昔々、確か東大女子率は一割かそこらだったと思うので、30年経った今、増えてはいる。しかし、2003年には18%まできているのに、そこからずっと伸び悩みで二割の壁が超えられない。
←エライわけでもなくハズカシイわけでもない。
大学側は「2020年までに3割」を掲げてがんばって(?)いるらしいのだがぜんぜんこのペースでは達成の見込みはない。家賃補助云々という話もあったけど、そういうことでどうかなるものでもないようだ。
そもそも、増やさなきゃいけないのか?(増えたほうがいいのか?)という話もあるがとりあえず脇において、まず言えることは、東京大学は男子にとってお得感があり是非行きたい大学であるのに比べて、女子にとってはあまりお得感がないと思われているということだ。
東大でも女子でもないおおたとしまささんがわざわざ「ルポ東大女子」を書くに至ったのは
「ルポ父親たちの葛藤」で扱ったような仕事と家庭の板ばさみになる男性の問題(「働き方改革」関連)と
「ルポ塾歴社会」で扱ったような学歴や偏差値にとらわれる社会の歪み(「大学入試改革」関連)
の「二冊の延長線が交わるところ」に発想が浮かんだからだそうで、
学歴社会の頂点にあり、かつ、専業主婦からバリキャリまでの選択肢がある「東大女子」たちが、にもかかわらず葛藤や生きづらさを抱えているなら、それはそのまま世の中の矛盾の象徴なのではないか、という問題意識らしい。なるほど。
そもそも、なぜ男子にとってはお得感があるかといえば、大学で何を学べるかということ(これは男女で大きな差はないはず)を除くと、
「モテる」「結婚市場でも人気」「就職にも有利」
ということだと思うが、女子にとってはあまり効かない(むしろ逆?)、就職はだいたい大丈夫だろうけど入ったあとはいろんな偏見にさらされるとか。
「東大卒の女だって? お高くとまってるんじゃないの」
「東大卒の女だって? つまらない雑用は頼みにくいなあ」
「東大卒の女性ですって? 私たちとは違う世界の人よね」
あるいは
「東大出身者なら誰しも、大学名ゆえに場をシラけさせてしまったり、相手との間にガラスの壁を作ってしまった経験があるものだ。その中で、「東大卒という学歴は、無防備に口にしないほうがいい」ということを学んでいく。これが、東大卒の「学歴がありすぎるコンプレックス」である。」(「東大卒でスミマセン」中本千晶)
なるほどたいへんそうだ…けど、でも私はただの一度も、そういう意味で嫌な思いしたり、避けられたり、あるいはむやみな期待と失望をされたりとか、そういう経験がない。つまり東大卒がマイナスだと感じたことがない。逆にプラスと思うこともたいしてない(*)が少なくとも就職には役立った(当時バブルなので別にどこの大学でもたいして問題なかったとは思うが)。
どうなのかなぁ?? 人による、もしくは環境によるんだろうか。
「早稲田、慶應あたりのひとたちに対しては、勝手にこっちが気を遣っちゃうことはあります。もしかしてこの中に東大を不合格になっていまでもそれを引きずっているひとがいたらどうしようと。完全に余計なお世話だとは思うんですけど」(「ルポ東大女子」p.65)
…ここまでくるとほんとに余計なお世話(というか失礼)、自意識過剰としかいいようがない。自分から壁を作ってるだけ。
この本の中にも
「インタビューに際して多くの東大女子たちが、開口一番「東大女子だからって葛藤や生きづらさを感じたことはないんですけれど…」と言った。」(「ルポ東大女子」p.170)
とある。結局のところ、自分から壁を作るような意識の持ち方をしなけりゃどうってことはないんじゃないのかなぁ…生きづらいと感じる人は一部。でもそれが必要以上に喧伝されている(「ルポ東大女子」の本自体、そういう面がある)。
ただ、東大女子たちが自意識過剰になりがちなのは別に本人たちのせいだけでなく、「東大女子」がむやみにキャッチーな言葉になっているという現実がいけないのであって、そのへんの説明については「ルポ東大女子」にかなり上手にまとめられている。そしてなんでそうなっちゃうのかといえばやはり東大女子が少数派だからいけないんで、なんで少数派なのかっていえば自縄自縛的生きづらさを感じる人がそこそこいるからだろうね…
じゃ、その鶏と卵はどう解けばいいのかといえば、案外その鍵はこれまた先日書いた記事「東大卒女性が幸せになる方法」あたりにあるんじゃないかと思う。東大卒って結局、ただちょっと情報処理能力が高いってだけの話なんで、背伸びも卑下もしないでたんたんとそこを生かして幸せになっちゃえばいいっていうこと。これは女性に限ったことじゃないですけどね。
(*)肩書きとしてはという意味。大学で得たことがあるという意味ではたくさんプラスがあった
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
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←エライわけでもなくハズカシイわけでもない。
