「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

記憶にない占領下の成人式とその時代

2014-01-14 06:28:57 | Weblog
僕の成人式は昭和26年(1951年)だったが、まったく記憶にない。成人式は昭和24年の祝日法改正で国民の祝日に定められている。だから26年の1月15日(月)は祝日だったはずだが、東京ではお祝いの式もなく、女性の晴着姿もなかった。敗戦から6年、世の中はだいぶう落ち着いてきたが、まだ都会には焼け跡が残っており「成人」を祝うほど精神的余裕はなかったのかも。

振り返ってみると、僕の青春前期は戦後すぐの連合軍の占領期であった。”鬼畜米英””いざこいニミッツ、マッカサー”の時代が敗戦を機に、そのマッカサーが連合軍総司令官として君臨してきた。敗戦時中学3年であった僕らにとっては、万事の価値観がコペルニクス的転換であった。成人式時には大学2年であったが、時流に媚びて僕は”鬼畜”だった米国文学を専攻していた。

占領時代、日本人の大人がどんな考えをしていたのかー。偶然だが旧臘、入院中に読んだ大佛(おさらぎ)次郎の作品「帰郷」が当時のインテリ文化人の一端が解り面白かった。大佛次郎は「鞍馬天狗」の作家として有名だが、この「帰郷」は戦後の昭和23年、毎日新聞に連載された小説で、ある旧海軍士官が戦前ある事件に連座して亡命、その主人公の戦中の体験と戦後帰国してからの生きざまを描いたものだが、巧みに執筆時(戦後)の文明批評にもなっている。

その一つを少し長いが引用してみる。「終戦を境として人が急に一様に日本の過去に冷淡になったせいもある。その以前から、けわしい経済の影響か、用のない過去をふりかえる余裕を失い。若い人たちは、求めて過去の影響から覚めようとしている。その意識がなくとも歴史に無関心で無知なところから、古い日本にあってよいものが段々と無感覚になってゆく傾向が不安である」

大佛次郎の言う「若い人たち」は、まさに僕らの世代である。改めて反省をこめて占領下の時代を調べてみたくなった。