表情豊かな、魅力的な演奏をするために「どう弾きたいのか」考えておいてっていわれて、それが具体的なストーリーや情景まで、微に入り細にわたってイメージ(妄想?)というものが求められるレッスンというのは、非常に困る、なぜなら
←前よりは…たまに妄想もするようになったんですよ
・そういうイメージが思い浮かばないから。
・イメージがあったとして演奏がどうなるのか結びつかないから。
先生が(そういうイメージを持ったうえで)見本弾きをしてくれて、それが実際素敵な演奏だったにしても、
「それで物理的に何を変えて弾いたらそうなったのか、そっちを教えて」
みたいな(^^;;
近年は、おゆき先生に習うようになって「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」といってもらえてたいへん気が楽になった。
具体的なイメージを作る代わりに、
・音が上がる、下がる、飛ぶ
・音の幅が広がる、狭まる
・音価(音符の示す音の長さ)の違い
・リズムの持つキャラクター(タッカタッカとか、三連符とか)
・え? そっちいっちゃうの?? え? どこ行くかわかんない、みたいなハテナ
・緊張感が高まる、ゆるむ
とか、楽譜に書いてあるようなことをよく感じて弾く。
そういう、「楽譜に書いてあるようなこと」だったら、具体的ストーリーの発想力に乏しくても、教えてもらううちにだんだんよくわかるようになるわけで、特別な才能とかセンスとかなくてもちゃんと進歩していくのです。つまり、感じ方のレパートリーが広がっていく。
しかし、結局のところ、そう「感じて」それによって(物理的に)弾き方がどう変わるべきなのか、必ずしも明らかでないところ、元の「イメージして」という指導と変わらないじゃないか、といえばまぁ否定はできないんだけど、上記のような諸々であれば、ストーリーや登場人物云々の「イメージ」に比べると、どう弾きたいのかということとの距離が近いというか、直感的につながりやすい。
なので、「まぁ騙されたと思って(笑)」そう「感じて」弾いてみているうちに、実際そう聞こえるなぁ、という体験が増えてきて、わりと素直に信じる気持ちになる。
そこまで来てから、あらためて「物理的になにが違うのか」を考えてみるに、変えることができるのは
打鍵時の速度、加速度、(あるいはもしかしたら微細な振動)、ほんのわずかなタイミングのずれ
くらいしかないのですが、「くらいしかない」といっても、ピアノではとても多くの音があるわけで、
そのそれぞれでこれをコントロールしながら全体としてのバランスをとっていくって、すごい複雑なことですよね。
物理の問題を解くみたいに、これらすべてについて、あるべき姿を決定し、
また、それを実行するなんてことはできない。神ならぬ身の人間には。
その代わりになるものが「イメージ」であって、
もちろんイメージ(妄想力)だけじゃだめだけど、
よい耳と、実際に弾く技術というものを持っていてそれがきちんと噛み合うと
ちゃんと演奏として伝わる表現になる(適切な物理的動きに変換される)んだろうと思うのです。
だからイメージ派でよい演奏をするピアニストはいるんだけど
イメージがしにくいなら無理にしなくていいし、また、
楽譜から読み取れる範囲のもろもろを「感じて」ピアノを弾いていくうちに、
別に無理に妄想しようとはしていないんだけどなんかぴったりしたイメージを思いついてしまう、ということもあるような気がします。
楽譜に書いてあることの範囲で感じていたらそれがたまたま像を結んだというような。
そしたらそのイメージは、イメージしなさいといわれて無理やり(妄想で)ひねり出したのより、ずっと演奏しやすい、というかよい演奏になりやすい、
強いイメージになるんじゃないでしょうか。
(今回の記事は、「Piacere ピアチェーレ」ブログの「思い込みの力」記事につけたコメントを詳しくして書いたものです)
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
←前よりは…たまに妄想もするようになったんですよ
・そういうイメージが思い浮かばないから。
・イメージがあったとして演奏がどうなるのか結びつかないから。
先生が(そういうイメージを持ったうえで)見本弾きをしてくれて、それが実際素敵な演奏だったにしても、
「それで物理的に何を変えて弾いたらそうなったのか、そっちを教えて」
みたいな(^^;;
近年は、おゆき先生に習うようになって「アンダンテさんは妄想しなくていいですから」といってもらえてたいへん気が楽になった。
具体的なイメージを作る代わりに、
・音が上がる、下がる、飛ぶ
・音の幅が広がる、狭まる
・音価(音符の示す音の長さ)の違い
・リズムの持つキャラクター(タッカタッカとか、三連符とか)
・え? そっちいっちゃうの?? え? どこ行くかわかんない、みたいなハテナ
・緊張感が高まる、ゆるむ
とか、楽譜に書いてあるようなことをよく感じて弾く。
そういう、「楽譜に書いてあるようなこと」だったら、具体的ストーリーの発想力に乏しくても、教えてもらううちにだんだんよくわかるようになるわけで、特別な才能とかセンスとかなくてもちゃんと進歩していくのです。つまり、感じ方のレパートリーが広がっていく。
しかし、結局のところ、そう「感じて」それによって(物理的に)弾き方がどう変わるべきなのか、必ずしも明らかでないところ、元の「イメージして」という指導と変わらないじゃないか、といえばまぁ否定はできないんだけど、上記のような諸々であれば、ストーリーや登場人物云々の「イメージ」に比べると、どう弾きたいのかということとの距離が近いというか、直感的につながりやすい。
なので、「まぁ騙されたと思って(笑)」そう「感じて」弾いてみているうちに、実際そう聞こえるなぁ、という体験が増えてきて、わりと素直に信じる気持ちになる。
そこまで来てから、あらためて「物理的になにが違うのか」を考えてみるに、変えることができるのは
打鍵時の速度、加速度、(あるいはもしかしたら微細な振動)、ほんのわずかなタイミングのずれ
くらいしかないのですが、「くらいしかない」といっても、ピアノではとても多くの音があるわけで、
そのそれぞれでこれをコントロールしながら全体としてのバランスをとっていくって、すごい複雑なことですよね。
物理の問題を解くみたいに、これらすべてについて、あるべき姿を決定し、
また、それを実行するなんてことはできない。神ならぬ身の人間には。
その代わりになるものが「イメージ」であって、
もちろんイメージ(妄想力)だけじゃだめだけど、
よい耳と、実際に弾く技術というものを持っていてそれがきちんと噛み合うと
ちゃんと演奏として伝わる表現になる(適切な物理的動きに変換される)んだろうと思うのです。
だからイメージ派でよい演奏をするピアニストはいるんだけど
イメージがしにくいなら無理にしなくていいし、また、
楽譜から読み取れる範囲のもろもろを「感じて」ピアノを弾いていくうちに、
別に無理に妄想しようとはしていないんだけどなんかぴったりしたイメージを思いついてしまう、ということもあるような気がします。
楽譜に書いてあることの範囲で感じていたらそれがたまたま像を結んだというような。
そしたらそのイメージは、イメージしなさいといわれて無理やり(妄想で)ひねり出したのより、ずっと演奏しやすい、というかよい演奏になりやすい、
強いイメージになるんじゃないでしょうか。
(今回の記事は、「Piacere ピアチェーレ」ブログの「思い込みの力」記事につけたコメントを詳しくして書いたものです)
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