アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

顔芸つきピアノ演奏

2018年02月16日 | ピアノ
カツァリスのショパンスケルツォ二番の演奏動画を見たら、確かにレッスンで説明していたとおりの妄想をしているようで、顔芸してた(^^;;

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Scherzo No.2 op.31 Cyprien Katsaris
(1分40秒くらいのところ、わかりやすい。衛兵が死人をつかまえたところだね)

かの有名なランランの顔芸(笑)に比べればずっと地味なものだし、別にカツァリスだって見せるために顔芸してるわけじゃなくて、妄想しながら弾いてるとそうなっちゃうだけだと思うけど、映像で見ながら聞いていると、こちらもその妄想に引きずられつつ曲を楽しむことができる。

こうやって、視覚も手がかりの一つとして、演奏し鑑賞され伝わる、というのは邪道なのだろうか?

同じ曲でも、アルゲリッチの演奏の場合
Chopin, Scherzo No. 2, Martha Argerich 1966
演奏にも「顔」にも、特に「妄想(具体的ストーリー)」の気配は感じられない。

別に、どっちの演奏のほうがいいとかいうのじゃないけれど、ショパンはあまり具体的な情景やストーリーに当てはめて曲を作るようなことをしないタイプの作曲家らしいし(アルカンは火事とか鉄道とかハッキリ具体的な曲を書いたりする)、アルゲリッチみたいなタイプのほうが「ほんとう」なのかもしれない。

でも、スーパーなピアノレッスンとして(注: 番組名は趣味百科)、カツァリスのような説明、そして演奏はひとつの妄想のあり方の提示として(?)とてもよくできていると思う。
(ランランの顔芸も、レッスンのときにとりわけ顕著になる)

カツァリスの妄想はまったく根拠のないものではなくて、おゆき先生が先日の記事にコメントをくれたように(「ところてん、の最後の音がちゃんとドミナント音なので、例え物語がなくても「?」と弾く事になるという良い例ですね(*^^*)」)、曲を把握したうえでそれに沿うように具体的情景を作っているわけだ。

ピアノ演奏で使う妄想というものが、そういうものであるということをまったくわかっていなかった私は、ヤマハの先生に妄想を作ってくるように言われたとき途方にくれてしまったのだけど、今ならどうしてほしいのか少しはわかる(やっぱり妄想はあんまりうまくないけど)。

たまに思いついてやたら具体的な妄想を繰り広げることがあっても(例: シベリウスの「踊り」)自分の曲の解釈に自信がないので自分では顔芸はしないけれども(爆)、顔芸つきの演奏を前よりずっと楽しめるようになったのはよかったと思う。おゆき先生レッスンの賜物です(^^)


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コメント (1)
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