たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

奇跡に感謝

2019年10月16日 23時06分05秒 | 日記
 すみません、お写真、ニッカンべるちゃんのツィーターからお借りしています。清々しい笑顔、ほっぺたふっくらのやわらかい表情で美しいなあと思います。なんとも清らかな美しさ。東京宝塚劇場前で楽屋を出てきたお姿を間近に拝見したときはあまりの美しさに、きたない自分が近くにいるのは申し訳ないような気持ちになってしまい、シャンテ側に移動しました。顔小さくって色白くって輝いていました。美人さん。

 台風被害を知るにつけ、12日(土)に公演することはあり得なかったし、13日(日)の晴れ渡った空のもとで無事舞台の幕があがり、無事舞台の幕が下りたことは奇跡だと思います。その奇跡にライブビューイングでしたが出会えたことに感謝、自分ライブビューイングに行けたことに感謝。

サンケイスポーツさんの記事より

「前日12日のプレ千穐楽公演が台風19号の影響で中止になったが、「私自身が落ち込んでしまっては組のみんなが迷ってしまう。お客様を笑顔にするのが私たちの仕事。自分自身が強くなければ夢をお見せできるものではないと思ったので、昨日一日、自分自身の前向きな可能性にかけました。」中止が決まった11日の公演中、泣いているファンの顔が見えたが、星組生には「舞台の上からは自分たちはそういう気持ちでいてはいけない」と伝えた。「舞台に立てることは当たり前ではないということをみんな自覚したと思います。心を強く持つということ、前だけを向きたいというプラスな気持ちがわきあがってきました」と振り返った。」





また次なる案内で発送されたことを今朝出勤して知り、そしたらまた次なる怒りの電話ぞくぞくで、こんな専門的な内容をにわかで理解して対応しなければならないプレッシャーで緊張し、脳みそしびれすぎてきて吐きそうになりがら、今日も長い一日が終わりました。

無理に復習しようとして、思考能力を失って、集中力を失って、帰りに乗り換え駅のお手伝いでスマホを忘れました。間一髪、気がついて戻ったら掃除の方が忘れ物として届け出ようとしてくれているところでした。

毒がたまりきった一日の終わり、自分を洗い清めたくて半ば茫然としながら書きました。


現実はドロドロ、だから美しい世界にひたって忘れたい。忘れる時間は必要。みんなそうですよね。裏切らないでいてくれたたの清々しい。ことに感謝、出会えた奇跡に感謝。仕事と言い切ってくれたの、清々しいです。

紅さんの後ろでライブビューイングの大画面にばっちり映し出された桜里まおちゃんの、涙をためながら真剣に言葉にかみしめながら聴いている、笑顔の表情が全てを物語っていたなと思います。