大学側は「2020年までに3割」を掲げてがんばって(?)いるらしいのだがぜんぜんこのペースでは達成の見込みはない。家賃補助云々という話もあったけど、そういうことでどうかなるものでもないようだ。
そもそも、増やさなきゃいけないのか?(増えたほうがいいのか?)という話もあるがとりあえず脇において、まず言えることは、東京大学は男子にとってお得感があり是非行きたい大学であるのに比べて、女子にとってはあまりお得感がないと思われているということだ。
東大でも女子でもないおおたとしまささんがわざわざ「ルポ東大女子」を書くに至ったのは
「ルポ父親たちの葛藤」で扱ったような仕事と家庭の板ばさみになる男性の問題(「働き方改革」関連)と
「ルポ塾歴社会」で扱ったような学歴や偏差値にとらわれる社会の歪み(「大学入試改革」関連)
の「二冊の延長線が交わるところ」に発想が浮かんだからだそうで、
学歴社会の頂点にあり、かつ、専業主婦からバリキャリまでの選択肢がある「東大女子」たちが、にもかかわらず葛藤や生きづらさを抱えているなら、それはそのまま世の中の矛盾の象徴なのではないか、という問題意識らしい。なるほど。
そもそも、なぜ男子にとってはお得感があるかといえば、大学で何を学べるかということ(これは男女で大きな差はないはず)を除くと、
「モテる」「結婚市場でも人気」「就職にも有利」
ということだと思うが、女子にとってはあまり効かない(むしろ逆?)、就職はだいたい大丈夫だろうけど入ったあとはいろんな偏見にさらされるとか。
「東大卒の女だって? お高くとまってるんじゃないの」
「東大卒の女だって? つまらない雑用は頼みにくいなあ」
「東大卒の女性ですって? 私たちとは違う世界の人よね」
あるいは
「東大出身者なら誰しも、大学名ゆえに場をシラけさせてしまったり、相手との間にガラスの壁を作ってしまった経験があるものだ。その中で、「東大卒という学歴は、無防備に口にしないほうがいい」ということを学んでいく。これが、東大卒の「学歴がありすぎるコンプレックス」である。」(「東大卒でスミマセン」中本千晶)
なるほどたいへんそうだ…けど、でも私はただの一度も、そういう意味で嫌な思いしたり、避けられたり、あるいはむやみな期待と失望をされたりとか、そういう経験がない。つまり東大卒がマイナスだと感じたことがない。逆にプラスと思うこともたいしてない(*)が少なくとも就職には役立った(当時バブルなので別にどこの大学でもたいして問題なかったとは思うが)。
どうなのかなぁ?? 人による、もしくは環境によるんだろうか。
「早稲田、慶應あたりのひとたちに対しては、勝手にこっちが気を遣っちゃうことはあります。もしかしてこの中に東大を不合格になっていまでもそれを引きずっているひとがいたらどうしようと。完全に余計なお世話だとは思うんですけど」(「ルポ東大女子」p.65)
…ここまでくるとほんとに余計なお世話(というか失礼)、自意識過剰としかいいようがない。自分から壁を作ってるだけ。
この本の中にも
「インタビューに際して多くの東大女子たちが、開口一番「東大女子だからって葛藤や生きづらさを感じたことはないんですけれど…」と言った。」(「ルポ東大女子」p.170)
とある。結局のところ、自分から壁を作るような意識の持ち方をしなけりゃどうってことはないんじゃないのかなぁ…生きづらいと感じる人は一部。でもそれが必要以上に喧伝されている(「ルポ東大女子」の本自体、そういう面がある)。
意識の持ちようで解決できない問題としては、仕事と子育ての両立という部分があって、それはもちろん東大女子に限ったことではないんだけど、より問題が先鋭化しやすいという意味では、おおたさんの意図どおり「働き方改革」「大学入試改革」を解く鍵となるモデルケースがあるように思う(その点については先日の記事「東大卒女性の夫が幸せになる方法」を参照)。
ただ、東大女子たちが自意識過剰になりがちなのは別に本人たちのせいだけでなく、「東大女子」がむやみにキャッチーな言葉になっているという現実がいけないのであって、そのへんの説明については「ルポ東大女子」にかなり上手にまとめられている。そしてなんでそうなっちゃうのかといえばやはり東大女子が少数派だからいけないんで、なんで少数派なのかっていえば自縄自縛的生きづらさを感じる人がそこそこいるからだろうね…
じゃ、その鶏と卵はどう解けばいいのかといえば、案外その鍵はこれまた先日書いた記事「東大卒女性が幸せになる方法」あたりにあるんじゃないかと思う。東大卒って結局、ただちょっと情報処理能力が高いってだけの話なんで、背伸びも卑下もしないでたんたんとそこを生かして幸せになっちゃえばいいっていうこと。これは女性に限ったことじゃないですけどね。
(*)肩書きとしてはという意味。大学で得たことがあるという意味ではたくさんプラスがあった
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
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