本棚の整理をきっかけに、「のだめカンタービレ」を手に取った。
←漫画はかさばるんだけど、なかなか処分できません
古本屋行きではありませんよ。ありえません。そうではなくて、たまには読まないとね。所有してる意味がありませんから。
のだめと千秋が初めて「いいカンジ」になったのは、千秋がゴミ部屋を見かねてのだめの部屋を片付けて、のだめが即興でピアノソナタ「清掃」を弾き…それに千秋がアドバイスしたりして曲を練り上げていき、
「はー…すごいねー先輩 ちょっと聞いただけで曲覚えちゃって のだめクタクター
でも 楽しかったね~」
のところ。
その後、もうちょっと本格的に、ピアノのレッスンとしてのだめと千秋で弾くモーツァルト二台ピアノというのがありました。これは練習のとき、千秋が嵐のダメ出しラッシュをしているけど、先生の前で弾く日には「適当に…今日は自由に弾いていいから」と、のだめを好きに弾かせて千秋がそれにぴたりとつけて弾く、という感動のシーンになります。
二人でも、あるいはもっと大勢でも、いっしょに音を合わせる、演奏する、それでそこにぴったりくる瞬間があれば、これはほんとに気持ちいい。もちろん男女二人で、そのようにびびっとくる演奏ができれば、それはもちろんポイントが高いに違いありません。というか、そういうこと、あったようななかったような…(^^;;
だから、ある程度感性が合う相手なら、近しくなるところまではわりとすぐ行くと思うんですよね。素人の音楽サークルであっても、音大の学生同士であっても、同じことです。
でも、そこから先は、難しい。音楽に対して思い入れがあればあるほど、その思いというのは人それぞれ違うものですし、いくつかの演奏で電撃が走ったからといって、その思い入れの全体像が似ているとはまったく限りません。
むしろ、合う部分が多くて、相手に期待するものが大きくなればなるほど、どうしても合わない部分に直面したときのがっかり感というのは大きいものになるんじゃないでしょうか。親がピアノ教師をしていたため、音大でできるカップルの多くが卒業までに別れてしまうことを見てきました。音楽のレベルや存在感の大きさがぜんぜん違う話ですが、私も、音楽を合わせる楽しみでひかれた人とは結局いっしょになっていませんしね。
アンサンブルを楽しむのではなくて、何十年もいっしょに暮らしていくためには、音楽つながりでびびっと来ることよりも、空気の共有とか、そういうことが鍵になってくると思います。空気の共有のために、一家言ある分野が、重なっていることが大事なのかその逆なのかというのは、難しい問題ですが、おおむねあまり重なりすぎていないほうが難易度は低いようです。
将棋のプロ棋士同士よりは、囲碁の棋士と将棋の棋士とか(そういうカップルがいますね)
我が家は、同じ学科卒ですが扱うジャンルも得意分野もまったく違いますし、私が楽器好きですがよしぞうは楽器なにもやりません(音楽は好き)ですから、この近すぎない距離感が難易度低い感じです。(別の面では難易度が高かったんじゃないかという話はおいとくとして)
「のだめカンタービレ」はほんとに大好きな漫画で、お気に入りシーン満載です。あえてひとつ選ぶとしたら、のだめの初リサイタルかな。漫画読んでるだけなのに、水の戯れを演奏するところとか、頭の中にのだめの演奏がいきいきと広がるみたいで、うっとりしてしまいます。
そんな大好きな漫画で、いちばん気になっちゃう、納得がいかない部分はどこかといえば…
最後、ハッピーエンドみたいにしてるけど、この二人が「うまくいく」とは到底思えない、そこまでの説得力はなかったってことですね(^^;;
ま、指輪は渡してますけど、それぞれに世界のあちこちで活躍する中で、なかなかいっしょには暮らせないとすれば、逆に決定的な破綻はしにくいのかな??
