今まさに、囲碁や将棋で、なんか人間が機械に勝てなくなるっぽい、って雰囲気になってますが…
←意地を張るとか、焦るとか、そんな要素も観戦の楽しみのひとつ。
それよりずっと早くにその状態になったのが、チェスとオセロ。
ちょうど20年前(1997)の出来事ですって。
あらやだそんな前だったかしら。カスパロフさん云々ってのがなんか記憶に新しいんですけど…そっか20年前か…(年取るわけだわ)
今日、オセロの元世界チャンピオンの方のインタビュー記事を読んでたいへん興味深かったんですけど、
(人間VSコンピュータオセロ 衝撃の6戦全敗から20年、元世界チャンピオン村上健さんに聞いた「負けた後に見えてきたもの」)
人間が負けるかも、という情勢になってきたとき、その業界トップの人たちの考えとしては、戦いを避けて結論を先送りにしたいという気持ちが起こるものらしい。機械のほうが強いって結論きっぱり出ちゃうと、自分らのやってることの価値が崩れちゃうんじゃないかという恐怖。
でもこの村上さんは、負けることはもうわかっていたけど堂々本気勝負をして、六戦全敗した。なかなか潔いと思います。
カスパロフさんは、絶対勝つ的な気合で臨み、負けたらほんとにがっくりだったらしいけど、
村上さんは、もう機械のほうが強いことを知って臨んだので、それよりは気楽だったと言います。
「負けると思っていたのでショックではなかったですが、消耗しました。勝ちが全然見えてこなくて。その状態でずっと4時間近く集中していて、しかも1日2試合もあったので……。」
中盤で劣勢がはっきりしているのに、投了(中押し勝ち)というシステムがオセロにはないらしく、最後まで打たないといけない。対局している本人以外には、だんだん差が開いていく(終盤、コンピュータ側は読み切りなので)「〇目差」が見えるという…なかなかしんどいですね。
「「チェスと同じ年にオセロが負ける」ことで、歴史に名が残ると思いました。「負けた」という歴史を刻むことは、複雑な知的ゲームとしてのオセロの立場を守ることにつながると。」←スゴイ
ともかく機械のほうがはるかに強い、ということは早々20年前に明らかになってしまったので、将棋界よりそれだけ先に行っているわけだけど、そこで救いというか、別に人間対人間のオセロが廃れてはいない。オセロは決して底の浅いゲームなどではなく、人間にとっては一生賭けてもヨミ切れない(事実上)無限のバリエーションがあるゲームなので、おもしろさは変わらない。
変わらない中で変わってくるのは、機械が先生にもなるということだ。もちろん機械をカンニングしながら対局するのはNGだが、研究のとき利用するのは自由なので、たとえば序盤などで機械に最善手を探させれば、人間より頼りになる(神の知る最善手にたぶん近い)ということになるのだ。
このインタビュー記事のおもしろいところは、そうやって機械を使った研究が一般的になったあとの世界が詳しく語られていること。
機械が言ってる「この手がベスト」というのがおそらく正しいとなると、それ以外の(機械的に計算してベストの手より劣る)手は打ちたくなくなるのが人間の心理ではあるけれど、機械の推薦手ばかりを指してると狭くなるってことでもある。それに逆らって、ほんとは最善ではないかもしれない手を打つと、あっちゅう間に研究手順から外れてしまうわけで…
「多くの若手はコンピュータが推奨する手ばかり打つので、他の手への経験値が足らず、対策がおろそかになっています。一時はそこを突いて私が連勝を重ねたこともありましたよ。」←これまたスゴイ
そして、機械を研究に取り入れたことで人間が強くなったかというと、
「私見ですが、驚くほど上がっていません。本当はもっともっとレベルが上がっていてもおかしくないのですが……意外にもほとんど上がっていません。」
機械はあくまで機械であって、手の評価値は教えてくれても、考え方をわかりやすく人間に教えてくれたりはしないので、確かに機械の助けを借りていろんな新手は出てくるけれど、人間のオセロレベルがぐぐっとアップするってもんでもないようです。
将棋の20年後もそんな感じなんでしょうかね…
