あかない日記

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ポルトガル紀行82 コインブラ12 ジョゼ・アフォンソとカーネーション革命

2019-06-19 | ポルトガル紀行

 

 

    

 

 

路地を行く途中 
建物の壁に 人顔のタイル絵があった。

気になって 調べたら

ポルトガルの 反体制派歌手
ジョゼ・アフォンソ(1929-1987)であった。

壁にある説明には ジョゼ・アフォンソ(=ZECA)

大学時代にここに下宿した旨書かれている。 

彼は「カーネーション革命」にあっては
欠かせない人物であった。

「カーネーション革命」につては 

当ブログ2019-04-06でも触れている。

学生時代にコインブラ・ファドを歌っていた。
その後 社会問題を取り上げた作品を
多く自作して歌うことから
サラザール独裁政権に対する
反ファシスト地下運動のシンボルとなり
彼の歌は放送禁止となり 
投獄されてしまった。

1974年4月24日午後10時55分
革命開始の合図として
リスボンのラジオ局から
ユーロフェスティバルに向けた
ポルトガル代表曲「さようならの後に」
(エ・デポイス・ド・アデウス)を流した。

引き続き 25日午前0時25分には

反体制派歌手ジョゼ・アフォンソによる革命に
向けた歌「グランドラ・ビラ・モレナ」が流され
「全て順調 行動に移れ」の二度目の合図に
若手将校たちが出撃し
ほぼ無血のうちに革命がなされた。

 

25日朝 クーデターを知った民衆は
続々と町へ繰り出し
民衆が投げた
カーネーションを
兵士らが銃口に刺したことから

カーネーションが 革命のシンボルとして
「カーネーション革命」ともいわれるようになった。

その後のジョゼ・アフォンソは
1983年 教師の職を再認定され復帰する。

この年には その功労をねぎらう行賞が

与えられたが 辞退し 1987年2月病没した。

葬儀には 3万人が参列し 棺は遺言とおり

何のシンボルも持たない真っ赤な旗で
覆われたという。