真ん中でスポットライトを浴びてひとり踊る明日海さんの姿にライブビューイングでもやっぱり涙。ダンスの花組をきずいた大浦みずきさんへのオマージュ、伝統と責任を背負った明日海さんの姿が素敵でした。こうして受け継がれていくんだなあと思うとやっぱり涙なのでした。




フィナーレは明日海さんがのったセリがあがりノリノリのまま幕が降りるお祭り。華やかで楽しく千穐楽もあっという間の一時間でした。千穐楽ではこのあと、組み替えの芹香斗亜さん(大きな二番手の赤い羽根を背負ったまま)と朝月希和さんの挨拶に続き、退団する夕霧らいさんと梅咲衣舞さんの挨拶がありました。それぞれにむねあつ。最後の最後にトップとして締めの挨拶をされた明日海さん、涙ぐんでらしたかな。こうして宝塚もうつろい、めぐっていきます。一回一回の観劇は一期一会の出会い。

書き始めると尽きませんが長くなったのでこれでやめておきます。

写真はすべて宝塚ジャーナルから転用しました。

オタクにしかわからない話を、長々と失礼しました。
断捨離は部屋でしたできないのですが部屋にいるのもつらくって、外に出るとなかなか帰れませんね。

初日囲み会見の明日海りおさんと仙名彩世さん












旅の思い出写真_シャルトル大聖堂

2017年10月07日 18時12分06秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 先ほどエネルギーをふりしぼって写真を撮り直し、昨日より少しはマシなものが撮れたので書類に貼付、ようやく整えることができたのであとはポストに投函するばかり。スタミナがもちそうであればこちらの組織体の方が条件はいいんですよね、週四で固定給、どれぐらいディープでハードなのか気になります。まずは書類提出。少しほっとしたところでようやくまた旅の振り返り。

 2008年9月7日から13日まで、「パリから世界遺産を訪ねて」というツアーに一人参加して2007年に続いて訪れたフランス。パリに到着した翌日、モン・サン・ミッシェルを目指す途中でシャルトル大聖堂を見学しました。2008年9月8日のことでした。

 使い捨てにカメラで撮影したこんな写真しかありませんが、フラッシュ禁止だったのでこんなもんかな。写真では伝わりにくいですがステンドグラスがすごく綺麗でした。いろいろな仕事をしている様子が描かれているものもあって楽しめました。見学後にガイドさんの「きれいでしたねえ」としみじみと言われた言葉が今も耳に残っています。現地で説明してくれたのは日本人男性のガイドさんでした。なにもみることなく、全部頭に入っているのだから、かっこよかったなあ。右の旧鐘塔のロマネスク様式と左の新鐘塔のゴシック様式のあいだには100年あるという説明だったと思います。わたし、パンフレットに書き込みしていますね。火事で焼失したという説明をきいたんだったかな。あとマリア様が身につけたとされる衣の一部が祀られているんだったかな。すっごく暗くってよくわからなかったですが祭壇に跪いてみた記憶が・・・。


 会社で働いて働いて働きながら出発日を指折り数えて待った日々、フランス政府観光局のHPにアクセスしてプリントアウトしていました。振り返れば会社に行くのが苦して仕方なかった反動でしたが、楽しみで仕方なかったです。

「シャルトル

 シャルトルの青と呼ばれ、そのステンドグラスの美しさで世界的に知られるノートルダム大聖堂を擁する世界的な古都。ボース地方に広がる田園風景のなかにそびえたつ尖塔がひときわめだちます。11世紀にフュルベール司教が建立し、のちに焼失するものの再建で、ロメネスク様式とゴシック様式が共存します。
ステンドグラスは176枚、総面積2700平方メートルにもおよぶ。描かれた人物は5000人を超えるといわれます。


 シャルトル・ノートルダム大聖堂

 ヨーロッパを代表する宗教建築最高傑作のひとつ。現存する大部分は、1194年の火災のあとに建てられている。二つの塔は向かって左が「新鐘塔」、右がロマネスク様式の「旧鐘塔」。正面、南北のボルタイユ(門)の美しさ、「シャルトルの青」とたたえられるステンドグラス、パイプオルガンなども世界的に有名。」


















駐車場からみた大聖堂。






パンフレットの表紙。






パンフレットの24頁と25頁に日本語の説明がありました。






 カフェで緊張しながらようやくまたここまで書くことができました。まだまだいろいろとぐちゃぐちゃ。チェンネルの整理もやりたいですがそろそろ時間切れとなりました。今は社会から必要とされない人みたいな感じになっていますがまたうまく縁がつながれば誰にでもやれるわけではないスーパーウルトラハードな仕事をやろうとしています。わたしは大丈夫。先のことはわかりません。使い捨てのボロボロ状態からここまで立ち直ってくることができたのだから、できることを、与えられる役割を精一杯やるのみ。そう信じるしかありません。