でも、「空気の共有」にいちばん利くのって、ぶっちゃけ「時間の共有」ですからね。ときどき会って、音楽つながりでビビビとくるカップルは、「夫婦」という概念とはちょっと違うまま続くのか、あるいは別れるのかっていう気がします。
ということで、私はこの漫画、最終巻まで読んでもあまりすっきりしなくって、「おい大丈夫かよ」と心配になっちゃうんです。
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古本屋行きではありませんよ。ありえません。そうではなくて、たまには読まないとね。所有してる意味がありませんから。
のだめと千秋が初めて「いいカンジ」になったのは、千秋がゴミ部屋を見かねてのだめの部屋を片付けて、のだめが即興でピアノソナタ「清掃」を弾き…それに千秋がアドバイスしたりして曲を練り上げていき、
「はー…すごいねー先輩 ちょっと聞いただけで曲覚えちゃって のだめクタクター
でも 楽しかったね~」
のところ。
その後、もうちょっと本格的に、ピアノのレッスンとしてのだめと千秋で弾くモーツァルト二台ピアノというのがありました。これは練習のとき、千秋が嵐のダメ出しラッシュをしているけど、先生の前で弾く日には「適当に…今日は自由に弾いていいから」と、のだめを好きに弾かせて千秋がそれにぴたりとつけて弾く、という感動のシーンになります。
二人でも、あるいはもっと大勢でも、いっしょに音を合わせる、演奏する、それでそこにぴったりくる瞬間があれば、これはほんとに気持ちいい。もちろん男女二人で、そのようにびびっとくる演奏ができれば、それはもちろんポイントが高いに違いありません。というか、そういうこと、あったようななかったような…(^^;;
だから、ある程度感性が合う相手なら、近しくなるところまではわりとすぐ行くと思うんですよね。素人の音楽サークルであっても、音大の学生同士であっても、同じことです。
でも、そこから先は、難しい。音楽に対して思い入れがあればあるほど、その思いというのは人それぞれ違うものですし、いくつかの演奏で電撃が走ったからといって、その思い入れの全体像が似ているとはまったく限りません。
むしろ、合う部分が多くて、相手に期待するものが大きくなればなるほど、どうしても合わない部分に直面したときのがっかり感というのは大きいものになるんじゃないでしょうか。親がピアノ教師をしていたため、音大でできるカップルの多くが卒業までに別れてしまうことを見てきました。音楽のレベルや存在感の大きさがぜんぜん違う話ですが、私も、音楽を合わせる楽しみでひかれた人とは結局いっしょになっていませんしね。
アンサンブルを楽しむのではなくて、何十年もいっしょに暮らしていくためには、音楽つながりでびびっと来ることよりも、空気の共有とか、そういうことが鍵になってくると思います。空気の共有のために、一家言ある分野が、重なっていることが大事なのかその逆なのかというのは、難しい問題ですが、おおむねあまり重なりすぎていないほうが難易度は低いようです。
将棋のプロ棋士同士よりは、囲碁の棋士と将棋の棋士とか(そういうカップルがいますね)
我が家は、同じ学科卒ですが扱うジャンルも得意分野もまったく違いますし、私が楽器好きですがよしぞうは楽器なにもやりません(音楽は好き)ですから、この近すぎない距離感が難易度低い感じです。(別の面では難易度が高かったんじゃないかという話はおいとくとして)
「のだめカンタービレ」はほんとに大好きな漫画で、お気に入りシーン満載です。あえてひとつ選ぶとしたら、のだめの初リサイタルかな。漫画読んでるだけなのに、水の戯れを演奏するところとか、頭の中にのだめの演奏がいきいきと広がるみたいで、うっとりしてしまいます。
そんな大好きな漫画で、いちばん気になっちゃう、納得がいかない部分はどこかといえば…
最後、ハッピーエンドみたいにしてるけど、この二人が「うまくいく」とは到底思えない、そこまでの説得力はなかったってことですね(^^;;
ま、指輪は渡してますけど、それぞれに世界のあちこちで活躍する中で、なかなかいっしょには暮らせないとすれば、逆に決定的な破綻はしにくいのかな??
でも、「空気の共有」にいちばん利くのって、ぶっちゃけ「時間の共有」ですからね。ときどき会って、音楽つながりでビビビとくるカップルは、「夫婦」という概念とはちょっと違うまま続くのか、あるいは別れるのかっていう気がします。
ということで、私はこの漫画、最終巻まで読んでもあまりすっきりしなくって、「おい大丈夫かよ」と心配になっちゃうんです。
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