「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        スー・チーさんの父親は「面田紋二」将軍

2010-11-15 06:33:18 | Weblog
ミャンマーの民主化運動の指導者,アウン・サン・スー・チーさんが7年半ぶりに自宅軟禁から解放された。これが何を意味すのか今の段階では判らない。軍の翼賛政党、連邦団結発展党(USDP)が今月初の総選挙で圧勝したのを背景に”スー・チー恐れるに足らず”とみたのか、あるいは今後の政権運営にスー・チー勢力を必要とし宥和にでたのかー。

スー・チーさんの父親、アウン・サン将軍はミャンマー(ビルマ)”独立の父”だが、大東亜戦争勃発直前の昭和15年から16年にかけて宗主国、英国官憲の目を逃れて日本に亡命していた。当時アウン・サン氏は日本軍の諜報機関の庇譲下でオンサンと呼ばれ、日本名「面田紋二」を名乗っていた。当時の「面田紋二」の足跡は、東京や浜名湖湖畔に残っており、スー・チーさん自身も昭和60年ー61年、京都大学東南アジアセンターに留学、ミャンマー独立工作に従事していた父親の日本での足跡を研究している。

僕らの世代にとってはミャンマーというより「ビルマの竪琴」など、ビルマの名前のほうが懐かしく、身近かな存在だった。軍事政権前のビルマへは池田、佐藤、田中、福田歴代の総理が訪れており、ビルマからもネ・ウイン将軍など数多くの指導者が来日、親密な関係にあった。

ミャンマーの連邦団結発展党の新政権がどのような政策を打ち出すのか不明だが、これ以上世界の潮流に背を向け孤立することはないだろう。自宅軟禁から解放されたスー・チーさんは早速記者会見で、ミャンマーにとって日本などからの國際協力が必要なことを説いている。わが国はこれに応え、「大東亜共栄圏」時代からのプラスの遺産を大切にしてミャンマーの開発に手を貸すべきである。バスに乗り遅れてはならない。