ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

父の七回忌

2012-10-29 13:22:38 | 父の事
昨日は、父の七回忌があって田舎に行って来た。

土曜日。FC東京の札幌戦は、娘にソシオカードとお友達用のチケットを渡してちょっと心を残しながら高速バスに乗った。

関越自動車道をバスに揺られながら、ずっと以前、新潟地震の後のFC東京と新潟戦に、友達と苦労して新潟まで行ったなと思い出していた。地震後の初めての新潟ホームゲームだった。

新幹線は越後湯沢まで。その後は、なかなか来ないバスを待って、そして、乗り継いでやっと辿り着いたスタジアム。

試合前に市長さん、山古志村の村長さん、その他の人達の話。そして、キックオフ。東京の選手達は、心に思う事はあってもプロだから勝利の為に戦ったと思う。私達サポーターにとっても、本当に難しい応援だった。

大敗してしまったが、「しょうがないね。東京以外の人達は新潟が勝つ事を望んでいただろうね。まあ、見舞金と思って」 と、また、苦労して東京まで戻って来た。

そんな事もあったなと流れる風景を眺めていた。

そして、父の危篤を告げられて向かった時は、新幹線で行った。

前の日までは元気にしていたのに、朝、起きて具合が悪く病院に行って直ぐ入院。いろいろな検査を受け、夕飯は美味しいと全部食べ、看護師さんに冗談を言って「おやすみなさい」 と眠って、そのまま昏睡状態になったそうだ。

駆け付けた時には、お医者さんに「今週いっぱいでしょう」 と言われ、本当に土曜日に静かに息を引き取った。

あれから、もう7年も経つのか…。

その間、本当にいろいろな事があった。

姉が、一人で生活は出来ない母を安城に連れて行き、空き家になった実家は、時々姉と行って掃除や草取りをした。

そして、一昨年の姉の死と去年の夫の死。

その間にも、知り合いの4人もの人の葬儀にも出た。

そして、あの東北の大震災。

バスに揺られながら、涙を流した回数の多さに、またまた胸が詰まった。


土曜日は、妹ともう一人の姉と思っている従姉と夕食を共にした。父や姉や私の夫の思い出を語った。やっと涙無しで思い出を語れるようになった。たとえ、鼻の奥がツーンとなっても。

日曜日に、車で迎えに来てもらい、お寺さんに行った。

あの中越沖地震で、ぺシャンと潰れたお寺の本堂と鐘つき堂が立派に再建されていた。地震放送のテレビで流れていたペシャンコになったお寺の映像を思い出す。







中に入っても、新しい木の香りとまばゆいばかりの、飾り付け。

あの、地震の時、前年に亡くなった父の遺骨をまだ預かってもらっていた。でも、ペシャンコの本堂の中で、父の遺骨はちょっとした空間の中に無事に収まっていたそうだ。

静寂の中を流れるお経を聞きながら、全ての人々が例外なく必ず訪れる死を思った。

父や姉や夫の死に立ち会い、彼らの穏やかで安らかな別れを目の前にして、寿命が尽きて死ぬ事は怖くないと思った。妹も従姉も、「死ぬ事が怖いと思わなくなったね。」言っていた。「まるで、別の世界に旅立って行くようだよね。」 と。

私も、いつか、その時には彼らのように穏やかに旅立っていきたい。

帰りのバスは遅れた。雨と霧で高速道の両側の山々は空と一体化して、所々の事故渋滞でバスは、本当にノロノロだった。

有森裕子さんも参加した柏崎マラソンがあった為に、バスは満員だった。まだ、ゼッケンを付けた人もいた。皆さん、疲れている為か、夜になったバスの中は、軽い寝息が聞こえていた。

来週は、安城の特養に入っている母を訪ねる。

また、私の顔を見てポロポロと泣くだろうな。





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