連休明け、電話パンチくらいっぱなし

2019年10月15日 23時18分13秒 | 日記
 4連休、足腰の痛みはひどくて疲れがたまったいたせいかわりと眠れました。足腰痛いけど台風で大劇場に行けなかったので郷里近郊からあまり出ることなく、あまり歩いていません。だから眠れないのかなあ、朝目がさめた時からすごく眠かったはずなのに眠剤一錠半でようやく寝ついたのはたぶん明け方の5時頃、眠剤のみすぎで気持ち悪いです。体によくないです。携帯アラームと目覚ましをとめて、お手洗いで何度も目がさめながら9時頃まで眠りました。午前中研修の予定だったので2時間の時間給をとりました。午後4時間だけ、早いと期待し、油断していたら電話パンチをくらい続けて、長い長い午後となりました。これもあれも同時に覚えられいまま、自分の担当ではないことをどこまで答えなければならないのかよくわからないまま、4カ月半たっても4カ月半ではわからないようなことばかりで怒られながらあたふたあたふた。自分の担当ではないことも脳みそふりしぼって理解しようとしてきていて怒られながら対応していたら、次は横から変化球が飛んできて自分の担当分。でも直前に担当分ではないことで怒られたあと急に担当分が飛んできても頭が回らず、すぐに思い出せるほどのみこめているわけでもないので、怒られませんでしたが時間かかりました。平成生まれの指導担当女性が、最初の頃程わたしの面倒みることに抵抗を示さなくなって教えてくれたのでまだよかったですが、突っ込まれるとわからないことばかり。なんとか自分も理解しながら乗り切ましたが、私より手取りが高いですから、お給料がいいですからマニュアル読んで勉強してください、ってあらためて言われました。頁まで開いてくれては持ち返らないわけにはいかず、帰りにお茶飲みながら読んでみましたが脳みそがなかなか受け付けずしびれてきました。吐きそう。こんな、頭の体操しているみたいな数字のこと理解できません。たしかにこれを理解していればもっとすんなり対応できた電話の内容でしたが無理なのですよ、さびついた頭では・・・。最初の頃よりは一応字面を追えますが、自分の担当分ではないことで怒られたら全部ぶっとんで、その直後にこれをきかれても思い出すことはできません。合わない、ほんとに合わない。今月末でようやく5カ月、やっと半分。長い、長い。あと5カ月半で全部忘れてしまうことができるのだと考えればいいのかな、あと5カ月半、もつのか、もたないのか。5カ月半のために脳みそふりしぼって理解しておぼえなけれならないのか。お給料減らしてくれていいです、っていうわけにはいかないのか。むずかしい仕事だからお給料よくして募集かけてたっていうことか、そんなむずかしいようには書いてなかったけど。わたし以外はおじさん3人だった試験。経験者でなかったっていうことか、どっかの会社にいたおじさんたちなら、わたしよりさらにきびしかったていうことか。自分も今までやったことあるのを深く反省している次第、あんまり怒っていると、怒りたくなる気持ちはわかるけれど結局必要な情報をスムーズに得ることができなくて損するんだなあって、そんな怒りの電話を回された休み明け、交換の人は何怒っているか理解できなくてとにかく回してしまえっていう感じだったみたい。難しいですね、電話って。不特定多数相手は特に難しい。やりたくない、辞退すればよかったとここまできても後悔。かなり涼しくなってきましたが電車の中は寒い。車ビュンビュンがおそろしくて家の近くで悲鳴あげてスタートした一週間、あと三日もあるのか。

 明日はまたお昼休みの電話当番。今夜は眠れるでしょうか。


星組『食聖』『エクレールブリアン』_東京宝塚劇場千秋楽LV

2019年10月14日 23時31分08秒 | 宝塚
  昨日のライブビューイング、なんだか胸がいっぱいでなかなか言葉が出てきませんが当たり前みたいなことは当たり前ではなくひとつひとつが奇跡なのだとあらためて思いました。事故も災害もなく、たくさんの力が合わさって舞台の幕は上がるし、電車が動いて、生き延びているからこそ劇場に行くことができる。全てが奇跡。木曜日までは思ってもみませんでしたが、台風の影響で映画館そのものが営業中止で中継がなくなってしまった会場もありました。チケット持って方々は悔しいですよね。自分は無事ライブビューイングに行くことができてほんとうに安堵しました。郷里は台風の影響がさほどなく、ひっぱりだした防災用品も、ポリタンクにためた水も無用でした。ありがたいことです。

 土曜日は雨ガードに守られていた東京宝塚劇場の幕が無事に上がりました。開演を告げる「星組の紅ゆずるです」を最後に聴くことができました。 

 大劇場に行けなかったのでオンラインで購入した「宝塚グラフ」のさよなら特集。入団五年目に谷正純先生演出の『さくら』でプロローグとフィナーレに出させてもらえなかった、初舞台生ですら出るのに、とさすがにへこんだとあります。その上谷先生にものすごく怒られたと。それから十年の時を経て『Another World』でいつか役者を得たらと先生が長らくあたためてきた題材を上演させ、最後はほめられたとあります。これだけでも胸がいっぱい。これだけでも伝説。メモリアルブックには、佐々田愛一郎先生との対談が載っていて、最後の新人公演主演『スカーレット・ピンパーネル』では先生にすごく助けられたとあり、退団公演の指揮が佐々田先生でよかったなあと思っていたところだったので、紅子さんの姿を借りて、先生にお礼をいう姿は笑いながらむねあつになりました。「佐々田先生、オケのみなさん、ほんとにありがとうございます」「新人公演の時、先生の、はいっ!がないと歌えなかったんです、オケのみなさんはいつもゆずるちゃんのハンカチ?(だったと思う)を振ってくださってるんです」「それからゆずるちゃんも少しは?成長できたと思います」。


