作曲家の宮川泰氏が亡くなられた。TVでその告別式を見た。たくさんの昔のそして今の歌手達が焼香に来ていた。宮川氏が作られた歌が流れていた。特に私の青春の頃の歌は、聞くと懐かしく私自身の恋の季節を思い出す。あの頃は、宮川氏が作るような歌謡曲が、家族皆が口ずさむ歌だった。そして、テレビが家に一台しか無く、その一台のテレビを囲み家族皆でドラマやアニメを見ていた。子供とイロイロ話しながら。
そして、“宇宙戦艦ヤマト”も子供達と主題歌を歌いながら夢中になって見ていた。長男はお父さんと熱心にヤマトのプラモデルを作っていた。劇場にもヤマトの映画を一緒に見に行った。
その“宇宙戦艦ヤマト”の主題曲が出棺の時、生オーケストラで演奏された。大勢の人達が見送る中、“宇宙戦艦ヤマト”のオーケストラの演奏に見送られ厳かに旅立って行く。その歌の歌詞、そのままに。これは、彼の遺言だという。
宮川氏は土に返るのではなく、宇宙に旅立っていった。星々の海へ。見送る人々は拍手で送ったという。宮川氏らしい幕引きに感動した。
私は昔から子供達に、「お母さんは生命豊かな黒潮に乗っていつまでも美しい地球の海を漂いたい」と言っている。星々の海も又、ロマンチック、夢の世界・・・。
宮川さん安らかにお眠り下さい。
そして、“宇宙戦艦ヤマト”も子供達と主題歌を歌いながら夢中になって見ていた。長男はお父さんと熱心にヤマトのプラモデルを作っていた。劇場にもヤマトの映画を一緒に見に行った。
その“宇宙戦艦ヤマト”の主題曲が出棺の時、生オーケストラで演奏された。大勢の人達が見送る中、“宇宙戦艦ヤマト”のオーケストラの演奏に見送られ厳かに旅立って行く。その歌の歌詞、そのままに。これは、彼の遺言だという。
宮川氏は土に返るのではなく、宇宙に旅立っていった。星々の海へ。見送る人々は拍手で送ったという。宮川氏らしい幕引きに感動した。
私は昔から子供達に、「お母さんは生命豊かな黒潮に乗っていつまでも美しい地球の海を漂いたい」と言っている。星々の海も又、ロマンチック、夢の世界・・・。
宮川さん安らかにお眠り下さい。