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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-』_「馬屋のそばの人々と馬」

2019年05月14日 16時44分36秒 | 美術館めぐり
パウルス・ポッテル
(エンクハイゼン 1625-1654 アムステルダム)

《馬屋のそばの人々と馬》
 1647年頃、フィラデルフィア美術館

「光り輝く春の空の下、様々な人物が馬小屋の前の日陰に描かれている。左側には明るく光る放牧地が開け、その手前には駒留め用の横木がある。前景に自分の馬に乗ろうとしている人がいるが、手助けが必要なほどぎこちない。赤ん坊に母乳を与えている母親が、微笑みながら彼らを見やり、その奮闘ぶりを観察して、面白がっている。脚で自分を掻く犬のほか、雄鶏や若鳥が小屋の前方右側に描かれている。開け放たれたドアから見える馬小屋の中には、明るい光を浴びて、男が白馬の後ろに立っている。自分の名を冠したコレクションを有する家系の子孫、ジョン・ ホープが1774年に購入した時、彼の書記係は本作品を次のように記録した。「前景に馬小屋のある風景が描かれ、小屋では一人の農夫がこげ茶色の馬の尻尾を縛っている。農夫も馬も、天窓から降り注ぐ強い陽光のなかにいる」。現代の鑑賞者には明るめの戸口のところで行われていることが理解できないであろうが、わらで労働馬の尻尾を縛るのは18世紀後半の鑑賞者にはなお合点のいく行為であった。

 ホープ家の目録作成者は、馬小屋の暗い空間内の光源が屋根の天窓だと推測しているが、もっともな見方だろう。しかしながら、この小屋の描かれていない側に開いた窓があって、それが光源になっているのかもしれない。とはいえ、現実世界を文字どおり写し取ることを目的とした絵画においてさえ、オランダの画家がそうした細部を自由に描くというのはよく知られている。だから、描かれているのは想像上の情景なのかもしれない。さらに、この場面は彼が他の絵画で好んで用いた構図にかなりの程度一致している。この事実からすれば、本作品を実在の情景に基づいて描いたという可能性は小さくなる。ともあれ、その繊細な光の効果はより大きな構図における光の効果と調和している。たとえば、これまで述べてきたように、農夫の後頭部を照らす光源が一つあり、彼の顔は馬の尻からの二次反射で光っている。こうした複雑さと精緻さを備えた細部は、まさしく彼がデルフトと最も密接に関わっていた時期、つまり1640年代後半のポッテル絵画の仔細な分析をするよう促すものである。


 1640年代後半のポッテルの絵画には、しばしば春の早春の光が描かれる。本作品では、馬小屋の前にある細い木と、駒留め用の横棒の前にある木の新緑がちらちらと銀色に照り輝く様がとらえられている。空いっぱいに広がる春の光は、遠くの情景を生き生きとさせ、シルエットで浮かび上がらせ、はるか水平線から前景へと逆光の明るみとなって流れてくる。細部への配慮も印象的である。鑑賞者は、前景の枝の一本一本や土-葉の一枚一枚、枯れ草や枯葉、焦点となっている中心場面の人物の身振り-はおろか、大気を感じさせつつもあふれる陽光、遠くに広がる明るい牧草地など、遠景のあらゆる細部までをも見極められる。パウルス・ポッテルは1646年にデルフトにやってきて、その年に組合に加入した。その翌年、つまり彼がこの作品に年記を入れた年は、ほぼ間違いなく彼にとって「奇跡の年」となった。この年には、有名な《若い雄牛》(ハーグ、マウリッツハイス王立美術館)のみならず、ツェルニン・コレクション由来の絵画や《ハーグ付近の農場》を含む、デルフト・スタイルの到来を予測させるような見事な絵画が描かれたからである。


 見事なまでの保存状態にあるこの小品は、短命であったポッテルの最上の到達点を体現する。1854年、ヴァーゲンは本作品を高く評価しつつ、次のように解説した。「厚塗り、温かさ、力のある色遣いには、この巨匠のすばらしさのすべてが出ている。陽光に照らされたこの灰色の馬ほど、優れた効果を発揮するものは他にない。」


(2008年『フェルメール展―光の天才画家とデルフトの巨匠たち―』公式カタログより)





