前回エントリーの下谷神社あたりから浅草通りを渡り、北側の東上野5丁目に行くと、同潤会上野下アパートの建物が二棟建っている。
同潤会上野下アパート 西棟
所在地:台東区東上野5-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・4F
Photo 2006.8.26
西棟の1〜3階は家族世帯向け、4階は単身世帯向けだそうだ。4階のみ廊下が左右に通っていて、オーバーハングしているのが特徴的。
同潤会アパートについては、いろいろ書籍も出ているし、雑誌「東京人」などでも何度となくとりあげられているので、御存知の方が多いのではないかと思う。Wikipediaの「同潤会アパート」によると、同潤会アパートは1926〜34(大正15〜昭和9)に、東京と横浜で計16ヶ所に造られたのだそうだ。だが、建設後70年程度が経ち、ほとんどのアパートは老朽化のため解体され、建て替えられた。
青山アパートは表参道ヒルズに姿を変えた。一部は復元されたが・・・。鉄筋が剥き出しになりつつも残されていた三ノ輪アパートも、今春、解体されたらしい。もしそうなら、同潤会アパートで残っているのは、この上野下アパート二棟だけということになる。
同潤会上野下アパート 別棟(東棟)
清洲橋通りに面した別棟の1階部分には、クリーニング店、床屋、居酒屋2軒の計4店舗がそれぞれに改装してお店を開いている。また角の部分の1,2階だけは修復のためか塗り直されている。しかし全体的に見ると、外観上改変されているところはさほど多くなく、昔ながらの状態をよく残している模様。
東側入口付近
敷地入口部分の塀にはスクラッチタイルが使われている。写真の西棟は両端が少し南側に張り出している。部屋割り、間取りの詳細は知らないが、三面に窓があり日当たりや風通しが比較的よさそう。
別棟(東棟)の入口付近
壁面から出っ張っている四角柱のようなものは、たぶん“落っことすゴミ入れ”=ダストシュート。東棟の方が建物の規模は小さい。角部分で一部コンクリートが剥離してしまっている部分が見られるのがちょっと心配。
RC建築は丁寧に補修していれば長持ちするのだが、補修されずに放っておかれると、木造建築などと同様、劣化が進み、ひび割れしたり、場合によっては鉄筋が剥き出しになってしまい、耐久性、耐震性が著しく低下する。同潤会アパートも取り壊しの度に保存運動も起こったりしたが、補修や耐震強化費用の問題が大きく立ちはだかった。銀行や会社の建物、官庁や美術館などの公的施設と違って、どちらかというと高齢化した世帯が多い、普通の人々が暮らす建物は存続が難しい。木造の戸建て住宅なら、小規模な補修、改修でなんとか乗り切ることができるかもしれないが、大型のRC共同住宅はなんらかの補助・援助なしには保存が大変だ。
また、竣工当時はハイカラで先進的だった建物も、戦後の日本の住宅の変化の中で結果的に取り残されてしまった。電気や給排水設備は現在のものに較べるとかなり見劣りするし、共同トイレ、共同浴場などは、今はあまり好かれない。大地震の時の安全性などの不安もあって、次第に建て替え、立ち退きを望む住民が増えたらしい。
同潤会アパートとしては最後の一つとなった上野下アパートメントだが、街並みの観点から考えると、長らくランドマークとして街並みを創っていた建物には是非残って欲しいと考えるのは自然なことだ。また同潤会アパートは、日本のRC集合住宅の草分けでもあるので、文化的意義も大きい。多くの人が建物を残して欲しいと思っているのだが、住んでいる方々は実はあまり存続を望んでいないというねじれ現象が起こってしまったりする。どうしたものか悩ましい。
でも最後の同潤会アパートなのだから、やはり文化財としての保存をして欲しいところ。老朽化した部分を抜本的に補修、改修し、場合によっては一部の間取りも変更するなど、居住性を向上させながら、現居住者にも住み続けて頂く。住宅建築としての歴史的文化的意義については、部屋を別の場所で移設復元するなどして保存すれば、一方では歴史を残しながら、他方では建物内部を更新して居住性を向上させることができる。街並みとして建物を見る人からすれば、内部の設備が新しくなることはあまり関係なくて、外観が残るならば、内部が変化するのはある程度許容されるのではないだろうか。もちろん、生活様式として文化財的価値があるとの立場からすると、内部を改装してしまうことはとんでもないことなのだろうが、そうすると残せないというのなら、内部は別途考えて、外観だけでもいいから残すという路線が考慮されても良いと思う。
青山アパートで一部の外観が復元されたのは、記憶を継承する上ではとりあえず有効だった。だが建て替え後の表参道ヒルズは商業施設中心の建物であり、住宅は付置されているものの、現在の街並みに集合住宅の雰囲気はほとんどない。
一方、上野下アパートは現在も完全に住居として利用されている。東京で戦前に建てられたRC集合住宅は、この他には江東区内の清洲寮がある程度ではないだろうか。数少ない近代不燃集合住宅のある街並みを何とか残して欲しいと思う。
2019.2.3追記
残念ながら、上野下アパートは2013年に解体された。
拙HP、「Tokyo Lost Architecture」内の同潤会アパートメントのページへのリンク
青山アパートメント 1926〜27
代官山アパートメント 1927
清砂通アパートメント
1〜3号館 1927・29 5号館 1928 6号館 1927
7〜10号館 1927・28 11、12、14号館 1929 16号館 1927
三ノ輪アパートメント 1928
鶯谷アパートメント 1929
大塚女子アパートメント 1930
江戸川アパートメント 1・ 2・ 3 1934
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