 愛されキャラ。苦しい、いばらのみちを歩いてきたと想像しますが、パワー・アップした紅子で笑いをとり、言いたいこといって、カーテンコールでは清々しい笑顔で宝塚への愛をつぐむ姿は輝いていました。



断片的思い出し。

『食聖』

 下級生が演じる天界の戦士たちが紅孩児の魔力に倒される時の倒れ方だったり、小林寺の鉄人たちがホンとミッキーのやりとりの後ろで細かい芸を披露していたり、はしっこからはしっこまでみんなが工夫しながら個性をはっきしていて、見逃せない、目が足りない、これが紅さんの守ってきた星組なんだあとしみじみなった一時間半でした。



世界の美魔女ヴィミー、「最後に大きな声で」客席もナマステ〜!


ホンのはけ際、「オレ今日特に超端正」


小林寺の管長、「少ない林ではなく、小さい林に寺、で天下に名高い小林寺(こばやしでら)」
ホン、「きいてないし、映ってないぞ!」

電飾が映っていませんでした。しばらく前から点滅しているという書き込みをみましたが最後は映らなくなってしまったんですね。電飾もお疲れ様でした。

管長を追いやる時のホン、「どっかいけ!気の利いたクソジジイ」

どちらも素晴らしい。大拍手でした。
管長、最後の場面に登場したときは鉄人たちとラインダンス、さすがです。


ホン、「めっちゃ骨おれてる~」
ミッキー・チョウ、「つながってる」

ミッキー・チョウ、「口は悪いがお前と出会えて俺は本当に良かった」
ホン、「俺もそう思う」

ホン、「星なんかいらない」二回目はさらにゆっくりと大きな声で「星なんかいらない」、涙が滲んでいたように思います。星を渡しながらリーの肩をポンと軽く一回。任せたよ、お前なら大丈夫だと瞳が語っていたように思います。‏

『エクレール・ブリアン』のデュエットダンス、わたし後ろから二列目で細かいところはみえていませんでしたが、紅さんは口ぱくで愛里さんに「ありがとう」って言ったいたんですね。愛里さんが肩に顔をうずめたまま、慈しみにあふれた離れがたい表情をしていたのが素敵でした。そんな愛里さんの頭を紅さんが軽く二回ポンポン。最後愛里さんがお辞儀をするとき、紅さんも精一杯の拍手を送っていた姿も素敵でした。いいコンビだなあとしみじみ。


何回目かのカーテンコールで「こんなに可愛いと思わせてくれる相手役は、わたしには綺咲愛里しかいません」と紅さん。きっと可愛いには、単に造形美だけでなく、自分を理解し寄り添い続けるための努力を惜しまなかったであろう相手役への信頼と感謝の気持ちが込められているかな。心遣いにあふれて素敵な言葉でした。誰かと比べるわけではなく、他の娘役さんを否定するのでもなく、自分にとっての最高の相手役への賛辞。

何回目かのカーテンコールで、紅さん、「皆さん毎日それぞれ大変な状況にあると思います。私たちもあります。でも宝塚をみて笑顔をなってくださるのなら、それが私たちの仕事ですから、そのために自分たちが試行錯誤するのは苦でも何でもありません」。言葉はちがっていますがこんな内容のことを伝えてくれました。沁みました。ほんとに苦労した人なんだあと。苦労した分すごく優しいんだなあと。


サヨナラショー、「夢を売る男」、手下役のレンとマオにベリー・ベネディクト「スーパーマンは誰だ?」、レンとマオ「紅ゆずる」。


愛里さんの挨拶、『鎌足』の与志古の台詞を引用しながらでした。

「これでよかったのです、私の宝塚人生は。悩みました、苦しみました、悲しみもありました。それでも、私は楽しかった!嬉しかった。そして、皆様と私の宝塚への志は生き続けます」。鎌足の人生を肯定した与志古の力強さを思い出して沁みました。



あと数時間でまた吐きそうな現実。まだ怒りの電話かかってくるのかなあ、午前中は研修なので連休明けのぼけぼけにささやかな救い。無理に無理を重ね続けてきているので、わたしは命を縮めるような生き方をしているような気がしてなりません。人生の休息のつもりで帰省した郷里の暮らしは慣れなさ過ぎてきついです。わたしはこの義務を、この郷里での暮らしをどこまで続けることができるのでしょうか。先のことは誰にもわかりません。