2019年『ラブ・ネバー・ダイ』_思い出し日記(3)

2019年05月13日 18時04分38秒 | ミュージカル・舞台・映画
 初演は三回観劇しましたが縁がなかった田代万里生さんラウル。ようやく会えました。さすがのいいお声。やさぐれ具合がすごかったなあ。観客は、グスタフがラウルの子ではないということをクリスティーヌとファントムの「月のない夜」で知るわけですが、ラウルはメグジリーに撃たれたクリスティーヌが亡くなるときまで知らないわけで、なんとも哀れ。どうしてラウルが酒におぼれるようになってしまったのかはわかりません。ひとこともことばを発することなく、ファントムが自分の父親であると知らされたグスタフがファントムの仮面を外し、頬をなでるシーン。ラウルはどんな思いでみつめているのか。冷静に物語を考えるとラウルにはかなり酷だなあと思います。冷静に考えず、豪華な舞台装置と衣装で彩られたファンタジアの世界に浸ればいいのですが、ふと冷静に考えると物語はなかなかです。


 マダム・ジリーの鳳蘭さんにも初演に続いて会えました。タータン(香寿たつきさん)とは違う、すごく湿り気感のあるマダム・ジリー。ファントムに裏切られた悔しさを現わすところの表情がいい意味ですごく陰湿。一幕のラストをひとりで背負う場面はさすがの存在感でした。立っているだけで場が埋まります。小学生のころテレビでみたベルばらに出演されていた鳳蘭さん。こうして舞台で拝見できることそのものが感動。タータンのマダム・ジリーにも会いたかったですが1回限りの今回は鳳蘭さんに会えてよかったかな。


 市村正親さんは卒業を宣言した『ミス・サイゴン』にまた来年エンジニアとして戻ってくるそうな。ほんとにすごい。前回最後と思いましたがこれはまた見逃せない舞台になりそうです。







2012年『マウリッツハイス美術館展』_「聖母被昇天(下絵)」(3)

2019年05月13日 10時09分35秒 | 美術館めぐり
「作品には使徒と聖女が興奮した様子で聖母の開かれた墓に群がる様子が描かれている。空の墓を信じられないといった面持ちで見つめる者があれば、事情を察し、天使たちに囲まれて輝かしい光を放ち天国に昇ろうとするマリアに向かって両腕を上げる者もある。天使の掲げるふたつの花輪は、マリアが戴冠して「天の女王」となる瞬間が間近に迫ったことを示す。カトリック改革が行われた時期には、聖母マリア信仰が以前よりはるかに熱を帯び、聖書以外の伝える聖母被昇天の場面は多くの人々の心を捉えた。ルーベンスはアントワープとブリュッセルの様々な教会用に、この主題による祭壇画を制作している。石造りの寝室や空の墓に奇跡のように現れた花などのディテールの多くは、13世紀の作家ヤコブス・デ・ヴォラギネの名高い『黄金伝説、あるいは諸聖人の生涯』から借りたものである。油彩のスケッチでは埋葬用の白い布を手にひざまずく女性が、右手に幾輪かのバラの花を握っている。画面左の赤い布を着けた男性は、死後の母の世話を託された洗礼者ヨハネを表す。天に向かってヨハネが差し延べる腕は、天空のマリアを囲む天使の輪と、墓をとりまく地上の民とをつなぐ重要な要素となっている。

 ルーベンスは構図の準備に描いた油彩のスケッチに強い愛着を持ち、常に手許に置いていた。このことは、1640年に亡くなるまで、スケッチの多くがルーベンス本人によって所持されていた事実からもうかがえる。巨匠が心の赴くまま自在に筆をふるった習作が昔からコレクターや美術愛好家の間で高い人気を誇ってきたのも、驚くにはあたらない。」


(『オランダ・フランドル絵画の至宝-マウリッツハイス美術館展』公式カタログより)