明日はなんとか

2017年10月06日 22時40分37秒 | 日記
 次の居場所に出会うべく、昨日相談窓口でパソコン使って勢いのある時になんとか書類の準備はできたので写真を撮らなければとがんばってみましたが、仕上がりがあまりにもやせっぽちの貧弱なのに心が折れて挫折しました。よくある写真ボックス。最後にお金を支払わなければキャンセル扱いになるのでそうしました。会社で働いていた頃より、すり減っていた頃より5キロも太ったとはいえやっぱり痩せてるんだなあと実感。これ以上は太れないみたいで、ほんとに貧弱。しかも証明写真だからか鏡に映る姿よりもなんだか老けて写っていました。パスポート用を選べばもう少し明るい感じになるのかなあ。断捨離は部屋にいなければできないなれど、日中は部屋にいられない緊張感、日中の居場所のない緊張感、部屋にいればご近所が気持ち悪い緊張感、中でも外でもずうっと緊張しているのだからそりゃ疲れるよなあ。疲れが出てるなあっていう感じです。今日も午後歯医者さんのあとはずっとカフェにいました。部屋には帰ってこれないんでね、オッサンはずうっとずうっといついかなる時もいるし、いることがわかるから耐えがたい。

 明日から三連休。少し気持ち楽に過ごせるかな。明日はなんとかもう少し元気な表情の写真が撮れますように。先週提出したところよりも、同じことをやるなら条件がよくて安定的なので、朝が早いのと通勤が大変そうですがトライしたい。あとはどれぐらいディープでハードかが問題ですがまずは書類を提出しないことにはどうにもならないので明日はなんとか。居場所探しは、ひとつひとつエネルギー要ります。待つ時間を辛抱しながらこうして孤独にやらなければならないのつらいですね。つまらないグチでした。

 写真は春のプリンス・エドワード島、朝のグリーン・ゲイブルズ。ようやく整理していたら、あまりにもきれいでびっくりしました。旅日記を読み返すと曇っていたのに晴れてきて、雲がぐんぐん流れて緑が輝く誰もいない静かな朝でした。

2009年2月‐6月『ルーヴル美術館展』_17世紀ヨーロッパ絵画(3)

2017年10月06日 17時47分15秒 | 美術館めぐり
 雨、書類に貼付する写真を撮らなければならないのにエネルギー要るのでやれないでいる夕方、急に寒くなり、ようやくキンキン冷房の季節が終わっていくでしょうか。お昼を食べるところで出されるキンキンに冷えた水やお茶、体が冷え切ってしまうのでなんとかならないでしょうかね。こうしてどうにかこうにか生き延びていて、ごはんを食べられるだけでもありがたいですけどね。ニュース記事をみるといやなことやおかしなことばかりで、この先どうなっていくんだろうなと不安にかられます。先のことは誰にもわかりません。今自分にできることをやるしかないと言い聞かせます。観劇日記を書こうと思いながらなかなか書けずにいる感じで、ルーヴル美術館展を振り返っていて、フェルメールの「レースを編む女性」、レンブラントの自画像以外にも気に留まった作品があるので紹介したいと思います。権力とかすごいお金なんかいらない、片寄せ合ってつましく生きていけばいいじゃないですか、っていう気持ちを込めて、レ・ミゼラブルな人々の日常。いつの時代も社会の矛盾をひきうけるのは一番弱い立場の人々。矛盾は誰かが引き受けることで成り立つ。電気もガスもない時代に寒い北ヨーロッパでどうやって生き延びていたんでしょうね。一日一日を生き延びることが精一杯。舞台で「The end of the day」を聴いたときにこみあげてきた感覚がよみがえってきました。

(公式ガイドブックより)

「ル・ナン兄弟(アントワーヌ:1588頃‐1648/ルイ:1593頃-1648)

 《農民の家族》油彩、カンヴァス、113×159㎝)

 三世代からなる家族を描いた情景。粗末な室内に集い、ひとりの子供が吹く笛の音を聞いている。中央の男はパンを抱え、人々は塩が置かれただけのテーブルのまわりに座り、後景の左隅ではふたりの子供が暖炉の火に我を忘れている。手前では犬と猫、そして一番幼い子供が地面に座っている姿が加わり、農夫の家族の日常の全容を思い描かせる。

