「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

    フィリピンの教科書に載っている「死の行進」

2010-03-22 10:08:10 | Weblog
「バターン死の行進」の写真を65年ぶりにAP通信が訂正した(小ブログ3月20日)
が、同じような構図の写真が「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」(越田稜
著編 梨の木舎 1990年)に掲載され、次のような写真説明がついている。
「オンドネル収容所におけるフィリピン軍兵士の死体運び、1942年6-7月 リコ・
ホセ氏提供)
また「バターン死の行進」について「フィリピンの歴史と政治」という教科書には次の
ように記載している(越田稜氏の本から)
「16人の将校を含む7万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士たちがバターン
で武器を捨てた。降伏後彼らは敵の残忍な扱いを受け,餓え、渇き、疲労で極度
に衰弱していたにもかかわらずバターンからフェルドナンドまで行進するよう強制さ
れた。この悪名高き「死の行進」でフィリピン人約1万人、アメリカ人1200人が路上で
死亡した」

米国側では、この「死の行進」で米国軍兵士など7000人から1万人が死亡したとしフィ
リピン軍兵士の具体的な死亡者数には触れていない。別の推理では、フィリピン人は
行進の途中で逃亡、現地人にまぎれこんでしまったという説もある。いずれにせよ、死
亡者の数ははっきりしていない。






       お彼岸 ”ぼたもち”と”おはぎ”の違い

2010-03-22 06:43:20 | Weblog
戦前は、東京の区部でもお彼岸には家で”ぼたもち”(おはぎ)を作り、お重に入れ
て隣り近所の親戚や知り合いに配った。また、その逆にご近所からも、同じような
配りものがあった。懐かしい想い出である。人と人との暖かい心の通いがあったが、
戦後いつのまにか、こういった風習はなくなってしまった。

昨日、友人と外で飲んだ勢いもあって駅の構内で売っていた”ぼたもち”を買って家
へ帰った。早速、仏前に供えたあと、老妻と一緒に食べた。”ぼたもち”は昔に比べ
て小型で甘味も薄かったが、やはり季節の食べ物である。お彼岸に食べるからこそ
味しいのである。

八十路に差し掛かる年なのに恥ずかしい。僕はこの年になるまで”ぼたもち”と”おは
ぎ”の違いを知らなかった。”おはぎ”は”ぼたもち”の上品な言葉ぐらいとしか思って
いなかった。そこで僕よりは物知りの老妻に聞いてみたらさすがである。明解な答えが
かえってきた。

春のお彼岸に食べるのが”ぼたもち”で、秋のお彼岸に食べるのが”おはぎ”なのだそ
うだ。”ぼたもち”は春に咲く牡丹の花の色と形状が似ているから”ぼたもち”で、一方、
”おはぎ”は、秋に咲く萩の花の色と形に似せて昔は作ったとのことだ。調べてみると、
「和漢三才図会」という本にも同じことが記されている。

今は”おはぎ”も”ぼたもち”も混同して使われている。東京では牡丹の花など周りには
ないし、秋には萩の花の咲く所などない。季節感の喪失から僕のような”おはぎ”と”ぼ
たもち”の違いが判らない男が出ても仕方がないのかしれない。