三月の発表会で弾くバルトーク、楽譜10ページあるうちの8ページ(ルーマニア舞曲)は暗譜できてて2ページ(ハンガリー農民歌のバルトーク)はできてないという状況ですが、
←バルトークのバラード、噛むほど味わい深く。
最後の2ページでやおら楽譜取り出すっていうね、この半端感が…
いや別にいいんですけど…
でもせっかくなのであと2ページ暗譜できるか足掻いてみる? と思ってやってみてました。
たった2ページ、どうにでもなりそうなんですけど、これが妙~に覚えにくい曲でね。たとえば1ページ目のこのカタマリ:
モーツァルトの「ドーミソシードレド」みたいなわけにはいかない。左手がドミソ・ドファラ・シレソなんて具合じゃなくて、なんといったらいいんでしょうかこういうのは??
右手は同じ旋律がひたすら出てくるので(へんな旋律だけど)さすがに覚えます。問題は左手。
まずは一段目…左手で各小節の頭に出てくる音を拾うと
「ソ・ファ・ミ・ミb」
と下降します。まずはこれをしっかり把握しておくと、続きは流れで思い出しやすいのですが、わからなくなりそうなのが各小節最後の二音(一拍分)。
ここ特徴的ですよね。
この一拍分を取り出して、右手といっしょにゆっくり弾いてみると、
それぞれの調和の具合というかぶつかり具合というか、
おもしろいですね。
さて、二段目ですが、こんどは最初の音から違う音へと保持する音が移っていきます。まずこの、長い音符だけ考えると
「シbシb」「ララ」「ソソ」「ソbシb」
最初の三つはオクターブで、四小節目はもっと離れます。
また、この段についても先ほどと同様、各小節最後の二音を取り出して響きをゆっくり確かめます。
…
そんな感じで、特徴点を取り出しては組み立てていくと、なんとかかんとか覚えられて(ゆーっくり思い出せるという意味ですが)、
その状態になってから、
まぁ実用レベル(見ないですらすら弾ける)じゃないんで結局譜面見ながら弾いていたのですが、
なんとなーく、さっきと違う。
暗譜しようとする前と、今との違いは、「ここがポイント」というのを自分で勝手に設定してしまったことで、だからなんとなく「ふつうに」弾いてみるときもそこんところを無意識にしっかり聴いて弾いてしまうわけですね。ここはぶつかる、ここは調和する、みたいに。
それで「おぉ!!」と思ったのですが、
ヤマハのときのピアノの先生が、「どう弾きたい」を自力で考えられない、そしてガンとして暗譜拒否の私に手を焼きつつ
「暗譜してみると違う展開が見えてくると思うんだけどねぇ」と嘆いていたのです。
先生がいうには、
「大人が暗譜しようとすると、子どもみたいに自動的には覚えられないのでいろいろ工夫をすることになる。その工夫が表現の個性になる」
これは一般的な説ではないらしく、おゆき先生にも聞いてみたところ、そんな話は聞いたことがないといっていました。
でも、実際のところありうる話かなという気もするんです。なんとなく。
ただ、自己流ポイント探しは、理にかなっているかどうか不明なので、その結果微妙に変わる演奏というのも、いい方向かどうかぜんぜんわかんないですけどね。どうなんだろう…
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←バルトークのバラード、噛むほど味わい深く。
最後の2ページでやおら楽譜取り出すっていうね、この半端感が…
いや別にいいんですけど…
でもせっかくなのであと2ページ暗譜できるか足掻いてみる? と思ってやってみてました。
たった2ページ、どうにでもなりそうなんですけど、これが妙~に覚えにくい曲でね。たとえば1ページ目のこのカタマリ:
モーツァルトの「ドーミソシードレド」みたいなわけにはいかない。左手がドミソ・ドファラ・シレソなんて具合じゃなくて、なんといったらいいんでしょうかこういうのは??
右手は同じ旋律がひたすら出てくるので(へんな旋律だけど)さすがに覚えます。問題は左手。
まずは一段目…左手で各小節の頭に出てくる音を拾うと
「ソ・ファ・ミ・ミb」
と下降します。まずはこれをしっかり把握しておくと、続きは流れで思い出しやすいのですが、わからなくなりそうなのが各小節最後の二音(一拍分)。
ここ特徴的ですよね。
この一拍分を取り出して、右手といっしょにゆっくり弾いてみると、
それぞれの調和の具合というかぶつかり具合というか、
おもしろいですね。
さて、二段目ですが、こんどは最初の音から違う音へと保持する音が移っていきます。まずこの、長い音符だけ考えると
「シbシb」「ララ」「ソソ」「ソbシb」
最初の三つはオクターブで、四小節目はもっと離れます。
また、この段についても先ほどと同様、各小節最後の二音を取り出して響きをゆっくり確かめます。
…
そんな感じで、特徴点を取り出しては組み立てていくと、なんとかかんとか覚えられて(ゆーっくり思い出せるという意味ですが)、
その状態になってから、
まぁ実用レベル(見ないですらすら弾ける)じゃないんで結局譜面見ながら弾いていたのですが、
なんとなーく、さっきと違う。
暗譜しようとする前と、今との違いは、「ここがポイント」というのを自分で勝手に設定してしまったことで、だからなんとなく「ふつうに」弾いてみるときもそこんところを無意識にしっかり聴いて弾いてしまうわけですね。ここはぶつかる、ここは調和する、みたいに。
それで「おぉ!!」と思ったのですが、
ヤマハのときのピアノの先生が、「どう弾きたい」を自力で考えられない、そしてガンとして暗譜拒否の私に手を焼きつつ
「暗譜してみると違う展開が見えてくると思うんだけどねぇ」と嘆いていたのです。
先生がいうには、
「大人が暗譜しようとすると、子どもみたいに自動的には覚えられないのでいろいろ工夫をすることになる。その工夫が表現の個性になる」
これは一般的な説ではないらしく、おゆき先生にも聞いてみたところ、そんな話は聞いたことがないといっていました。
でも、実際のところありうる話かなという気もするんです。なんとなく。
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