 同じくルーブル美術館所蔵の《農民の食事》とともに、おそらく本作品はル・ナン兄弟が描いたすべての農民のいる室内画の中で最も評価が高いと同時に、とりわけ最も野心的な作品でもある。作品の大きさと描かれた人物像の多さ、また質の高さは、この作品が物語画のひとつとして構成され、制作されたことを推測させる。フリーズ状の構成は、画面に重厚な威厳を与えている。同時に人物の白い服を強く輝かせる光は、地面の暗くくすんだ色を思わせる緑灰色や褐色と対照をなすとともに、空間を組織化し、この絵の真の主題を照らし出す。悲惨で絶え間ない戦争に苛まれ、飢饉がどこにでもある農民の日常を描いた。自然主義的でもあり、劇場的でもある表現の裏には、明らかに宗教的な次元が存在している。

 パンとテーブルの上の塩は、老婦がグラスに注いだワインと同様、最後の晩餐を象徴する食べ物であり、一方、光はキリストの詫宣という精神的な啓示を想起させる。さらに17世紀には、とりわけ聖ヴァンサン・ド・ポール(1581-1660)の伝道に刺激され、説教の中で、貧しく困窮した人々はキリストの姿を連想させると説かれており、対抗宗教改革のカトリックの精神性において特別な場所を占めていたことを思い起こす必要がある。」



2008年8月‐12月『フェルメール展』_光の天才画家とデルフトの巨匠たち

2017年10月05日 19時01分01秒 | 美術館めぐり
 10月、急に涼しいというよりは冷え込んできましたね。あと三カ月で2017年が終わっていくなんて信じられません。色々なことがあった2017年、まだ終わりではありません。次の居場所に出会うべく、午後外出。書類の準備はできたのでエネルギーをふりしぼってまた写真を撮り、貼付して郵便局に持ち込まなければなりません。一回一回、心身をそがれます。息抜きにまた思い出振り返り。

 2008年8月から12月にかけて開催された『フェルメール展』、2009年のルーヴル展よりもこちらの方が先でしたね。わたしが訪れたのは会期がせまってきた12月だったかなあ。すごく混んでいました。この時出会った作品の中には、その後文化村で開催された『フェルメールからのラブレター展』で再会したものもあります。宗教色がなく、ありふれた日常生活の場面を描いているところが日本人には親近感をおぼえやすいかな。音声ガイドにOTTVAの音楽が流れていました。OTTVAとの出会いでもありました。音楽と絵画の素敵な組み合わせに、幸せ感あふれる音声ガイドでした。ありふれた日常生活、とうとい。


(山岸健著『絵画を見るということ』1997年7月30日発行、NHKブックスより)


「フェルメール‐描かれた日常


 身辺を描く穏健で静かな画風だが、目にしみ入るように美しいフェルメールの絵画世界がある。人間と人間との触れ合いが体験される画面には、どことなく劇的な様相が漂ってい る。

 ある意味では、彼は手紙をモチーフにした画家といえるだろう。手紙を読む女性、手紙を書く女性が描かれている。手紙を書き始めた女性に便りが届けられた絵もある。手紙とともに、手紙によって、人間的空間が浮かび上がってくる。一通の手紙とともに、姿が見えない他者が姿を見せる。差出人である。手紙において人と人との触れ合いとつながりが体験される日常的世界がクローズ・アップされてくる。フェルメールは手紙に強い関心を示している。

 フェルメール(1632‐75)は身辺を描いた画家だ。人びとの暮らし、日常生活と人生の一 場面が主題化されている。彼の生活の場であったオランダ・デルフトの絵には、デルフトの日常生活、居住空間の様相、風景などが描かれている。彼はさまざまな窓辺や壁を描き、また、楽器を描いて、生活空間を明るみに出した画家であり、人物を描くときには、手もとや身辺に注目し、また、視線を描いた画家でもある。

 何かをしているところ、何かが進行中、といった絵がある。人間の動作と行為にフェルメールの視線が注がれている。ワイン・グラスが人間的空間に姿を見せている絵がある。
果物やパンが描かれている絵がある。こうしたさまざまなモチーフが姿を現わす日常的空間が、絵画的現実として、おだやかな光と落ち着いた色調で表現されたのである。

 彼の絵において体験される音がある。人の声、楽器の音、文字を書いているときの音もある。いずれの画面からも、日常生活が浮かび上がってくる。」



 この時も分厚い公式ガイドブックを購入したもののいまだほとんど手つかず。これをきっかけにガイドブックもぼちぼちと振り返っていきたいと思います。ようやくここまで書けました。












会場で購入した絵葉書をスキャンしました。

「ヴァージナルの前に坐る女」、ヴァージナル、先日の『ダヴィンチ展」で資料をもとに再現された模型をみてようやくイメージできました。オルガンのシンプルな感じかな。




「リュートを調弦する女」