「オランダがスペインから独立を果たす16世紀末、経済・文化の中心は南ネーデルランド(フランドル、ほぼ現在のベルギー)にあった。そのフランドルを代表する画家がルーベンスである。ルーベンスは、裕福な行政官の家に生まれ、アントワープで育ち、1600年から8年間イタリアに遊学。初期バロックの天才カラヴァッジオの画法も学んだ。ネーデルランドに帰国後、ルーベンスは大工房を構え、その成果を宗教画や肖像画に結実させる。強烈な明暗法、劇的な構図、豊かな人物表現、華麗なバロック様式。外交官という立場もあり、その名声は内外に知れ渡った。」

(『週刊世界の美術館 アムステルダム国立美術館』講談社発行より)

週刊世界の美術館 no.10―最新保存版 アムステルダム国立美術館
講談社
講談社

2012年『マウリッツハイス美術館展』_「聖母被昇天(下絵)」(2)

2019年05月12日 22時19分48秒 | 美術館めぐり
「聖母戴冠」はユトレヒト出身のロブレヒト・デ・ノーレとヤン・デ・ノーレ兄弟により、板絵を収める額縁に彫刻され、その頂点では「父」「子」「聖霊」の三位一体の一部をなすキリストが冠を手に母の到着を待ち受ける。絵と額縁が完全な状態で揃った当初の姿は、版画から偲ぶしかない。巨大な石造りの祭壇はフランス革命のさなかに破壊され、祭壇画はフランスに持ち去られた。ナポレオンが敗走した後、絵画は元通りアントワープ聖母大聖堂の主祭壇に安置された。

「下絵」では祭壇画の構図案がほぼ固まっているため、初期段階のものではなく、ルーベンスが板絵を描き始める直前の作である可能性が高い。油彩のスケッチに見られる躍動感は、大きな板に移されて勢いが幾分減じてはいるが、聖堂の板絵は大筋で「下絵」に沿ったものとなっている。絵具が渇かないうちに引っ掻いてつけた計測の目印と、小さな釘を打った跡から、ルーベンスが構図を板に転写するのに遠近法を活用したグリッド(ます目)を用いたと考えられる。」


(『オランダ・フランドル絵画の至宝-マウリッツハイス美術館展』公式カタログより)

→続く

生きてさえいりゃ

2019年05月11日 22時32分04秒 | 宝塚
「生きてさえいりゃ どんな苦労も乗り越えられる!」
 
 新人公演主演を最後のチャンスにようやくつかんだ紅ゆずるさん。「婦人画報」、ごめんなさい、高いので立ち読みですませてしまいました。はじめて舞台の真ん中に立った、心臓が喉にあるのではないかと思うぐらいドキドキしていた。すごく稽古したけれど舞台の上でなにもできないのではないかと極度の緊張状態だった。あの時緊張から逃げ出していたら遠からず退団していたであろうという内容のインタビュー記事でした。こんな紅さんが演じる康次郎さんに言われるとちっとも押しつけがましくなくって、そうかもなって素直にうなづけてしまう。

