エルガーのバイオリンソナタって、のだめの漫画読む前に知ってました?
←のだめ、丁寧に読み返すといろんな発見が
結構マイナーな曲だと思うんですよね。バイオリンソナタっていっても、ベートーベン(特にスプリングとか)、ブラームス(雨の歌とか)、あるいはフランクとかね。バイオリンを弾かない人でも知ってるソナタがいろいろあるけれど、エルガーね…
威風堂々のイメージしか持たないで聞いたらびっくりです(^^;;
#ちなみに、こんな曲→エルガー バイオリンソナタop82
暗かっこいい曲でしょ。私は、前にフランクのソナタを聞きたくて買ったCDに「ついでに」入っていたので聞いたことがあったのですが、たまたまってことがなければ音楽ファンでも知らなくて不思議はない曲。それが、のだめ六巻で、千秋とのだめが三善家に泊まっているときに弾かれる曲としてとってもしっくり来るんです。
三善のおじさんはこの演奏を聞いて
「鳥肌が…久しぶりに聞く生の音だからか?…いや…あのふたり…」
結局、千秋はやっぱり音楽やらなきゃ、と傾いていくシーンです。
「飛行機に乗れない。外国行けないまま音楽を続けていてどうなる?」と不安に揺れる千秋の心情にピタリと寄り添う、のだめのピアノ(ふだんは逆に、千秋が合わせてるんですけど)。
のだめ作品では、場面に合う曲を選んで聞かせることによって…といっても、漫画では音は出ませんから頭の中で想像するだけですけど、場の雰囲気を明確に作り上げ、ストーリーをひっぱっていきます。
たとえば、のだめ九巻で、九州まで追いかけてきてのだめの実家に止まっている千秋がショパンプレリュードの21番を弾いてるところとか。これがなぜか21番。ほかにもっと有名なのいっぱいあるのに、21番。気楽に弾き流している千秋と、その後姿に萌えて「真っ白なショパン…」とはぁはぁしているのだめ(笑)。なんか、納得しちゃうんですよね。
上記の二つはいずれもプライベートな演奏シーンですが、コンクールで、あるいはコンサートで選ばれる曲もそれぞれ非常にうまくて、
・自分(たち)が今できることは何で
・お客さんに何を聞かせたいのか
がよく伝わるようなチョイスがされています。コンサートに来たお客さんが、どう引き込まれて、どう感じてくれるのか。そこには明確な演出というのがあるわけです。もちろん、リアルのコンサートでも同じこと。
翻って、私たちが「発表会」に出るときというのは、もちろん一曲入魂、全力で選曲をしますが、考えることは、まぁ~自分の都合というか、何が弾けるか何が弾きたいかですよね。いろんな人の演奏を次々、通しで聞いてるお客さんがそのいくつもの曲から何を受け取るかなんて、おかまいなし(^^;; いやもう、そんな余裕ないわけですけど。
「発表会」と「コンサート」の一番の違いは、単に弾く側の都合で曲を並べているか、場に合う選曲、場を作る選曲がなされているかということなのだと思います。最近、音楽の星座などのイベントに参加するとき、個々の参加者が「発表会」的気分で選曲をしていようとも、聞いている人からみてなるべく「コンサート」といえる状況になるようにプログラム順などが非常に工夫されているのを何度か体験するうちに、ようやく気づきました。
もちろん、主催者側が「発表会」と思っていたら(例:ヤマハ発表会)個人の工夫の余地は少ないですけど、短い自分の時間枠内だけでも、「演出」ということを考えるようになれたら、それはすごい進歩なんじゃないかと思うのです(私にとっては遠い…)。
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威風堂々のイメージしか持たないで聞いたらびっくりです(^^;;
#ちなみに、こんな曲→エルガー バイオリンソナタop82
暗かっこいい曲でしょ。私は、前にフランクのソナタを聞きたくて買ったCDに「ついでに」入っていたので聞いたことがあったのですが、たまたまってことがなければ音楽ファンでも知らなくて不思議はない曲。それが、のだめ六巻で、千秋とのだめが三善家に泊まっているときに弾かれる曲としてとってもしっくり来るんです。
三善のおじさんはこの演奏を聞いて
「鳥肌が…久しぶりに聞く生の音だからか?…いや…あのふたり…」
結局、千秋はやっぱり音楽やらなきゃ、と傾いていくシーンです。
「飛行機に乗れない。外国行けないまま音楽を続けていてどうなる?」と不安に揺れる千秋の心情にピタリと寄り添う、のだめのピアノ(ふだんは逆に、千秋が合わせてるんですけど)。
のだめ作品では、場面に合う曲を選んで聞かせることによって…といっても、漫画では音は出ませんから頭の中で想像するだけですけど、場の雰囲気を明確に作り上げ、ストーリーをひっぱっていきます。
たとえば、のだめ九巻で、九州まで追いかけてきてのだめの実家に止まっている千秋がショパンプレリュードの21番を弾いてるところとか。これがなぜか21番。ほかにもっと有名なのいっぱいあるのに、21番。気楽に弾き流している千秋と、その後姿に萌えて「真っ白なショパン…」とはぁはぁしているのだめ(笑)。なんか、納得しちゃうんですよね。
上記の二つはいずれもプライベートな演奏シーンですが、コンクールで、あるいはコンサートで選ばれる曲もそれぞれ非常にうまくて、
・自分(たち)が今できることは何で
・お客さんに何を聞かせたいのか
がよく伝わるようなチョイスがされています。コンサートに来たお客さんが、どう引き込まれて、どう感じてくれるのか。そこには明確な演出というのがあるわけです。もちろん、リアルのコンサートでも同じこと。
翻って、私たちが「発表会」に出るときというのは、もちろん一曲入魂、全力で選曲をしますが、考えることは、まぁ~自分の都合というか、何が弾けるか何が弾きたいかですよね。いろんな人の演奏を次々、通しで聞いてるお客さんがそのいくつもの曲から何を受け取るかなんて、おかまいなし(^^;; いやもう、そんな余裕ないわけですけど。
「発表会」と「コンサート」の一番の違いは、単に弾く側の都合で曲を並べているか、場に合う選曲、場を作る選曲がなされているかということなのだと思います。最近、音楽の星座などのイベントに参加するとき、個々の参加者が「発表会」的気分で選曲をしていようとも、聞いている人からみてなるべく「コンサート」といえる状況になるようにプログラム順などが非常に工夫されているのを何度か体験するうちに、ようやく気づきました。
もちろん、主催者側が「発表会」と思っていたら(例:ヤマハ発表会)個人の工夫の余地は少ないですけど、短い自分の時間枠内だけでも、「演出」ということを考えるようになれたら、それはすごい進歩なんじゃないかと思うのです(私にとっては遠い…)。
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