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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

原町の隙間階段

2006-09-17 | 新宿区  

 地下鉄早稲田駅を出てから市谷柳町方面へふらふらと歩く。原町1丁目(Google Map)には、以前から知っているのだが通ったことのない階段がある。

細い路地奥にある階段
所在地:新宿区原町1-49
Photo 2006.8.27

 夏目坂、喜久井町を経て市谷柳町へ至る道の途中に、写真の「酒と肴の店 暖」というお店があり、その脇の路地奥にその階段はあるのだが、この細道には未だに気後れして踏み込めない。

 途中には木の枝が覆い被さり、階段を上った奥もよく見えない。右側の木造家屋の壁板は痛んで剥がれかかっている。大谷石らしき素材で造られた段々は中央が磨り減って窪んでいる。雑草が茂って放置されているような気配があり、周辺には無人とおぼしき家屋もあるので、早晩、階段も住宅群も無くなってしまうかもしれないと、10年ほど前に思ったのだが、どっこい路地も建物も階段もちゃんと残っている。

 住宅地図には通り抜け可能であると記載されているが、あまりにプライベートな感じの隙間なので入って行ったことがない。「何か御用ですか?」と尋ねられたとき「階段を歩いてみたかったんで・・・」では、納得して貰えないだろうし・・・。郵便配達に新聞配達、電気の検針ぐらいしかよそ者は入らないんだろうな。  じっくり見てみたい気はちょっとするのだが、プライベート空間にずかずか入って行くのはやはり気が引ける。だから今後も通りから路地奥の階段の姿を拝むだけにするつもり。

#階段・坂 新宿区
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清洲寮

2006-09-16 | 江東区  

 清澄庭園まで来たら、霊岸寺そして清洲寮へ。清洲寮は、霊岸寺本堂のちょうど裏側にあり、清洲橋通りに面して建っているアパートメント(Google Map)。

清洲寮
所在地:江東区白河1-3-13
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC4
Photo 2006.9.9

 正面中央玄関上部には銅色に輝く清洲寮の文字が。しっかり照明も付いている。入居者募集の貼り紙もあったりして、建てられてから70年以上経っているが完全に現役。

 以前は外壁が白色だった。経年変化で灰色に汚れてはいたが、それでも美しい姿を見せていた。数年前に茶色というか緑色の怪しい色に塗り替えられてしまったのが個人的には残念。ともあれ、大通り沿いに長く延びる堂々とした姿は一見の価値有り。近くに同潤会の清砂通りアパートメントがあったので、似ているとよく言われるが、同潤会のアパートには、このように一直線で長い建物はなかったように思う。

 建物には、イロハニホの5つの入口がある。入口によって階段室のしつらえが違っていて、入ってから螺旋状に上るものと、往復型のものがある。

 各部屋の入口は木製の引き戸だが、一部ドアに変更された部屋もあるようだった。昔のアパートには時々引き戸のものがある。鉄筋コンクリートで立体長屋を造るという感じだったのだろうか。

 トイレはあるが風呂は無いという。だがエアコンを入れている部屋も多く、躯体は古いが、設備的には可能な限り現在の生活に対応させているらしい。建物所有者が継続的に手を入れているので、それなりに使い続けることができているのかもしれない。

 前回に続いて今回も連続立面写真を合成して作ってみた(画像クリックで拡大します)。歪みの補正をほとんどしないまま写真を並べてしまったので、壁面の垂直線がイマイチ揃っていない。ちょっと変な現代建築みたいに微妙にゆがんだ立面になってしまった。

 それにしても迫力のある建物だ。築70年以上だが大切に使われているようなので安心した。今後も現役で使われ続けることを期待。

関連する記事リンク
深川散歩清洲寮アパート
#古い建物 江東区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅 
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旧東京市営清澄庭園店舗向住宅

2006-09-14 | 江東区  

 よく見ているBlogやHPで、なぜか最近しばしば目にした建物。

旧東京市営清澄庭園店舗向住宅
所在地:江東区清澄3-3
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC・2F
戸数 :計48戸
Photo 2006.9.9

 旧東京市営清澄庭園店舗向住宅は、清澄庭園の東側に張り付くように建っている一連の建物(Google Map)。店舗向住宅は1階が店舗で2階が住居というもので、関東大震災復興事業の一環で建設されたものだという。建物の来歴については下記関連リンクにおよそ載っているようなので、私は省略。

 今回は連続立面写真を合成して作ってみた。なぜかトラックがたくさん路上駐車してしまっていて、一階部分がかなり隠れてしまっているが、連続する様子はおよそわかって頂けるかと思う。