まだまだ書きたいですが時間切れとなってきました。


写真は8月11日(日)の宝塚大劇場。


                         

                                    
                     


                                     

                      

                          

                                   





星組『食聖』『エクレール・ブリアン』_無事に千穐楽の幕がおりました

2019年10月13日 23時30分25秒 | 宝塚
 ライブビューイングが終わって外に出るとひんやり、長い長い夏がようやく終わったでしょうか。10月半ば、台風に阻まれるとは思わなかった昨日の宝塚大劇場日帰りバスツアーの中止(公演は行われましたが満席だった40人分のチケットがまるまる当日券に・・・)、東京宝塚劇場の前楽公演中止。トップスターの退団公演中止は阪神淡路大震災で安寿ミラさんの公演中止以来のこと。サヨナラショーで紅子さんが叫んでくれました。「台風いい加減にしろ!日本国民に謝れ!宝塚ファンに謝れ!」「スミレコードぎりぎり?そうでもない?」誰よりも紅さんはじめ退団される5名が無念だったと思いますが笑いにかえて明るく吹飛ばしてくれました。今日の青空のように清々しく、紅色に染め上げられた楽しい大千穐楽、あっという間に終わってしまいました。映画館なので一緒に手拍子したり大声で笑ったりできないのが残念でした。映画館の中、笑い声きこえてきたけど全体的におとなしめ?だったかな?サヨナラショーの最後、おりんのチーンの音が長かった、なんなら途中音量あげた?あがった?長く響いていておかしかったです。芝居の最後大団円、ホンが「リー・ロンロンがんばれ」ってエールと送るとガッツポーズでこたえた琴さん。ホンが客席に背を向けて舞台上の星組生たちがわちゃわちゃと働く姿を愛おしそうに眺めていた場面、大千穐楽は舞台上にいる星組生全員がホンとアイリーンを向いてヒューヒュー、誰もが笑顔でトップコンビを称え、ホンとアイリーンの幸せ満開の笑顔で幕。これが紅さんが守りぬいてきた星組なんだなあとしみじみ。

 如月蓮さんと綺咲愛里さんが、自分が退団することよりもさゆみさんが宝塚を卒業することがさみしいと。紅さん自身も明日から「元」タカラジェンヌになる、「元」ってつくのが寂しいと。こんなに宝塚を好きな方が卒業してしまうのかとしみじみ。「小林一三先生、宝塚をつくってくださってありがとうございます」とお礼のことば。ほんとにこの方は宝塚が好きなんだと。紅さんに宝塚の魔法をかけたきっかけが『雪之丞変化』『サジタリウス』で初観劇が『仮面のロマネスク』なのはこの頃の雪組ファンとして嬉しい限り。こうしてバトンが受け継がれていく唯一無二の世界。

 いかにもサヨナラ的な場面は皆無なのに次の世代への引き継ぎがうまく取り入れられていて、アドリブでサヨナラをいえる場面がちゃんとあって、演出家の愛情と尊敬の念が込められた異色の出来の退団公演作品。大劇場と東京宝塚劇場で二回ずつ台風などに阻まれることなく無事に観劇できてほんとによかったです。この時間は二度と戻らない、一期一会の奇跡の出会いでした。

 タータンの退団公演ではいちばん端っこにいたであろう姿を認識できていませんでしたが、10数年ぶりで宝塚に戻ってきて、トップなってからの作品、『オームシャンティオーム』以外はライブビューイングも含めて全て観劇しました。現実を忘れて楽しく幸せな時間を過ごすことができました。ありがとうございました。


 





明日また語ろうと思います。今日は胸がいっぱいだし、これぐらいで・・・。

『アガサ・クリスティー自伝』(上)_第一部アッシュフィールドより

2019年10月13日 08時45分22秒 | 本あれこれ
「人生の中で出会う最も幸運なことは、幸せな子供時代を持つことである。わたしは子供時代たいへんに幸せであった。わたしには家があり、大好きな庭があり、気がきいて辛抱強い”ばあや”もいたし、互いに愛し合い、結婚と、親であることにも成功した二人の人を父として母として持っていた。


