アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ノイマンタール人になるとこだった

2016年05月12日 | 生活
ネアンデルタール人についての記事を書いたところで、マイミクさんから教えてもらったんだけど…

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ネアンデルタール人という名前は、ネアンデル谷から発見されたところからついたというのは聞いたことがありました。
でもその谷の名前はそもそも、人名からついたものだそうです。

つまり、ネアンデルさんが、その谷で度々集会や礼拝を催し、講話を行ったりしたことを顕彰されて谷の名前につけられたのね。
ところが、そもそもネアンデルさんがその名前になったのは、当時ギリシャ風に名前を読み変えるのか流行りだったからとかで、元の名前はノイマンさん。意味は…「新しい人」ってところですか。なんか偶然にしちゃ出来過ぎです。改名してなかったらノイマンタール人だったね(^^;;

ネアンデルさんは讃美歌をたくさん作ったことで有名で、なので信心深い人だったのでしょう。その人の名前が進化論の鍵を握る種族の名前に転用されてしまったことはちょっと皮肉な感じもします。


前に記事にしたことがある、ジョン・ハンターさんは、ありとあらゆる動物を観察しまくり解剖しまくり、ダーウィンより少し前に進化という概念にたどり着いたらしいけれども、彼のできたことは、生きた動物の生理現象を観察すること…それに何か操作を加えて(実験)観察すること…それと解剖すること。ともかくそうやって見る(化石含む)ことしかできなかったわけで。

それでどの動物とどの動物のどこが似ていてどこが違うのか。

徹底的に見て見て見て見まくった。

そうして、生物がとてつもない長い時間を経て、簡単なものから複雑なものへと進化してきたことも、
人間もそうやって猿のような動物から進化してきたことも。
「はじめの人類が黒人だった」(←どこからそんなことを??)
とかまで、知った、というと言い過ぎなら、感じとった。すごいことだと思います。

21世紀になった今は、ジョン・ハンターさんと俄然違う、強力なツールを手にしているわけですね。

今、生きている生物同士の遺伝子を比べて、一致率がどのくらいかを調べることで、
どのくらい昔に枝分かれした種なのかを推定できるって、
頭よすぎてシビレます…

その調べ方って、偶然見つかったり見つからなかったりする、化石に頼らないで進められちゃう研究だから強力です。

ある種とある種の距離を調べるにも役立ちますけど、人類の中でも。

ふつうの遺伝子あたりは父と母の遺伝子が混ざっちゃうからわかりにくいんですが、Y染色体は混ざりませんので、そこを調べていくと人類の中での近さ遠さがわかります。それで、アフリカから発祥した人類がどう移動して地球上に散って行ったかとか、かなりわかってきました。

もう一つ、混ざらないのはミトコンドリアの遺伝子です。こちらを辿っていくと母系を遡っていけるのですが、それによって、どの民族を辿っていっても、現生人類はすべて約20万年~12万年前あたりにいた(はず)のアフリカ女性に行きつくことがわかっています。これが人類アフリカ発祥説の重要な裏付けの一つとなっているのです。(「人類進化の秘密がわかる本」)

別に自分の祖先がどこから来たにせよ、今の生活に特に関係ないというか役には立たないんですが、私はこの手の話が大好きです。昔夢中になった本に「せいめいのれきし」(バートン作、岩波書店)がありますが、今やずいぶんと常識が変わってしまっていて、笑えます。
#と思ったら、なんと新版が出ていました(「せいめいのれきし 改訂版」)。
#「現在の知見をもとに本文を改訂」ですって!! 見てみたい。私が持っているのは子どものころ買ってもらったものです。

ここからまだ私の目の黒いうちに、常識がいろいろと変わっていくことは大いに考えられますが、それがまぁ「科学的事実」というものですね。だんだん根拠が増えていって、細かいところまでわかっていくという…

今信じられているところの「事実(に近いかと考えられる仮説)」を真実として妄信するとしたらそれは科学じゃない。

現在、上記の本の中には、
クロマニヨン人は現在のヨーロッパ人種の祖先であると考えられているけれど、特徴のいくつかは現代ヨーロッパの人たちと異なる。大きな鼻や金髪、青い目などはネアンデルタール人との交配により得た遺伝子で、それによって「より」寒冷な気候に適応できたのではないか
ということが書かれていますが、こんな細かいあたりは「吹けばとぶよな」話で、そのうち何か新たな発見があってがらりと変わってるかもしれません。

でも、さすがに「地球は数千年前に生まれた」とか「すべての動物が一気に発生した(創られた?)」という話になることはないでしょう。


1996年、ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は、「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった」ということを公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べたそうです。ただし、肉体の進化は認めるが、魂は神様のみにより作られたもので、そのことは矛盾せず両立するとか。

私は信者じゃないのでいまいちこのあたりの感覚がわからないのですが、宗教というものは、新たに得られた手がかりを取り入れて論理的に推測して教義を変えていくようなものではないわけで、科学が主張することをいちいち否定したり対抗したりすることには意味がないと思います。科学がころころ移り変わっていくことは「そっと静観」して自分の守備範囲(魂)について取り組むのがよいですよね。

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コメント (4)
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