ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

震災発生から2年

2013-03-12 | よもやま話
ちょうど田んぼの耕起中に市の防災行政無線のサイレンが鳴り響く。
2万人が犠牲となった東日本大震災から昨日でまる2年。
トラクターの上からだったが黙とうし犠牲者のご冥福を祈った。

2年前の3月11日午後2時46分、その時のことは今でも記憶に残っている。
おそらく日本人のだれもが、その日のことは鮮明に覚えているだろう。

私は車の中でNHKの参院予算委員会の国会中継を聞きながら
北九州から別府方面へ車を走らせている時だった。

ちょうど菅首相が政治献金問題で答弁中だったと思う、
突然、緊急地震速報のチャイムが割って入った。

「次の地域では地震に警戒してください。宮城県、岩手県・・」
「身の安全の確保を・・」

その後、数十秒後には放送は渋谷のスタジオに切り替わり
アナウンサーが地震警報を繰り返していると

「ああ、今、渋谷のスタジオが大きく揺れています。」
「随分長く揺れが続いています。スタジオの中が・・・・」
あのNHKのアナウンサーが混乱していた。

震源と各地の震度が次々に発表されるや否や
今度は津波警報が発令され、刻々と津波到達時刻が予告され、
さらに時間とともにアナウンサーの緊迫した口調が続く。

「ヘリから送られる映像を見ていますと津波が直ぐそこまで迫っています。」
「まだ、海辺で何人かの人影が見受けられます。
 どうかこの放送を聞いている方がおられたら教えてあげてください。」

車の中で聴くこの生々しい放送は緊迫感が漂っていた。
遠く東日本の地で現実に起こっていることに
何も出来ない自分に不甲斐なさを感じたことを覚えている。

次第に時間が経つにつれ各地の被害状況が次々に伝わり、
市川のガスタンク炎上、テレコムセンターの火災と
尋常ではない災害であることは直ぐ想像できた。

そんな中、唯一調布の叔母とは直後に電話が繋がり、
かつて経験がない大きな地震にしゃがみ込んだまま腰が抜けて
しばらく立ち上がれなかったとか。
東京で仕事している長男からは「生きてます!」のメールが。

夜になっても報道特番を組むテレビ各局は衝撃的な映像を流し、
初めて見る津波の信じられない光景を目の当たりにしたものだった。

私の周りでは気仙沼市在住のOさん、
仙台宮城野区在住のTさんのことが気になったが
電話も繋がらずしばらくは連絡の取りようもなかった。

震災、忘れまじ。











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