アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「ドーミソシードレド」が一つながりでないという衝撃

2017年10月11日 | ピアノ
一番知られているかもしれないモツソナ「ドーミソシードレド」(K.545)ですがこの冒頭、みなさんの耳に沁みついてるのはどんな弾き方ですか?

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私は「ドーミソシードレド」で一まとまりになってスラーかかった形の楽譜を見て弾きましたし、
昭和の音楽教室ではみんなソレですから耳に沁みついてるのもそれです。

この楽譜は全音版の「ソナチネアルバム」です。「みんなのソナチネ」コーナーのために弾いてた曲ですし、そりゃー「ソナチネアルバム」使わないとね♪

しかしこの幅広いスラーは、モーツァルトより後の時代のどっかの誰かさんがつけたもので、モツ様の意図(弾き方)とは違うらしい、ってのはなんとなく知ってはいたんだけどね…

先日汐留ベヒシュタインサロンに行ったとき、平積みになってたムック
「フォルテピアノから知る古典派ピアノ曲の奏法」(音楽之友社)
を買いました。この中にこのモツソナのことが詳しくでていて、問題の冒頭部分は
「ド/ミ/ソ/シードレド」
(/はアーティキュレーション指示)
となっていました。

アーティキュレーションって言葉、私はピアノ的にはあんまり馴染みがないんだけど、
昔、フルートやってたときはよく使っていました。フルート業界でアーティキュレーションといえば、要するに舌を使って「トゥートゥートゥー」ってするかどうか(タンギング)ってことで、これを考えないでフルート吹く人はさすがにいない。

ピアノではあまり聞かないような気がするけど…

【アーティキュレーション】音をつなげる、切るなどの処理のしかたを「アーティキュレーション」といいます。英語のartiulateは「明確に発音する」の意味。拍節感や音の優劣関係に基づき、「話すように」演奏することは、18世紀の音楽のもっとも重要な奏法の一つでした。(上述のムックより)

それと、おぉぉぉと思ったのは

【ノート・イネガル】フランス語で「不均等な音符」の意。バロック時代のフランスの演奏習慣で、均等な音価で書かれた二つの音符を「長め-短め」または「短め-長め」のように不均等に演奏します。(略)長短の比率に決まりはなく、テンポや曲想に応じて奏者が判断して演奏します。(上述のムックより)

冒頭の「ドーミソシードレド ラーソドソーファミ」のあと音階がだーっと続く小節群に差し掛かりますが、ほら、音階っていうと特に「粒を揃えて」弾きなさいってな感じでしょ。
それが
「18世紀の演奏スタイルは、すべての音を不平等に扱うことでニュアンスをつける「ノート・イネガル」が基本です。スケールを弾くとき、16分音符が全部べったり同じような音色で並んでしまうのは避けなければいけません。楽譜上は全部同じクオリティに見える16分音符ですが、当時の価値観では一つ一つの音に優劣関係があるのです(略)」

というのでなんだか新鮮です(o_o)

誌上でレッスンを受けているのは芸大四年生の方ですが「「ドーミソシードレド」をレガートで弾くのが当たり前という固定概念がどうしてもあって、その概念から離れること自体が難しかったです」といっています。もっともだ。

…もちろん、これは当時の楽器を使い当時の奏法で弾くという説明なので、今、現代ピアノでこのモツソナを弾くときに必ずこうしなければならないという話ではないでしょう。

ソナチネアルバムのように長いスラーも、確かに大きなまとまりとしてそのようなフレーズがあるわけですからそれを知らせる意味で間違いではないんです(おゆき先生談)。

それでも、なるべくそうやって当時の楽器を触り、当時の奏法を知ってみれば、今まで気が付かなかった表現に出会えることは確かで、この生徒さんも言っているように
「第二楽章は、アーティキュレーションを忠実に表現すると、まったくちがう音楽になるのを感じました。ふだんあまりしたことのない高度なアゴーギクも教えていただき勉強になりましたが、慣れないと不自然に聴こえてしまったりするので、自然な歌い方ができるようになりたいです。」
…とにかく現代ピアノ+全音版ソナチネアルバムでは見えなかった魅力が何か見えてくる、ただしそれをマネして「板についてない」状態だと何か変かもね(^^;; ってことではあります。

「アーティキュレーション」「ノート・イネガル(←→ノート・エガール)」「アゴーギク」とかいう言葉を知って、モツソナを弾いたり聞いたりすると何かちょこっと違いが出てくるような気はするよね。

ただ、「ノート・イネガル(←→ノート・エガール)」「アゴーギク」といっても、どう不均等になるのかはデタラメじゃないんで、拍節感とか、音形とか、そういうところから必然性があってこうなる、というのと、あとそれを実際自然に弾くというところが、わかったようなわからないような、正直やっぱりあんまりわかってないんで、やっぱりぼちぼち不要不急のモツソナもときどきおゆき先生のところに持っていこう、と。

あ、おゆき先生は、ソナチネアルバムのまんまでレッスンに持って行ったときも、楽譜を破り捨てたりはしませんが、ちゃんと拍節感や音形からくる表現の必然については懇切丁寧に指導してくれましたよ。「ノート・イネガル」という言葉を使っていなくても意図するところはたぶん同じ方向。


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コメント (2)
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