 駅まで歩いていけるだけの体力をつけろって弟に言われてへこみ中。

 わたしが使わせてもらっている1階の部屋のテレビは録画できないので、自分にお疲れ様しながらがんばってリアルタイムでみます。なんでこんな遅い時間なのNHKさん~。

 『AnotherWorld』『キラー・ルージュ』、NHKBSで今夜12時45分~。心が元気になれる二本立て。

 1月の「宝塚歌劇の殿堂」のお写真、チャンネルに少しずつ整理中です。

 宝塚は小道具も細かく丁寧にできています。


 康次郎さんの特別な舟に二回も乗ったんだからきっと大丈夫なんだよ、自分。


























弱音ばっかりのお見苦しいブログへの訪問ありがとうございます。

生きるってむずかしいですね。

作文、時間が足りませんでした

2019年05月11日 15時16分05秒 | 日記
 昨夜布団に入る時極度に緊張していました。うまくいかなくてもこれで人生は終わりではない、生きてさえいればどうにかなる(by康次郎さん)と自分に言い聞かせて眠剤を一錠、さらにもし眠れないと不安なので半錠のんで就寝、なんとか6時間の睡眠を確保しました。夜中に田舎のヤンキーたち?が爆音ふかせて幹線道路を走っているの、死ぬときは人を巻き込むなよって思います。自己顕示欲かね、気の毒な奴ら・・・、なんでもいいけどうるさいので耳栓して就寝からの朝、晴れ渡った土曜日、道路も駅も混んでいました。仕事の方々がけっこういらっしゃるようで、わかってはいますが家のすぐ近所の信号のない横断歩道を車がビュンビュン飛ばしていくのでなかなか渡ることができませんでした。ようやく一台止まってくれたタイミングで渡ることができました。交通事故が続いていても誰もが余裕なく我先にと急ぐ朝は特に恐ろしいです。弟が出勤しないので鍵神経症から解放されたこともあり、早めに家を出た結果予定していたよりも一本早い電車に乗ることができました。一度目の乗り換えのタイミングでお手洗いに行けるだけの余裕がありました。二度目の乗り換えに都合がいい立ち位置を駅のホームでたずねることができたので二回目の乗り換えもスムーズ。集合時間よりも30分ほど早く会場の最寄り駅に着くことができました。最初歩く方向を間違えましたが戻るだけの気持ちの余裕を持てました。

 試験会場に着くと、オープンまで資料を読み返したり、お手洗いに行ったり。漢字が書けないのではないかという恐怖感。ここまでくるともう今さら読み返しても同じでしたけどね、一応目を通しました。先般の、誰でも応募できるから?おじさんしかいなかった時とは違い、ジーパンとかラフな格好の人はいませんでした。専門性が問われるので緊張感がみなぎっていました。開いてみると課題は三問。点数の半分を占める一問目を最後に回した結果時間が足りなくなってしまいました。二問目から書いていたら時間の半分ぐらいが過ぎようとしていました。そのあと三問目をとにかく書けそうなところでさっとは無理でしたが書いてから一問目に取りかかったら時間が足りませんでした。二問目に書いたことの半分ぐらいは一問目に書くべきだったのかもしれません。全くとんちんかんなことは書かなかったと思いますが、必要と思われることが十分には書けませんでした。募集要項をみると面接の方が点数配分は高いようですがどちらも標準以上でないと不合格とあります。わたしの作文、標準を満たせたでしょうか、まとめ切れなかったし、最後殴り書きになってしまったので満たせなかったかもなあ。結果がわかるのは一週間後、過ぎた時間をこれ以上考えても仕方ありません。やれるだけのことはやった結果、どのみち家から通える範囲でさがしたいって言っていたら、扉は限りなく閉ざされていることに変わりはありません。またあらたに求人が出た資格が要件となっている仕事、就労場所は今日出向いたあたり。気持ちはあっても二回の乗り換えは大変だし、朝自転車に乗ることができない時、開始時刻に間に合わないのでアウト。家を出て駅近の集合住宅に引っ越すことを考えないと可能性の扉を開いていくのは厳しいなあと思います。都心ほどないですが都会からしたら家のある場所はほんとに田舎、別に山奥じゃないですが元々は村だった所、どこですかその田舎みたいな感じで地名を言われることが多いです。こうしてがんばっていても結局なす術はないのかもしれない、経験が活きるとしても通えなかったらそれでアウトなのだと思うと気持ちは沈むばかりですが今日はもうやめましょう。自転車でふらふらしていると、夕方巡回バスで駅から帰ってきたであろうサラリーマン姿の男性を見かけます。間に合う就業開始時刻と場所があるっていうことですね、当然。それは極めて限定的。
 
 慣れないところで二回の乗り換えは疲れました。連休前に書類を続けて送った時から連休明けは試験だとずっと緊張していました。今夜はテレビで星組をみて、月曜日は昨日道わからなくなって行かなかった温泉施設にゆっくりいきましょうかね。眠剤は今夜からしばらく封印したい。火曜日以降またハロワ、おっとその前にドコモは田んぼの中?にあるのかな、幹線道路沿い?昨日看板を見かけました。自転車で行けそうな範囲にあるようなので探して行かねばなりません。

 本当にやり直せるのか、一人で考え始めると不安しかありませんが今日のところはお疲れ様でしたね、自分・・・。

 面接に呼ばれなかったら『鎌足』のライブビューイング、当選できれば時間気にしなくってすむか・・・。

2019年『ラブ・ネバー・ダイ』_思い出し日記(2)

