アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

もう一度読む「のだめ」-音楽でつながる瞬間

2012年08月11日 | ピアノ
本棚の整理をきっかけに、「のだめカンタービレ」を手に取った。

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古本屋行きではありませんよ。ありえません。そうではなくて、たまには読まないとね。所有してる意味がありませんから。

のだめと千秋が初めて「いいカンジ」になったのは、千秋がゴミ部屋を見かねてのだめの部屋を片付けて、のだめが即興でピアノソナタ「清掃」を弾き…それに千秋がアドバイスしたりして曲を練り上げていき、
「はー…すごいねー先輩 ちょっと聞いただけで曲覚えちゃって のだめクタクター
でも 楽しかったね~」
のところ。

その後、もうちょっと本格的に、ピアノのレッスンとしてのだめと千秋で弾くモーツァルト二台ピアノというのがありました。これは練習のとき、千秋が嵐のダメ出しラッシュをしているけど、先生の前で弾く日には「適当に…今日は自由に弾いていいから」と、のだめを好きに弾かせて千秋がそれにぴたりとつけて弾く、という感動のシーンになります。

二人でも、あるいはもっと大勢でも、いっしょに音を合わせる、演奏する、それでそこにぴったりくる瞬間があれば、これはほんとに気持ちいい。もちろん男女二人で、そのようにびびっとくる演奏ができれば、それはもちろんポイントが高いに違いありません。というか、そういうこと、あったようななかったような…(^^;;

だから、ある程度感性が合う相手なら、近しくなるところまではわりとすぐ行くと思うんですよね。素人の音楽サークルであっても、音大の学生同士であっても、同じことです。

でも、そこから先は、難しい。音楽に対して思い入れがあればあるほど、その思いというのは人それぞれ違うものですし、いくつかの演奏で電撃が走ったからといって、その思い入れの全体像が似ているとはまったく限りません。

むしろ、合う部分が多くて、相手に期待するものが大きくなればなるほど、どうしても合わない部分に直面したときのがっかり感というのは大きいものになるんじゃないでしょうか。親がピアノ教師をしていたため、音大でできるカップルの多くが卒業までに別れてしまうことを見てきました。音楽のレベルや存在感の大きさがぜんぜん違う話ですが、私も、音楽を合わせる楽しみでひかれた人とは結局いっしょになっていませんしね。

アンサンブルを楽しむのではなくて、何十年もいっしょに暮らしていくためには、音楽つながりでびびっと来ることよりも、空気の共有とか、そういうことが鍵になってくると思います。空気の共有のために、一家言ある分野が、重なっていることが大事なのかその逆なのかというのは、難しい問題ですが、おおむねあまり重なりすぎていないほうが難易度は低いようです。

将棋のプロ棋士同士よりは、囲碁の棋士と将棋の棋士とか(そういうカップルがいますね)
我が家は、同じ学科卒ですが扱うジャンルも得意分野もまったく違いますし、私が楽器好きですがよしぞうは楽器なにもやりません(音楽は好き)ですから、この近すぎない距離感が難易度低い感じです。(別の面では難易度が高かったんじゃないかという話はおいとくとして)

「のだめカンタービレ」はほんとに大好きな漫画で、お気に入りシーン満載です。あえてひとつ選ぶとしたら、のだめの初リサイタルかな。漫画読んでるだけなのに、水の戯れを演奏するところとか、頭の中にのだめの演奏がいきいきと広がるみたいで、うっとりしてしまいます。

そんな大好きな漫画で、いちばん気になっちゃう、納得がいかない部分はどこかといえば…

最後、ハッピーエンドみたいにしてるけど、この二人が「うまくいく」とは到底思えない、そこまでの説得力はなかったってことですね(^^;;
ま、指輪は渡してますけど、それぞれに世界のあちこちで活躍する中で、なかなかいっしょには暮らせないとすれば、逆に決定的な破綻はしにくいのかな??

でも、「空気の共有」にいちばん利くのって、ぶっちゃけ「時間の共有」ですからね。ときどき会って、音楽つながりでビビビとくるカップルは、「夫婦」という概念とはちょっと違うまま続くのか、あるいは別れるのかっていう気がします。

ということで、私はこの漫画、最終巻まで読んでもあまりすっきりしなくって、「おい大丈夫かよ」と心配になっちゃうんです。

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バロック風ギロック「宮廷のコンサート」

2012年08月10日 | ピアノ
夏休みといいつつふだんより忙しいこの現状に疲れ、リセットのため本日休業です。というわけで急遽、しぶかう先生のところにギロックを持っていってきました。

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自力で譜読みとかいって、結局先生に頼るんだ~という感じですが、いいんです、今回はお手本録音コピーじゃなくて自分で譜面見ていろいろ考えるだけは考えたので。

