ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

「オシムの言葉」フィールドの向こうに人生が見える

2006-03-03 21:36:29 | FC東京とサッカー
やっ本屋で「オシムの言葉」を手に入れた。どうしても、リーグ開幕前までに読みたかったので、通勤の電車の中で揉まれながら読んだ。今日の帰りは座れたので最後まで読む。最後のページを繰るとき、顔が歪んだ。涙を堪えるために。本当に最近、涙もろくて困る。

オシム監督のヨーロッパでの監督時代は圧巻だった。何回か雑誌や新聞で、戦争と民族紛争の事は読んでいたけど、改めて、その波乱万丈(何て陳腐な言葉!)の人生を思う。その頃の事は、黙して語らないらしいが、心の深い所に締まってあるのだろう。

私の85歳になる、ちょっと物忘れの酷くなっている母は、戦争で辛い思いをした事を昨日の事のように何回も何回も話す。ノモンハンで戦死した兄に会いたいと泣く時がある。彼女の中での兄との生活はちょっと前の事なのである。

オシム監督は、今を生きている。自分のサッカー人生の哲学をすべて選手達に叩き込む為に、昨日も今日も明日も選手を走らせる。

私の大好きなFC東京との最初のジェフとの試合は、ナビスコの雨の臨海だった。まだ友達もいず、一人でゴール裏で応援していた。そして、その頃、知合ったジェフのサポーターがいる。家のFC東京のポスターの隣に、彼の家族の年賀状の写真がかざってある。00年は、彼と女の子みたいにかわいい2歳の坊や。01年はお腹の大きな奥さんと三人。02年は、かわいい女の子が抱っこされた4人の写真。03年・04年・05年とそれぞれ大きくなって行く子供達と家族の写真。

最初の頃の彼は、毎年リーグの終わりが近づくと、降格争いで落ち込んでいた。でも、最近はウチよりもずっと順位が上だ。そして、今年はサッカー専用スタジアム「フクアリ」がある。ただ、会社での責任が重くなって、前ほど応援に行けなくなったと、嘆いている。

ずっと前、いつか忘れたがこんな事があった。リーグも後半に差し掛かって、試合後のオシム監督へのインタビュー。「あと鹿島とか横浜とか磐田とか強い所が残っていますが、どうですか?」「FC東京との試合も残っている」と一言。TVを見ていて感動した。私が、永久保存版として残しているビデオに、臨海でのジェフとの0-0の試合がある。時々見るけど、何回見てもドキドキしびれる。

レアル・マドリードがジェフとの対戦を望み来日した試合での事。主催者はレアルとのユニフォームの交換を禁止していた。オシム監督は猛反発したけど、押し切られた。その時の試合での勇人。12センチの身長差のペッカムとのマッチアップには激しく行く事を決めていた。そして、猛烈なタックルをぶちかます。ベッカムが吹っ飛ぶ。ベッカムを本気にさせ、譲らぬ意地の張り合いは試合終了まで続いた。勇人がロッカールームにいると、ベッカムが「あの七番はどこにいる?」とユニフォームの交換に来た。禁じられていたユニフォームの交換をオシム監督は見て見ぬふりをしていた。

一度だけ、オシム監督と試合前の選手入場口で会った事がある。本当に大きな人だ。「こんにちは」と言ったら、試合前だけどニッコリ微笑んでくれた。バレバレFC東京のかっこしていたけど。

今年のジェフとの試合は、どんな結果になるのだろう。お互いにすばらしいゲームになる事を望む。そして、オシム監督がいつまでも健康で日本で日本の選手達に彼のサッカー哲学を教え込んでほしい。

ビバ!オシム!




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