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それよりずっと早くにその状態になったのが、チェスとオセロ。
ちょうど20年前(1997)の出来事ですって。
あらやだそんな前だったかしら。カスパロフさん云々ってのがなんか記憶に新しいんですけど…そっか20年前か…(年取るわけだわ)
今日、オセロの元世界チャンピオンの方のインタビュー記事を読んでたいへん興味深かったんですけど、
(人間VSコンピュータオセロ 衝撃の6戦全敗から20年、元世界チャンピオン村上健さんに聞いた「負けた後に見えてきたもの」)
人間が負けるかも、という情勢になってきたとき、その業界トップの人たちの考えとしては、戦いを避けて結論を先送りにしたいという気持ちが起こるものらしい。機械のほうが強いって結論きっぱり出ちゃうと、自分らのやってることの価値が崩れちゃうんじゃないかという恐怖。
でもこの村上さんは、負けることはもうわかっていたけど堂々本気勝負をして、六戦全敗した。なかなか潔いと思います。
カスパロフさんは、絶対勝つ的な気合で臨み、負けたらほんとにがっくりだったらしいけど、
村上さんは、もう機械のほうが強いことを知って臨んだので、それよりは気楽だったと言います。
「負けると思っていたのでショックではなかったですが、消耗しました。勝ちが全然見えてこなくて。その状態でずっと4時間近く集中していて、しかも1日2試合もあったので……。」
中盤で劣勢がはっきりしているのに、投了(中押し勝ち)というシステムがオセロにはないらしく、最後まで打たないといけない。対局している本人以外には、だんだん差が開いていく(終盤、コンピュータ側は読み切りなので)「〇目差」が見えるという…なかなかしんどいですね。
「「チェスと同じ年にオセロが負ける」ことで、歴史に名が残ると思いました。「負けた」という歴史を刻むことは、複雑な知的ゲームとしてのオセロの立場を守ることにつながると。」←スゴイ
ともかく機械のほうがはるかに強い、ということは早々20年前に明らかになってしまったので、将棋界よりそれだけ先に行っているわけだけど、そこで救いというか、別に人間対人間のオセロが廃れてはいない。オセロは決して底の浅いゲームなどではなく、人間にとっては一生賭けてもヨミ切れない(事実上)無限のバリエーションがあるゲームなので、おもしろさは変わらない。
変わらない中で変わってくるのは、機械が先生にもなるということだ。もちろん機械をカンニングしながら対局するのはNGだが、研究のとき利用するのは自由なので、たとえば序盤などで機械に最善手を探させれば、人間より頼りになる(神の知る最善手にたぶん近い)ということになるのだ。
このインタビュー記事のおもしろいところは、そうやって機械を使った研究が一般的になったあとの世界が詳しく語られていること。
機械が言ってる「この手がベスト」というのがおそらく正しいとなると、それ以外の(機械的に計算してベストの手より劣る)手は打ちたくなくなるのが人間の心理ではあるけれど、機械の推薦手ばかりを指してると狭くなるってことでもある。それに逆らって、ほんとは最善ではないかもしれない手を打つと、あっちゅう間に研究手順から外れてしまうわけで…
「多くの若手はコンピュータが推奨する手ばかり打つので、他の手への経験値が足らず、対策がおろそかになっています。一時はそこを突いて私が連勝を重ねたこともありましたよ。」←これまたスゴイ
そして、機械を研究に取り入れたことで人間が強くなったかというと、
「私見ですが、驚くほど上がっていません。本当はもっともっとレベルが上がっていてもおかしくないのですが……意外にもほとんど上がっていません。」
機械はあくまで機械であって、手の評価値は教えてくれても、考え方をわかりやすく人間に教えてくれたりはしないので、確かに機械の助けを借りていろんな新手は出てくるけれど、人間のオセロレベルがぐぐっとアップするってもんでもないようです。
将棋の20年後もそんな感じなんでしょうかね…
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