ベトナム・アフガン・イラク戦争は
国際法違反の米国の侵略戦争だが
どれだけの日本国民が
この事実を把握しているか!
史上最大の米韓軍事演習だって
正義は米韓!不正義は北朝鮮だしな!
国連が
アフガニスタンでの民間人の殺害についてアメリカに警告
2016/02/25(木曜) 23:40
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/62598-
イルナー通信によりますと、国連は24日水曜、報告の中で、アフガニスタンでの民間人の殺害についてアメリカに警告し、「この7ヶ月のアフガニスタンにおけるアメリカの無人機の攻撃により、民間人103人が死亡したが、これは悲惨なものだ」としています。
この報告ではまた、2015年には、アフガニスタンでのアメリカの無人機の攻撃平均4回ごとに一人の民間人が死亡したとされています。
これに関して、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、2015年の年次報告の中で、アフガニスタンの民間人の殺害に懸念を表明し、この措置は、同国の歴史上、類を見ないものであり、拡大する深刻な脅威だとしています。(引用ここまで)
米無人機「殺害した9割が別人」資料公開
2015年10月18日 01:08
http://www.news24.jp/articles/2015/10/18/10312471.html
アメリカ軍の無人攻撃機について「殺害した9割が目標とは別人」という資料が公開された。アメリカ軍がアフガニスタンなどで運用する無人攻撃機について、軍の内部文書とされる資料をアメリカのネットメディアが公開した。アフガニスタンでは2012年5月からの5か月間に殺害した人物の9割が目標とは別の人物だったとする内容も含まれている。この報道について国防総省はコメントを拒否しているという。(引用ここまで)
アフガニスタン:急増する無人機による攻撃 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RUHC3Bt_7gg
米国どこへ 無人機パイロットの告白
Texts by 西田進一郎 2015年1月6日
http://mainichi.jp/articles/20150106/mog/00m/030/007000c
米軍がアフガニスタンやイラクで「テロリスト掃討」を目的に実施してきた無人機空爆作戦で、実際に無人機を遠隔操作して攻撃に参加した元米空軍操縦士、ブランドン・ブライアントさん(29)が毎日新聞の取材に応じた。自宅がある米西部モンタナ州ミズーラの喫茶店で「テロとの戦い」について語った。
ブライアントさんは、「敵かどうかも分からない多数の人を殺害した。自分の過去は変えられず、悔いても悔いきれない」と、除隊から3年以上たつ今も自責の念にかられている。
今も鮮明に頭に焼きついて離れないのが2007年1月の爆撃だ。アフガンで駐留外国軍を銃撃する旧支配勢力タリバンのメンバーらに対し、空対地ミサイル「ヘルファイア」を撃つよう指示された。2人1組の任務で、ブライアント氏が武装集団にミサイルを誘導するレーザーを照射し、もう1人の操縦士がミサイル発射ボタンを押す。初めての爆撃指示だったため上司に抵抗したが、「合法的な命令であり、従うように」との上官の言葉で議論は打ち切られた。
操縦席に着いて任務が始まると、状況が変わった。米軍のF16戦闘機が丘の頂上付近から銃撃していたタリバンのメンバーらをめがけて空爆を実施。このため作戦は突然変更され、付近の別の地点を監視するよう指示が出た。男性3人が現場方向に向けて歩いているのを発見すると、攻撃して殺害するよう命じられた。
「聞こえるのは、ミサイルを撃つためにボタンをクリックする音だけ。ミサイル発射の時の衝撃波音も、標的に当たった爆発音さえ聞こえない」
レーザー誘導されたミサイルは標的を破壊し、着弾後の煙の中から鮮明な画像がモニター画面に映し出された。バラバラになって即死した2人と、右足を吹き飛ばされ、血を流しながら足を押さえてのたうち回る男性の姿だった。ブライアントさんは男性が動かなくなるまで画面を見つめ続けた。むごたらしい画面を見なければならないのは「他の誰かが来て、遺体を拾いにくるかどうかを見る」ためだった。集まってくる仲間をさらに攻撃するためだ。
「今となっては、彼らは敵だったのかさえ分からない。悪い時に、悪い所にいただけの市民だったのではないか。誰なのか、どこから来たのか、何が目的だったのかも知らない。ただ命令に従い、私は彼らを殺した」
× × ×
ブライアントさんが無人機を遠隔操縦していた米軍基地内の場所は、「コンテナ」と呼ばれる窓のない長方形の建物だ。コンピューター機器を冷やすファンの音だけが静かに響く暗い部屋には、操縦士と副操縦士の席が横に並び、14個のモニター画面だけが怪しく光っていた。
100人以上が「どこか」で同じモニター画面を見ており、指示を出してきた。空爆命令が出ると、コンテナの外で「命令」「許可」などのやりとりがなされたうえ、最後にコンテナの2人に「撃て」という命令が下りてくるのだった。
週6日の基本的な勤務は、その日の任務についての30分の事前ブリーフィング▽4時間半の操縦任務▽1時間の昼食休憩▽4時間半の操縦任務▽30分の事後ブリーフィング▽2時間の事務作業−−という、休憩を挟んで計12時間だ。コンテナの外に出ることはない。人手不足から、約5年間の操縦士としての勤務のうち最初の4年は休暇もとらなかった。
だが、ブライアントさんは「自分が人を殺せるなんて思っていなかった」と語る。入隊した05年、無人機を操縦してイラクやアフガンで爆撃するとは想像もしていなかった。画像情報アナリストとして画像情報の収集、分析をしていたはずが、いつの間にか無人機のカメラとミサイル発射のためのレーザーを操作する副操縦士になっていた。「知らないうちに引きずり込まれた」
入隊の翌06年4月に無人機プログラムの訓練に参加したブライアントさんは、その年の12月には初めての無人機操縦の任務についた。イラクでの米軍車両の移動の安全を上空から無人機で監視するものだった。しかし、ブライアントさんの初の無人機での任務は悲惨なものとなった。
ブライアントさんが米軍車両の進行方向はるか前方にあった路面の異変に気づきながら、情報は車両に適切に伝わらなかった。モニター画面の前で、車両は地面の即席爆発装置(IED)で爆破され、米兵が死亡したのだ。「私の精神は打ち砕かれた。二度と同じことを繰り返すまいと努力し、同じことは起こさせなかった」。ブライアントさんは無人機について徹底した勉強と情報分析にのめり込むこととなった。
× × ×
ブライアントさんは今、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいる。「秘密の任務」のため、誰にも話すことができず、「戦争と平時」の二つの世界を行き来する切り替えができなかったという。
たどり着いたのは、民間団体「プロジェクト・レッド・ハンド」を設立し、無人機による戦争の実態を語り始めることだった。「私がこれまでしてきたこととのバランスをとりたい」という願いからだという。今後は、戦争をゲームのように「格好いい」と考える子供たちがなくなるよう、ゲーム会社などに働きかけていく考えだ。
無人機による攻撃はしばしば「見えない戦争」と呼ばれる。しかし、ブライアントさんは異議を唱える。「このような形の戦争は『見えない戦争』ではなく『臆病者の戦争』だ。軍人の気質を、米国の規範を破壊し、ただ新たな恐怖を生み出している」
ブライアントさんによると、13年に米誌の取材を受けた際、雑誌社が取材内容の確認を米国防総省に問い合わせた。同省は「彼は正しいことを言っている」と回答したという。(西田進一郎)(引用ここまで)