昨日の日曜日はチリ地震による津浪に日本中が振り回された。テレビのどのチャンネル
をまわしても津浪警報の日本地図が表示されていた。こんなことはテレビ始まって以来
のことだ。でも津波による人的被害はまったくなく同慶の至りだ。若干、大山鳴動のきら
いもなきにしもあらずだが、こと人命に関することだ。
チリ地震というと、半世紀前の昭和35年5月23日、三陸海岸に大きな被害をもたらした津
波の当時を想い出す。わが家では前年の皇太子ご成婚でテレビを入れたばかりであった
が、昨日のように日本中が大騒ぎした記憶はない。しかし、調べてみると、134人が犠牲に
なっていた。僕はうかつにも当時も事前に警告があったものと考え、なぜこんなに犠牲が出
たのかと一瞬思った。が、半世紀前には今のような世界的な津浪警報体制はなかったし家
庭のテレビもそんなに普及はしていなかった。地球の裏側17000㌔で起きた地震による津
浪が襲ってくるのは想定外だったのだ。
三陸海岸の住民は明治29年、昭和8年と二回にわたって大津波を体験しており、地震直後に
津波が発生し、それに対する備えもよく知っていた。しかし前回のチリ大津波は事前の地震も
なく明け方そっとやってきて、それも繰り返し7回も襲来した。当時の記録には”消防団の逃げ
ろの声と警鐘で高台へ走った”とある。
今回は10数時間も前から気象庁から津浪警告が出され、メデイアによる情報伝達は徹底して
いた。10数万人の沿岸の住民が避難し、交通機関もスットプして国民の日常生活に迷惑を
もたらしたが、一人の人命も失われなかった。前回の教訓が生きたのである。
をまわしても津浪警報の日本地図が表示されていた。こんなことはテレビ始まって以来
のことだ。でも津波による人的被害はまったくなく同慶の至りだ。若干、大山鳴動のきら
いもなきにしもあらずだが、こと人命に関することだ。
チリ地震というと、半世紀前の昭和35年5月23日、三陸海岸に大きな被害をもたらした津
波の当時を想い出す。わが家では前年の皇太子ご成婚でテレビを入れたばかりであった
が、昨日のように日本中が大騒ぎした記憶はない。しかし、調べてみると、134人が犠牲に
なっていた。僕はうかつにも当時も事前に警告があったものと考え、なぜこんなに犠牲が出
たのかと一瞬思った。が、半世紀前には今のような世界的な津浪警報体制はなかったし家
庭のテレビもそんなに普及はしていなかった。地球の裏側17000㌔で起きた地震による津
浪が襲ってくるのは想定外だったのだ。
三陸海岸の住民は明治29年、昭和8年と二回にわたって大津波を体験しており、地震直後に
津波が発生し、それに対する備えもよく知っていた。しかし前回のチリ大津波は事前の地震も
なく明け方そっとやってきて、それも繰り返し7回も襲来した。当時の記録には”消防団の逃げ
ろの声と警鐘で高台へ走った”とある。
今回は10数時間も前から気象庁から津浪警告が出され、メデイアによる情報伝達は徹底して
いた。10数万人の沿岸の住民が避難し、交通機関もスットプして国民の日常生活に迷惑を
もたらしたが、一人の人命も失われなかった。前回の教訓が生きたのである。