アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピアノ生活・終わりの始まり

2018年04月09日 | ピアノ
昨日の会で、artomrさんが、Ladislav Vycpalek(←なんて読むんだったか…)という作曲家の、本邦初演(たぶん)という曲を弾いていたのですが、

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ちいさ~くコピーしてびろびろびろ~と楽譜広げてたのね。
したら、shigさんが「若さを見せ付けてやがるw」とか言ってたんですけど(shigさんは老眼始まってる)(^^;;

まぁshigさんだって私よりかなり若いんだけどね。artomrさんはさらに若い。とはいえまぁそのうち「こちらの世界へようこそ」ですわよ(笑)

加齢による変化のあれこれ…たとえば老眼だって、そりゃあ老眼じゃないほうが便利だけど、ピアノ弾くのに決定的な悪影響があるわけではない。もっともっと年を取って、たとえば歩けなくなった場合、練習会とかに気軽に出かけていくことはできないけど、もしかしたらピアノを弾く楽しみは残ってるかもしれない(その他の健康状況によるが)。

とはいえ、どこかで限界は来るわけです。

昨日、ピアソラ「ル・グランタンゴ」の素晴らしい演奏を聞かせてくれたマイミクのともやんさんが言うには、「チェロ寿命」の残りを考えて「やりたいことを選んで、取り組んで、心残りがあれば、来世でがんばるということでw 区切りをつける」、グランタンゴはその区切りの始まりとして取り組んだ曲だったそうです。

チェロにとって相当な難曲なので、ともやんさん的には不満な部分も残っているようですが、私からすれば、とても魅力的な演奏で、わくわくしました。昨日が三度目の本番で、いちおうの区切りだそうですが、その貴重な演奏シーンを生で味わうことができてほんとによかったです。

「チェロ寿命」、私の場合は「ピアノ寿命」ですが、その時間が限られているということについては老いも若きも関係ありません。とはいえ、年齢を重ねてくると、あらためてそのことを意識せざるを得ないのですが、私は「限りがある」ということについてマイナスには考えていません。

「限りがある」のは当たり前です。にんげんだもの。でもそれを意識してるというのは(年齢がかなり高くなった)オトナの強みであって、自分がほんとうにやりたいことは何かを考えたり、ピアノが弾ける日々に感謝をしたり、知りたいことを貪欲に吸収したりと、案外若いころにはなかった密度で取り組むことができるものです。

実のところ、私も今年は「終わりの始まり」を明確に意識しはじめた年のように感じています(ともやんさんよりちょっと若いけどな)。譜読みのスピードアップを図ったり、ショパン舟歌に挑戦したり、暗譜に挑戦したり(あるいはしなかったり-笑)、それらいろんな「意識」がそれぞれ何かしら新しいものを生み出していき…

その結果、ピアノの楽しみが深まったり、あるいは演奏のほうも微妙に「いい感じ」に成長したり、ということがあるように思うんです。ビバ加齢!! ピアノ人生、いよいよおいしい実りのときが始まったという気持ちです。

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