この曲は、スラーがかかりまくってます。これは、アーティキュレーションを表す弧線ですね。

「弧線の開始部にある音符は強調される、弧線の最後の音符は消え入るように演奏され音価よりも短縮されるという原則(shig式より)」とのことなので、「ラーシb」「ファーソ」のそれぞれ二つ目の音は短めってことになるけど。最初の「ファミファ」の最後の音にはスタッカートがついているから、それよりは長いんだよね。それにしても、ちょうどいい切り方がよくわからない。

…というあたりが最大の疑問点で。要するに、なんかかっこよくないんだけど!! ということである。とりあえず先生の前で弾いてみたらば、先生曰く、よく弾けているけれど(かっこよくないのは)様式感の問題だとのこと。

つまり、スタッカートある/なしそれぞれの音の長さがどうかということのほかに、切り方というのがあって、私のが全般にふわっとしちゃうのがまずい。ピッと指を離して切れるような…上記の楽譜にエンピツで書き込まれた「かくい」線は先生が書いたものです。

何度か、試してみて、おーだいぶそれらしく。。

あとは左手。結局、ベースのクオリティーを決めるのは左手ってことで、もにゃもにゃしないで「スパッ」としたタッチも重要だし、あと、→が描かれているけど、「ラーシb」の移り変わりが大事。「この狭さ(半音)を感じるところがポイント」で、わかったようなわからないような説明ですけど、不思議と「ここがポイントだ~せまいぞ~」と思って弾くとちゃんと違う感じになるんです、これほんと(^^;;

それとここの右手、マルをつけた「ラ」「シ」「ソ」の動きが大事で、上の「ファ」が出しゃばった音になると残念感が漂うのですが、「ファ」はやや入れるスピードを落とすのがコツだとか。

そしてこの16分音符が曲者で、なんだかうまくいかないんですけど、これは要するに装飾音を書き下したようなところ。あんまりきっかり数えて「ごちごちごち」って弾くと変なのですが、書き込みにあるように「くるりん」のイメージで、かつ、入りのところにわずかなタメを作り「んド」と出るのがよいとのことで。何回か試すと、うまくいったときはかっこいいんだけど、再現性がなくてどうもね。さらに、左手の「ドーミソド」のくるりん感が難しくて、成功率が低いです。

しかしこの曲って、バロックなのかといえばまぁなんというか、そのものというより「~風」。楽譜の書き方はずいぶん親切で、装飾音も書き下してアーティキュレーションはくまなく書き込み、音楽の句読点のところでは二重線。楽譜どおり弾いていくとなんとなくバロック風味が味わえるというつくりですね。

最後のところ、なんかキマらなくて困ってたんだけど、うまくクレッシェンドで弾けないんです。音の下降とともについちっちゃくなって、どうかするとスーッと弱くなってppで終わってしまいそう(^^;; でもffで堂々と終わらないといけないんです。

しぶかう先生の指摘はずばり、マルをつけた「ド」から「シ」に「入れる」こと。ここがずっしり行けば自然とクレッシェンドの流れに乗って最後までたどり着く!! ほんとだ!! ぐぐっと弾きやすくなった!!

ということで、なんだかんだ結局ヘルプが必要な譜読みでしたが、おもしろい経験でした(^-^)

…録音してみましたが…なんか必死で、余裕ナッシングな感じ(-_-;; 練習しないと板についた感じになりませんね。
自宅ピアノ、生音でなく直結録音

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楽譜に書いてあること、書いてないこと

2012年08月08日 | ピアノ
今日の通勤電車の中で、shig式譜読み講座を読み直し、帰ってきてからギロックのクラシック・カーニバルをちょいと弾きながら、あれこれ考えてみた。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←このトシになっても、世界は新しい発見に満ちている。

私のピアノ歴は、子どものころちゃんとレッスンについて…小三まで。そして30年くらい経って、ヤマハの個人レッスンを8年間。というような具合だけど、長いわりには理屈を習ったことってからっきしない(^^;; かといって、何も習ってないわけではなくて、どうやら、そんなに非常識な弾き方をしていたわけではないようだ。

つまり、「なんとなく」こう弾きたいという気がして、それは譜面を見た雰囲気と、聞いたことのある演奏の耳の記憶と、自分の好みと、ごたまぜになった状態で、実際弾いてみれば、別段ありえない弾き方をするというわけでもない…長い長いブランクの間にも、フルートとかはやっていたし、ピアノも聞くほうなら浴びるくらい聞いていたから。

そういうのは、理屈抜きで、体に染み込んでいることなのだ。

私が明らかにありえない弾き方をしていたらば、個性重視の確固たるポリシーを持っていたらしいヤマハの先生だって止めただろうし、たぶん、「こう書いてあればこう弾くのよ」ってなセオリーを教えてくれたんじゃないかと思う。でも、そこまでじゃないので、私が譜読みのなんたるかを理解していないことは華麗にスルーされてきた。

