上野から浅草の間は、空襲で全て焼けてしまったと思いこんでいたが、「戦災焼失区域表示 コンサイス東京都35区区分地図帖(復刻版)」(日地出版株式会社)を見ると、下谷神社の周辺から区役所のあたりまで、現在の東上野3〜5丁目の一部は焼けなかったようだ。
周辺の浅草や西浅草、松が谷、寿などの地域は、ほとんど全て焼失してしまったため、木造であっても戦後のモルタル建物がほとんど。また戦後に応急建物を建てた後、更に建て替えてビル化したものが多く、街の景色としては残念ながら少々殺風景に見えてしまう。
これに対して下谷神社の周辺には、木造の出桁造りの町屋などが多く残り、木造住宅の間の路地空間など、先日記した築地同様、下町色豊かな空間が広がる。表通りはビルが建ち並んでしまったが、裏側に回ると意外なめっけもの建築もちょこちょこ見つかって、おやおやこんなのも残っていたのね、という感じ。
堀内歯科
所在地:台東区東上野3-25-3
構造・階数:木・2
Photo 2006.8.26
瀧沢薬局
所在地:台東区東上野3-25-11
構造・階数:木・3
Photo 2006.08.26
銅板張り看板建築の歯医者さんは、2階は手摺周りなどが和風なのに対して、1階は上げ下げ窓で玄関も引き違い戸ではないなど昔の医院らしいデザイン。薬局の方は正面から見ると素っ気ないが、ちょっと脇から見るとマンサード屋根を持つ3階建て洋風建物であることがわかる。
旧三洋パッキンK.K.、麻雀巽
所在地:台東区東上野3-37-14
構造・階数:木・2
解体年:2008〜09
Photo 2006.8.26
2階に付け柱がある角地建物で、もとは事務所だったもの。
原商店・八木原邸
所在地:台東区東上野3-2-6
構造・階数:木・2
Photo 2006.8.26
モルタル洗い出しの壁面模様が面白い角地建物。結構派手な柄だなぁ。今は普通の家になってるようだが、後付けのビニールの庇なんかがあることを考えると、飲食店などの店だったのだろうか?
今は小さな工場や問屋などしかない静かな住宅地だが、建物の様子から昔の街の気配が伝わってくる。
2020.10.10追記
1953(昭和28)年発行の『火災保険特殊地図』では、堀内歯科、瀧沢薬局は当時も同じだった。一方、三洋パッキンは「海老原医院」、原商店・八木原邸は「原かしS」と記されている。「かしS」は菓子店のことのようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区 #古い建物 台東区 #ギャンブレル屋根
#看板建築 #銅板張り看板建築 #モルタル看板建築