アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「必ず死んでこい」の命令に背いた特攻兵

2018年04月21日 | 生活
第二次世界大戦末期の日本でやってた特攻作戦というと、歴史音痴の私のイメージでは
「純朴な少年をだまくらかして志願させ、飛行技術も未熟なまま『けちょい』飛行機に乗せて爆弾と共に敵戦艦に突っ込ませるもの。もちろん人道的に許されることではないが(戦争自体がまぁ…)圧倒的に不利な状況の中でほかに有効な戦い方があるわけでもなかった」
というような。

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しかし「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上 尚史)を読んだら、そのイメージにはかなり間違い(ずれ)があったことがわかりました。

あまりふだん私が興味を持つジャンルの本ではないのですが、9回の出撃からの生還、なぜ命令に従わないというようなことができたのかと気になり、衝動買いしてしまいました。読みだしたら引き込まれて一気読み。

上記イメージのうち「純朴な少年をだまくらかして志願させ、飛行技術も未熟なまま『けちょい』飛行機に乗せて爆弾と共に」のあたり、間違いではないというか末期も末期くらいだとだいたい合ってる(とはいえ、そんな飛行機は戦艦に当たる前に落とされていてほんとに「特攻」できたわけではない)のですが、特攻作戦を始めるときは、絶対成功させたかったがために、熟練パイロットが突っ込まれたのでした。志願ではなく単に命令で。

「9回の出撃からの生還」の佐々木氏自身、飛ぶことに優れた感覚と人並外れた情熱を持つ若手でしたが、その特攻チームのリーダーを務めた…務めさせられた岩本大尉はさらにベテラン中のベテラン、特攻でなくても「急降下爆撃」や「跳飛爆撃」で敵戦艦にダメージを与えられる可能性の高い人でした。「跳飛爆撃」というのは、上から爆弾を落とすのではなく、海面スレスレからアプローチして、「池の上で石を横投げして跳ねさせる」要領で爆弾を腹にぶち込む攻撃です。もちろん並外れた技量が必要になるわけですが彼はその第一人者でした。

そんな貴重な人材をただ死にに行かせようとしたのはどうしてかといえば、まず作戦を確実に遂行させるため、そしてそんな人が特攻の一人目になれば「もはや特攻しかない」という恰好のアピールになるということなのでしょう。

もちろん岩本氏は納得していませんでした。死ぬのが嫌というよりは無駄だからです。自分の技術で、より多くの戦艦を沈めるほうに命を懸けたかったからです。

通常の機体であれば、なんとかして爆弾を当てたのちに戻るということもできる可能性の高い能力の持ち主でしたが、なにしろ飛行機が特攻用特別仕様。操縦者が爆弾を切り離す機能がなく、代わりに鼻先から三本の槍のようなものが突き出ています。これが敵に当たると飛行機ごと爆発するという仕組みです。

ただ、このとき、この特別仕様飛行機の仕組みを詳しく知っている人がいて、岩本氏にそれをリークしてくれたのです。いわば裏技改造で、操縦者が爆弾を落とすことができるようになるという話です。当然、違反ですが。

この話を聞いた岩本氏は、特攻の操縦者となる部下だけを集めてレクチャーをします。爆弾を落とす方法、そして急降下爆撃の成功率を高めるノウハウ。さらに岩本氏は「爆弾を命中させて帰ってこい」とも言った。バレたら特攻する前にまず死刑になるレベルの命令違反と思われますが。さらに、岩本氏は出撃命令を待つ間、部下には急降下爆撃のみならず着陸訓練(ほんとに特攻するならいらない)を念入りにさせました。フィリピン近辺の地図も配布し、どこなら着陸できるかを教えました。

岩本氏はこのあと、儀式好きの司令官に宴会のため無駄にマニラに呼び寄せられ、その道中で撃墜されて亡くなりますが、佐々木氏の奇跡の生還ストーリーは、この岩本氏なしには起こりえなかったものです。

佐々木氏の一回目出撃では、急降下爆撃を行い、ただし命中はしなかったようですが、ともかく爆弾投下のあとミンダナオ島に逃げて生還しました。ところがこの事実はよそに、戦果も盛りに盛って(いわゆる大本営発表というやつ)、かつ佐々木氏が特攻した(亡くなった)ということにして華々しい新聞報道がされてしまうのです。実家では大々的な葬式イベントが行われて弔問客が絶えないという状況です。

こんな状況で二度目、三度目と生きて帰ってくることは許されるようなことではなく、死んだことになってるのだから辻褄を合わせろということで「佐々木伍長に期待するのは、敵艦撃沈の大戦果を、爆撃でなく、体当たり攻撃によってあげることである」とも言われる始末。佐々木氏は「私は必中攻撃でもしななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と反論(軍隊ではかなりありえないこと)。それに対して参謀長曰く「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。今度は必ず死んでもらう

…既に、目的が違うものになっている。というか、もともとの目的がこっちだったのだろうか? 玉砕と転進が続く新聞記事の中で、美談仕立ての「特攻」は、ほんとうに人気があってよく売れて、新聞社も儲かり、国民の戦争継続の意思を強めるにも大いに役立ちました。

そのころ、日本の首相や参謀は、「精神」論以外のまともな方針を持たず、布張りのチープな練習機に未熟なパイロットを乗せてどんどん特攻させるようなことしか考えていなかったんだけれど、死ぬように厳命されていながら、実際に佐々木氏が死ななかったのは、たぶん佐々木氏を死なせたくないと考えた周囲の人々がいたから。生きて帰ってくることから、違反改造をしていることは自明だけれど、そんな状態で再度飛べることは整備士の協力がなくてはできないし、死にに行くのを見張るはずだった護衛機がUターンしていなくなってしまったりとか、まぁそんなフシがあるのです。

とはいえ、生き残るたびにつらい立場に置かれ、ついには撤退にも連れて行ってもらえず(死んだ人だから)ひとり山中に逃げ込んで終戦を迎えた佐々木氏が、飢えと病気の地獄からも生還を果たしたのはもう本人の生きる強さというか、信念というか、それがなくてはかなわないと思うけれど、本人はたんたんと(92歳のときのインタビュー)
「まあ寿命ですよ。寿命は自分で決めるもんじゃないですから」


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