 
 現代的な標準からするとわたしの父なぞはおそらくあまりよいとは認められない方であろう。父はのらくら者であった。時代が安楽に暮らしていける収入のある時代で、安楽に暮らしていける収入のある人は働かなかった。人も働くことを期待しなかったものだ。わたしの父はどっちにしても働くことにかけてはあまり得意ではなかったように思われてならない。


 わたしの母クララ・ベーマーは子供のころを不幸せに過ごしている。彼女の父はアーガイル・スコットランド高地連帯の将校だったが、馬から落ちて致命的な重傷を負った。祖母はその時まだ若く美しい27歳、四人の子供と、未亡人扶助料だけが後に残された。ちょうどそのころ、アメリカの金持ちの後妻として結婚していた彼女の姉から手紙が来て、養子に子供の一人を引きとって育てたいという申し出があった。

 四人の子供を養い、教育するため死に物狂いに針仕事をして働いていた若い不幸な未亡人にとって、その申し出は拒むべくもなかった。三人の男の子と一人の女の子のうち、彼女は女の子を選んだ・・・というわけは、男の子たちは自分で世の中へ出ていけるが、女の子は楽な生活の有利さが必要と思われたからか、またはわたしの母が常に信じていたように、祖母が男の子の方をよけいに気づかっていたかのどちからであったろう。わたしの母はジャージーを離れてイングランド北部の未知の家へやってきた。母は憤りを感じていたとわたしは思う-余計もの扱いにされたことが深く心を傷つけたに違いないし、それが母の人生に対する姿勢を特色づけることになったと思われる。そのために自分自身が信じられなくなり、また人の愛情を疑うようにもなった。彼女の叔母はやさしくて気さくでおおような人だったが、子供の気持というものを感じ取れない人だった。母はいわゆる快適な家やりっぱな教育の強みのすべてを手にいれたのだが・・・彼女が失ったものは何ものにも代えがたいものだった。それは彼女の兄弟たちと自分の家での気苦労のない生活だった。

 母は新しい生活の中でひどくみじめな思いをしていた。毎晩泣き疲れて眠りにつくような有様で、やせ細り青ざめ、とうとう病気になってしまった。叔母は医者を呼んだ。医者は初老の経験豊かな人だったので、この少女と話し合った後、叔母のところへ行って、「あの子はホームシックですよ」といった。叔母は驚いたが信じなかった。「いいえ、そんなはずはありません。クララはおとなしい、いい子で、一つも面倒なんかかけたことがありませんし、ほんとに幸せにしてます」でも老医者はもう一度この子のとろこへ行くとまたよく話をした。彼女には兄弟があったんじゃないかな。何人? みんなの名前は? すると、彼女は泣き崩れてしまい、すべてを話した。

 悩みを打ち明けると極度の緊張はやわらげられたものの、余計もの扱いの気落ちだけはどうしても抜けなかった。母は祖母に対して祖母が死ぬまでこの気持ちを持ちつづけていたように思われる。」


「ディッキーが戻ってきた喜びのほかに、その時何か得るものがあった-何か困ったことがあった場合の、母の愛と理解の強さである。悲嘆の真っ暗などん底にある時、母の手にしっかりつかまっていることが一つの安心だった。母の手に触れていると、何か引きつけられるような心がいやされるような気がした。病気の時など、母はかけがえのない人だった。母は自分の力と生気とを与えてくれる。」



第一部アッシュフィールドより抜粋。


(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)



 
 

 


無事に・・・

2019年10月12日 23時01分07秒 | 日記
 明日無事に大千穐楽の幕が上がりますように・・・。

 劇場で観劇予定の方、ライブビューイングで観劇予定の方、自分含めて誰もが無事に見届けることができますように・・・。

 ハッピーじゃなければエンドじゃない。

 みんなが満開の笑顔で幕がおりますように・・・。

『アガサ・クリスティー自伝』(上)より_まえがき

2019年10月12日 16時59分43秒 | 本あれこれ
「人の思い出の選択を支配するのは何なのか? 人生は映画館の中に座っているようなものだ。パッ。ここに誕生日にエクレアを食べている子供のわたしがいる。パッ。二年がたち、今度はおばあちゃんの膝の上に座っている。ホイットリーさんの店から到着したばかりのチキンのようにまじめくさってくし刺しにされ、おどけてもうヒステリー状態になりそう。

 ちょっと待ってーこの間の長い空白の年月。それはどこに行ったのか? ペール・ギュントの疑問が親しみをもって思い出される。”わたしはどこにいるのか、わたし自身、ありのままのわたし、真実のわたしは?”