2019年05月10日 22時16分19秒 | ミュージカル・舞台・映画
 お目当ての憲ちゃん(加藤憲史郎君)がとにかくひたすら可愛かった。ますますお兄ちゃんそっくり、芸達者でしっかり者なところもそっくり。でも甘えん坊な末っ子。ファントムとグスタフがファンタジアの幻想的な世界を彷徨い歩くところは、グスタフのボーイソプラノが冴えわたる場面。ファントムを父だと知らずにいるグスタフと我が子を愛おしそうにみつめるファントムの二人だけという唯一の場面。ラスト、クリスティーヌがなくなったあと、初演でグスタフ清史郎君がファントムを父だと知ると仮面を外してファントムの頬にそっと触れる仕草、憲ちゃんもやってましたね。そこへと繋がっていく場面だと知ってみると、昼メロ的なストーリーだとわかっていても感慨深いものがありました。

 初演の時にはわかっていなかったような気がしますが、ファントムとクリスティーヌが歌う「月のない夜」でグスタフはファントムの子どもだと観客はわかりますね。市村正親さんも濱田めぐみさんも初演よりさらに歌唱もよくなっていてぐっと聴かせてくれました。今さらこんなことを言うなんてほんとに失礼ですよねというキャリアのお二人ですが進化していました。

 ゆうみちゃん(咲妃みゆさん)を生で拝見したのは初めて。宝塚はライブビューイングだけでした。こんなゆうみちゃんをみてしまっていいのかなっていう可愛らしさと色っぽさ。初演は彩吹真央さんと笹本玲奈さんで拝見した役所。不思議な感じでした。

 昼メロ的なストーリーは?っていうところありますが華やかな衣装とサーカスのような舞台装置は見応えたっぷり。今回も動物の着ぐるみにグスタフが入っていましたね。

 大掛かりで豪華な舞台装置を移動させることが日生劇場でしかみることができない作品。日生劇場の天井と劇場空間だからこそいい。日比谷は夢ですね。東京宝塚劇場、日生劇場、シアタークリエ、いずれも日比谷駅からすぐだし、少し歩けば帝国劇場。いい舞台を楽しんだあとのハッピーオーラに満ちた空間。

 いつかまた行くことができますように・・・。

 休まねばのプレッシャー、これぐらいにしておきます。






おなかいっぱいになってきちゃった

2019年05月10日 18時25分28秒 | 日記
 こんなに交通事故が続いているというのに今日もまたお母さんと子どもさんが被害者に。現場は信号も横断歩道もない所とのこと。誰もが明日、いや今日、被害者にも加害者にもなり得ます。道路は危険がいっぱい。ひとりひとりの意識だと思います。命あればこそなので、都心ではそれほど意識することなくすんでいましたがほんとにほんとに気をつけなければと・・・。

 昨日面接からの明日の朝は作文試験。今朝も無用に早く目がさめてしまったのでお昼寝してからのマック。ポテトとアップルパイをいただいても400円はありがたい。試験に向けて資料を二度、三度と読み返しましたがおなかいっぱいになってきてしまいました。なにも書けないのではないかという不安におそわれますがこれ以上は頭に入りません。大まかなところはもう入っているはずですがどんなお題がでるのでしょうね。朝早く起きてもう一度どこかでおさらいできればと思いますが試験会場に無事にたどり着くだけで精一杯でしょう。二度の乗り換え、昨日一度目の乗り換え駅で逆ルートから確認してきました。間違えずにいければ5分ほど。土曜日なので都心と違い、それほど混まないかな。二度目の乗り換え駅は昨日通り過ぎただけ。降りたことはありません。車両の数とホームの長さ、都心ほどではないかな。駅から会場までは近いようです。どきどきします。無事にいけるでしょうか。昨日は電車代使って、援助職にも応募したことを伝えられたからそれで十分。

