アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

収容所の中、人種と言葉の壁

2018年02月10日 | 生活
昨日(「強制収容所グーゼンの日記 ホロコーストから生還した画家の記録」)の続き。イタリア人画家、カルピの日記の中にはときどきバイオリンの話が出てくる。

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「ポーランド人の友人たちは、いつも寛容な姿勢で私を助けてくれる。そのおかげで、私は心身ともに癒されている。例えば、晩になると誰かの弾くヴァイオリンの甘い音色が私の耳にも届き、長らく忘れ去っていた音楽を私に思い出させてくれることだ。このようにして私の心は目覚め、再び人間としての自覚を取り戻す。抑留されているという事実が私わ苦しめることなく、空の高見から自由の女神が舞い降りてくる。ごく限られた生活空間でも、芸術家として生きる自らの魂を取り戻すには十分なように思える。」

このバイオリンは、カルピをかくまってくれたポーランド人医師が弾いているもので、アマチュアだが上手だったらしい。あるときポーランド人音楽家が病人になって入ってきて、医師は彼からレッスンを受けるようになったという記述もある。その音楽家は素晴らしいバイオリンも携えてきていて

「品質の高いヴァイオリンはそんなにも情感ゆたかな音色を響かせ、聞くものの心を捉え、その胸を熱くしてくれるものだ。それは、ちょうど私たちが望んでいる福音を届けるために、美しい声を聴かせてくれる女性のように思える…(略)…しかし、本来それは人の心や魂を呼び覚ますような音楽であり、天界に何かを求め何かを信じ、音楽を生み出す芸術家が物理的に人間というより、むしろ天使に近いことを認めざるを得ないような音楽なのだ。」

収容所の中の音楽というと、ナチスの隊員のリクエストに応えるべくユダヤ人の楽隊が組織される…というイメージだが、ここではバイオリンを教えているのも教わっているのも聞いているのも抑留者だ。それだけに真実の音楽が心に染み入ったのだろう。

ところで、この風景はかなり牧歌的というか、アウシュビッツなどについて読んだことのある話とかなり違うと思う(*)。そもそも、カルピは採石場の労働で立てないほどになったとき、収容所内で全身麻酔ありの手術まで受けているが、それは別に人体実験というような意図ではなく、設備も薬も栄養も何もかも不十分だったにせよ、治療目的で行われたものである。彼に限らず、収容所内で病気になった人はいちおう「入院」のうえで治療を受けている。それでもよく死ぬのではあるけれど。

これはどういうことかというと、収容所に抑留されている中でも扱いがいろいろあるのだ。カルピがさせられていた仕事の中に識別バッジ作りというのもあった。カルピは政治犯(ユダヤ人を助けた罪)で赤い鈍角三角形。ユダヤ人は黄色の三角。ユダヤ人は何があっても医療室には入れてもらえなかったのだという。

ユダヤ人は消耗品扱いで、こき使われてそのうち死ぬ。もっと扱いがひどいのがロシア人で、拷問や銃殺もあり…拷問のあと自殺(電気の流れる有刺鉄線に突進する)する人もちょくちょくいたようだ。つまり、生還の可能性は

ポーランド人、フランス人、イタリア人など > ユダヤ人 > ロシア人

ということで、この間には越えられない壁がある。カルピはつまり抑留者の中では「まし(?)」なポジションにいるわけだが、一方彼は言葉の壁に悩んでいた。彼の母語はイタリア語、それとフランス語はそこそこしゃべれるらしいのだが、ドイツ語はまったくわからない。ところが収容所内で支配的な言語はドイツ語であるからこれがたいへん困るわけだ。

つっこんだ話がしにくいから孤独である。さらには、重要な情報をつかみそこねたらそれは収容所内では死の危険となる。

「連合軍がノルマンディー上陸を果たしたというニュースが届いたとき、とりわけスペイン人が居住するブロックでちょっとした動きがあった。つまり、ニュースを聞いた彼らが陽気に騒ぎ始めたのだ。その騒ぎはなかなか収まらず、夜になるまで続いたように思う。そのニュースは収容所内にすぐ伝わったようだが、フランス語とイタリア語しかわからない私には何のことか正確には理解できなかった。ただ、何か吉報であることはわかった。」(後日の回想)

収容所内での振る舞いについての心得(もちろんだがSS隊員の機嫌を損ねるようなことや、規律を乱すようなことをしてはいけないし、あと、逆にびくびくおどおどした態度も殴打を呼びやすい)や、何か救いになる情報は、ポーランド人やフランス人経由でカルピに伝えられることが多く…というのはつまりドイツ語からフランス語に変換されたということだろうか。いずれにせよ、イタリア語は通じない人が多いのでフランス語のほうがずっと使いでがあるわけだ。

そして、フランス語とドイツ語の両方を解する人は多いから、フランス語を手掛かりに、収容所内にいる間に徐々にドイツ語の端々を理解できるようになってくる。特に収容所生活の終盤の記録では、ドイツ語をある程度理解できたとしか思えないエピソードがいくつかあるが、本人の後日回想では「ドイツ語がわかったんだろうか」と不思議がっている(笑)命がかかってるからそのときはわかってたけど平和になったら忘れてしまったのかもしれない。

ともあれ、カルピがもしイタリア語しかわからなかったら生還は困難だっただろう。言葉ってだいじですよ…


(*)…少なくとも、この本で描写されている収容所は、「なるべく大量に効率よく殺す」ことを目的としてはいないらしい。労働不可能な重病者、あるいは赤痢など伝染病患者が集められる病棟があり、そこは定期的に消毒(? たぶんガス殺)されて「駅舎(バーンホフ。ここではあの世へ向かう出発駅ということか)」と呼ばれる小部屋経由で死体がまとめて運び出され、またその病棟に新しい重病者が詰め込まれる、という流れはあった。敗色濃厚になってドイツ軍が浮足立ってきたころにはその流れが強引になり頻繁になったため、とても働きにいけないような状態の人まで労働できるというポーズを取り無理に病棟から出ていくことが増え、それでかえって死者が増えたというような記述がある。


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コメント (2)
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