会津の重ちゃん日記

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桜めぐりの旅 5 おはらい町 

2013-04-20 21:41:43 | 旅行
2013年4月20日(金)晴れ 10.0℃~3.0℃

4月12日 旅行第2日目。神宮の参拝を終えて宇治橋を渡り、右のおはらい町へ。
フリー百科事典によると
 

 伊勢神宮・内宮前で栄えるおはらい町は、伊勢参宮街道の終点宇治橋手前の、伊勢市宇治今在家町から宇治中之切町を経て宇治浦田一丁目に至る約800mの伊勢おはらい町通り(いせおはらいまちどおり)の両側に広がる。宇治今在家町から赤福本店前(中橋西詰)までの区間は三重県道に(三重県道715号館町通線)、赤福本店前から宇治浦田一丁目までは伊勢市道に(伊勢市道宇治新橋線)指定されている。
 
 伊勢神宮の鳥居前町として栄えたおはらい町は、江戸時代には参宮客が年間200 - 400万人も押し寄せた庶民の憧れの地であった。当時、日本全国から参宮客を集めた御師と呼ばれる人々がこの通りに館を連ね、客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったという。

 高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半には伊勢神宮の参拝客が500万人であるのに対し、おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込んでいた。観光客は伊勢おはらい町通りに平行する国道23号を利用してバスや自動車で宇治橋前まで乗り付け、参拝を終えるとおはらい町へ立ち寄らずに次なる目的地の鳥羽・奥志摩方面へ行く者が増加した 。近代化の波を受けて「伊勢らしい建物」をなくしたおはらい町は、観光客の魅力を失っていた。

 この状況を憂慮し立ち上がったのは、この地に本店を構え、「5年で給与倍増」するという目標を4年で達成して勢い付いていた老舗和菓子店の赤福であった。赤福は有志を募り1979年(昭和54年)に「内宮門前町再開発委員会」を結成、赤福社長の濱田益嗣の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ、日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づいて伊勢の伝統的な町並みの再生が始まった。

 沿道には伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理を供する飲食店、真珠や伊勢茶などを販売する土産物店が軒を連ねている。中には民家や郵便局・銀行もあるが、ほぼすべての建物が切妻・入母屋・妻入の木造建築で統一されている。これらの建物の多くは1970年代以降に民間主導で進められたまちづくりの結果、景観維持を目的に整備されたものである。

また、おはらい町の真ん中あたりにおかげ横丁などもつくられ賑わいを見せていた。