アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ツェルニー不要論に思うこと(上達したい方向)

2018年10月31日 | ピアノ
かつさんのブログにコメントしようかと思ったんだけど、あまりに長くなりそうなのでこちらへ。

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そもそもツェルニーが「必要」「不必要」という論の立て方というのは…

私の場合、数多あるピアノ曲、一生かかっても弾き終わらないのが自明な量の曲の中で、何を弾きたいのか、何から弾いていくのかというのは人生の一大事(^^;; というか、まぁこの悩み自体もなかなか楽しいんですが、悩んだ結果、いい具合にチョイスできるかどうかでこれからの人生の幸せ度というものが左右されますから真剣です。

ツェルニーも弾いたことありますけど(shigさんからツェルニー30番の楽譜をプレゼントされ)、2、3曲弾いてみましたが、譜読み簡単すぐ弾けて、かわいくてきれい、悪くはなかったですが、別に私にとって、そうわざわざコンプリートしたいような魅力溢れる曲集というほどではないので、前述の私の人生を賭けた(←おおげさ)真剣な問いの中ではほとんど顔を出しません。

世の中、ツェルニーの曲が「弾きたい曲」リストの上位に位置するというお好みの方もいるので、そういう人にとっては重要、しかしその場合は必要とか不要という話にはなりませんね。弾きたいから弾く。なんの問題もない。

「必要」という主張は、「これからの人生の幸せ」のために、素晴らしいピアノ曲の数々を素敵に弾きたいという大前提の中で、その幸福実現のために「今はとりあえず」ツェルニーを練習するのが近道、ということになると思います。

「今」…たとえば現在の一年間、好きな曲から弾いていくのと、ツェルニーに時間を割いて練習していくのとでは、好きな曲から弾いていくほうがそりゃ楽しいかもしれないけれど、ツェルニーからしっかり弾いていくほうが、

・難しい曲が弾けるようになる
・同じ弾くでも素敵に弾けるようになる

から、人生の幸福度がトータルプラス。お得。という主張なわけです。

こうやって考えてみると、つまり、自分にとってツェルニーが「必要」なのかどうか考えるならば、

・今弾きたいのに弾けない難しい曲が、ツェルニーから練習していくことでより早く(あるいはより確実に)弾けるように上達するのか?
・これから先に弾く曲が、ツェルニーから練習していくことでより素敵に弾けるように上達するのか?

ということを検討しなくてはなりません。つまり、どういう方向に上達したいのか(あるいはそもそも、上達したいのか)。

弾ければ弾きたいけど、現状、一生弾けなさそうな曲というと、
シューマンのクライスレリアーナ…ベトソナの28番…スクリャービンピアノソナタ5番(ついさっき福間動画でみたやつ)…

ま、いろいろあるんですけど。今いろいろ弾いてる曲を削ってまで、たいしておもしろくないツェルニーを練習することでその先への近道になるようには思えないけど…だってツェルニーにたいして似てないもん。

あと、ショパンの舟歌をもっと素敵に弾きたいとかね。こちらの方面もそりゃいろいろ限りなくあるんだけど、ツェルニー制覇とあんまり関係ないような。つまり、たとえば「指が速く回る」ことと舟歌をもっと素敵に弾くことの関連が薄い。

ツェルニーが「必要」つまり、上達したい方向に合っている大人再開ピアノ組ってそんなに多くないんじゃないかなー、という気がちょっとする。自分から弾きたい曲が目白押しになってるような場合、そしてそれがツェルニーとあんまり似てない場合はね。

一方、何を弾きたいという強烈な思いがまだあんまりない中学生とかだったら、とりあえずツェルニーやっといたら? というのは的確なアドバイスに思える。譜読み簡単、かわいくてきれいで、「何番まで進んだ」とかわかりやすい達成感があって、年齢的にも「指よく回る」貯金の利回りもよいから人生通じてその財産を生かせるわけで。


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コメント (10)
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