東京新旧写真比較(1981/2007) No.2
郵船ビルのそばから東京駅方面。
Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2007.1.27(マウスオン)
右端が郵船ビル。正面はもちろん東京駅。左側が新丸ビル。右奥の丸ビルは、1981年時には足場が組まれている。外壁の補修をしていたのかもしれない。 2007年1月の写真では、既に丸ビルは建て替え済み。左側の新丸の内ビルディング(38F・最高部197.6m、4月完成予定)が完成間近で、正面奥の八重洲のグラントウキョウ ノースタワー(Gran Tokyo North Tower、43F・最高部204.9m、10月完成予定)も次第に全貌を現しつつある。また、新丸の内ビルディングとの間には、日本橋コレドが小さく見えている。この位置からの景色も21世紀になったら急変した。
更に、あと数年すると、東京駅は戦前期の3階建てに復元され、奥に見える大丸(八重洲側駅ビル)は取り壊される。「秋葉OL」さんの記事で最近知ったのだが、東京駅前の広場と行幸通りの整備も行われるらしい。現在は地下で工事が行われていて、その影響で路上もガサガサしている。ここからの行幸通りの景色は今後まだまだ変わるのだろう。数年後に全てが一段落したらもう一度撮ってみたい。
この写真の撮影場所の特定は比較的容易だった。変化していない建物が複数あれば、割合簡単に場所を特定することができる。今回のチェックポイントは以下の三点。
1.東京駅の屋根と後方の大丸(鉄道会館)の建物の重なり具合
2.右手前の地下駐車場入口上屋と郵船ビルの位置関係
3.郵船ビルの2Fまでの低層部と、3F以上の中層部の重なり具合
三者をもとにポジション取りをすると、完全同一ポジションを発見することができる。慣れれば、2、3分の作業だ。この他、事前に、昔の写真の水平の傾き具合、画像の中心位置を確認しておくと、現場での作業を早く済ませることができる。また、撮影者のアイレベル(カメラの地面からの高さ)を、画像から推測しておくとなお良い(奥行き方向の水平線がどの程度の高さにあるかによって、背の高い人が撮ったか、三脚などを用いて低い位置から撮ったかなどが判る。)。
撮影ポイントが地上の三次元空間の中で同じになれば、対象の見え方も全く同じになるので、レンズの焦点距離は画角の差でしかなくなる。従って、心持ち広角よりで広い範囲を撮影しておけば、あとから適当にトリミングして、完全に重なる写真を作成することが可能になる。また、何枚でも取り直しができて、その場で確認もできるデジタルカメラは、こういう場合、強力なツールだ。
26年の時間を経て、同一ポイントを探し出し、カメラを構えるのは、地味だが、やっている本人的には非常に面白い作業である。
さて、路上の街灯とか、信号、道路標識の類は、あまり長持ちしないものなのだろうか。この写真の中で、地下駐車場の入口上屋と、その後ろの舗道上の街灯だけは、26年前と変わらないのだが、その他の道路照明等はみな換えられてしまっている。
今回、二、三カ所を撮影した時点で、撮影ポイント特定の際に、これらの路上工作物がほとんど当てにならないことが分かった。建物が建て替えられても、道路標識や街灯で判るだろうと思っていると、路上の様子が相当変わってしまっているので、慌てることになる。
信号機や、照明は、以前はほとんど全国同じデザインだったが、近年は場所ごとにいろいろなものが付けられている。行幸通り周辺の照明柱は暗褐色ないしは黒で、落ち着いたシックなものに替えられている。
そういえば信号って、私が小さい頃は、皆、ランプの周りに緑と白の縞々の板が付いていた。いつのまにか、モダンな感じのデザインに変わっていたのだな。
上に挙げた三項目の内、次回は、少なくとも1が全く使えない。また、郵船ビルが建て替えられてしまったりすると、2と3のアンカーポイントも使えなくなる。視覚的記憶をどんどん上書き更新して、抹消してしまうのは、ホントどうかと思う。
ヨーロッパの街並みを引き合いにして比較してはいけないのかもしれないが、彼の地の都市景観は20年程度では大きくは変わらない。アジェが撮影した20世紀初頭のパリは、今でも同じところが多いという。
ところが東京では、100年前と同じ景観を探すのが極めて難しい。永遠に建設が続く街、というのは、発展し続ける街というよりは、建てたり壊したりが安易で、文化が根付かない街という皮肉を込めた言い方なのかもしれない。
私の記憶も、みんなの記憶も、もしかすると明日、解体されて消えてしまうかもしれないと思うと切ないな。
せめて自分のお墓だけは残してねみたいに、妙な方向で執着してしまったりして・・・。
#東京新旧写真比較 千代田区 #街並み 千代田区 #眺望 #高層ビル