 さてこの建物、6軒程度ずつが一つの建物になり、庭園の外縁に沿って長屋状に建ち並んでいる。当初は東京市営で賃借だったらしい。現在は都営というわけではなさそうなので、戦後あたりに払い下げかなにかになったのかも。だからかどうかわからないが、三階にプレハブで増築したり、ファサードをかなり改装したものも見られる。でも全体としてのまとまりがまだ十分あるのは貴重。

 写真中央付近と、左方、そして左端の三ヶ所で建物が完全に途切れているが、これは近年になって取り壊されて、空地になった部分。歯が抜けたような部分がなければもっと連続性があって、見事だったのではないかと思われる。

 一階は店舗としていろいろ改装されているので、当初の面影が残る部分は少ない。二階の窓も改変されているものが多いが、それでも縦長の窓が3つずつ並ぶ外観が残るものもいくつかある。また軒先やパラペットのラインが区分を越えて水平につながっており、これが全体に統一感をもたらしている。

 一階と二階の間の壁面は店の看板を掲げるスペースだったのだろう。現在は商店の看板が付いている所は少ない。だが当初、様々な店舗の看板が掲げられている様は壮観だったに違いない。

 それぞれの持ち主が改修を行っているため、色は一軒ごと少しずつ異なってバラバラだ。ただ全体にはややくすんだ淡い色が多く、多少のバラツキはあるが、一定の範囲内に収まっている。

 この建物は一体的に建てられたため、基本的な構造が共通で、形のベースが揃っている。例えば間口が一定で規則的だし、窓も細かい部分は異なるが、大きさや位置は揃っている。軒先のラインや階高も全て一筋通っている。

 一括して建物を建てるのでなく、別々に建てる場合でも、建物の規模や外観の要素を大体揃えるようにすれば、統一感は生まれるだろう。一階部分のデザインが店によって多少バラバラになるのは仕方ない。共通デザインを強制すると、生活感がなくなってしまうし使いづらかったりするので、むしろバラツキは許容すべきで、緩やかな共通デザインコードのほうが結局は良いのだろう。

 この建物群は、片側二車線の比較的広い道に面している。路地や小道のような狭い場所に面しているのでなく、引きのある場所で見渡せるため、立面的に連続する一連の建物を眺めることができる。また庭園が背後に控えていて敷地の奥行きがあまり無いことは、高層建物への建て替えにつながらず、低層の長い街並みを存続させている。

 建設の経緯なども考えると、やや特殊な例なのかもしれない。だがここには、街並みの一体感や連続性を創るにはどうすれば良いのかという問いに対する、いくつかのヒントがあるような気がする。

関連する記事リンク
深川散歩清澄庭園店舗向住宅
深川軍艦アパート(Kai-Wai 散策)
清澄のライト風(喫茶店で瞑想して、 銭湯で元気になる)
#古い建物 江東区  #街並み 江東区 
#近代建築  #公営・公団・公社・公立住宅  #震災復興 
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同潤会上野下アパートメント

2006-09-09 | 台東区  

 前回エントリーの下谷神社あたりから浅草通りを渡り、北側の東上野5丁目に行くと、同潤会上野下アパートの建物が二棟建っている。

同潤会上野下アパート 西棟
所在地:台東区東上野5-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・4F
Photo 2006.8.26

 西棟の1〜3階は家族世帯向け、4階は単身世帯向けだそうだ。4階のみ廊下が左右に通っていて、オーバーハングしているのが特徴的。

 同潤会アパートについては、いろいろ書籍も出ているし、雑誌「東京人」などでも何度となくとりあげられているので、御存知の方が多いのではないかと思う。Wikipediaの「同潤会アパート」によると、同潤会アパートは1926〜34(大正15〜昭和9)に、東京と横浜で計16ヶ所に造られたのだそうだ。だが、建設後70年程度が経ち、ほとんどのアパートは老朽化のため解体され、建て替えられた。

 青山アパートは表参道ヒルズに姿を変えた。一部は復元されたが・・・。鉄筋が剥き出しになりつつも残されていた三ノ輪アパートも、今春、解体されたらしい。もしそうなら、同潤会アパートで残っているのは、この上野下アパート二棟だけということになる。

同潤会上野下アパート 別棟(東棟)

 清洲橋通りに面した別棟の1階部分には、クリーニング店、床屋、居酒屋2軒の計4店舗がそれぞれに改装してお店を開いている。また角の部分の1,2階だけは修復のためか塗り直されている。しかし全体的に見ると、外観上改変されているところはさほど多くなく、昔ながらの状態をよく残している模様。

