アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

大人再開ピアノ、子どものときの蓄積

2016年05月10日 | ピアノ
一口で大人再開ピアノといっても、子どものころに果たしてどこまで…というか何を…やってたのかというのは激しく人それぞれなので、ざっくりくくるのは無理ですよね。

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昨日、某所の雑談の中で、いわゆるピアノメソードというかカリキュラムというか、要するに昭和のピアノ教室でやってた内容ってのは、せめて11歳までは続けてくれることを前提になってるとか。その前に辞めちゃうんだとあんまり意味ないとかいう話が出てました。根拠はわかりませんが(要出典)、妙に納得しちゃう気持ちもあったりなかったり。

たとえば、バイエルとブルクミュラー25番やったあとに、ツェルニー30番やらソナチネアルバムやらインベンションやら始まるとするとそこからがようやく本番。

「本番」に入ってからしばらくレッスンしていれば、とりあえず音楽の基礎とピアノの基礎(って何?)は身について、その後長い中断に入っても最低限必要なパーツは体の中に残ってるだろう、というような。

もちろんそれから、ツェルニー40番、50番とか、バッハ平均律とか、ショパンエチュードとか、本格コースに進むかどうかは人によるとしてもね。

そう考えると、せめて11歳…ところでこの半端な数字ってどこから来たんでしょうね、なんとなく中学受験勉強が本格化すると辞める雰囲気で、現実と妥協した感じがしなくもないけど。

これでいくと私の場合、11歳どころか8歳で辞めちゃってて、ソナチネレベルどころかブルクレベルなわけで、何にもならないといったところですが。

何にもならなかったかといえばそんなことはないです。

もし、このような経験がなくて、いきなり30代後半になって人生初ピアノ参戦ということになっていたら、とてもじゃないけど今ほども弾けてないと思います。

この、早すぎる辞めピアノ経験ですが、このおかげで
・譜面が読める
・聞いた音がわかる
音楽が好きになった
という巨大な財産を得たわけで、「あんまり意味ない」というようなものではないです。

ココがあったからこそ、ピアノをしてなかったン十年のブランク中も、小学校の合唱クラブやら、大学のフルート同好会やら、いろんな経験を通してアンサンブル経験を積んでおくことができたわけですしね。

今もし、ロクに練習しないお子さんに払うピアノの月謝を「ドブに捨ててるようなもんだわ」と腹立たしく思う方がいらっしゃいましたら、

ピアノがろくに弾けてなくてもそれはとても価値あるプレゼントです

と言いたいです。

私に欠けていたのが何かというと、「バリバリ弾ける」という指のトレーニングです。これはこれで、若いうちにやっておく価値があることなのですが…なくてもそれはそれでなんとか楽しめます(楽譜が黒いやつを避ければ済むこと)。指のためには、やはり8歳じゃなくてもうちょっと長く続けること、ただ続けるだけじゃなくて練習することが必要だと思います。

ピアノ自体がちゃんと弾けてなくても音楽の基礎を作るにあたっては、ピアノ曲を弾くのに併行してソルフェージュや、聴音をやっていたのがとてもよかったと思うのですが、これはあまり一般的じゃないかもね…練習してこない子のレッスン時間、間をつなぐにはいい案だと思うんですが(^^;;

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コメント (2)
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