 わたしたちはありのままの人間を知ることは決してないが、けれどもときには、一瞬のうちに人の真実の姿を知る。わたしは自分自身思うのだが、人の思い出というものは、それ自身取るに足らないと思えるような瞬間瞬間であり、そこにこそその人の内面や最も生き生きとしたその人自身が表れると考える。」


「わたしは生きているのが好き。ときにはひどく絶望し、激しく打ちのめされ、悲しみに引き裂かれることもあったけれど、すべてを通り抜けて、わたしはやはり生きているというのはすばらしいことだったとはっきり心得ている。」



まえがき 1950年4月2日 イラク共和国ニルムッドにて より抜粋。


(『アガサ・クリスティー自伝(上)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷)



心が死ぬ

2019年10月10日 18時48分29秒 | 日記
 勝手にやっているわけでも自分のせいでもないことに、やっと理解できてきたわたしが怒らていると心が死んできます。もうやりたくない。

「二重払いじゃないか」、「そういうことではありません」と言っても聞く耳もたず。

「勝手にやるな」「7月にお知らせを送らせていただいています」「来てない、勝手なことするな」


 知らねーよ、しゃあないじゃないか、四カ月ぐらいしかやってないわたしが電話回されて説明することを求められてしまうんだからさ。顔がみないことをいいことを汚い言葉を使うなよ。

 電話は苦手、電話はきらい。

 自分、これから電話するときはもっと言葉に気をつけようと思います。

 

 

また怒られるタイミングみたい

2019年10月09日 22時52分04秒 | 日記
 今日も最初にとった電話に始まり、なんどか怒られました。わたしだけではなく職員さんもたちもみんなそうみたいで、7月頃と同じくちょうどそういうタイミングなんだと気づいたしだい。なにも変わらないとわかると〇〇へ行って暴れてやるとかおどしにかかってくる、同じ人たちがもらえるものがあるらしいことを知って電話してくるときはばかばかしいほどに丁寧でほくほくしているの、笑ってしまいます。義務を果たしたくなく権利だけ主張する、人は勝手なものだともう知っていますがいやになります、怒られながら吐きそうなります。目にはみえないところでお互いに支え合っているわけで、今はあまりお世話になっていなくって損ばっかりしているように思っていたっていつお世話になる立場になるか誰にもわかりません。その時は自分が果たさなければならない義務よりもはるかにはるかに人に助けてもらうことになるわけです。人はもっと大変。弱者のような顔して権利ばっかり主張したがるみなさんよりも下の世代はもっと大変なわけですよ、みなさんがきづいた負の遺産をこれから背負っていかなければならないのですよ。だから今お互いに支え合っていただくしかないわけですよ、これからもっともっと大変になっていくのですよ。支え合う仕組みがあるからいざという時助かるんじゃないですか、ありがたいことじゃないですか、あんまり勝手なふるまいみっとないですよ、ってか。明日もまだかかってくるんでしょうね、わたしなんとなくわかってはきましたが人によって異なる内容を自分だけの力で理解することはできないのでどきどきします。いやですね。希望のみえない仕事だなあとしみじみ。自分のしていることが間接的にはほんの少しでも誰かの役に立っているのかもしれませんがほとんどみえることはありません。怒られることの方が多いです。なんだかむなしいなあと思います。援助職ではない、事務職なはずですが結局そういうことが多いとわかりむなしいです。誰かがやらなければなりませんがいやな仕事。二度とやりたくない。観劇も旅もお金は必要、収入は必要なので今はやるしかない、それだけです。

 台風はどんどん速度を速めているのかな。刻々と予報がかわっていて日曜日の降水確率はさがってきています。心配なのは朝だけになってきたもよう。わたしが行く予定の田舎の映画館もライブビューイングのチケット、昨日みたら完売になっていました。公演中止なんてありえません。土曜日の日中どうかな、自分大劇場から帰ってくる頃がいちばん心配になってきました。最悪自転車は駐輪場におきっぱにしてタクシー乗るしかない、そうすると日曜日のライブビューイングに徒歩でいくことになるのでそれもきつい。とにもかくにもまるっとみんな無事でありますように・・・。