 こうしてがんばっていてもそもそも結局朝の通勤問題で全てアウトなのかもしれません。駅まで自転車に乗りますけどかなり危ないし、乗れない時代替手段は一時間に一本のバスだけ。自分の努力で家が駅に近づく術があるなら努力しますがなす術はありません。自分でも辛いことを正直に話すことしか今のわたしにはできません。それで勤務時間と場所に相談の余地がなければ仕方ないです。生まれる家を選べないのだから、家の場所はわたしが選びとれなかったこと。駅に近い集合住宅に引っ越す以外はどうすることもできません。今考えてもどうしようもないです。連休明け、また資格が要件となった求人は出ています。わたしはその業務の経験ありませんが応募要件は満たしています。チャンスはあります。家から通うハードルはさらに高いですけどね、家を出るならチャンスはあります。電車に乗ることが滅多になくなった、社会とのつながりが切れた生活も気がつけば半年。郷里に怒りと憎しみを抱いているわたしがたまに人と話すとどんなオーラを発しているのでしょう。こんな歳になってくると生き方とか考え方は滲み出てしまいます。どんなんでしょうかね。

 明日は朝無事に会場までたどり着くことができればそれで十分。なにもできなくてもいいの。目標は25日の『鎌足』ライブビューイング。無事にいけるでしょうか。辛口の劇評を見かけましたがSNSを見ると星組ファンの評判はおおむね上々。生田先生の中であたためてきたであろう題材でこれを書かずして死ねないという気迫が感じられるという感想も読みました。一番心配だった脚本がしっかりしているようでよかったです。弱い者の志を尊く描く紅さんの演技と愛理さんとのコンビが素晴らしいようだし、楽しみでなりません。朝日新聞の晩年の二人の舞台写真をみただけで雰囲気が伝わってきて涙がでそうになっています。無事にいけるといいな、ほんとに。その前に宙組の大劇場日帰りバスツアー。キャンセルするのは勿体ないなあ。

 明日行けなくても、何も書けてなくても無事に生き延びることさえできれば人生は終わらないから心配しなくていいんだよ、自分・・・。


『鎌足』、万葉集好き、『あかねさす紫の花』好きなのもあって、ほんとに楽しみ。
紅さんがトップの宝塚、見逃さなくってよかった。




生きてさえいりゃ

2019年05月09日 22時45分50秒 | 宝塚
「生きてさえいりゃ、どんな苦労も乗り越えられる。

 いっぺん死んだ気イなってやってみなはれ。

 この世は極楽、命に感謝や!」

 By 康次郎


 「そーれそれそれ、ありがたや。

 そーれそれそれ、なんまいだ。」

 
『Another world』より


1月14日と29日の二回も、宝塚歌劇の殿堂で康次郎さんの特別な舟に乗ってきたら、大丈夫なの。実際に舞台で紅ゆずるさんが乗ったものだそうな。こんな体験、あとにもさきにも二度とないでしょう。楽しかった。




11日の深夜にNHKBSで放送されます。
アングルが本家とはまた別物だそうな。
作文に行けなくても、作文が書けなくても、久しぶりに眠剤封印して、一杯やりながらみるよ。連休前からずっと緊張してきているので心のお休み。





うまくやれませんでした

2019年05月09日 18時37分17秒 | 日記
 先日の作文以来の都会、さらに電車に乗り換えて面接に行ってきました。明後日の朝に向けて一回目の乗り換えルートを確認するためにちょっと寄り道したあとほんとに久しぶりのドトール。郷里近郊の自転車で行ける範囲は病院内にしかないのでほんとに久しぶり。エスカレーターの右側を歩いてはいけないのか、知らなかった。都心と同じつもりでがんがん歩いてしまっていました。場所によって違いますね、郷に入れば郷にしたがえ!がなかなかできない自分。朝から薄曇りで気温が低めなので体が冷えてしまっています。冷えるとお腹が緩くなってなんどもなんどもお手洗いへ行きたくなるの、まるで子供です。暑かったり寒かったりが今年も厳しい季節の変わり目。ほとんど人と話すことなく過ぎていく毎日、眠れないとつらいので眠剤に頼り続けています。昨夜は半錠で1時頃就寝、6時過ぎに弟の足音で目がさめてしまってから布団の中でウトウトの朝、まだ暗いうちにお手洗いで目がさめるまでの間熟睡できていたようなので大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、早めにお昼を食べると家を出ました。40分ほど余裕があったのでコーヒーを飲みたいと思ったのですが店はなくおやつがわりにセルフうどんやで息整えて面接会場へ。