東側入口付近

 敷地入口部分の塀にはスクラッチタイルが使われている。写真の西棟は両端が少し南側に張り出している。部屋割り、間取りの詳細は知らないが、三面に窓があり日当たりや風通しが比較的よさそう。

別棟(東棟)の入口付近

 壁面から出っ張っている四角柱のようなものは、たぶん“落っことすゴミ入れ”=ダストシュート。東棟の方が建物の規模は小さい。角部分で一部コンクリートが剥離してしまっている部分が見られるのがちょっと心配。

 RC建築は丁寧に補修していれば長持ちするのだが、補修されずに放っておかれると、木造建築などと同様、劣化が進み、ひび割れしたり、場合によっては鉄筋が剥き出しになってしまい、耐久性、耐震性が著しく低下する。同潤会アパートも取り壊しの度に保存運動も起こったりしたが、補修や耐震強化費用の問題が大きく立ちはだかった。銀行や会社の建物、官庁や美術館などの公的施設と違って、どちらかというと高齢化した世帯が多い、普通の人々が暮らす建物は存続が難しい。木造の戸建て住宅なら、小規模な補修、改修でなんとか乗り切ることができるかもしれないが、大型のRC共同住宅はなんらかの補助・援助なしには保存が大変だ。

 また、竣工当時はハイカラで先進的だった建物も、戦後の日本の住宅の変化の中で結果的に取り残されてしまった。電気や給排水設備は現在のものに較べるとかなり見劣りするし、共同トイレ、共同浴場などは、今はあまり好かれない。大地震の時の安全性などの不安もあって、次第に建て替え、立ち退きを望む住民が増えたらしい。

 同潤会アパートとしては最後の一つとなった上野下アパートメントだが、街並みの観点から考えると、長らくランドマークとして街並みを創っていた建物には是非残って欲しいと考えるのは自然なことだ。また同潤会アパートは、日本のRC集合住宅の草分けでもあるので、文化的意義も大きい。多くの人が建物を残して欲しいと思っているのだが、住んでいる方々は実はあまり存続を望んでいないというねじれ現象が起こってしまったりする。どうしたものか悩ましい。

 でも最後の同潤会アパートなのだから、やはり文化財としての保存をして欲しいところ。老朽化した部分を抜本的に補修、改修し、場合によっては一部の間取りも変更するなど、居住性を向上させながら、現居住者にも住み続けて頂く。住宅建築としての歴史的文化的意義については、部屋を別の場所で移設復元するなどして保存すれば、一方では歴史を残しながら、他方では建物内部を更新して居住性を向上させることができる。街並みとして建物を見る人からすれば、内部の設備が新しくなることはあまり関係なくて、外観が残るならば、内部が変化するのはある程度許容されるのではないだろうか。もちろん、生活様式として文化財的価値があるとの立場からすると、内部を改装してしまうことはとんでもないことなのだろうが、そうすると残せないというのなら、内部は別途考えて、外観だけでもいいから残すという路線が考慮されても良いと思う。

 青山アパートで一部の外観が復元されたのは、記憶を継承する上ではとりあえず有効だった。だが建て替え後の表参道ヒルズは商業施設中心の建物であり、住宅は付置されているものの、現在の街並みに集合住宅の雰囲気はほとんどない。

 一方、上野下アパートは現在も完全に住居として利用されている。東京で戦前に建てられたRC集合住宅は、この他には江東区内の清洲寮がある程度ではないだろうか。数少ない近代不燃集合住宅のある街並みを何とか残して欲しいと思う。

2019.2.3追記
 残念ながら、上野下アパートは2013年に解体された。


拙HP、「Tokyo Lost Architecture」内の同潤会アパートメントのページへのリンク

青山アパートメント 1926〜27
代官山アパートメント 1927
清砂通アパートメント
  1〜3号館 1927・29    5号館 1928    6号館 1927
  7〜10号館 1927・28    11、12、14号館 1929    16号館 1927
三ノ輪アパートメント 1928
鶯谷アパートメント 1929
大塚女子アパートメント 1930
江戸川アパートメント 123 1934

#失われた建物 台東区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅  #同潤会 
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下谷神社周辺

2006-09-02 | 台東区  

 上野から浅草の間は、空襲で全て焼けてしまったと思いこんでいたが、「戦災焼失区域表示 コンサイス東京都35区区分地図帖(復刻版)」(日地出版株式会社)を見ると、下谷神社の周辺から区役所のあたりまで、現在の東上野3〜5丁目の一部は焼けなかったようだ。