 キャッシュコーナーに行くのも手数料を節約しようとすると帰りに遠回りして暗闇の中を自転車で走らならず陽がどんどん短くなってきているのであぶない、あぶない。対して歩いてですが足腰は痛むの、昨日左足つっていたのでトイレに入ったりしたときなどこまめにできるだけ体を伸ばすように心がけました。なんとかもう少し無事に生き延びていきたいです。

 明日また有給休暇の申請しないとです。金曜日はまた暑くなる予報なので休む予定いれておいて正解でした。朝と夜は涼しくなってきたのに郷里近郊の電車は相変わらずきんきんに冷やしているのでこたえます。20分は乗らないといけない、長いと30分。弱冷房車は浸透していないのでつらくってつらくって、これから先もこの電車を利用して通勤する生活を続けるのは無理だとわかりました。もともと苦手意識があったものはやっぱり苦手でした。

『食聖』の音源配信、タブレット端末にダウンロードしたので毎朝聴いています。悪い人はどこにもいない、舞台の端から端までみんなにみせばがあってみんなが笑顔で幸せ満開の楽しい時間を思い出しながら準備する朝、ひとときでも心から笑える。ほんとに楽しく幸せだった観劇の時間、こんな作品を届けてくれたことに心から感謝。

 現実から逃げる場所と時間は人生に必要、美しいは正義なのさ。




嵐を呼ぶ男・・・

2019年10月08日 22時57分26秒 | 日記
 13日の星組東京宝塚劇場千穐楽を前にまたもや台風が星組のさゆみさんに会いに来ようとしています。お盆の頃、大劇場公演中が中止になるかもと心配させた台風が、花組のさゆみさんの大劇場公演中は大劇場には全く近づかなかった。今度は東京の星組公演に近づいて中止になるかもと心配させました。星組のさゆみさん、台風にまで愛されている? いやいやそれでくださいな。ライブビューイングが予定されている退団公演。この日のためのプログラム発売も発表されて中止なんてあり得ない。無事に千穐楽を迎えられますように。楽屋入りと最後のパレードの時だけでも雨が降りませんように。強い風が吹きませんように。千穐楽のチケットをもっている人、当日券に並ぶ人、日比谷でライブビューイングみる人、日本全国で、台湾で、香港で、ライブビューイングみる人、みんなが無事に観劇できますように。

 自分は前日月組の大劇場日帰りバスツアーに参加予定。帰ってくる頃が危ないっぽいなあ。ライブビューイング会場の映画館は同級生によると家から自転車でも行ける場所らしいですがタイ分きちゃったらどのみち無理なので心配。星組のさゆみさん、もってる男だと信じてあとは祈るしかないです。                

 昨夜は眠剤半錠で寝つけずさらに半錠でなんとか五時間睡眠。今日も吐きそうになりながら仕事していたら左足のふくらはぎがつっています。このまま田舎暮らしを続けていても体をこわしてしまうのかなあ。歩くことが少なくなって、足の筋力がおちてきてしまっているのかなあ。あまり歩いていないですが足腰は痛みます。11日はまた有給取得予定。やることやればいいからさ。自分無事に連休を迎えられますように、大劇場もライブビューイングも無事に観劇できますように。

 明日はまた苦手な電話の昼休みの当番。不特定多数相手の顔が見えない電話、むずかしいですね、今日も怒られてしまいました。しゃあないよ。

 「歌劇」、一度も買ったことないですがたまきちからのメッセージにまさかの涙するとのことなので読みたい、読みたい。荷物減らし中ですが生きているなら買わなくても後悔しそうなのでサヨナラ特集の「歌劇」と「宝塚グラフ」、キャトルレーヴで両方買っちゃおうかな。

『スカーレット・ピンパーネル』のポスター、当時の愛里さんにはかなり大人な役で、大人っぽいメイクに悩んでいたところ、紅さんの「まゆげのないあーちゃんも好きやで」の一言でまゆげをそりおとして描き撮影にのぞんだというエピソードがあるそうな。撮影はレスリー・キーさん。美しい仕上がりのポスターでした。