指定時間どおりに行ったら前の人はすでに終わっているとのことでした。おじさんが三人とも来ていたのかはわかりません。最初に志望動機をきかれたので、家から通える範囲で前職の経験を生かせる仕事をしたいと答えました。電車に乗れば心配したほど時間はかからないけれど家が駅から遠いので通勤に不安があることを正直に言いました。自転車に乗れないほど悪天候の時7時33分のバス以外に手段はないと言いました。通勤に家族の協力は得られるかときかれたので、弟は毎朝7時前に車で出かけるので厳しいと答えました。転職が多いが正社員かときかれたので一つ目以外は全て契約ベースだと答えました。いちばん困難だった仕事はどれか、困難にどう対処してきたのかときかれました。全部大変といえば大変だったけれど一つ目の銀行と13年働いた会社、そして前職が特にきつかったと答えました。具体的にと言われたので何を言えばいいのかわからず、すごくつまらない一つ目の大変さを少し語ってしまったような気がします。それから前職がどう大変だったのかをばかみたいに少し語ってしまっていたかもしれません。なぜ○○会社で働きながら資格をとったのかとの質問には、個人的なことなので差し控えさせていただいたと答えました。その他にも業務を行うにあたってすごく大事なことについてきかれたので、ほとんど前職の経験からしか話すことができずいろいろと余計なことを言ってしまいました。こちらに応募したあと援助職の求人をみたので応募したこと、援助職は資格と前職の経験をダイレクトに生かせそうなこと、作文の試験を控えていることを正直に伝えました。正直にこのことを伝えなければと思い今日は来た、このことを伝えた結果できびしいということになっても自分で選んだことなので承知していると伝えたのはハロワで相談した通り。そちらで決ればこちらは断るつもりかときかれたのでまだなんともわからないけれどその可能性はあるというように答えたと思いますが気持ちはそっちにいっていること丸わかり。この業務のためになにか勉強しているかときかれたので、一長一短でやれる仕事ではないとわかっているが援助職の作文に向けて勉強しているので前職との関わりで知ったことだけだと答えました。最後に自己PRを簡潔にお願いしますと言われたのですが、何を言っていいのかわからず、もしご縁があれば一生懸命にやらせていただきたいとは思っていると答えました。たぶん全く答えになっていないですね。こんなちぐはぐな面接が正解だとは思えず、うまくやれる人はきっともっとうまくやれるのだろうなと思います。わたしはこんなバカがつくような正直ベースでしかやれない、これで今まで生きてきてしまいました。あほだなと思います。もし援助職の面接に呼ばれるところまで行けたとしても朝の通勤不安は同じ。どう答えるか。また家をでることも考えているというしかないです。こちらはいちばん早い時間帯からの就業となればどこへ行くにしたって7時33分のバスではアウト。今日はそこまで言わなかったですが駅までの道のり、車がすごく危ないことも大きな不安材料。駅近の集合住宅に越さないかぎりずっとついてまわるいちばんの問題。援助職の書類を出すにあたっても電話で問い合わせたときすでに伝えました。気がつけば車社会の郷里に対して怒りと憎しみすら抱いている自分、郷里に慣れることができない自分が本当にやり直せるのか、車社会に挫折したことは別に言わなくいいけれど駅から遠い問題は言わざるを得ないし、なんとなく不思議がられる感あり。異邦人だらけの都心と違って個人的なことも気になるのかな。そりゃ不審といえば不審な奴なのかもしれないなあ。済んだことをあれこれ考えても仕方ないです。出来レースなのか否かよめません。おじさんたちの中から選ぶでしょう。往復の電車代1,500円かかっても、言い訳を考えて辞退したいと電話するよりは直接伝えた方がマシ。だからこれでよしとします。明日お昼を食べたら早めにどこかでおやつ食べながらもう一回資料を読み返してから温泉施設に行きますか。おばちゃんばっかりでなんか雰囲気こわいですが汗を流さないとなあ。

孤独な毎日、郷里に慣れようとがんばらないのもひとつ、慣れないものは慣れない。生まれ育った所とはいえ、30年間も離れていたのだから、田舎すぎるのについていけないの、仕方ないです。自分を責めるでないよ、自分。今日のことはもう忘れる、忘れる、「きっと何かが待っている」からさ、そう信じるしかないからさ・・・。