でも、すべてが、「なんとなく」。何が楽譜に書いてあることで、何があるとき聞いた演奏から流れ込んできたものなのか、何が自分の好みにすぎない部分なのか、混沌としている状態。

だから、「もっと、どう弾きたいかイメージを膨らませてみて。音楽的におかしければそこで止めるから、自由にやってみて」といわれても、よりどころも工夫の余地もわからない。

あるいは、誰かの演奏を聞いて、「そりゃなんか変」と思っても、それは自分の好みに合わないだけなのか、その人がやってることが、音楽的にもおかしいといえるのか、それがわからない。

さらには、誰かの演奏を聞いて、「これは素敵」と思っても、どこまでが楽譜どおりで、どこからがその人オリジナル(猿真似すると変)なのかがわからない。

そこで「譜読みメソッド」を読んだときには、あぁこれはこういうふうに(実は)思っていた(ような気がする)けど、こうやってまとめて読んだことがなかった!! と感動したのである。

そう、私はこうやって理屈っぽく聞いて安心して、そこから出発したかったんだよね。

欲をいえば、最後にちょちょっとものすごく駆け足で触れられている和音のこと、もちょっと詳しく書いてほしい~

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shig式譜読みメソッドで、ギロック攻略!!

2012年08月07日 | ピアノ
前置きが長かったけど、ようやく「譜読みメソッド」の話。
(前置き…「演奏者の裁量範囲って?」「ワルター・クリーンのモーツァルトの呪縛」「実は譜読みが不得意です」)

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←シンプルな曲も、音源なしで弾こうとするとけっこうたいへん

「譜読み」作業の中で、私が比較的得意な部分は、
・五線譜から音の高さを読み取ってしかるべき鍵盤を押すこと
・同じく、音の長さが何拍分なのかを読み取って、リズムの「概略」を組み立てること
…だけ。

どんなテンポで弾くべきか、どんなフレーズ感で弾くべきか、というようなことは、楽譜から読み取るというよりは、テキトーに「聞いた演奏から」コピー。

というような人が、「shig式譜読みメソッド」を読んでみるとどうなるか。

最近、もやーと頭の中にあった、「ほんとうは楽譜ってこういう意味があるんじゃないか」と感じていたものが、
すぱ、すぱ、すぱーーーーっと
整理されてるんです。感動です。

まず、テンポ。LargoとかAndanteとか書いてあるわけですが、これは、(一分あたり)いくつからいくつ、とか決まってるわけではない。単に、一本のものさし上に整然と並んでいるものではないのですね。たとえば、AdagioとGraveは
「このふたつはどちらも「遅い」ように思われがち。」だけれども、Adagioは旋律を装飾たっぷり歌い上げることを指し、Graveは厳格に荘重に演奏することを指すとか。もちろん、shigさんの今回の書き物は薄っぺらいので網羅的には書いてないんだけど、「少しでも疑問に思ったらわたしの文章なんて頼らないで楽語辞典を調べる習慣をつけよう。約束だよ!」とあります(^^;;

また、拍子については「6/8を約分して=3/4なんてしちゃダメ! ダメったらダメ!」と書かれています(笑) これね、私がレッスンに行ってたころ、バッハのイタリア協奏曲の二楽章やってて、先生に「んー、ずいぶんよくなってきたんだけど、3/4になってない(6/8になってる)」とダメ出しされたことがあります。それで、具体的にどうすればいいのかがつかめなくてずいぶん苦労したなぁとか(いや過去形で書いてますがいまでもだいぶ謎)。

それで、いろいろある中で、私が読んでいていちばん「おおおぉぉぉ~」と思ったのは、
「音価の大きい音は、音量も大きい」「音量の大きい音は、音価も大きくなりやすい」のくだり。

つまり、(強弱記号やアクセント記号がついてなかったとして)全部の八分音符をきっちり同じ大きさ同じ長さで弾き、四分音符をきっちりその二倍の長さ(大きさは同じ)で弾くのが「楽譜どおり」って意味じゃないんだってこと

これって常識なの? みんな知ってたの?? 知らなかったの私だけ??