 周辺の浅草や西浅草、松が谷、寿などの地域は、ほとんど全て焼失してしまったため、木造であっても戦後のモルタル建物がほとんど。また戦後に応急建物を建てた後、更に建て替えてビル化したものが多く、街の景色としては残念ながら少々殺風景に見えてしまう。

 これに対して下谷神社の周辺には、木造の出桁造りの町屋などが多く残り、木造住宅の間の路地空間など、先日記した築地同様、下町色豊かな空間が広がる。表通りはビルが建ち並んでしまったが、裏側に回ると意外なめっけもの建築もちょこちょこ見つかって、おやおやこんなのも残っていたのね、という感じ。

堀内歯科
所在地:台東区東上野3-25-3
構造・階数:木・2
Photo 2006.8.26
瀧沢薬局
所在地:台東区東上野3-25-11
構造・階数:木・3
Photo 2006.08.26

 銅板張り看板建築の歯医者さんは、2階は手摺周りなどが和風なのに対して、1階は上げ下げ窓で玄関も引き違い戸ではないなど昔の医院らしいデザイン。薬局の方は正面から見ると素っ気ないが、ちょっと脇から見るとマンサード屋根を持つ3階建て洋風建物であることがわかる。

旧三洋パッキンK.K.、麻雀巽
所在地:台東区東上野3-37-14
構造・階数:木・2
解体年:2008〜09
Photo 2006.8.26

 2階に付け柱がある角地建物で、もとは事務所だったもの。

原商店・八木原邸
所在地:台東区東上野3-2-6
構造・階数:木・2
Photo 2006.8.26

 モルタル洗い出しの壁面模様が面白い角地建物。結構派手な柄だなぁ。今は普通の家になってるようだが、後付けのビニールの庇なんかがあることを考えると、飲食店などの店だったのだろうか?

 今は小さな工場や問屋などしかない静かな住宅地だが、建物の様子から昔の街の気配が伝わってくる。


2020.10.10追記
 1953(昭和28)年発行の『火災保険特殊地図』では、堀内歯科、瀧沢薬局は当時も同じだった。一方、三洋パッキンは「海老原医院」、原商店・八木原邸は「原かしS」と記されている。「かしS」は菓子店のことのようだ。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #古い建物 台東区  #ギャンブレル屋根 
#看板建築  #銅板張り看板建築  #モルタル看板建築 
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アメ横ガード下

2006-09-01 | 台東区  

Photo 2006.8.26

 いつ行ってもアメ横は賑やか。私はほとんど飲めないので、屋台で一人で一杯というのは全くないんですが、ガード下の焼き鳥屋台の雰囲気には心惹かれるものがあります。ざわざわという喧噪の中、時折、ゴーッと電車が上空を通り過ぎていきます。ちょっと離れた所には、屋台の賑わいとはうってかわって静かな隙間空間も。

 80~90年代あたりまでは、屋台での飲食はどちらかというと貧しい飲み方というイメージだったのではないでしょうか。暑い道路際で口角泡を飛ばすのはダメで、冷房の効いたお店の中で格好良く飲むべきだという風潮があったような気がします。確かに昔の屋台は不衛生だったりもしたので低級だったのかもしれません。高級化を志向する日本社会の中で、屋台は古くさいものと思われていた所もあったと思います。

 ところが、屋台が減り、道端での飲み食いが減ると、残された場所は希少価値が上がって、昔ながらの飲み食いが体験できる場所として人気が上がり、追随して新しいお店も増え、以前は呑んべえや会社帰りのおじさんの溜まり場だったのが、最近は若い女性だけで飲んでることもしばしば。 東南アジアなどへの旅行が増えるに連れて、アジアンな屋台文化が再認識され、日本もそういう国だったということが思い起こされたというのもあるかもしれません。考えてみれば、江戸時代の日本には、茶屋で饅頭を食べたり夜鳴きそばを食べたりと、屋台文化及びファストフード文化があったわけで、屋台で一杯というのも自然なことなのかもしれません。

 人々が多く行き交う路上に出されたイスに腰掛けて飲むというのは、繁華街、都市ならではの遊び方。歩く人が少ない地方の町では成立しない街の楽しみ方。こんなことができるのが、東京などの大都市で生活する面白さでもあります。

#街並み 台東区  #商業系  #夕景・夜景  #アーケード 
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