少なくとも、私は子どものころピアノを習っていて、とにかく「エリーゼのために」まではきちんとレッスンに通っていたんだけれど、楽譜からこれこれこういうフレーズが読み取れるっていうことについては明示的な説明がなかった。だからといってすべてを平板に弾くという意味ではないんだけど。

なんというか…ちょっと押す引く、リズムのゆらぎとかはすべて「演奏者の裁量」で勝手にやってることなのかと思っていたというとさすがに大げさかもしれないけど、いってみればそんな感じ。

そうではなくて、ちゃんと美しいフレーズが…ニュアンスが…楽譜に書き込まれていたんだね。

ということが、なんだかとっても、私にとってはコペルニクス的転回でございました。「あっそうか」と思った瞬間、ワルター・クリーンのモーツァルトのことが頭に浮かび、それがいくらすばらしくても、ある演奏にしばられるのではなく、楽譜を忠実に読み取ったうえで私の演奏をすればいいのだ、というふうに自分なりにまとめられたのです。

折りよく、「ギロック」というきっかけもあり、音源を聞いてまねするのではない譜読みをちょっと試してみようかなと思っています。

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演奏中に聞く音、客席で聞く音

2012年08月06日 | バイオリン
ハッピーアンサンブルの演奏は、まぁそりゃ初心者を臨時に寄せ集めた集団なんだからおのずと限界はあるにせよ、なかなか成功した会だったのではないかと。

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…思ったわけですよ。弾いてる側としては。ところが、聞きにきてくれたよしぞうはぜんぜん違う感想を持ったようで。

「エレクトーンうるさすぎる!! バイオリンぜんぜん聞こえないよ!! エレクトーン聞きにきたんじゃないのに」
うーむ。弾いている分には、エレクトーンきっかけでなんとか合わせているという都合があるもんだから、エレクトーンの存在はありがたくこそあれ、うるさいと聞こえているということには思い至らなかった。

まぁ、何で演奏するにしても、主観的な聞こえ方と、客席での聞こえ方が違うってことが問題になるわけだけど…

それで、録音を聞いてみた(これとて、生で客席で聞くのとはだいぶ感じが違うとは思うが)。

まず、エレクトーンの入らない演目。ヘンデルの水上の音楽は…これはねー、縦線が合わないとさすがに気持ち悪い曲なんで、弾いてるときすでに、合ってないことはよくわかってた(^^;; お世辞にもよい出来とはいえない。まぁみんな硬くって、大崩壊しないだけなんとかマシだったくらい。

お互いに、さぐりさぐりいってるのがなんか、重たい感じの演奏になってるね。とはいえ、聞いてびっくりということはない(弾いててわかってた)けど、1stと2ndの音量バランスが悪いところとかは気になるな。これ、当日ちょうどよくするのって難しいね。練習のときと本番で微妙に面子が違ってたりして、練習の場面だけでは予想ができないし。

同じく、エレクトーンの入らない、ゴッドファーザーのテーマは、みんなも舞台に乗る気持ちがこなれてきて、なかなかいい感じ。欲をいえば、ピチカートのところのリズムが鈍いのと、臨時記号のところの音程が甘いのと…こりゃ、ちょっとした心がけではどもならんから置いとくとして。これはなかなかいい演奏ですよ~♪ エレクトーンみたいなテンポまとめ係がいなくても、わりと縦線も合ってます(除く、ザッツ)。フレーズ感もいいですね。

ところが、ホール・ニュー・ワールドになると、エレクトーンの音のボリュームがなかなか破壊的で、曲が静かな間はまぁまぁバイオリンも聞こえるのだが、盛り上がるところになると、もうエレクトーンしか聞こえない。この曲は、特に初心者中心に集まった曲なので、自力ではあんまり盛り上がらないという問題(^^;; もあるのだが。舞台の上で聞く分には、わりとよく弾けてたんだけどね。

さらに、アルベニスのタンゴになると…これは、主観的には一番いい出来だったと思うんだけど。うーん…これは、一番ひどい。何がひどいって、さっきのホール・ニュー・ワールドよりも、弾いている人数が少ないことと、それから、エレクトーンの伴奏が弦楽器音で和音をぐわーんと鳴らす形が多かったことが相まって、曲の筋が見えないくらいのシロモノになってしまっている。つまり、伴奏の和音部分(エレクトーンの、弦楽器音)があまりに大きくて、旋律が聞こえないのだ。

別にエレクトーンの先生が悪いというのではなくて、舞台上ではおかしくないように聞こえるのだから、要するに、PA通して客席の頭上にあるスピーカーからがんがんに鳴らしてるのがいけないのだ。リハのときにでも、客席で誰かチェックして、ボリュームを下げればいい話だったのでは…というか、もともと、舞台上でははっきり聞こえるほうがいいし(それをリファレンスにして合わせているから)、客席にはそんなにエレクトーンが強く聞こえる必要はないんだから、何も音響を通さないでエレクトーンが舞台上で鳴っている生音(っていうのか?)が聞こえるだけでいいような気もする。

バイオリンの先生方は、何人もいるんだけど、みんな生徒の世話(チューニングとか…)や欠席者分の出演などで舞台上、舞台袖を忙しく立ち回っていて、客席でどっしり音のバランスをチェックしていた人はいなかったと思われる。

結果的に、参加者の満足度は(たぶん)高かったんだけど、聞いてる人にはたいへん残念な発表会になってしまったんですね。

教訓: 客席でのチェックは欠かせません。

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